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ユートピア

作者: クーリエ

1.

まさか…

こうなるなんで誰が予想していただろうか。きっと、神ですら思いつかなかったであろう。

西暦はわからない。恐らく3000年くらいであろう。

過去の2000年代の古代文献を見ると、世界には80億人ほど住んでいたらしい。

今は精々200万人ほどだ。

その時代から今も存続している国は日本、カンボジア、ペルー、スイス、ブルキナファソ、イギリスの6国だけだ。もっと厳密に言うならば、それらもかつての原型は留めていない。

男は、AD3000年の世界でかつてのAD2000年の歴史を研究している。

しかし、その時代の文献は殆ど残っておらず、未だわからないことも多い。

確実にわかっていることは、かつて核兵器を用いた全面戦争が起き、それをきっかけに世界が一変したことくらいだ。

かつては、ごくわずかな国しか核兵器を有していなかったらしい。

なんて平和な世界だろう…

男は思った。

今では、殆どの人間が個人で核兵器を有している。といっても、当然、国家を破壊するレベルではない。個人を殺傷する程度である。しかし、平然とそこらで核汚染が行われている。

そう思った今も、近くで爆発音がした。子供が喧嘩でもして投げたのであろうか。

腕から機械の振動が伝わる。

ボタンを押すと、SAS(筆者注:英国特殊空挺部隊。空軍だと間違えられやすいが、実際には陸軍の部隊である)の少佐からであった。彼とは同じ地域出身で小さい頃の顔馴染みである。かつての地名で言うならばペオグラード出身と言うべきであろうか。

「至急、倫敦に向かって欲しい」

「おい、俺は既に退いたぞ…」

「それは当然知っている。だが、そんなことを言っている暇はない。急げ」

一応、かつての役職では男の方が上であった。

男はSASで実践部隊として居たことはないが、聡明な頭脳を買われたのだ。

ため息を一つ吐いて、男は準備を始めた。折角、余暇ばかりで、故郷で過ごして居たと言うのに、騒々しい…

それが嫌で辞めたのに。

仕方なく、男は倫敦へ向かった。


少佐は、トラファルガー広場に居た。

トラファルガー広場は、倫敦で最も規模の大きいシェルターなのだ。

「早かったな」少佐は言った。

「お前が早く来いと言うからだろう」男は不満そうに述べた。

「まぁ良い。話すのは後でだ。取り敢えずSCO35のところへ」

SCO35…

それは、倫敦警察庁の中で、機密情報を取り扱っている部署のコードネームだ。

よほどのことがあったのだろう。英国内で何か大きなことでもあったのだろうか。国家を揺るがすレベルでないとSCO35は動かないだろう。

「さ、入れ」少佐は地下にあるSCO35のアジトの前に立って言った。

そこには男にも見覚えがある懐かしい面々が居た。

男がSASにいた頃に一緒に働いて居た人間たちだ。奴らは今でもSASに留まっている。

しかし、皆、顔が浮かない。

「……懐かしいな」男は呟くように言った。

しかし、それは静寂の中で虚しく響くのみで返事はなかった。

「で、何故俺をここへ呼んだ?」男は少佐に問うた。

「………おい、あれ、見せてやれ」

少佐は、SCO35の一人に命じた。

命じられた男は、無言で画面をいじり始めた。

暫くして、大きなモニターにはとある場所が映し出された。

そこが何処だかは男には判断がつかなかったが、英国が所有してる土地ではなさそうだ。

数秒後、大きな爆発音が聞こえ、隅から黒煙が見えた。やがて、画面の前にも強い光が見えるて、画面は真っ暗になった。

SCO35の職員がモニターを早送りすると、爆発前は長閑な集落が映って居た画面はただの焼け野原と化していた。そこで映像は途絶えた。

「………これは何処?」男は聞いた。

「カンボジア領のカトマンズ」

少佐が答えた。

カトマンズ…AD2000年頃でいうネパールあたりか。

「見るからに水素爆弾だな…でも何処の国が?」

「…今からさっきの映像を戻す。よく見てろ」

映像が巻き戻され、先ほどの長閑な集落が浮かび上がる。

「………!」

男は驚いた。

画面の左上にほんの刹那の時間だが、ミサイルが映った。

そのミサイルには…。

「J、P…」

「……そうだ」

少佐はゆっくりと答えた。

「まさか、に…ほん?」

「……そうっぽい」

カンボジアと日本は何よりも軍事同盟が強く、こんなことはあり得ないはず…!

