日常編⑤
「朝倉哲也? ああ、一年のとき一緒のクラスだったの」
あかねちゃんはお弁当の卵焼きを箸で小さく切り分け、口に運んだ。
昼休みである。
私たち四人はいつも中庭で昼食を食べている。雨の日だったり、寒い日は流石に屋内だけど。
不動尊学校は校舎が二棟あり、その間には中庭がある。中庭といっても草は生えておらず、コンクリートと小石が敷き詰められていている。その代わりに中庭の両サイドにはポプラの木が何本か植えてあり、結構高い。
校舎は普段私が使う通常棟と理科室などの特別授業が行なわれている教科棟に便宜上分けられている。通常棟は五階、教科棟は七階と高さが違う。渡り廊下は二つあり、それぞれ三階の南北につけられていて、移動はさほど不便ではない。
しかし渡り廊下同士の間隔はさほど広くないので、二つもいるのかと疑問視されている。
中庭は結構に広く、私たちの他にも食事したり、本を読んだり、遊んだりしている人はたくさんいる。
大きな建物に囲まれて日が差さないと思われるが、通常棟は東、教科棟は西とちょうど太陽の通り道に中庭があるのでむしろ眩しいくらいだった。
「それで、朝倉のことでしょ? いいよ、話してあげる」
軽い感じで話し始めるあかねちゃんに「おいあかね、そんな気軽に話すことじゃないでしょ」とあきらちゃんは注意した。
「別にいいんじゃない? だって朝倉は噂よりは無害だから」
そう語るあかねちゃんは余裕がある感じだった。
私の友達である工藤あかねは浅黒い健康的な肌をしている。背はあきらちゃんと同じくらい高くて、運動部に入部していそうな見た目。しかしあかねちゃんは写真部だ。猫みたいに横に長い目を細めている。少し眩しいのだろうか。
「きゃはは。アッキーは相変わらず心配性だねえ」
そう言ったのはもう一人の友達、山城ひかりだ。こちらは対称的に青白い肌をしている。子供の頃から夜更かしが好きで、そのせいか身長は私たちの中でもっとも低い。
ひかりちゃんは天文部に所属している。
一年のとき、ひかりちゃんは一緒のクラスに居たけど、あかねちゃんと同じく理系クラスに行った。私とあきらちゃんは文系だから別々になってしまったけど、今でも仲良くお昼ご飯を食べる仲になっている。
「りょーちんの問題なんだから、りょーちんに考えさせればいいのに」
「それは、そうだけど……」
「あきらちゃん。私のことなら平気だから。今朝だって喋ったりしなかったでしょ?」
本当は少し意識してしまって、顔が見られなかったのだけど。
「あきらちゃんだって、朝倉くんのことよく知らないんでしょ」
「うん、まあ、そうだけど……」
「話を聞くだけだから心配ないよ」
わざと明るく言ってみる。そのせいか、あきらちゃんは「分かったわ」と折れた。
「ただし、朝倉がどんな奴でもあまり関わるのはやめなさい」
「えーっ! 後ろの席なんだよ?」
「昨日みたいに会話するなって言っているの。なんなんのよあんたらのエジソン話。どんだけエジソン好きなのよ」
別に好きというわけではないけど、そこは突っ込まなかった。
「それじゃ、話してもいい?」
あかねちゃんは弁当箱を閉めて、ティッシュで口元を拭いた。もう食べ終わったんだ。
「朝倉は普通な見た目の割りに、なんか哲学な話をところかまわずし始めるの」
それは一回話して、なんとなく気づいていた。
「中二病と言ってしまえば、それでおしまいなんだけど、彼の話を聞いているだけで、頭がクラクラしてくるの」
「頭痛がするってことかな?」
「いや、ズキズキするんじゃなくて、なんというか、頭がおかしくなりそうになるの」
あかねちゃんはだいぶ言葉を選んでいるようだった。
「ストレートに言ってしまえば、気が狂いそうになる」
「……きゃはは。それはちょっとやばいんじゃない?」
ひかりちゃんは引きつった笑みを浮かべた。
「もののたとえ。本当に狂った人はいない。ドグラマグラみたいなニュアンスなの」
今日もドグラマグラが出てきた。流行っているのかな?
