~KEIDORO~純愛ゆえに冒す過ちのコンチェルト
『輝き続けるものを愛するのは簡単だ。
愛する者が輝きを失ったときこそ、純愛の真価が問われるのである』
(純愛評論家 アイスベーキ・モノ)
『――――行方は分かっておらず――――失踪理由も――』
テレビの明かりだけが煌々と部屋に広がる。
『怪盗カンパネラ関連の事件で、一躍有名となった警部補、伊能正義二十八歳が急遽行方をくらませている模様です。伊能警部補は怪盗カンパネラを捕まえてはいないものの、幾度となく彼女を追い詰めている優秀な警察官ですよね? なぜ失踪をしたのでしょうか?』
『確かに例の怪盗を追い詰めてはいますが、逮捕はしていない。それが警察官としては屈辱なんじゃないですか?』
『一部では怪盗カンパネラによる誘拐なども噂されていますが……?』
『どうかねぇ? 例の怪盗は、盗みはするけど人に危害は加えない。それが矜持でしょう? ちょっと考えにくいねぇ』
ニュースでは、日本を沸かせている女怪盗と、それに関わった失踪警部補の話題でもちきりだ。
「ちょっと当たりだけど、ちょっと外れなんだよなぁ」
テレビを見ながら男は呟いた。
「あいつを捕まえられないのは、俺の無能さが原因だ。逃げたい気持ちがないわけじゃない。でも……」
男はたい焼きをかじりながら誰でもない自分に言う。
「警察官のままじゃ、あいつに届かない。それが理由だ」
それが何を意味するのかは分からない。
警察官という権限では充分な捜査ができないと言うのだろうか?
違法な捜査でなくては捕まえられないと。
それとも、別の意味があるのだろうか?
権限剥奪中の警部補、伊能正義は何を思う?
◇ ◇ ◇
――――伊能の失踪が報じられた翌日。
事件は思わぬ展開を見せた。
『ただいま警視庁が発表した内容によりますと、あの怪盗カンパネラが自首したということです。繰り返します! 怪盗カンパネラが自首しました』
号外、号外。
その速報はあらゆる情報媒体で世間を駆け巡った。
そして、憶測が憶測を呼ぶ。
まだまだ怪盗カンパネラの話題は新鮮さを維持している。
「俺はともかく、お前まで落ちぶれるのかよ」
また、伊能は格安ホテルの一室でテレビを眺める。
警察官として、これは喜ぶべき事態だろうか?
伊能は考える。
そして。
「自首するくらいなら、まだ怪盗でいてくれた方が良かったな。お前を捕まえて良いのは俺だけなんだから」
ねじ曲がった束縛思考。
いや、怪盗カンパネラを追ってきた警察官としては、あながち間違っていない思考なのかも知れないが。
「俺はお前を捕まえたかった。美しいお前を」
世間でも怪盗カンパネラの容姿は有名だった。
金髪にモデル並みの体型。
顔は仮面で隠されているが、おそらく美人なのだろうと多くの人間が妄想している。
しかし、伊能は妄想などしていない。
見たのである。
捜査中に最も怪盗カンパネラに近づいた警察官である彼は、仮面の隙間から彼女の素顔を少しだけ見た。
そして、魅了された。
愛してしまった。
この手で捕まえることこそが、愛を伝える唯一の手段だと考えた。
互いの思考を推測し対決する過程すら、危ない恋の駆け引きのようであった。
しかし、高嶺の花。
簡単には捕まえられない。
ならばと、単独で危ない橋を渡る決意をしていた。
その矢先、これである。
目的を失った伊能は参ってしまった。
降参だと。
「とりあえず、呑もう」
現実を受け止められない伊能は、冷えたたい焼きを片手にウイスキーを飲み干すのだった。
◇ ◇ ◇
――――更に翌日。
さすが怪盗カンパネラ。
しめやかな終焉など見せるはずもなかった。
『繰り返します。昨日逮捕された怪盗カンパネラが留置場から脱走したとのことです』
「ははは……ははっ!」
伊能の心は踊った。
昨日の酒が残っているのかも知れないが、気分は良かった。
「これでまた、やつを追える!」
やる気を出す伊能だったが、テレビには思わぬ人物が登場する。
『今回はこの脱走劇について、怪盗カンパネラを研究しているICPOのサクラ・クロシェット氏を招き、分析していこうと思います。よろしくお願いします』
『よろしくお願いしマス』
「ICPO? 国際刑事がなぜこの件に手を出す?」
画面には金髪ポニーテールの女性が写っている。
銀縁眼鏡をかけ、いかにも知的そうだ。
『そもそもICPOがなぜ怪盗カンパネラを追っているのでしょうか?』
『怪盗カンパネラはフランス人である可能性が浮上してるデス。フランスに本部を置く我がICPOでも無視は出来ないデス』
『なるほど、それで捜査を』
『個人的興味がないわけでもないのですが、日本の担当刑事が失踪したと聞きまシタ。警視庁からの要請もあり、捜査に加わることになったデス』
『そうなのですね。では、推測される逃走経路について――――』
伊能の機嫌は少し悪くなった。
日本の警察は自分の失踪に関しては放置し、後釜に海外の捜査官を招いたのだから。
「あんなモデルみたいな捜査官に、務まる山じゃねぇんだよ!」
伊能の叫びはむなしく部屋の中で霧散するかに思えた。
が、しかし。
「私ではご不満デスカ? マサヨシ・イノウ警部補」
伊能は振り向いて構える。
腰に拳銃は……ない。
ならばこの侵入者とは素手でやり合うことになるのか。
などという考えは一瞬にして消え去る。