「こ、個人がやったとか…?」

男は言ったが、

「この威力、個人の所有しているものだと思うか?」

確かにそうだ。画面越しでも破壊力の高さが窺える。

「でも、金一族なら………」

今まで黙って居たSCO35の職員が控えめに言った。

「うむ…確かにその可能性も否めなくはない。が、態々金一族はミサイルに『JAPAN』と入れるだろうか?」

金一族は、朝鮮半島一帯を有している、現在は世界で一番の大富豪だ。

但し、あまり周知されて居ないが、金一族はAD2000年頃から既に日本を嫌っている。その頃は金一族は「朝鮮民主主義人民共和国」という国を我が物顔で支配して居たらしいが…

「い、入れない…でしょう」

男は、少佐が今はかなり偉い地位についているんだな、と判断した。先ほどからSCO35のメンバーさえも怯えている様子だ。

「これが日本政府が公式にやったものであるとして何故、日本はカンボジアを裏切ったのだ?」

疑問はそこなのだ。最大の同盟国を裏切る必要があっただろうか。

「それについては、ある程度の予測は立っている」

と少佐は言った。

少佐が視線を向けるや否や、SCO35の男が急いで画面をいじり始めた。

自分がSASにいた頃はSCO35といえばもっと権力が強い部署だったのに…

男は驚いた。

暫くし、モニターにはある土地に建てられた建造物が映し出されて居た。

「これ、軍事施設なのは分かるか?」

少佐は男に向かって言った。

「あぁ。ミサイル基地っぽいな」

「……実は、これ、瑞西なんだ」

「………!?」

瑞西と言えば、19世紀の初頭から永世中立国であり、軍事力は一切有して居ないはずだ。しかし、と男は思った。

別に、永世中立国であるとは言え、この世の中、いつ他国が攻め込んでくるかも分からない。その時のために軍事力を有することは特に不可解ではない。何故少佐はこれを見せたのだろうか…?

「おい、まさか…!」

男は叫んだ。

「……多分」としか少佐は言葉を発さなかった。

モニターを拡大すると、実際にミサイルが見えた。

さらに、そのミサイルを画像解析すると…

「JP…!」

「まさか、瑞西が日本と手を結ぶとは…」

あまりにも意外すぎる。瑞西はともかく、日本は瑞西と手を結ぶことのメリットはあるのだろうか?