「だから、敬遠されているの?」
私の質問にあかねちゃんは「どうだろう」とやや否定気味に返した。
「朝倉は言うことは変だったけど、それでも一定の評価は得ていたの。涼子、あんた学年一位は誰だか知っている?」
「知らないよ。廊下に貼ってある順位表見ないもん」
どうせ自分が圏外だと分かりきっているから、見なかった。
「朝倉だよ。朝倉は入学してから中間と期末、校内模試すべて一位になっているの」
「へえ、頭が良いんだね。天才かな」
いや、天才じゃないって自分でも言ってたっけ?
「涼子、あんたも分かると思うけど、頭が良い人間は尊敬をされるの。一目を置かれるんだよ。クラスの上位でもそう思われるし、学年一位は言わずもがなだよ」
「じゃあなんで嫌われているの?」
私がそう訊くとあかねちゃんは「嫌われているんじゃないと思う」ときっぱり否定した。
「関わりたくないの。怖がられているといったほうが当たっているかも」
あまり違いが分からない。
「嫌われているのだったら話は簡単なの。でもいじめられていたりしていない」
「無視されているよ?」
「だからさっきも言っているように関わりたくないの」
あかねちゃんは神妙な顔をして言う。
「なんて言っていいか分からないけど、とにかく何か滅茶苦茶にされてしまいそうな、すべてを台無しにしそうな、そんな危うさを感じてしまうの」
「ふうん。だけど無害だって――」
「関わらなければ無害なの」
あかねちゃんは続けて言う。
「触らぬ神に祟りなし。君子危うきに近寄らず。ことなかれ主義。いろんな言い方があるけど、とにかく関わらないほうが賢明なの」
「さっき言っていた、噂より無害って、そういう意味?」
学年全体で無視されているって、どれだけ辛いんだろうか。
私だったら寂しくて自殺しそうだ。
「朝倉のやばさは誰にでも『やばい』って思わせる、伝わるやばさがあるの」
「それは――分かるわ」
あかねちゃんの言葉にあきらちゃんは同意した。
「あいつを見たとき、怖いとか思わなかったわ。普通の高校生だと思っていた。いや、思いこまされていたと言っても、過言ではないわ。異常を感じさせない異常。誰だって怖いわよ」
なんだか現実感のない言葉に私はあまり実感が湧かなかった。それは私の理解力が不足しているのかもしれなかった。
話してみて、怖いなって思わなかったし。
「これは言っておかないといけないけど、前期の間はまだクラスに馴染んでいたの。話しかければ、ちょっと変だったけど、答えてくれたし。変わっているけど、頭の良いクラスメイトっていう立場だった」
私たちの学校はセメスター制といって一年が前期と後期の二つに分かれている。大学と同じだって、学校説明会で聞いた気がする。覚えてないけど。
「事件が起こったのは、後期に入ってすぐのこと。野球部部室に小火が起きたの」
昨日も聞いたけど、詳細は教えてもらってないので、聞きたかったことだ。
「誰が言ったのかは分からないけど、クラスどころか学年中、いや学校中にこんな噂が広まったの。朝倉が放火したって」
「うん? どうしてそんな噂が広まったのかな?」
「私も詳しくは知らないの」
あかねちゃんは声を潜めて、小さく言う。
「でも聞いた話だと、小火が起きたとき、朝倉はにやにやしながら、火事の現場を見ていたって」
「誰か目撃した人いるの?」
「バレー部の部員とサッカー部の部員。その他運動系の部員はそんな朝倉を目撃したって言われているの」
そんなに見られていたのなら、疑いはないなとぼんやり思った。