11.兵は国の大事なり
「はああー、疲れたぁ」
皆が広間から退出すると、俺は玉座に崩れ折れるように深く腰掛けた。
「陛下、お身体は大丈夫ですか?」
すぐさまベディヴィアとルーカンが支えに来てくれる。
「ああ、大丈夫だ。だが、少し体を休めないとな。明日は一日中立ちっぱなしだろうからな」
「戦場に出られるのですか?」
「まさか。この身体では無理だ。だが、城門なり城壁なり、皆から私が見えるところに立っていないと、兵の士気に関わるだろうからな」
「はい、陛下その通りです。ではそれまで休養を…」
ベディヴィアとルーカンが俺を抱えて寝室まで連れて行こうとする。
その後ろにマーリンがスッと寄って来た。
「あれはわざとなのかい?」
「何がだ? マーリン」
俺は片眉を上げてマーリンを振り返る。
「みんな気づいていないみたいだけど、ペリノア王たちの別動隊には司令官も軍監もつけなかったじゃないか。君は分かってやったのかい?」
「そういえば!」
ルーカンが驚きの声を上げる。
「陛下、今すぐにも王たちを呼び戻しましょうか?」
今にも走り出しそうなルーカンを俺は片手を上げて止めた。
そして、ゆっくりと玉座に座りなおす。
「お前はどう思うのだ、マーリン?」
「質問を質問で返すのは卑怯じゃないかい?」
「いつもお前がやっていることだろう? アグラヴェイン、そなたはどう思う?」
「え? 私ですか?」
突然振られて、アグラヴェインはびっくりしたように顔を上げた。
「そうですね。陛下から策を聞いた時、ペリノア王たちの別動隊が無くても勝敗は決していると私は感じました」
アグラヴェインは考え考え答える。
「そうだな」
「それでも陛下がその隊を作ったということは、一番重要な局面にペリノア王たちがいると困る。つまり、ていよく追い払ったのではないかと考えます」
アグラヴェインの答えに俺は苦笑した。
「俺よりひどいな」
「申し訳ございません」
「マーリン、円卓の騎士の中で誰が一番信頼がおけない? 裏切るという意味ではない。俺の指示に従わない者は誰だ?」
「それが、ペリノア王とユーリエンス王?」
「どうなのだ?」
マーリンは肩をすくめる。
「まぁ、当たりかな。アーサー即位時の争いの時、彼らがこちら側についてくれたから、ロト王に勝てた。その自負は二人とも持っているからね」
「二十歳にも満たない若造と思っているということだな」
「君は間違いなく二十歳にも満たない若造だけどね、アーサー?」
マーリンはニヤニヤ笑いながら、懐から出したものを俺の顔の前に出した。
「!!!!」
それを覗き込んで、一瞬俺の顔はこわばる。
綺麗に磨き込まれたその物体、おそらく鏡、からこちらをのぞいていた者は、金髪碧眼、少し幼さが残るがそれも魅力となるキラキラ王子様顔だった。
まさか…
ゆっくりマーリンを振り返ると、マーリンは満面の笑みで頷く。
マジか。
俺、こんな王子様顔で、良く言えば威厳のある、悪く言えば年老いたおっさんみたいな話し方していたんだ。
かっこ悪。
穴があったら入りたい気分だったが、今さらどうしようもなかった。
「つまり陛下は、ペリノア王たちに手柄を取らせる気がないということですか?」
「手柄を取らせる気がないわけではないぞ、ルーカン。俺の策が上手くいけば、最後の仕上げをペリノア王たちがすることになる」
「ではなぜ、司令官を別動隊に置かないのですか?」
「理由は二つだ、ベディヴィア。一つは置く必要が無い。アグラヴェインが指摘した通り、戦の趨勢は別動隊が到着する前に決まっているだろう。
