01:第八王女の婚約
「ララ~今日はあなたにお菓子をあげるわ」
「え~お姉さまったら優しい~! 良かったわね。お姉さまに感謝しなさいよ!」
第六王女と第七王女が私の前にお菓子をちらつかせます。ラム酒に漬けたレーズンがぎっしり入った焼き菓子です。二人はこれが大嫌い。でも、そのおかげで私は久しぶりの甘いお菓子を食べらます。私もちょっと苦手だったけど、何度か食べるうちに美味しいと思えるようになりました。これは大人の味なの。第六王女と第七王女はまだ“お子さま“だからこの味が分からないのでしょう。“お子さま”なのは悪いことじゃないわ。第六王女と第七王女にはお母さまの第三夫人がご存命だから、まだ“お子さま”だっていいの。
「何よ、その目!」
「ほーら、とって来い!」
第六王女がお菓子を放り投げます。
「あ……!」それに対して、私は抗議しました。「なんてことなさるんですか!」
「なんですって! 口答えするなんて、ララのくせに生意気よ!」
すると第七王女が私を突き飛ばします。
「食べ物を粗末にするなんて、それは王家の娘のすることじゃありませんわ」
亡くなったお母さま。国王陛下の第四夫人でした。とても美しくお優しく、気高いお母さま。そして、私に王女のなんたるかを教えて下さいました。
お菓子一つにとっても、小麦を植え、育て、収穫し、挽いて粉にし、同じように手間をかけて作った玉子やミルクを砂糖を混ぜて焼き上げる……たくさんの人の汗と努力の結果です。決しておろそかにしてはいけない。「嫌いなものでもにっこり笑って食べるのよ。ララ」
「わ、私が王家の娘じゃないって言うの!」と、第六王女が真っ赤な顔をして、地面にお尻をついたままの私を蹴ろうとしています。
「お姉さま……! やめよう。もういいわよ」
第七王女は私を睨みつけましたが、姉を止めてくれました。「そのお菓子、ちゃんと片付けておいてよ。王家の娘なら粗末にしないんでしょう?」
二人が去った後、私はお菓子を拾いに走ります。
地面に落ちたお菓子を拾おうと屈んだ時、茂みから「ハッハッ」という激しい息遣いが聞こえ、黒い影が飛び出してきました。
「あ、いけないわ!」
黒い影は犬でした。第一夫人が飼っている大きな犬の一頭。ただし、まだ子どものようです。
その仔がラムレーズンの入ったお菓子を食べようとしています。
「駄目よ、駄目!」
私はお菓子を取り上げましたが、仔犬は私に飛び掛かり、激しく尻尾を振ってねだってくるのです。
「いいえ、これは駄目。だーめ! きゃあ!」
仔犬と言っても大型犬です。何度も飛び掛かられて、ついには地面に倒されてしまいました。私はなんとかうつ伏せになると、お菓子を頬張ります。
仔犬が私の周りを「クンクン」と悲しい鳴き声を上げながら歩き回っていると、そこに偶然、第四王女を連れた第一夫人が通りかかりました。
「なにかしら、あれ。どうしてお父さまの王宮に薄汚い身なりで、お母さまの犬から餌を奪って食べている娘がいるの?」
「王女さま、あれは第八王女さまではないでしょうか?」
侍女が囁きます。
「まぁ! 嘘でしょう! あんなのが私の妹のはずがないわ。野良犬の間違でしょう!」
「そんな思いやりのない物言いはおやめなさい。私の育て方が疑われるわ。
――第三夫人の躾がなってないのね。後からちゃんと注意しなければね」
第一夫人は宰相閣下の娘で、国王陛下唯一の男子のお母さまでもあります。お兄さまが立太子された暁には、正妃になられる予定です。つまりとても権勢があるお方なのです。
第三夫人はどうも身分の低い出自らしく、いつも第一夫人や第二夫人に厳しく教育されています。
第二夫人も平民出身とのことですが、ご実家がかなりのお金持ちらしく、それが王宮での立場に役に立っているそうです。
侍女たちは囁きます。「私たちって貧乏くじを引いたわね。王さまの気まぐれでお情けをもらった端女に仕えるなんて」「やっぱり権力かお金がないとね。おまけに、学も芸もない。あるのは若さと美貌だけ」「それだって、もうすっかり色褪せてないも同然よ」
「あんたが! あんたは躾のなってない駄犬だって、私が第一夫人に叱られたのよ!
