05:狂犬皇帝の誤算
皇帝に即位したら、ほら、またはじまった。
「皇妃さまをお迎えになる気はございませんか?」
こいつの首を刎ねるか――「忘れたのか? 俺には婚約者がいるんだぞ」
いくつになったんだっけ? もうすぐ十二歳? まだそんなもんか。
「おい、セバス」
「はい、なんでしょう」
「十二歳。誕生日。お祝い。よろしくな」
「かしこまりました。ララさまに『十二歳のお誕生日、おめでとうございます。あなたの成長をお待ちしています』と書き送りましょう」
「別に待ってねぇぞ。セバス、お前、耄碌したのか。精度が落ちたな」と憤慨しながら、不安になる。こいつ、俺の名を騙って、ララにどんな手紙を書いているんだ?
記録を出せ、と命令すると、四年分の手紙のやり取りが出てきた。
つまらない話に、当たり障りのない返事。そこは安心するが、俺はこんな面白みのない男じゃないぞ。
父親のお悔やみもあったな。皇帝としての責務の重さを心配するようなことも書いてある。
「ララは俺が狂犬と呼ばれているを知らないのか?」
ついでに報告書も斜め読みする。
知ってはいるが、『ララさまはジャレス殿下を信じていらっしゃいます』だと。手紙の主は俺じゃなくて、セバスだというのに。その能天気さにイライラする。
それからたまに、ララの手紙に目を通すようになった。
セバスが変なことを書かないか、心配だからな。
「ご自分でお書きになられればよろしいのに」
「はぁ? 俺は子どもと文通するほど暇じゃないんだよ。お前の仕事だ。
あーでも、そうだな。『お前のことはなんとも思っていないが、犬には会ってみたいな』と書いとけ」
それが『あなたを守る忠義な“新月”に是非、会ってみたいものです』になるんだから、どうなっているんだよ。
「それにしてもララさまは努力家ですね。帝国語がすっかりお上手になられました」
「俺ですら、属国、周辺国合わせて五か国語が話せるんだぞ。
皇妃になるんだ。当たり前だ」
しかし、驚いたのはそれからだ。
ララはあの難しい『帝国誌』を通読した挙句、その中の記載に間違いがあると指摘してきたのだ。
「おい、セバス」
「はい、なんでしょう」
「ララが書いていることは本当か?」
「私もすぐには返答出来ません。現在、調査中です」
結果、本当だった。
「ララさまはなんと聡明なお方なのでしょう。『帝国誌』だけでなく、ミュレス帝国について書かれた本を多数、読み込み、理解しているからこそです」
「へぇええ、この間違い、俺が見つけたことにしてもいいか?」
セバスがゴミを見るような目で俺を見た。
ララの見つけた間違いは、然るべき筋を通して、アカデミーに知らされ、『帝国誌』は訂正されることになるそうだ。
癪に障る話だ。
「――しかし、子どもにそんな小難しい本ばっかり読ませるなんて、どうかしているぞ、セバス」
「『帝国誌』を送られたのは陛下です」
「なんかこう、ほら、女子どもが喜びそうな本でも贈ってやれ」
「それは良いお考えです。陛下もたまにまともなことをおっしゃいますね」
そう言って、セバスが持ってきたのは恋愛小説とかいう、甘ったるい本の数々だった。
「こちらは世のお嬢さん方が、時に親に隠れてお読みになる有害図書です」
「有害……図書……?」
なんでそんな本が我が帝国で普通に出版されているんだよ。
「なんでも本に書かれている恋愛に憧れを抱くあまり、現実の男を受け付けられなくなり、婚期が遅れるともっぱらの噂で、親たちは娘たちが読んでいるのを見ると、すぐに取り上げ燃やしてしまうそうですよ」
「ああ、親の都合か。勝手な話だな――よし、ララに贈れ」
「かしこまりました。
ララさまは喜ばれるでしょう」
報告書と手紙によると、それはそれは喜んだらしい。
俺も念の為……婚約者がどんな小説を読んでいるか検閲する必要があるだろう……何冊か読んでみたが、まぁまぁ……面白かった。続きを書かせるために、作者を誘拐して監禁しようとしたくらいには……。もっとも、その前に続きが出たので、ララに真っ先に贈ってやった。
俺はもうララを忘れることはなかった。
ララへの贈り物も俺が選ぶようにしたかったが、セバスがいちいち駄目出ししてくる。
意地悪な姉貴たちの分まで贈るのは不満だったが、報告書によると、それが功を奏したようだ。
『ジャレスさまの贈り物のおかげで、お姉さま方と仲良くなれました。ありがとうございます』
釈然としないところもあるが、ララが喜んでいるのなら、仕方がない。
ララは本当に単純でお花畑に住んでいるような娘だ。
こんな風に気になるのは、きっと珍獣を観察している気分になるからだろう。
「しかし、こちらからあれだけ贈り物を贈って、なんの返礼もないのか?」
非常識だなとせせら笑う。