もう一つは、置いても彼らがその指示に従わないなら、置く意味が無い。余計なトラブルを抱えこむだけになる」
「なるほど」と頷いているベディヴィアとルーカンを尻目に、マーリンが俺の耳元に口を寄せる。
「囲師必闕ってね」
「分かってんじゃないか!」
「陛下?」
「なんでもない!」
ベディヴィアとルーカンは顔を見合わせる中、俺はマーリンを睨んだ。
マーリンは口笛を吹きながらあさってを見る。
「囲師必闕」とは孫子の兵法にある攻撃してはいけない局面の一つだ。
つまり、取り囲んだ敵は死に物狂いで戦うから、味方の損害が甚大になる。必ず、どこか一つ逃げ道を開けておくように、という教えだ。
ガウェインやエクターたちに追い込まれたサクソン人は必ず逃げ道を探す。
その逃げ道がペリノア王たちの隊の方向となる。
普通の戦ならそのまま逃した方がいいのだが、今回はサクソン人の殲滅が目的だ。
逃げ道へ殺到したサクソン人たちにペリノア王たちの部隊をぶつけると、いかに機動力に優れている騎馬でも乱戦になる。
乱戦になってサクソン人たちが足止めになっているうちに、再度取り囲み降伏を呼びかけるつもりだった。
ただ、この策でいくと、おそらく一番損害が出るのがペリノア王たちの部隊だ。
それなのに司令官を置かないのは、これを機会に彼らの勢力を多少削りたいと思っているからだ。
円卓の前での会議でも、先ほどの場でも思ったのだが、彼らはあまりにも発言権がありすぎる。
しかも、俺と意見が合っているならまだしも、まったくかみ合っていないのだから、このままにしておくといずれ俺と対立する。
面倒くさいことになる前に、芽はできるだけ摘み取っておきたかった。
しかし、俺のちょっと卑怯な部分は、あまりベディヴィアやルーカンには知られたくなかった。
何よりベディヴィアは、俺を神の啓示を受けた使徒と勘違いしている。
その印象はあまり壊したく無かった。
俺の身の安全のためにも。
「陛下、私はそろそろ市民の避難の指揮を取ってきます」
「よろしく頼む」
アグラヴェインが一礼して広間を退出したのを合図に、俺も寝室へ戻ろうと腰を浮かしかけた。
「陛下ぁ!」
ゲ。
広間に入って来た人物を見て、一瞬どこか逃げる場所は無いかと探してしまう。
無情にも広間の入り口は、先ほどの人物が入って来た扉しかなく、俺はその人物と否が応にも向き合ってしまう。
美しい金色の髪を振り乱し、俺の元へと駆けて来る、グィネヴィア王妃と。
「陛下、市民たちが次々と私の礼拝堂へ入って来るのです。これでは、落ち着いて神への祈りが捧げられません。なんとかしてくださいまし!」
「祈りをしばらく休むわけにはいかないのか?」
「それはできませんわ! 陛下の無事を感謝し、此度の戦の勝利を願う祈りです。止めるわけにはいかないのです!」
「ああ、そう」
思わず視線がさまよう。
例の神への感謝の祈りうんぬんは、グィネヴィアを追い出すための方便だったために、止めろとはなかなか言えない。
どうしたものかな、と天井を仰ぎ、ふと思いつく。
「グィネヴィア、神は礼拝堂にしかいないのか?」
「まさか! 陛下、神はあまねくこの天の上にいらっしゃいます!」
「では、礼拝堂で祈りを捧げなくともいいではないか?」
「え?」
「神はどこにでもおられるのなら、礼拝堂ではなくても、ここでも、自身の部屋でも祈りを捧げれば必ず神に届く。そうではないか?」
「まぁ! そうですね! そうですわ!」
グィネヴィアはパッと顔を輝かせる。
「陛下、私、部屋で祈りを捧げますね」
