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02:第八王女の冒険

 あれから七年が経ちました。

 私は十五歳。やんちゃだった黒犬の“新月”も年を取り、毎日、日向ぼっこをして昼寝をする時間が長くなってきました。

 十八歳で結婚する予定の私は、あと三年で婚約期間が終わるはずですが、この子をミュレス帝国に連れて行けるかは微妙なところです。

 ジャレスさまは『あなたを守る忠義な“新月”に是非、会ってみたいものです』とおっしゃって下さっているのに……。

 もっとも、ジャレスさまとは一度も会っていません。全て手紙のやり取りです。

 はじめの頃、何度、手紙を送っても返事がなかったことがありました。私は少し落ち込みましたが、すぐに思い直しました。ジャレスさまはもう成人で、ご自身のお仕事が忙しいのです。小さな婚約者の手紙に対応するよりも国政の方が大事なのは当たり前でしょう。『読んでくださるだけで構いません。これからもお手紙を書かせて下さい』と書き送ると、不思議なことに、返事が届きました。

 それからは、不定期ですが、手紙が途切れることはありません。

 いつしか帝国語で手紙を書くようになりました。少し……いえ、かなり難しかったですが、あの本も読めるようになりました。あの本は『帝国誌』でした。やはり私に帝国のことを学んで欲しいと言う思いを込めて、贈って下さったのです。

 改めて丁寧にお礼を書けば、たくさんの本と一緒に返事がきました。今度の本はどれだけ難解なのかと身構えたら、なんと帝国で出版されている恋愛小説でした。私が前に好んで読んでいると書いた話を覚えていて下さったのでしょう。

 わが国でも帝国でも、世の親たちが「恋愛小説なんて読んでいたら婚期が遅れる」と娘たちから取り上げる風潮がありますが、私はもう結婚が決まっているので大丈夫――なのでしょう。


「王女さま、贈り物が届きましたよ。いかがしましょう」


「いつものように、お姉さまたちをお呼びして」


「王女さま、お二人とももうお嫁に行かれましたよ」


 ああ、そうだった!

 第六王女も第七王女も良い縁を得て嫁いでいきましたが、それまでは、ジャレスさまからの荷物が届くたびに、私の所へやって来ていました。


「私はもう旦那さまを探す苦労はしなくてもいいけど、お姉さまたちは違いますものね。

素敵なドレスを着て、舞踏会に出て、未来の夫を捕まえないといけないのですから」


 話に聞いただけですが、それはそれは大変なことらしいです。私は深く同情しました。

 だから生地やらレースやら宝飾品などを欲しいだけ差し上げることにしたのです。

 私の婚活は終わっていて、まだ舞踏会に出る年でもありませんので、しばらく、ドレスは必要ないでしょうから。

 姉から「さぞやいい気分でしょうね! この偽善者!」と言われましたが、贈り物の分け前を受け取ってくれました。

 その内、私が先に姉たちを呼ぶようになりました。

 「ジャレスさまって、本当にあんたのこと想っているのか疑問よね」「そうそう、この贈り物だって、どうせ部下か誰かに選ばせたんじゃないの? 愛情なんてこれっぽちも感じられないわ」「あなたのことを考えていたら、こんな色、絶対、選ばないわよ」「ねぇ、だって見て、この色。あなたに全然、似合わない。どういうことよ?」「本当に! うちのララのことなんだと思っているのよ」「あら、これはいい色。これでドレスを仕立てるといいわ。私が刺繍をしてあげる」「私の婚約者がこの間、鹿を撃って来たの。“新月”に骨をあげるわ」と相変わらず騒々しく言い合って去って行ったものです。

 それが第七王女一人になって、ついに誰も来なくなりました。

 なんだか寂しいです。

 彼女たちも私がジャレスさまから頂いた恋愛小説を読みたいとせがむので、帝国語から自国語に翻訳して差し上げたはずなのですが――第一夫人から隠れて読んていた恋愛小説を取り上げられ、「こんなくだらないものを読んでいたら婚期が遅れますよ!」と言われた第四王女よりも先に結婚してしまいました。


 のろのろと贈り物の箱を開けると、「まぁ、なんて素敵なのでしょう!」私ではなく侍女が声を上げます。

 確かに、私の金色の髪、薄青い瞳によく映える色合いの生地や宝飾品がたくさん入っていました。

 これまでとは違います。

 これまでとは、第六王女と第七王女に似合う色のものがそれぞれ入っていたことです。

 思えば、第六王女が嫁いだ後から、第六王女の分にする物がなくなった気がします。


「ジャレスさまは本当によくご存知だわ。けれども、嫁いだ後もなにかと入り用でしょう。

姉たちの分も、もう少し、入れてもらえると嬉しいわ」


 そう呟いた次の贈り物には、しっかりと既婚女性に相応しい落ち着いた色柄の生地が入っていました。第六王女が出産した時は、お祝いになりそうなものを頂きました。

 第六王女とその旦那さまから感謝の気持ちを表す手紙が渡されました。その内、赤ちゃんを連れて遊びに来てくれるようにもなり、ご自分で焼かれたラムレーズンのお菓子を持ってきてくれることもありました。