考えては思いが散る。

「そこで、何が起きているのか少し潜入して欲しいのだ。お前は日本の血も引いてるから特に怪しまれることもないだろう」

そうなのだ。男は既に両親を亡くしているが、父が日本人であるのだ。

「日本に行けば良いんだな?」

「日本本土ではなくて、紐育(マンハッタン)に行ってくれ。あそこの地下にはミサイル基地や核実験場、情報管理室もあるはずだ。焦る必要はないが、早いとありがたい」

と少佐は言った。

「相変わらず、お前は人使いが荒いな…」

口には発さなかったが、男は思った。

男は地下からトラファルガー広場へと出た。

さっきまでは花曇りであったが、今はぽつぽつと雨が降っている。

催花雨になりそうだ。

雨に打たれながら男は自宅へと帰っていった。


翌日、男は紐育に着いた。

倫敦やペオグラードとは違い、よく晴れた天気だ。

しかし、何をして良いのか見当もつかない。

男は紐育に知り合いが居ないか考えたが思いつかない。

取り敢えず、長期戦になりそうなので男は近くの不動産屋を訪ね住居を確保しようと考えた。

「……、そうですねぇ、貴方様の条件だと、この辺りがベストじゃないですかねぇ」

不動産屋が勧めてくれた賃貸のリストを見たが、絶句した。

同じような条件であっても、ペオグラードはともかく、倫敦と比較しても軽く3倍はする。

それほど日本領になった紐育は発展しているのであろう。

男は一旦値段を無視して、とある家の賃貸借用書にサインした。

後に男は少佐へ「紐育は物価が高い。俺はもう現役を退いた身だから収入がない。財政支援を求む」と連絡を取ると渋々ながら少佐からの了承を得た。

特に意味もなく、男は紐育の街を彷徨いて居たところ、ふと思い出した。

日本では古来から『年賀状』という、年の初めに親しい人や同僚に新年の挨拶を書簡でやり取りをする、という風習がある。英国の思想に近い男には到底理解できないことであるし、先の大戦のせいで英国には年の概念は消え去ってしまったが、ついこの間も、日本の知り合いから『年賀状』とやらが届いた。主は2、30代の日本の女だ。確か、数年前ほどに日本列島から紐育に引っ越していたはずだ。多分、父の知り合いか何かなのであろう。

男は一度ペオグラードに戻り、その年賀状を探した。

「……あった」

男は自室の奥から例の年賀状を見つけた。

そこにはご親切にも、女の連絡先が載っていた。

連絡を取ろうと思ったが、ふと、何といい連絡を掛ければ良いのか分からない。

この時の年賀状を見ると、女は「帝国商事」という会社の社員らしい。帝国商事は日本の中では最も大きな貿易会社で、英国とも頻繁にやりとりしている。

あるアイデアを思いついたので、男は再び少佐へ連絡を取った。

「まだ何かあるのか?」少佐はやや迷惑そうに言った。

「偶然、紐育に知り合いがいるんだが、実際に会ったことはない。其奴がどんな人間かは未だ分からないが、其奴を切り口に探ってみようと思う。そこで、其奴に接触する口実が欲しいのだが、何かないだろうか?出来ればその設定をSASの方で作って欲しいのだが」

「あ、あぁ…じゃあお前は東インド会社の取締役ってことにしてやるよ。話はこちらでつけておく。………連絡を入れておいた。商談の予定も入れたぞ」

「お、それはありがたい。では」と言い、男は通話を切った。

代わりに、紐育の女の連絡先を入力して、発信する。

「………はい」

繋がった。

「あのぉ…こちら、東インド会社の、ヨシフ・キートンというものでして…貴社と、商談をしたいので、後ほど会えますでしょうか?」

「あ、勿論です。今はどちらに?」

「ペオ…いえ、紐育です」

「あら、了解です。では、2時間後、紐育大学のキャンパスで会うのは如何?」

「え、あ、はい…では後ほど」

といって通話は切れた。

現在時刻は午後3時。2時間で紐育まで行かなくてはならないのだ。

ぐずぐずしている暇などなさそうだ。

日本を訪れるのは久しぶりだ。

そんなことを思いながら男は大西洋を超え、紐育へと旅立っていった。





2.

女の下へ唐突に連絡が来た。

見覚えのない連絡先からだ。

少し怪訝に思いながらも、通話を開始した。

「………はい」

どうやら向こうの男はかの有名な東インド会社、それも取締役員クラスらしい。

声からしてそこまで歳をとっているように感じない。

確かに最近は女が勤めている帝国商事と東インド会社の間での会合は行なっていない。だが、少し唐突すぎるような気もした。普通は数ヶ月前からお互いの予定をすり合わせていく物であろう。それほどの急用でもあるのだろうか。

女はこれまでも東インド会社との会合を任されたことが幾度かあるが、毎回緊張してしまう。なにせ、相手は16世紀から存在する伝統のある会社なのだ。そこらの会社とは全く重みが違う。

向こうが急いでいるようだったので、帝国商事のオフィスの近くの紐育大学を指定しておいた。あそこなら、これからの時間、休日であることもあり、人が少なく、軽く挨拶を交わした後食事にも誘いやすいだろう。