グィネヴィアは入って来た時と同じ勢いで出て行った。
「はああ、疲れた」
俺は再び玉座にぐったりもたれかかる。
それからお腹を抱えて笑っているマーリンを睨んだ。
「おい、そこの三流夢魔。いつまでも笑っていると、口の中にキドニーパイを突っ込むぞ」
「あははは。ごめんごめん。でも、戦の前に昂ぶる気持ちを抑えてもらってもいいんじゃないかな?」
意味深なマーリンの言葉に背筋がぞくっとする。
「勘弁してくれ。俺はこれでも重傷人なんだ」
「そうです、陛下。少しでもお身体を休めないと」
ベディヴィアが差し出した手を握って立ち上がる。
「俺の寝室は面会謝絶にしてくれ」
俺は疲れ切った声で言った。
―――――
「陛下」
「陛下だ」
「アーサー王陛下がいらっしゃるぞ」
広間から寝室へ戻る途中で、そのような声が聞こえてきて、俺は窓辺へと寄って外を覗き込んだ。
この時代の城の窓はバルコニーみたいな出窓になっている。
そこに立つと、眼下には大勢の市民でごった返す中庭が見えた。
皆、一様に顔を上げて、不安そうな表情で俺を見ている。
あー、これは、何か声をかけないとマズイ状況だよね。
とはいえ、何を言えばいいんだ?
俺は試しに片手を上げてみた。
すると市民たちは嬉しそうに手を振り始める。
すげえ。効果絶大だ。
今更ながらにキラキラ王子様顔に感謝する。
俺はゴホンと咳払いして、さらに窓辺へと近づいた。
「皆、私の命に従い、よくぞこの城へと参った。感謝する」
俺が口を開くと、市民たちは驚いたように目を見開いた。
え? あれ? 前任者たちは市民と会話しなかったのかな?
あちゃー、余計なことしちゃった。
だが、口を開いた以上、何かを言わなければいけなかった。
「今、この状況を不安に思っている者もいるだろう。
眼下に迫ったサクソン人に生きた心地がしない者もいるだろう。
しかし、それも今日この日まで!
今や私は、神の啓示と共に目覚めた。
サクソン人を打ち倒せと、神は私にお命じになられた。
だから、今少し耐えてほしい。
必ずやサクソン人たちを打ち倒し、この地に神の都を建てることを約束しよう!」
うわー、言っちゃったぁ。
ベディヴィアにだけにしておきたかった神の啓示うんぬんを市民の前で言っちゃったよー。
ますます後戻りできなくなったー。
隣を見ると、相変わらずベディヴィアがキラキラした目で俺を見ている。
うん。
事態がどんどん取り返しがつかない方へ転がっているぞ。
どうしてくれるんだ、これ。
眼下では市民がわぁっと歓声を上げる。
「アーサー王陛下、万歳!」
「神の使徒、アーサー王万歳!」
あははは。
俺は乾いた笑いを心の中で響かせながら、市民に手を振った。
―――――
寝室で仮眠を取ったのも束の間。
俺は随時報告に訪れる騎士たちに何度も叩き起こされる羽目になった。
ツラい。
支配者って、ホント、ツラい。
最終的にはアグラヴェインが、俺への報告は全部自分がまとめて行うと言ってくれたから多少は眠れたが、それでも夕刻近くには起こされ、明日の最終確認をしなければならなかった。
「エクター卿とトリスタン卿はすでにここを発ちました。そろそろ所定の森に着いている頃でしょう」
「早いな。特に問題は無かったのか?」
第二隊は市民と騎士の混合部隊だ。連携が取りにくいため、準備に時間がかかると思ったのだ。
「コーンウォールの騎士たちが随分と張り切ってまして。彼らは槍や剣はもとより、弓が一番得意だと。腕の見せどころだと言っていました」
「なるほど」