「ありましたよ。
ララさまが刺繍なされたハンカチを下さったではないですか。
そりゃあ、陛下にとっては『こんな代物を作るのに、無駄な時間と手間をかけるんじゃねぇ!』という代物だったでしょうがね」
セバスは俺に見せびらかすように、俺の頭文字が刺繍されたハンカチで額を拭いた。
「……なんでお前が持っているんだよ!」
「陛下が『こんなも使えるか! 燃やせ』とおっしゃたので、そればらば……と、私に下賜して頂いたのですよ。
お忘れですか?」
まったく覚えていない。誰が言ったんだよ、そんな言葉。
こいつ、記憶を捏造しようとしていないか……いや、待て……俺か、俺だな。記憶あったわ。
「『とても素晴らしい品をありがとうございます。私への心遣いは不要です。なぜならば、あなたの喜びが私への贈り物。その素晴らしい贈り物に相応しい返礼を、無粋な私では思いつくことができず、心苦しくなるばかりだからです』と書き送っておりますので、ご安心を」
「えっと……つまりどういうことだ?」
「『もう二度と贈ってくるな』ということでございます」
俺は『もう一回、贈れ』と命令することにした。
『あなたから頂いた心の籠った贈り物を見ると、その優しさにもっと触れたい気持ちが募るばかりです。
未だ、あなたの優しさに返すものを持たない私ですが、どうか私のためにもう一度、針を持ってくだされば、嬉しく思います』
ララは張り切って贈り物を作ってくれた。
黒犬の姿が刺繍がされた可愛らしいハンカチが十枚……。
「陛下、よろしゅうございましたね」
段々とララがセバスと通じているのが嫌になってきた。
百歩譲って、セバスはいい。
が――「ララを王宮の舞踏会に出したいだと?」
ララが十六歳になるということで、そろそろ公の場に列席させたいと父親から許可を求める文書が届いたのだ。
冗談じゃない!
舞踏会に出ると言うことは、男と踊るってことじゃないか。
「よろしければ、陛下のお出ましを願っています」
そう言うことか。
属国の王のくせに、俺を呼びつけようとしている。娘が俺の婚約者だからって、ちょっと優しくしているからって、図に乗りやがって。俺は誰かに指図されるのは大嫌いだ。
イライラする。
「出る訳ないだろう? ララも出すな! ララがはじめて踊るのは俺との結婚式の日だ」
ララにも釘を刺しておかないと。自分が誰のものか――『お前が他の男と踊ったら、そいつを殺す。それが嫌なら、舞踏会には出るな』
「おい、セバス」「おい、セバス!」「セバスどこだ!!」
くそっ! セバスがいない。
しかし、このままの文をララに送ったら、泣かれてしまう。
仕方がないので、自分で書き直すことにした。
辞書を出し、参考になるかもしれないと恋愛小説を読み直し。苦心惨憺だ。
『あなたが他の男と踊っているのを考えただけで、嫉妬でどうにかなりそうです。どうか舞踏会に出るのは、私と一緒になってからにして下さい』
しばらくして戻ってきたセバスに「陛下、大変、よくできました」と赤いインクで花丸を書かれた。
俺はララに翻弄されてきたことに怒りを覚えはじめた。
イライラする。
もしかしたらララも俺のように誰かに手紙を書かせているかもしれない。
手紙から受ける印象なんて虚像かもしれない。
――本当に俺のことを好きなのだろうか。
直接会って確かめたくなった頃、侍女と護衛から「ララさまが離宮から抜け出す計画をしている」という報告があった。
俺はそれを利用することにした。
以前に読んだ恋愛小説にあったシチュエーションが思い浮かぶ。深窓の令嬢が冬至の祭りにこっそり出掛け、男と出会って恋に落ちる。
鏡に顔を写してみる。「俺の顔だって悪くないだろう」
――そうでもないか。獰猛で嫌な顔つきだ。
「はい、陛下は美男でいらっしゃいます」
珍しくセバスが素直に同意する。気持ち悪いな。
「どうぞお気をつけて」
心配までされた。
「陛下、陛下のお命を狙っている一団がいます。どうかくれぐれもお気を付けください」
「俺に復讐したがっている奴らがいることは知っている。
そうだ、いいことを思いついたぞ」
「なんでしょうか?」
もしララに会って、俺の気に入らなかったら、物陰に引きずり込んで殺してしまおう。
その罪を奴らになすりつける。俺への復讐が果たせない代わりに、婚約者を手にかけたことにするんだ。
実際、ララの命を狙う連中が増えて来た。
俺がララのことを大事だと勘違いしているせいだ。
そんなことはない。俺はララが殺されたって構わない。でも、他人に好きにされるのは大嫌いだ。
だから俺がララを殺す――。
そうだそれがいい。こんなモヤモヤした気持ちはうんざりだ。その原因であるくせに、俺を満足させないような女なら、この世から消してやる。