あんたのせいだわ!」
第一夫人は人間も犬も、同じように厳しく躾をすべきであるという考え方をしています。なので、第三夫人もかなり叱責されたようです。
「今日の夕食はお預けよ! お・あ・ず・け!」
さっきからずっと叫んでいる第三夫人の目は真っ赤に充血しています。
「お可哀想に……」
そう口にすると第三夫人は「なんで、あんたになんか同情されなきゃいけないのよ!」と号泣してしまいました。
そんな毎日を送っていた私でしたが、八歳の日に驚くべきことが起きました。
国境を接するミュレス帝国の皇太子・ジャレス殿下が私との婚約をお望みになられたのです!
ミュアレス帝国は我が国など簡単に捻りつぶせるような軍事的にも経済的にも強大な国家です。年頃のお姫さまを持つ周辺国家は、皇太子妃……いずれ皇妃の座を狙い、たくさんの釣書を送っては、すげなく断られてきたそうです。
そのミュレス帝国のジャレス殿下自らが、私を妃にと申し出たと聞き、何かの間違いと思いました。
私だけでなく、父である王も、夫人たちも、重臣たちも……。
未婚の第四王女を持つ第一夫人も、同じく第三、第五王女の母である第二夫人も「うちの娘のことではありませんか?」と何度も聞き直したそうです。
しかし、皇太子さまの答えは「第八王女・ララを所望する」とはっきりと宣言されたとのことです。
私は驚きましたが、同時にとても嬉しく思いました。
だってこれまで私のことを望んでくださった方はお母さまを除けば一人もおられません。
第三夫人も第一、二夫人に押し付けられて、しぶしぶ、私の面倒を見ることになったのも知っています。
第三夫人は二人の夫人のように、皇太子妃に望まれたのが自分の娘ではないかと言う考えはされませんでした。
「あんたが! あんたの母親は王さまの夫人の中でも一等、血統が良かったからね!
どうせ、どうせ私の産んだ娘なんて、誰にも選ばれないんだ!!」
そうなのです。私の母は、もし両親が存命ならば、もしくは確たる後ろ盾があれば、少しでも資産があれば――何か一つでもあれば、他国の王族にも嫁げるような高貴な身の上でした。父は夫人が三人もいるにもかかわらず、母が他の男に嫁ぐのを惜しんで、第四夫人にしてしまいました。これもまた、母にしっかりした後見人の一人でもいれば、防げたことだったかもしれません。母は他の夫人との間で随分、気苦労があったそうです。早くに亡くなったのも、それがたたってのことでしょう。
不意に恐ろしくなります。
「帝室などと言う立派な家に嫁いで、上手くやっていけるのでしょうか?」
「知らないわよ! それとも帝室に嫁げるって、自慢しているの!? 本当に嫌味な娘ね!」
第三夫人は私の言うことを、いつも悪いように受け取っておしまいになるのです。
このような時は黙っていれば、すぐに落ち着いて下さるのですが、今回ばかりは事が大きすぎたようで、興奮がなかなか収まらず、泣き叫ぶあまり過呼吸を起こしてしまいました。「ヒィヒィ」という息遣いをしたまま、もがき苦しんでいます。
「ど、どうしよう! 誰か……誰か――お母さま!」
いくらお母さまだって過呼吸の対処方法は知らないかもしれません。でも、私には頼れる方は亡くなったお母さましかいないのです。
ああ、助けて、お母さま!