時計を見ると午前9時。それまで商談の内容でもまとめておくのが得策であろう。

女は早速作業に取り掛かった。


女は午前11時30分には紐育大学のキャンパスに着いた。

想定通り、殆ど人は居ない。

それから40分経ってから男は現れた。

「いやぁ、申し訳ないです…待ちました?」と謝ってきた。

走ってきたのか、肩で息をしている。

「いえ、私も今来たばかりですので」と微笑んだ。集合の30分前に待ち合わせ場所に行き、相手が遅れてきても責めない。それが日本人の美徳なのだ。

「お若いのに、こんな会合を任されるのだなんて…貴女は優秀な方なのですね。失礼ですが、もっとお年の入った方かと想像していました」と男は言った。

「いえ、とんでもない…あ、名乗り遅れましたが、私は喜多と申します」と言い、胸ポケットから名刺を取り出して男に渡した。

「あぁ、どうも…、私はヨシフという者でして…あっ、生憎ですが、私は今名刺を持ち合わせておりませんでして…急いでいたものでして、申し訳ないです」と言った。

いや、そんな社会人居るのか…?そんな人間が、かの東インド会社の取締役だと?流石に巫山戯るのにも程があるのではないだろうか、そんな人間をよこすだなんて東インド会社は帝国商事のことを舐めているのだろうか…

そういった不満が一気に噴き上がったが、決して口には出さない。愛想笑いは特技なのだ。

「いえいえ、大丈夫です。それでは、こんなところじゃ何ですし、ランチにでも行きませんか?ここの近くの和食店を確保してありますので」

「お、それは良いですね!和食、好きなのですよ」

ヨシフと名乗るその男はまるで小学生かのように顔を輝かせている。

内心呆れたが、おくびにもださず、ヨシフを案内した。


その和食店は、紐育の中でも最も高級と称されるような店であった。

ディナーならともかく、ランチだけでも日本円で一品弐万円程はする。

「いやぁ、こんな高級なお店を予約してもらって、何から何まで、申し訳ないですねぇ」

とヨシフは呑気そうに言った。

「いえ、とんでもないです…ところで、もしかして、何かありましたか?急速に会談をしたそうでしたし…」

「ふぇ、あ、いえ、ただ、早くやっておいた方がいいかなぁ、と思いまして…すみませんねぇ…」と申し訳なさそうに述べた。

「我が社と貴社の間では、現在は第一次産品での貿易がメインになっています。ですが、これですとどうしても第一次産品ですと貿易規模が小さくなってしまいます。そこで、もっと貿易額が多い物でのやり取りも今後増やしていこうと私は考えています」

先ほどの能天気そうな態度とは打って変わり、改まった口調で流れるようにヨシフは言った。

女はその態度の差に驚きつつも、

「なるほど…具体的にどのような商品を?」と問うた。

「そうですね…例えば、我が国からは得意な機械製品を、日本からは…ミサイルとか?」

「ほう…」とだけ喜多は答えた。

ここでミサイルの輸出を引き合いに出してくるか、なるほど、英国からの息がかかっていそうだな、と喜多は思った。

「このご時世、いつ、どの国が攻撃を仕掛けてくるか分からない物です。そこで、かねてから世界を引っ張ってきた我々英国と日本で確固たる信頼を築いておくことが自己防衛にも、そして世界全体の平和のためにも必要なことであり、ある種の義務であるとも思うんですよね」ヨシフは真面目な顔で答えた。先ほどまでとは目の鋭さが別人のようだ。

案外しっかりとした男だな、と喜多は感じた。

「こちら、特上寿司・松でございます」とウェイターが二人分の寿司を運んできた。

鮪や鮭といった、寿司の定番だけでなく、太刀魚といった隠れた名魚の寿司も載せられていた。

「うっひょー!」ヨシフはまるでテンション高めなガキだ。此処が帝国商事との会合の場であると言うことなど頭から飛んでしまったようだ。

「あのー、日本では、食前になにか呪いみたいなの言う習慣がありましたよね?何でしたっけ?」とヨシフは聞いた。

「…呪い…?『いただきます』の事でしょうか…?」

「あ、それ!思い出しましたわ。いただきます」

流暢にヨシフは言った。

「そういえば、ヨシフさんは、どちら出身で?あまり大英国島(グレートブリテン島)の人のようには感じないのですが…」

「あ、私はペオグラード出身なんです。英国領になる前はセルビア、若しくはユーゴスラビアと…あ、すみません。あまり知られていないですよねぇ…私の悪い癖でして」

「いえ、博識なのは良い事ですから…」確かに、喜多自身も聞いたことのない単語だった。実は、そんなの存在していない、ヨシフ自身の想像上の国だったりして…?