「その言葉に刺激されたのか、市民たちの義勇兵も『自分たちの庭である森でよそ者に負けてなるものか』と、かなり士気が高く」
「暴走につながらなければいいが」
「その点は大丈夫でしょう。エクター卿もトリスタン卿も上手く誘導しているのが見て取れました。お二方とも、民兵を率いての戦いに経験があるのでしょうね」
それは俺が予測した通りだったので、内心ニンマリする。
エクターは自分以外の騎士はケイとアーサーしかいない弱小領主だった。
だから、盗賊退治など領内の防衛に関しては、領民を使っていたのではないかと想像したのだ。
また、コーンウォールの騎士たちが赤枝の騎士の末裔と聞いて、まだ騎士階級が明確に別れていない時代が残っているのではないかと推測した。
騎士階級が明確に別れていない社会は、平時は農民や牧人、狩人として暮らしていても、いざ戦になると男でも女でも皆武器を取って戦う。
ペリノアたちのように、騎士の役目うんぬんは言わないのだ。
だから、民兵を率いることに抵抗感はない。むしろ鼓舞することに長けているのではと考えた。
それが見事にハマって、かなり嬉しかった。
「ペリノア王たちも先ほど発ちました。レオデグランス王の案内で夜通し駆け、所定の位置で待機するそうです」
「それは予定通りだな」
「はい。パロミデス卿から先ほど報告があり、燃えやすいものを街の各所に配置する作業はあらかた終わったそうです。ただ、避難が終わったところから始めていますので、全ての市民の避難が終わらないことには、作業は完了しません」
「市民の避難はどうなっている?」
「ほぼ完了しています。日が沈む前には全員を城の中に避難させることができるでしょう」
「争いは起こっていないか?」
「はい。陛下のご指示通り司教様に頼んで、随時説法をしてもらっています。陛下の演説も功を奏したのか、市民の間でこの戦は神から命じられた聖戦であるとささやかれ、不満や争いを控える雰囲気ができています」
「そうか」
口から出まかせで「神の啓示」と言っちゃったけど、多少は役に立ってるみたいだ。
それにしても、宗教の力って怖いな。
各国の為政者がハマるはずだ。
ハマって、取り込まれて、抜け出せなくなって。
ブルリと背筋を震わす。
気をつけよう。
これからは使い方を本当に慎重にしよう。
マジで。
「陛下?」
「なんでもない。食べ物は皆に行き渡るのか?」
「はい。陛下のご指示通り、老人、子供、病人にはポリッジを。その他の者にはパンを配布しています。また、戦に出る者には肉を配りました。ただ、ケイ卿はこれらの采配のため、台所からは一切出られない。あと、覚えておけアーサー!と陛下に伝えておけ、と怒鳴られました」
その時のケイの剣幕を思い出したのか、アグラヴェインはクスリと笑う。
俺も釣られてニヤリと笑った。
食い物をどうするのだ、とケイから相談された時、市民が各々で飯を作り始めると火事になる可能性から、俺はそれを禁止した。
代わりに、城の台所でポリッジとパンを作り、順番に配布せよ、と指示をした。
足りない人手はいくらでも徴収し、臨時の釜戸を中庭に作り、四六時中ご飯を作れ、と。
その命令を聞いた時のケイの顔を思い出し、もう一度吹き出す。
鬼か悪魔かみたいな顔で、俺を睨んでいた。
「ケイには一番の褒美をやらなければな」
「考えておきます。最後に城の防備の件ですが…」
カンカンカンカンと鋭い鐘の音が鳴る。
アグラヴェインがハッとしたように扉を見た。
「サクソン人!」
え? マジ? 今入って来られると、色々策を弄していることがバレるんですけど?
