表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

君が望む悪役

ショートショートのお手軽なお話

 広間は怒号に満ちていた。

 壇上に立つ第二王子を、貴族たちの視線が刺す。その誰もが、正義を盾に彼を断罪していた。

──罪のない令嬢を追放した、冷酷非道な王子。

集まった者たちは、その物語を信じて疑わない。なにしろ疑う理由など、どこにもないのだから。


「婚約者を、何の証拠もなく追放するとは!」

「令嬢は何も悪いことなどしていなかったというのに!」

「殿下の横暴は許されるものではありません!」


 声という声が王子へと向けられる。


 それは糾弾だった。断罪だった。

 正義の名のもとに行われる容赦のない裁きだった。

 

 壇上の王子は、その全てを黙して受け止めている。反論も、弁明もしない。ただ静かに、群衆を見下ろしていた。その瞳に何が映っているのか、誰も知らない。知ろうともしない。


「お待ちください。殿下には、殿下なりの──」


 側近が声を上げる。主君を庇おうとする必死の声だった。けれどその声は波に飲まれる小石のように、あっけなく群衆の怒りにかき消された。


 壇上の脇に、悪役令嬢と罪を着せられ、国を追われた元婚約者が立っている。

 彼女は何も語らない。ただ静かに、この場を見守っている。被害者として。糾弾を見届ける権利を持つ者として──己を救った隣国の王子に寄り添われて。

 その姿が群衆の正義感を煽り立てる。

 見よ、と誰かが言う。令嬢は救われたのだ、と。

 悪い王子から解放されたのだ、と。

 それはきっと美しい物語だったのだろう。追い出された美しき才女が、その才を認める相手に愛され生きていく。最高のハッピーエンドだ。


 王子は黙したまま、群衆を見下ろしていた。

 その表情には、諦めのようなものが浮かんでいる。

 あるいは──何か別の、名前のつけられない感情が。

 疲労か。無力感か。それとも、もっと深い何かか。


 怒号が続く。

 非難が続く。

 糾弾が続く。


 広間を満たす延々と続く断罪と糾弾の声が一度、途切れた瞬間──まるで嵐の目に入ったかのような、束の間の静寂。


「……誰も彼もが」


 その中で、王子の唇が小さく動いた。

 それは独白だった。

 誰かに向けられたものではない、ただの呟き。

 けれど静寂に沈んだ広間では、その小さな声も届いてしまう。


「誰も彼もが、僕の破滅を望むんだ」


 近くにいた者たちが顔を見合わせる。

 何を言っているのか、という困惑が広間に広がる。眉をひそめる者、首を傾げる者。


「僕の意思なんて関係なしだ。話だって聞いてくれやしない」


 だが王子は構わず呟き続けた。まるで、自分以外の誰にも聞こえていないかのように。

 ──その声には、静かな絶望が滲んでいた。抗うことを、とうに諦めた者の声だった。


 主君の様子がおかしい。それは明らかだった。けれど、従者はどう声をかければいいのかわからない。


「殿下……誰も彼もが、とは、一体、誰のことを仰っているのですか」


 元婚約者の令嬢が、首を傾げながら尋ねる。彼女の声は、純粋な疑問に満ちていた。

──本当に、わからないのだ。王子が何を言っているのか。


 王子はゆっくりと顔を上げた。

 その動きは、まるで重い荷物を持ち上げるかのように、緩慢だった。

 













「君だよ──今、これを読んでいる君達だ」




 王子の視線は、もはや広間の誰も捉えていない。いや、もっと遠く。

 もっと別の場所を見ていた。そうだ、彼は見ている。 

 この物語を、今まさに読んでいる者たちを、悪役の断罪を、娯楽として消費している者たちを、ページをめくる指。スクロールする画面。期待に満ちた視線。

──それら全てを、王子は見ている。


「君達は僕の事情なんて聞いてくれない、見てくれやしない」


 王子の声は静かだった。

 怒りも、悲しみも、そこにはない。

 ただ淡々と、事実を述べるように。それがかえって言葉の重さを際立たせていた。


「いや、聞く気もないんだろう。ただ僕が悪者であることを望んでいる。誰も彼もが、僕が破滅することを期待している」


 言葉が空間に染み込んでいく。

 