「私、専攻が考古学、歴史学なんですよ。特に2000年代の…あ、喜多さんはどちら出身で?日本列島?」

「あ、はい。私は日本列島出身です。東京生まれで…」

「おぉ、東京、懐かしいですね…私も何年か前に訪れたことあるんですよ…」

「あら、そうなのですね」

「えぇ、私の父の故郷ですので…あ、私、日本と英国のハーフなのですよ」

「えっ」喜多は驚いた。とても日本の血が入っているようには見えないのだ。

「あぁ、私、ほぼ日本にいたことないですから」とヨシフは笑った。

気づくと、時計の針は14時を指していた。

「あ、自分、用事があるので」と言い、ヨシフが席を立った。

「あら、そうですか、今日はありがとうございました」と喜多は建前上の挨拶をした。

店を出ると、ヨシフは直ぐに何処かへ行ってしまった。

あまりにも可笑しすぎる、と喜多は感じた。

東インド会社ほどの規模の法人が、いきなり即日で会談を申し込んでくるわけがない。

仮に、それをしなくてはならないほどの切羽詰まった状況だとしよう。だとしても、先ほどの会話では殆ど商談がなかった。そんな無能を取締役に用いるわけがない。

喜多はヨシフが東インド会社の取締役を装った何者であるだろうと思った。

そこで、オフィスに戻った喜多は、倫敦にある東インド会社の本社に問い合わせてみた。

予想を裏切る答えが返ってきた。

「ヨシフ・キートンさん?えぇ、居ますよ、うちの取締役です」

そんなことがあり得るのだろうか?あんな人物が?

念の為「いつから取締役に?」と問うと向こうは非常に嫌そうな対応をしてきた。

それでも喜多が食い下がっていると向こうが観念したのか、「3ヶ月前だ」との答えが返ってきた。

一応のお礼を言い、通話も切ったものの、喜多は煮え切れない思いだった。

絶対に此奴は黒であろう。

喜多は帝国商事のオフィスの地下にあるとある場所へと向かった。

普通の社員でも、立ち入り禁止で、そもそもこの場所の存在を知っている人間はごく一部であるところだ。

喜多がそこにある部屋に入ると、初老の男性が「おう、どうした」と話しかけてきた。

「東インド会社の取締役のヨシフ・キートンという人について調べて欲しいの」と言った。

「ほぉ?其奴がどうしたのだ?」初老も男性は聞いた。

「ついさっき、其奴の会談をしたの。でも、明らかに怪しい。彼奴は『黒』だと思うわ」

「何故そう思う?」

「いきなり、即日の会合を申し込んできたくせに実際には殆ど商談はなかった。遅刻して来たり、名刺を忘れたりするとか、社会人としてはあるまじき行為ばかりだったし…」

「なるほどな…英国からの刺客か?」

「そうだと思うわ」喜多はコーヒーを淹れながら言った。

「英国ならば…倫敦警察かSASか…手当たり次第探してみるよ」と男は言った。

「SASはよく分からないけれど、倫敦警察ではなさそうかも。倫敦警察にしてはあまりにも露骨すぎるわ」

「そうか。SASにはモニター(筆者注:ここでは工作員、スパイ的な役割を持つ人物のこと)を仕込んでいるから、案外正体が分かるのは早いかもな」

男はニヤリと笑った。

といって目の前のコンピューターをいじり始めた。

此処は特別高等警察のアジトであるのだ。

喜多はそこの特別工作員であり、表向きは帝国商事の社員を装っており、外交的な面で目を光らせているのだ。

「SASの人間であるとして、何が目的であったのかしら?」喜多は初老の男に問いかけた。

「我が国と瑞西の密約が英国にバレたのかも分からん。そこを嗅ぎつかれ、確証を得るために接近したのかもしれんな」

「そうだとしたら…私に正体が彼奴に分かられているってこと?」

「態々お前に接近したんだからな。そうかもしれん」男は表情ひとつ変えずに言った。

「もしそうだったら、私個人としてもまずいし、国家としても危ういわね…」

「お前は暫く派手に動かない方が良いかもしれないな。そうするように仕込んでおくよ」

「ありがとう」と弱々しく答えた。

喜多はそこを出て、地上へと出た、紐育は爽やかな陽気な天気だ。

そんな天気とは裏腹に、女の心は曇ったままであった。


上巻・完


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