「陛下! サクソン人です! 市門をサクソン人が襲って来ました! すでに我が兄、ガウェイン卿が迎撃に向かっています!」
ガヘリスがそう叫びながら部屋へと飛び込んで来る。
「ガヘリス! オークニーの総力を上げて、絶対に市門を越えさせるな! そう兄上にも伝えろ!」
アグラヴェインの鋭い指示が飛ぶ。
「はい!」
ガヘリスは駆け込んできた時と同じ速さで駆け出て行こうとした。
そのガヘリスに、俺は慌てて声をかけた。
「待て! ガヘリス! ガウェインには、サクソン人を追い払ったら、頃合いを見て軍を引け。その後は、今朝の打ち合わせ通りにしろと伝えろ!」
「かしこまりました!」
ガヘリスは一礼すると部屋の外へと駆け出す。
「ルーカン!」
俺は部屋の外のルーカンを呼んだ。
ルーカンは慌てて部屋へ入ってくる。
「はい、陛下!」
「ランスロット卿に、待機を伝えよ! ガウェイン卿がサクソン人を引き連れて戻って来た時、作戦を実行する、と」
「かしこまりました!」
ルーカンも一目散に駆けて行った。
「ベディヴィア!」
「はい、陛下!」
「パロミデス卿に伝えよ! 作戦を開始する、とな」
「は!」
駆けて行くベディヴィアの背をアグラヴェインが不安そうに見つめた。
「陛下、よろしいのですか? いささか早すぎる気がするのですが? 市民の避難も含めて、まだ準備が整っていません」
「兵は拙速を聞く。機会があれば、迅速に行動する方がいいのだ。アグラヴェイン、市民の避難がまだだと言っていたな」
「はい。まだ城門付近に多数の民がいるかと」
「では、急ぎトー卿とペレアス卿に伝えてくれ。市民が城の中に入るまで、絶対にサクソン人を近寄らせるな。必ず市民の命を守れ!」
「御意!」
アグラヴェインも大急ぎで部屋を飛び出て行った。
部屋を一瞬の静けさが支配する。
その張り詰めたような静けさに急に息苦しさを感じ、俺は自分の喉に手をやった。
「ヤバいよヤバいよ。サクソン人が来たよー」
今までどこにいたのか、マーリンが慌てたように部屋へ駆け込んで来た。
「お前、どこにいたんだ? ああ、いや、答えなくていい。台所だな。ケイが忙しいのをこれ幸いとばかりに、食べ物をくすねていただろう?」
マーリンは両手にパンを握り締めたまま、肩をすくめる。
「君のためにパンを持って来たんだよー。一つどう?」
「いらん。それより、戦況が見える高台へ案内してくれ」
「城門と見張塔、どっちがいい?」
「どっちでもいい。皆から見えるところだ」
「じゃあ、城門かなぁ?」
マーリンは俺に肩を貸して、立ち上がるのを助けた。
「ずいぶん早くに戦を始めたんだね。下は大騒ぎだよ」
「サクソン人が攻めて来たからな。こちらが色々策を弄していることがバレるぐらいなら、と思ってな」
「兵は拙速を聞くってヤツだね。さすが☆」
「お前、やっぱり詳しいな。俺の代わりに指揮を取ってくれてもいいんだぞ?」
「そこは、アレ。理論と実践は違うってヤツだよ」
「俺も実践したこと無いわ!」
わざとなのか、わざとじゃ無いのか、マーリンと話すと、どうにも気が抜けた。
―――――
城門の上にある見晴台に立つと、眼下でわぁぁという歓声が上がった。
見下ろすと、市門の内に入って来ていたサクソン人が、ガウェインたちに押されて、一目散に逃げ帰っているところだった。
ガウェインたちはそのまま、サクソン人を追いかけて市門の外へと出て行く。
「陛下、こちらでしたか」
トーやペレアスと同じく城の防衛に着いているカラドックが俺に声をかける。
「ああ、戦況はどうだ?」