その声が聞こえたのかどうか。一人の侍女がゆっくりと部屋に入ってきました。
「第三夫人、ジャレス殿下のご婚約者であるララ王女を迎えに参りました。
あら? 大丈夫ですか?」
彼女は父が私の為に遣わした専属の侍女でした。
私はミュレス帝国皇太子の婚約者となったので、これまでと待遇が変わりました。
離宮にお部屋を頂いたのです。
もう第一夫人の冷笑も、第二夫人からの侮蔑の目も、第三夫人の金切り声もありません。
侍女と護衛も私専用の者たちがつきました。彼らは王宮の侍女のような噂話など、少なくとも私の聞こえるところではしないようです。
とても静かな暮らしとなりました。
あんまり静かなので落ち着かないわ……と思っていたら、第一夫人から婚約のお祝いと称して、黒い犬が贈られてきました。随分、大きくなっていましたが、あの時の仔犬のようです。
私が名前を付けても良いと言われたので、“新月”と名付けました。
彼……雄なので……は、相変わらず元気いっぱいでやんちゃで、四六時中、吠えたり、何かを齧って破壊したり、所かまわず粗相をしています――でも、賑やかになったことは間違いありません。
食事を抜かれることもなくなり、たくさん食べても怒られないので、全体的にふっくらしました。藁の束のようだった髪の毛は艶々の金の絹糸のようになり、どんよりとしていた青い目は、晴れ上がった空のように輝いています。薄汚れていた肌は、すっかり清められ、服も清潔なものを着せていただきました。
「王女さま、ジャレス殿下より婚約の贈り物が届きましたよ」
部屋にたくさんの箱が運び込まれました。中には様々な生地やレースがたっぷりと入っています。日持ちするお菓子に、それから本も!
その中で、私が一番嬉しかったのは手紙です。
『はじめまして、ララ王女。
どうぞこれからよろしく』
なんて素敵なんでしょう!
そう侍女に言うと、彼女は少し目を見開いてから微笑みました。「それはよろしゅうございました」
あんまり嬉しくて、胸に抱いて寝ることにします。
それに、是非、お返事を書かなくては。
「殿下はどんな方なのかしら?」
あら、私ったら何も知らない。姿かたちも、趣味も……。
侍女によるとジャレスさまは私よりも十歳も年上の十八歳だそうです。
ますます困惑します。そんな大人の男性に、一体、どんな手紙を書いたらよいのでしょうか?
「王女さまがお好きなことを書けばよろしいかと存じます」
そうねぇとペンを手に取った時、どすどすと物音がして第六王女と第七王女が入ってきました。
久しぶりです。なんだか嬉しい気分です。
「まぁ! お姉さま!」
私は猛烈に吠えはじめた“新月”を押えながら……上手くいかなかったので、牛の骨を与えるとそちらに夢中になってくれました……二人を迎えます。しかし二人は私を一瞥しただけで、部屋に置いてあったジャレスさまからの贈り物を物色しはじめたではないですか。
「あなたいい物もらったじゃない」
「私たちにちょうだいよ」
そんなことを口にして、好き勝手に持って行こうとします。
それは駄目です。
「これは私がジャレスさまからもらったの。持って行かないで!」
当然の権利を訴えたのに、またもや生意気だ! と頭ごなしに怒鳴られました。
それでも私は負けません。婚約者が私の為に贈って下さったものを、みすみす奪われたら、がっかりさせてしまいます。
「駄目よ! 触らないで!」
箱に覆いかぶさる私を二人がかりで引き離してきます。
一部始終見ていた侍女が静かに言いました。「王女さま、殿下に『贈り物は第六王女と第七王女が強奪していかれました』とお手紙にお書きになられるとよろしいですわ」
それを聞いた姉たちは手をひっこめましたが、不満気です。
「ララったら、すっかりお高くとまっちゃって。第三王女や第四、五王女みたいに、私たちのことを馬鹿にするのね」「そうよ。ジャレスさまの婚約者になったからって、威張り散らして嫌な女!」
私はびっくりして彼女たちを見ました。
ふくよかな三姉から五姉たちと違い、第六王女と第七王女は痩身……と言うか骨ばっていて、ドレスも質素です。私は彼女たちのお下がりを着ていました。随分、お粗末だと思っていましたが、もともとがそうなのです。