「それが物語だから──君達が求める展開だから」


 王子は、見えない誰かに語りかけ続ける。

 広間の者たちは、ただ困惑して王子を見つめていた。何が起きているのか、理解できないまま。


「僕という人間がどう思っていようと、何を望んでいようと、関係ない。君達の目には、僕は『悪役』としか映らないんだ」


 その声には諦めが滲んでいた。

 抗うことのできない運命を受け入れた者の、静かな諦念が。


「君達は誰かが壊れる様を見たいだけなんだ。それが娯楽だから。それが物語だから」


 言葉が重なる。


「僕にも事情があった。理由があった。でも君達はそれを聞く前に、もう僕を断罪していた」


 王子は小さく首を振った。 

 自嘲するように。あるいは何かを振り払うように。


「いや、違うな。事情なんて、最初から関係なかったんだ。君達が求めているのは『悪役の破滅』という結末だけだから」


──そこにあるのはただ、悪を断罪したいという欲望だけだ。正義を行使したいという渇望だけだ。それが満たされる瞬間を、誰もが待ち望んでいた。

 正しさは、時に人を酔わせる。

 自分が正義の側にいると信じる時、人は容赦が無くなるのだ。


「教えてほしい。君達は…他人の人生を壊してまで、それを見たいのか?」


 王子は、見えない誰かに問いかける。

 最後の問いを。

 その声には、怒りはなかった。

 責める調子も、非難する色もなかった。

 ただ静かに、淡々と。純粋な疑問として、それは問われていた。


 それがかえって、その言葉の重さを際立たせていた。


「それとも──僕が『物語の登場人物』だから、壊しても構わないと思っているのか?」


 問いかけは、宙に消える。

 答えは返ってこない。

 返ってくるはずもない。

 物語の登場人物の問いかけに答えることなど、できはしないのだから。


 王子が語り終えた後、広間は静まり返っていた。

 しかしそれは、告発を受け止めた静寂ではない。

 困惑故の沈黙だった。

 

 誰もが、何が起きたのかわからないまま、ただ立ち尽くしている。


「殿下……何を、仰っているのですか」


 側近の声には、戸惑いが滲んでいた。

 王子の言葉が、彼には届いていない。理解されていない。

 ただ、主君が何か奇妙なことを口走っている、という困惑だけがそこにあった。心配そうに、側近は王子を見つめている。けれど、どうすることもできない。


「一体、誰に話しかけて……」


 令嬢もまた、首を傾げている。

 そこにあるのは困惑だけで、理解の色はない。彼女にとって、王子の言葉はただの妄言にしか聞こえなかったのだろう。


 貴族たちがざわめき始める。


 『殿下は錯乱しておられるのか』

 『追い詰められて、おかしくなったのでは』

 『やはり、悪事を働いた者の末路か』

 そんな囁きが広間に満ち、物語は元の軌道に戻ろうとしている。


「ともかく、殿下の罪は明白です」

「これ以上、時間を無駄にする必要はない」


 糾弾の流れは止まらない。

 王子の訴えは誰にも届いていなかった。

 誰一人として、理解しなかった。理解できなかった。

 


──王子は小さく笑った。

 それは自嘲とも、諦めとも取れる笑みだった──ああ、やはりそうか、という納得が、そこにはあった。 

 それを理解できるのは──この物語を読んでいる、君達だけなのだ。君だけが、王子の言葉の意味を知っているのだ、と。


「僕にできることは…何もないんだ」


 呟きは誰にも届かない。

 広間の者たちは、王子の言葉など聞いていない。

 ただ、正義が成されることだけを待ち望んでいる──それが物語の、正しい形なのだから。


「君達が望む結末を…演じるしかない」


 王子は静かに、糾弾を受け入れる態度を見せた。

 抵抗することも、弁明することもなく──物語が求める『悪役』を演じることを選んだ。

 それ以外に、できることなど何もないのだから。


 決定は速やかに下された。

 王子は広間から連れ出され、その背中を、誰もが『正義が成された』という満足げな表情で見送った。


 めでたしめでたし。

 悪は断罪され、正義は勝利した。

 物語は、あるべき形で幕を閉じる。

 誰もが望んだ通りに。


 道すがら。

 長い廊下を歩きながら、王子が、誰にも聞こえない声で呟いた。


「次の物語でも…また、誰かがこうなるんだろうね」


 その言葉は誰にも聞かれることなく風に消えた。

 ただ、どこかで新しい物語を開く。

 そして、また誰かが『悪役』として断罪される。


 少なくともここでの物語は終わったのだ──読者が望んだ通りに。

星新一みたいな話をいつか書きたいな

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