「今、ガウェイン卿がサクソン人を追い払ったところです」
「ああ。市民の避難は?」
「それは…」
カラドックが口を開きかけたところだった。
「陛下!」
すぐ下の城門の前で、馬に乗ったペレアスがこちらを見上げながら叫んだ。
「どうした?」
「市民の避難、全て終わりました!」
「そうか! よし、門を閉じろ! そなたとトー卿はそのままランスロット卿の隊に合流せよ! 城の方はカラドックに任せる!」
「は!」
ペレアスは馬首を変えて駆け出す。
「聞いたな、カラドック」
「は!」
カラドックが一礼して下がるのと交代するように、ベディヴィアがやって来た。
「陛下、鎧も着けずにここへお出でになるのは危険です」
「時間が無かったのだ」
「では、せめて盾だけでもお持ち下さい」
そう言ってベディヴィアは盾を俺に渡す。
紋章の入った盾はなかなかな重量があったが、持ってみると意外と自分の身体にしっくりと馴染んだ。
体が覚えているということか。
「ルーカンはどうした?」
「陛下の旗を取りに行きました」
ベディヴィアが答えるのとほぼ同時に、ルーカンが旗を担いでやってくる。
俺の目の前でバサリと旗が翻る。
途端に後ろで歓声が上がった。
「陛下がいらっしゃるぞ!」
「神の使徒、アーサー王陛下!」
「陛下がいれば、サクソン人に負けることはない!」
チラリと見ると、手を振るだけでなく、俺を拝んでいる市民までいて、「宗教って怖いよねー」と他人事のように現実逃避をしたくなる。
「陛下! ガウェイン卿が戻って参りました!」
ルーカンが指差す方を見ると、土煙と共に騎馬の一軍が真っ直ぐこちらへ駆けてくる。
そして、良く目を凝らすと、その後ろにもう一つ土煙があった。
「よし! サクソン人たちも一緒だな」
思わず握り拳を握り締める。
サクソン人たちが突然襲って来た時には焦った。
彼らもバカでは無いから、城が騒がしいことに薄々気付いたのだろう。
先手を打ちに来たのか、様子を見に来たのかは分からなかったが、好機と俺は判断した。
攻めて行って負けて帰ってくるより、追撃して負けて帰ってくる方が、相手はこちらの意図に気付きにくいと考えたのだ。
どうやらその判断は間違っていなかったようで、ガウェインの軍の何倍にも及ぶサクソン人たちが、波のように市門を越えて押し寄せて来た。
さすがに後ろで悲鳴が上がる。
ベディヴィアも盾を構えて、俺を庇うように前へ出た。
彼らの波が後一歩で城門に届く、という時だった。
「神は我らと共にあり!」
凛とした叫び声を合図に、無数の火の矢がサクソン人たちに襲い掛かる。
そして、
「私に続けー!」
雄叫びと共に騎馬の一軍がサクソン人達へと突撃していった。
「ランスロット卿だ!」
「ランスロット卿がサクソン人どもを蹴散らして行くぞ!」
後ろは今度は歓声に変わった。
「オークニーの者よ! ランスロット卿に遅れを取るな! 突撃ー!」
さらにはガウェインの声も響き渡る。
市民たちは拍手喝采。お祭りのような騒ぎになった。
だが、誰かが悲鳴を上げる。
「家が! 家が燃えている!」
歓声がまたもや悲鳴に変わった。
すすり泣きも混じり、城内はパニック状態になる。
その時、カラドックが叫んだ。
「これは神の罰だ!」
俺はびっくりして振り返る。
カラドックは城壁の上に立って、市民たちを見下ろしていた。
「神がサクソン人に地獄の業火でもって罰を与えているのだ!」
拳を振り上げてそう叫ぶカラドックを市民たちはポカンと眺めていた。
だが、やがて賛同の声が上がる。
「そうだ! サクソン人なんて燃えてしまえ!」
