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祈りの銃と異界の娘  作者: 白玉蓮


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13/18

罰の名を呼ぶ

◆教会の夕暮れ


夕暮れの光が、礼拝堂を斜めに切っていた。

 ステンドグラスはいつもの赤や金ではなく、どこか冷たい青を含んで見える。

――まるで、夕日の色さえ薄くなってしまったみたいに。


 私は長椅子に座ったまま、左手の指輪を押さえていた。

 熱はない。鼓動も、もう落ち着いている。

 それでも――皮膚の奥に、まだ“闇の気配”が残っている気がした。


 夢だったはずなのに、夢じゃない。

 耳の奥に、カインの声が残り続けている。


『……君ならアベルを救えるよ』


 祈りみたいで。

 呪いみたいだった。


 隣に立つアベルさんは、私の話を最後まで聞き終えると、ひとつだけ深く息を吐いた。いつもの柔らかな微笑みは、もうない。代わりに、表情そのものが“仕事”になっている。


 胸元のロザリオを指でなぞり、薄い唇を結ぶ。

 その仕草は落ち着いているのに、空気だけが妙に張り詰めていく。


「リコさん。今夜は、ひとつ約束してください」


「……約束?」


「一人で祈らない。指輪にも触らない」


 淡々とした口調。命令ではないのに、逆らえない圧があった。

 そして彼は、ほんの少し言いよどむように間を置いてから――言った。


「……それと、今夜からは一緒に寝ます」


「えっ」


 思わず声が裏返った。

 変な意味じゃない。心配してくれてるだけ。頭では分かっている。

 分かっているのに――


(この人、見た目どう見ても二十代後半のイケメン神父なんですよ!?)