 第七王女も何かと言えば顔を出しに来てくれます。

 第三夫人は健在ですが、第六王女も、第七王女ももう大人なので、ラムレーズンのお菓子の味にも慣れたようです。「第四王女が嫌いだからって、私たちに押し付けていたのを思い出すわ。――そして、私たちはララに処分させていたわね」「なんか……ごめんね……」

 

『ジャレスさまの贈り物のおかげで、お姉さま方と仲良くなれました。ありがとうございます』


***


 十六歳になって、私は自分がなぜジャレスさまに求められたのか、なんとなく分かってきました。

 つまり当時十八歳だったジャレスさまは、払っても払っても振って来る縁談に辟易し、誰か適当な娘と縁組をしつつも、出来る限り結婚なんてものと距離を置きたいと考えたのです。

 周りを見回して、ちょうど隣国に八歳の王女がいるのを見つけたのです。それより幼いと、いざ結婚する時に若すぎると思ったのかもしれません。とにかく私が一番、ちょうど良い年齢だった。それと、母親も、これと言った後ろ盾もないのがちょうど良かったのでしょう。

 八歳ならばすぐに結婚しなくてもおかしくありません。

 ジャレスさまは、私を使って十年の猶予を得たのです。

 その十年の半分もいかない内に、ジャレスさまは皇帝陛下になられました。

 それからのことは少し恐ろしいです。ジャレスさまは帝国内で次々と粛清をはじめ、即位して一年も経たない内に狂犬皇帝の名を得ることになります。

 手紙と贈り物は変わらず届いているし、私への手紙からはお優しい人柄がうかがえるのに、世間では畏怖をもって語られているようですが、詳しくは分かりません。

 私は婚約が決まって以来、別宮を住まいとしていて、教師や侍女くらいしか話し相手がいないせいです。護衛は男性なので、彼の業務に必要と認められる最低限の会話しかいたしません。面会を許されている二人の姉たちとは、そう言ったことは話さないようにしています。

 私が手紙に書いていない、ただ口に出しただけのことでも、ジャレスさまはご存知のようなのですから。

 おそらくジャレスさまの密偵が近くにいるのでしょう。侍女か、護衛か――そのどちらもか。

 姉たちは不用意な発言が多いので、気をつけないといけません。

 狂犬皇帝が多くの人を処罰しているのは確かなのです。

 ジャレスさまの婚約者である私へも復讐として、危害を加えられる恐れがあるかもしれないので、絶対に一人では外に出てはいけないと言い含められました。


 けれども――「外に出てみたいわ」

 ほんの少しだけ冒険がしてみたい。


 冬の昼は短く、あとは陰鬱とした夜が長く続きます。

 姉たちも頻繁に来られる訳でもなく、帝国語やその他の勉学、技芸もすっかり取得した今、教師たちもあまり訪れなくなりました。一緒に庭を散歩していた“新月”も、足が弱り、ずっと寝ているようになりました。婚約者であるジャレスさまとはいつまで経っても手紙のみ。ジャレスさまの企みに気づいてしまった今、本当に結婚出来るかすら不安になってくる始末です。だってもし、ジャレスさまが自由な未婚時代を延長したいと思えば、婚約を破棄してしまえばいいのですから。粛清によりジャレスさまの帝国内での権力は盤石。ミュレス帝国の属国である我が国など、無礼を働かれても文句も言えません。

 有体に言えば、私は厭世的な気分になっていたのです。

 

 その日は冬至のお祭りで、私は塔を抜け出しました。

 正直、すっかりバレているとは思います。だってジャレスさまからの贈り物から出来るだけ地味な生地を選んで村娘の服をこっそり仕立てたり、実物を見て勉強をしたいからと嘘を吐いて市井で流通しているお金を用意させたり……あんまり上手な計画ではありませんでした。でも、私にとって計画して準備するだけでも十分、冒険だったのです。なので追いかけられて、説得されたらすぐに戻るつもりだったのです。けれどもなぜか侍女も護衛も、この日ばかりは無能になってしまったようで、私は驚くほどすんなりと街の中に居ました。

 思えばこんな人込みに出たのははじめてで、人の波に揉まれ、それだけで何がなんだか分からなくなってしまいました。

 フラフラしていると、突然、腕を掴まれます。

 マントのフードを深く被った黒髪で黒い瞳の青年が私を見下ろしていました。少し怖い感じのする方だったので、怯えてしまいましたが、彼は親切に声を掛けて下ったのです。


「お嬢さん、財布、掏られているぞ」


「まぁ! ありがとうございます」


 何かお礼を、と申し出ると、「じゃあ、一晩付き合え」と言われました。

 

「何に付き合うのでしょうか?」


 振りほどけないほど強く腕を掴まれていては、下手に抵抗するよりも、はぐらかして隙を見て逃げた方が良いと思いました。私は力はないですが、相手よりは小さいので、人込みをすり抜ければ、なんとかなりそうです。