「燃えろ! 燃えろ! サクソン人は全部燃えてしまえ!」
まるで狂気のような叫び声に、俺は何とも言えない気持ちになって、城下を見下ろした。
「世界平和」「人類愛」なんて、この人たちは知らない。
敵はあくまで敵であって、それは滅ぼされるべき存在なのだ。
今、眼下には阿鼻叫喚な地獄絵図が広がっているだろう。
火や騎士に追われ、サクソン人たちが悲鳴を上げながら死んでいっている。
始めたのは俺だが、胃の腑になんとも言えない苦いものが溜まっていく。
胃液が喉の奥へと迫り上がって来て、思わず吐きそうになった。
耐えろ。耐えるんだ。
必死に吐き気を我慢する。
「陛下! ガウェイン卿とランスロット卿が、逃げるサクソン人を追って出撃して行きました!」
報告に来た兵が指差す方を見ると、騎馬の土煙が見える。
後はエクターとトリスタンに任せるしかなかった。
俺は少しホッと息を吐いた。
「トー卿とペレアス卿はどうした?」
「街に残ったサクソン人の残党を掃討しています」
「そうか。ついでに街の鎮火も頼むと伝えてくれ」
「かしこまりました」
兵は俺の指示を伝えるために走って行く。
城の中はやんややんやの喝采だった。
「これで一安心ですね」
ルーカンがホッとしたように言うのを、わざと眉をしかめてたしなめる。
「まだ、策の第一段階が終わったところだ。気を緩めるな」
そうだ。急なことだったので、エクターたちやペリノア王たちに伝令は飛ばせなかった。
エクターやトリスタンなら、機転を利かせてくれるのではないかと思うが、ペリノア王たちがどう動くかは想像できなかった。
最悪間に合わず、多くのサクソン人を逃すことになるかもしれない。
それでも、キャメロットが包囲されている状態を脱することができれば、充分と考えなければならなかった。
「陛下!」
突然の叫び声に、俺は考え事を中断した。
「え?」
何だろうと顔を上げると、俺の目の前に鎧兜に身を固め、重そうな斧を振り上げている男がいた。
「死ねぇ!」
男が斧を振り下ろす。
そのスローモーションのような動きを、俺は呆然と見つめていた。
「陛下!」
ドンと誰かに突き飛ばされて、俺は地面に転がる。
固い石の感触が背中に当たり、咽せそうになる。
ドシュ、という鈍い音が響き、パタパタと何かが俺の頬に当たった。
手で拭うと、手が真っ赤に染まる。
血だ。
視線を上げると、ベディヴィアがサクソン人の戦士に腕を切られて、どうっと倒れるところだった。
「ベディヴィア!」
「コイツ!」
ルーカンがすぐさま剣を抜き、サクソン人に飛びかかる。
騒ぎを聞きつけた兵たちも集まって来て、サクソン人を取り囲んだ。
俺は這うように倒れているベディヴィアの元へと行った。
油断だった。
サクソン人は、城の死角から俺を狙って城壁を登ったのだろう。
味方に目立つ場所にいるということは、敵にも目立つ場所にいるということだ。
頭の中で分かっていたはずなのに、自分の策に酔って、すっかり忘れていた。
俺はドクドクと血を流すベディヴィアに取りついた。
頭に巻かれている包帯を取って、それでベディヴィアの腕をきつく縛る。
そして、服を脱ぎ、血が流れ続ける腕を強く押さえた。
服はあっという間に、真っ赤に染まった。
「陛下、ご無事ですか?」
ベディヴィアがうっすらと目を開け、俺を見る。
「バカ野郎! なぜ、俺を庇った! 俺の替えなどいくらでもいる! だが、お前の替えはいないのだぞ!」
「おかしなことを陛下。私の替えはいくらでもいますが、陛下、貴方の替えはどこを探してもいません」
違う!
違うのだ、ベディヴィア!