 私の中で、理性と羞恥心と危機管理意識が同時に暴れた。

 眠れる気がまるでしない。

 けれど、ここで拒めば話が進まない予感しかしない。


「……わかりました」


 小さく頷くと、アベルさんはわずかに目を細め、ようやく頷き返した。


「ありがとうございます」


 私の心の格闘が顔に出ていたのか、彼は苦笑いを浮かべる。


「安心してください。何もしません。……寝かせるだけです」


「その言い方が逆に怖いんですけど」


 慌てて咳払いをして、私は話題を切り替えた。


「あの……カインさんが言ってました。アベルさんも、罪を背負ってるって」


 アベルさんの睫毛が、わずかに揺れる。


「その……不老不死、とか……本当なんですか?」


 彼は答えない。

 否定もしない。


 つまり――そうだ。


「……知りすぎない方がいいですよ」


 搾り出すような声だった。

 優しさに見せかけて、痛みが混ざっている声。


 でも私は、もう引き返せなかった。


「でも私は、知ってしまいましたから」


 自分でも驚くくらい、声がまっすぐ出た。


「アベルさんは、この世界に来た私にすごく親切にしてくれました。

 もし私がここに来たことに意味があるなら……今度は、私がアベルさんのためにできることをしたいです」


 私の嘆きが、カインに届いたのだとしても。

 引き寄せられた縁だとしても。


 あの夜、爪で裂かれた背中。

 孤児院で、私の光を止めた声。

 三日間、病室の外で眠っていた背中。


 アベルさんは、痛みが分かる人だ。

 だからこそ守ってくれていた。


 口が勝手に言葉を落とす。


「……あなたが、大切だから」


 言った瞬間、礼拝堂の空気がほんの少し変わった。

 アベルさんの瞳が揺れる。ほんの一瞬だけ、“神父”じゃない顔になる。


「リコさん……」


 彼は視線を落とした。

 その沈黙が、答えよりずっと痛かった。


「……君への親切は、ただの自己満足です。

 守ることで、救われた気になっている」


「それでもいいです」


 私は首を振った。


「救われたのは私です。

 だから今度は――私が、あなたの側に立ちたい」


 言い切った瞬間、自分の中で何かが固まった。

 怖いのに、震えているのに。

 もう、逃げられない。


 アベルさんは、薄く笑った。


「……強いですね、リコさん」


「強くなんてないです。

 ただ、私の正義は……アベルさんにあります」


 その言葉に、アベルさんの笑みが消えた。

 そして――ゆっくり、私を見る。


「危険な考えですね。偏り過ぎると、選択を間違えますよ」


「それでも私は、アベルさんを悪だとは思わない」


 アベルさんは、ほんのわずかに眉を寄せた。

 次の言葉は、優しさよりも、覚悟の硬さを帯びていた。


「……ならば、まず話をしましょう。

 そこからは君が、自分の判断で決めてください。

 君が僕を見限ったとしても――責めません。そこは安心して」


 逃げ道を残す声音が、胸に刺さる。

 それでも私の選択を奪わないこの人は、やっぱり優しい。


 アベルさんは淡々と言った。


「私も兄も――死にません」


「……」


「正確に言えば、“死ねない”。

 年を取らない。病で倒れない。

 致命傷を負っても、完全に終わらない」


 それは祝福じゃない。

 声の温度が、そう告げていた。


「これは罰です」


 あまりにも自然に言う。

 まるで昔から、そういう天気があったみたいに。


「兄は庁に反旗を翻しました。

 神の声を捨て、神の座を奪おうとした。

 その罰として――不老不死の空間に幽閉された」


 私は息を飲む。


「……アベルさんは?」


「双子だからです」


 淡々とした言い方が、いちばん残酷だった。


「同じ血。似た魂。

 庁にとっては、同罪の可能性がある“危険物”」


 アベルさんは肩をすくめる。


「だから私は、生かされました。

 兄を封じる鎖として。――“黒の執行人”として」


 その言葉が刃になって、胸に刺さった。


「……アベルさんは、何も悪いことをしてないのに……」


 呟いた瞬間、声が震えた。

 怒りなのか、悲しみなのか、自分でも分からない。


 アベルさんは静かに笑う。


「庁が黒だと言えば、白でも黒なんですよ」


「そんな……!」


「でも、庁は“正しい”。この国にとって、庁が秩序だからです」


 その言い方が怖かった。

 正しさが、ここでは人を殺す。


 私は指輪をぎゅっと握った。


「……カインさんも、裏切りたくて裏切ったわけじゃないんですよね?