第三夫人は実家の援助もなく、与えられた宮廷費だけで自身と子どもたちと生活していました。王は第三夫人のことをすっかりお見限りで、宮廷費すら忘れられがちになる中で、必死に役人に掛け合っているのを知っています。そんな中、私まで押しつけられて、どれだけ大変だったでしょう。
私は運よくミュレス帝国に嫁ぐことになり、ジャレスさまから心遣いを頂けますが、この二人がどうなるかは分かりません。
いくら王女でも、後ろ盾のない身の上では、私の母と同じく、いろいろ思い通りにならないことばかりのはずです。
――お可哀想だわ。
「あの……ジャレスさまには『私がお世話になった姉に贈り物を分けたいと思います』とお書きしますわ」
そう言うと、姉たちは「ふふん」と鼻で嗤うと「最初からそう言えばいいのに」「私、これが欲しい!」「ちょっと、それは私が目を付けていたんだから!」「触らないで!」と大騒ぎです。
牛の骨に飽きた“新月”が二人を嫌がって、また吠えはじめたので、両手いっぱいに荷物を抱えて逃げるように出て行ってしまいました。
「よろしいのですか?」
侍女の問いかけに、私はにっこり笑って見せます。「ええ。だって、あんなにたくさん生地を頂いても、私の身は一つしかないのよ。それに着て行く場所もないし」
「なにより、お姉さまが喜んでくださったのが嬉しいわ!」
私はあの二人があんなに笑顔になったのを、はじめて見た気がします。
侍女はまた目を見開きます。彼女の癖なのでしょう。
「それに、ほら! ご本は残っているわ」
箱の底から嬉々として取り上げたものの、私は困惑してしまいます。
それは帝国語で書かれた分厚い本だったからです。勿論、まったく読めません。
「王女さま……」
しょんぼりしてしまった私に、侍女が心配したように声を掛けてくれました。
「そうだわ……私、皇太子妃になるんですもの。
帝国語を勉強して、この本を読めるようにしなさいって、そういうことなんだわ!
そうよ! そうに違いないわ!」
私は力強くそう宣言すると、侍女はやっぱり目を見開いてから微笑みました。
数日後、帝国語の教師がやって来ました。それから他にも、皇太子妃になるにはたくさんのことを学ばないといけないようです。
それに加えて、侍女は犬の躾の専門家と言う方を連れて来ました。
“新月”の悪戯はもう私の手に負えなくなっていたからです。
「いいですか、王女さま。
誰が主人かをしっかりと教えなければいけません。
叩いたり、頭ごなしに叱るのは論外ですが、悪いことをしたときは、きちんとしてはいけないと教えることは非常に大事なことです。
勿論、良いことをしたらたくさん褒めてご褒美をあげましょう。それは、ただ野放しにし、甘やかすだけとは違いますよ」
おまけに、実は“新月”はここにくる前、王子さまに噛みついてしまい、あやうく殺処分になりかけた個体だということを教えられました。なんでも王子さまの方から執拗にちょっかいをかけて怒らせてしまったそうなのです。
「それでも、犬の方が悪いとされます」
見かねた犬の躾の専門家の方が、私の元へ寄こすように第一夫人に掛け合って下さったようです。
「なぜでしょうか?」
「あ、まぁ、そこはいろいろ事情がありまして……そう! 王女さまはミュレス帝国の皇太子さまの婚約者なので、“新月”を守ってくださると思った、ということですかね。
とにかく、“新月”を守る為にも、しっかりと躾ることが、彼の為になるのですよ」
私はとても反省しました。“新月”を可愛がるあまり、彼の為になっていなかったなんて。
そのことをしっかり胸に刻み、“新月”に接するようになると、もともと賢い子だったのでしょう。私の言うことをすっかり理解し、従ってくれるようになりました。
それまで常にイライラした様子だった“新月”が、落ち着き払って穏やかな表情を浮かべるようになり、私は彼と信頼と愛情で結ばれた気持ちになりました。願わくば、“新月”もそう思ってくれるといいのですが――。
※犬にはレーズンを食べさせない方が良いらしいです。