俺が死んでも、マーリンはまたどこからか魂を呼び寄せてアーサーを生き返らせる。
だが、お前が死ぬと、例え魂を異世界から連れて来ても、それはお前では無くなるのだ。
「マーリン! マーリン、何をしている! ベディヴィアを早く!」
「ハイハイ」
マーリンが俺の隣に跪き、ベディヴィアの傷を見る。
「あっちゃあ。骨から何から、全部ぐちゃぐちゃだ」
「助けられるのだろ? マーリン? 魂を連れて来て生き返らせる話ではない。このベディヴィアを助けられるのだろ?」
「ま、やるだけやってみるけど。君も手伝ってくれるよね?」
「何をすればいいんだ?」
「血管を縫ってほしいんだ」
「できるわけないだろ!」
そう叫びそうになって止まる。
できる。
人間では初めてだが、マウスやラットでは何百回も経験があった。
あいつらの血管に比べたら、人間の血管は太い。
「針と糸はあるのか?」
「コレ。でも、君たちの世界のような清潔なものは期待しないでね」
俺が血管を縫っている間、マーリンが砕けた骨を摘出することになった。
ベディヴィアが気を失っているのが幸いだ。
麻酔もアルコール消毒も無い中、こんなことをするなんて正気の沙汰ではない。
だが、今は奇跡を信じてやるしかなかった。
遠くで断末魔が聞こえる。
俺を襲ったサクソン人が、誰かの手にかかって死んだのだろう。
「陛下! ベディヴィアは?」
ルーカンが俺に声をかける。
「ルーカン、沸かしたお湯を持ってこい! 大量にだ! それと、火だ。火も持ってこい!」
俺は怒鳴るように言って手を動かし続けた。
気の遠くなるような時間の中、血管は縫い終わり、吹き出していた血が止まる。
マーリンが骨を摘出した後、傷口を縫い合わせる。
殺菌のため焼けたナイフを傷口に押し当て、傷を塞いだ。
マーリンはベディヴィアの腕を包帯でぐるぐる巻きにし、ルーカンたちに寝台へ運ぶように言った。
「助かるのか?」
「さぁ。この世界では血が止まれば大丈夫というわけでは無いからね」
あんな衛生状況の中で治療をしたのだ。
傷口に雑菌が入って破傷風に間違いなくなるだろう。
「ベディヴィアの運次第か」
「そうだね」
それからマーリンはクルリと俺の方を向いた。
「そうそう。君は僕が簡単に異世界から魂を呼び寄せられると思っているみたいだけど、そんなことは無いからね。異世界から魂を召喚する技は奇跡に等しい。僕はすでに2回奇跡を行なっている。3回目が起こせるとは限らないんだよ」
そう言って、「ベディヴィアの様子を見て来るよ」と言いながら去って行った。
「陛下! あれを見て下さい!」
呆然としている俺にカラドックが声をかける。
彼が指差す方を見ると、空を赤く染める夕焼けに照らされて、ゆっくりとこちらへ駆けてくる騎馬の姿があった。
「ガウェイン卿です。勝利です。我々は勝ったのです!」
城内では同じくガウェインたちの姿に気づいた市民たちが歓喜の声を上げていた。
「勝利だ!」
「サクソン人に勝ったのだ!」
「ガウェイン卿、万歳!」
「ランスロット卿、万歳!」
「円卓の騎士、万歳!」
「アーサー王、万歳!」
「アーサー王、神の使徒、我らは貴方と共に!」
「万歳! 万歳! 万歳!」
俺は血塗れの手を拭いもしないで、ただ呆然と近づく騎影を眺めていた。
「兵は国の大事なり」
孫子の兵法の第一章、第一段。その一番初めに書かれている言葉が、いついつまでも耳にこだましていた。
《完》
さて、この話はどうだったろう?
異世界転生、君もしてみたくなったかな?
え?
そんなことはどうでもいいから、続きを読ませろ?
うーん、僕もそうしたいところだけど、世の中は、
Give and take
続きが読みたければ、何をすればいいか、分かるよね?
じゃあ、次は君の夢の中で。