 大切な人を失ったって……そう言っていました」


 アベルさんが、少しだけ黙る。

 答えが単純じゃないときの沈黙。


「……兄は、そんなことまで話したんですね」


 低い声が落ちる。


「最初は、救っていました。

 奇跡の時代の中心にいて――誰より優しく、親身になって」


 ロザリオに触れたまま、アベルさんは目を伏せた。


「ですが、カインが愛した人。

 セレスティアが殺されたんです」


「……セレスティア?」


「庁の“聖女”でした。孤児院出身で、奇跡に最も近い器とされた。

 兄は、彼女の前でだけは“人間”でいられたんです」


 言葉の隙間に、失われた温度が落ちていく。


「二人は惹かれ合い、愛し合い……やがて子どもが授かりました。

 ですが子が生まれれば、庁とカインの力の均衡が崩れる。

 それを恐れた庁は――彼女を殺した」


 呼吸が止まった。


「……お腹の子どもも、一緒に」


 礼拝堂の空気が、重く沈む。

 白が、清い色じゃなくなる。

 私は吐き気がするほど、その白が嫌になった。


「庁のために尽くしていたのに……?」


 震えながら問う。答えなど分かっているのに。

 アベルさんは否定しない。


「尽くしていたからこそ、その力が脅威になったのでしょう。

 カインと聖女の間に生まれる子どもは、この世界で最も崇高な存在になり得た。

 ――事故に偽装され、暗殺された」


 淡々とした声が、いちばん残酷だった。


「記録上は“殉教”。美しい死として飾られた」


 吐き気がする。

 白は、真実を覆い隠す色だ。


「その事実を知り、兄は神の声を捨てた。

 神の声を聞くことが――耐えられなくなった」


 静かな声。

 けれどその静けさが、燃え残りみたいに怖い。


「……こんな世界、どうでもいい。むしろ支配すればいい」


 アベルさんは兄の言葉を、そのまま繰り返した。

 まるで今も耳にこびりついているみたいに。


「……兄は反旗を翻しました。

 そして異端審問により……幽閉された。殺されるより残酷な刑です」


「……私が呼ばれた部屋の、あの奥の空間に幽閉?」


「ええ」


 目を伏せたまま言う。


「永遠の時間。暗闇の中に、たった一人で。

 幽閉されたまま、今も生きている」


 私は自分の指輪を見つめた。

 青い魔石が、無言で冷たく光っている。


「……私の悲しみが、共鳴したんですね。偶然にも。

 そして……カインさんを解放できる鍵になりうる」


 言葉が口から落ちた瞬間、胸の奥で何かが繋がった。

 自分がこの世界へ呼ばれた“意味”を、理解してしまった気がした。


 カインの孤独を終わらせるための鍵。

 きっと、そういうことなんだ。


 けれど――アベルさんは首を振った。


「カインが君を呼んだとしても、君にそんな重荷は背負わせません。

 君はこの世界で、自由に生きていいんです」


「アベルさんは……そうやっていつも誰かを守り続けますが」


 私は息を吸い、言った。


「……誰が、アベルさんを守るんですか?」


 アベルさんの目が、一瞬だけ揺れる。


「……リコさん。その気持ちだけで十分です」


 優しい声。

 でも、逃げ道を作る声だった。


「君は――巻き込まれただけですから」


「兄の孤独に。庁の恐怖に。そして、私の罪に」


 罪。

 その言葉で、胸が痛くなる。


「アベルさんは何も悪くない」


「悪いんです」


 アベルさんは笑った。いつもの軽口みたいに。

 でも、その笑いは空っぽだった。


「私は兄を止められなかった。

 助けるふりをして、庁の鎖として生きてきた」


「……」


「君を守ると言いながら、君を“安全な檻”に入れて安心したかった」


 私は首を振る。

 違う。そんなの、違う。守ってくれたのは、本当だ。


 だから――


「良いんです」


 私は、息を詰めるように言った。


「庁が白でも黒と言い張るなら……私は、黒を白だと信じます。

 あなたの味方です」


 アベルさんが目を見開く。


「……リコさん」


「庁と戦うなら、私も戦います。

 この世界の秩序なんて、私にとっては最初から“借り物”ですから」


 アベルさんの表情が揺れた。

 嬉しいのか、苦しいのか分からない顔。


 私は衝動のまま一歩近づき、抱きつきそうになるのを堪えながら言った。


「この世界で、あなたが私の正義なんです」


 一拍遅れて、アベルさんの手が私の背に回る。

 拒まない。逃がさない。けれど、壊さない。

 その抱擁に、胸が熱くなる。


「カインさんを解放したら、戦いが始まるんですよね。

 異端審問が敵になる。庁の神父も敵になる」


 口にしただけで喉が乾く。

 それでも私は言葉を止めなかった。


「それでも、私は逃げません。

 生きるはずじゃなかった私が、今ここにいるなら――

 ここで生きる意味を、あなたを守る役目を、私が決めたい」


 言い切った瞬間。

 アベルさんが、私の頬に触れた。


 次の瞬間、唇が塞がれる。

 重なる熱の中で、それが言葉より確かな答えだと理解した。


 指輪の青い魔石が、ふっと脈打つ。


 とくん。

 心臓の音に合わせて。


 ――そして、耳元で囁きが落ちた。


『……いい子だ』


 甘い声。

 優しい声。

 だからこそ、背筋が凍る声。


『扉は、開く。鍵は、こちらへ――さあ、一緒に終わらせよう』


 視界の端で、ステンドグラスの青が濃くなる。

 まるで夜の海の底みたいに、光が沈んでいく。


 私は震える息で言った。


「……アベルさん。覚悟を決めて」


 アベルさんは、ほんの一瞬だけ笑った。

 いつもの穏やかな笑みじゃない。

 覚悟を決めた人の、静かな笑み。


「……分かりました」


 その声は祈りみたいだった。


「では、行きましょう。僕たちの時間を取り戻すために。

 君がこの世界で生きる意味を知るために」


 青い光が揺れる。

 白い世界の遠くで、鐘が鳴った気がした。


 それは祝福じゃない。


 嘆きの鐘だ。

 均衡が崩れる前の、予告の音だった。

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