 青年はにやりと笑うと、私を広場の中心部へ連れて行きました。


「まずはダンスかな?」


「え……ダンス」


 どうしましょう。私ももう十六歳なので、舞踏会に出られる年でした。けれどもジャレスさまから『あなたが他の男と踊っているのを考えただけで、嫉妬でどうにかなりそうです。どうか舞踏会に出るのは、私と一緒になってからにして下さい』と懇願されていたのです。

 

 いろいろぼかして事情を簡単に話すと、青年は「お嬢さん、真面目だな」と笑い飛ばしてしまいました。


「あなたにとってはそうかもしれませんが、私にはとても大切な約束なんです!」


 怖かったですが、ジャレスさまのことを思い浮かべると勇気が出ます。

 青年がボソリと「――面倒くさっ」と呟いたようですが、聞き間違いかもしれません。彼はいいことを思いついたとばかりに提案をされました。


「だけど練習は必要だろう? ダンスは誰かから教わったんだろう?」


 それって都合が良い考え方じゃないかしら? と思いましたが、青年は「大丈夫、大丈夫。言わなきゃ分からないから」と強引に、踊りの輪に入ってしまいました。

 そうなると踊らない訳にはいきません。

 王宮で踊るために習ったダンスと街でのダンスは勝手が違いました。跳ねるように、時に激しく、振り回されてしまいます。

 けど……ダンスの教師と踊るよりも、ずっと楽しい!

 青年は私を持ち上げ、くるりと回しました。思わず声が上がります。


「怖かったか?」


「いいえ、ちっとも! ダンスってこんなに楽しいものだったのですね! はじめて知りましたわ」


 基礎はしっかりできていたので、二曲も踊ればすっかり街の踊りにも慣れて、踊りながらお話も出来ました。男の人と話すのははじめてなのに、つるつると言葉が出てきます。私は自分の意外な一面を知って、困惑すらしました。なんだか昔からずっと知っている人のようなのです。私が聞いて欲しいことを知ってるみたい。同時に、答えたくないような質問は一切、されません。

 私はもっともっと踊っても良かったのですが、「あんた息が上がっている。少し休んだ方がいい」と指摘され、広場の隅に腰かけることになりました。

 青年は、私が何も教えてもいないのに大好きな蜂蜜の入ったミルクを買ってきてくれました。ただ彼は飲まないようです。「俺はいい。喉は乾いていないから」

 うっすらと汗をかいています。水分は摂った方がいいとお話しすると、私が二口飲んだカップを取り上げると「お嬢さんがそう言うなら」とすっかり飲み干してしまいました。代わりにもう一杯、買ってきてくれましたが――。


「私、もう帰らないと」


 一晩付き合えと言われましたが、そうはいきません。かと言って、逃げ出す気分にもなれず、そう申し出ると、あっさりと「そうだな」と同意されます。


「あの……」


 お名前は? どこからいらしたのですか?

 いろいろ気になったものの、聞くのは止めました。

 私は婚約者がある身で、他の男の人とこうして踊ったり、お話したりするのはやはりいけないことだと思い直したからです。

 あやうくジャレスさまを裏切るところでした。早く帰って手紙を書きたい。


「心、ここにあらず、だな。

何を考えている? お嬢さん」


 家に帰って、婚約者に手紙を書きたい、と打ち明けると、彼はやっぱり目を見開きました。


「先ほどもお話しましたが、私にはずっと大切に想っている方がいるんです。だからあなたとは一晩付き合えません」


 なぜか青年に笑われましたが構いません。


「いつ結婚するんだ?」


「もう少ししたら……」


「来年とか?」


 首を振ります。


「じゃあさ、来年、またここで踊らないか? そうしたら合わせて一晩にしてやるよ」


「来年もここに来られるか分かりません」


 青年はなぜか「大丈夫さ」と請け負いました。


「じゃあ、分かったわ“旅人”さん」


「“旅人”さん? 妙な呼び名をつけるな」


「でもあなたここの人じゃないんでしょう? ミュレス帝国語の訛りあるわ」


 侍女のように目を見開く青年は、護衛と同じようにミュレス帝国語の訛りがありました。彼が私と話さないようにしているのは、それに気づかれないようになのです。

 その護衛が遠くからやって来るのが見えます。


「お迎えが来たみたい」


「ああ、あれが婚約者?」


「違います!」


「それは良かった」


 素早く手を握られました。「何? 駄目、離して……!」こんなところ護衛に見られたら、ジャレスさまになんと報告されてしまうか、焦って手を引き抜こうとしましたが、出来ません。


「またなお嬢さん。

―――来年が楽しみだ」


 手の甲にキスをされ、護衛の方に身体を向けられた。それから背中をトンっと押されます。

 振り向いた時にはもう“旅人”さんはいませんでした。


 私ははじめて侍女から叱責を受けました。

 でも口調は穏やかで、内容は極めて真っ当なものです。

 それなのに、私の頭の中が“旅人”さんと陛下への気持ちでごちゃまぜで泣いてしまったせいで、侍女に狼狽させてしまいました。

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