「あんた……どうしてここにいるんだよ?」
今もテレビでコメントしているICPOの捜査官。
彼女が伊能と向き合っていた。
「まずは私の捜査能力を評価して欲しいものデス。それと……そのウイスキー、一杯いただけマス?」
伊能は気を紛らわすため、ウイスキーをあおった。
「悪くないデスネ」
目の前の女も同様に呑む。
いける口のようだ。
伊能は思った。
これほど酒がまずいと思ったことはないと。
「確かに……俺の居場所を突き止めたお前はすごい。若いな……何歳だ?」
「二十四デス」
「優秀なこった。だがどういうつもりだ? ここまで世間を騒がせた俺には責任がある。つまり、お前は俺を捕まえて警視庁に引き渡すのが本来の流れだろう? それがどうも……一緒にウイスキー飲んでいる時点でおかしいだろう」
この女は一体何を目的に近づいたのだろうかと、伊能は疑う。
「ICPOはあくまで怪盗カンパネラ逮捕のために来日していマス。イノウさんをどうこうする権限はないのデス」
「だったら尚更、真っ先にここへ来る意味が分からん」
伊能は少し酔っていた。
「だいたい今テレビで喋っているお前は何なんだよ」
「あれは収録というやつデス。今日撮ったものですが」
「ああ、そう? で、なんでいるの?」
話は逸れて、また戻る。
「ICPOは捜査協力と言ってもその方法は単独に近いのデス。自由……ユートピア」
「いや、そこはフリーだろ?」
「そう、フリー。そこで考えまシタ。怪盗カンパネラ逮捕を確実のものとするには、あなたの協力が必要ダト」
「お尋ね者の俺と組むっていうのか?」
「そうデス、タッグを組みまショウ!」
「そこはコンビじゃないのか?」
「鬼ごっこ的にはタッグデス」
確かに、追う者と追われる者。
鬼ごっこに近しい行為だなと伊能は思った。
「分かった。ただやり方は慎重に行くぞサクラ・クロシェット捜査官」
「サクラでOKデス」
こうして、元警部補とICPO捜査官の異例タッグが誕生したのだった。
◇ ◇ ◇
「それでどうしてこうなるんだ?」
「先手必勝デス」
早速伊能とサクラは捜査を開始。
二人は高輪ゲートウェイ駅に来ていた。
過去、怪盗カンパネラが窃盗を行った場所は全て駅の周辺だった。
それも、全て山手線の駅だ。
そして、唯一、怪盗カンパネラが窃盗を行っていない現場が高輪ゲートウェイ駅であるのだが。
「あれを俺達が盗むのか?」
伊能はサクラの言いなりになっていた。
逆らえば世間に晒されるという気持ちもあったのだろう。
それに、サクラはかなり積極的だ。
「怪盗カンパネラは新橋で駅前のSLを盗み、渋谷ではモヤイ像、上野で西郷さんを盗んでマス。とくれば次はインフォメーションロボ、EMIEW君が狙われるに違いありまセン!」
どういう理論だよ!
と突っ込みを入れる余裕はなかった。
盗まれる前に盗め。
よく分からない理論の元、伊能達は計画を実行に移した。
そして、成功してしまった。EMIEW君の誘拐に。
業者を装いEMIEW君に近づいた伊能達は、白昼堂々それを成し遂げた。
EMIEW君の代わりに通りすがりのパントマイマーを設置することで、違和感も軽減。
イベントの一種だと利用者は勘違いするだろう。
「どうするんだ、サクラ捜査官! これがICPOのやり方なのか?」
「大丈夫デス。獲物を失った怪盗カンパネラは今頃困惑デス。そして、意気消沈したところを逮捕するのデス」
「そういう作戦だったのか!? というかやつの居場所が分からないといずれにせよ逮捕できないだろ!」
「おー、それもそうですネェ」
「おいおい……」
伊能は困った。
持ち帰ったこの可愛らしい案内AIロボットをどうするべきか。
格安ホテルのアンティークとして偽装するには目立ちすぎる。
そういえば、怪盗カンパネラは盗んだものをしばらくすると元の場所に返却するんだよなと伊能はふと思う。
失踪だけじゃなく、窃盗の罪まで被るのはごめんだった。
ならば早速返してしまうか。
もしかすると、返却中に怪盗カンパネラに会う可能性もある。
そう思った伊能は、サクラに向かって……。
「あれっ? いない!? サクラ捜査官! どこに……っておいおい……。EMIEW君もいねぇじゃねーか!!」
いない。
ICPOの捜査官、サクラ・クロシェットのみならず、EMIEW君まで姿を消している。
ガチャリ。
部屋の入り口で扉の閉まる音がする。
それと……チリン。
聞き覚えのある鈴の音。
怪盗カンパネラがあえて自分の居場所を知らせるのに使う、追う者をあざ笑うような音色が鳴り響いた。
そして、ひとりでにテレビの電源がオンになる。
『本日はICPOのサクラ・クロシェット捜査官と衛星が繋がっております。どうやら怪盗カンパネラに関する捜査の協力は打ち切られてしまったようですね』
『力及ばずデス。しかし、日本には優秀な警察官がいることを確認できました』
『どなたですか?』
『もちろん、マサヨシ・イノウデス』
『彼に会ったのですか!?』
『そうデス。彼は独自に捜査を続けていまシタ。失踪もその捜査に集中するために起きたことデス』
『そうだったのですか。では彼は警部補として復帰すると?』
『はい、その件については警視庁の上層部にかけあい、説明しておきましたデス』
「逃げたと思ったらどういうつもりだ? 償いのつもりか?」
伊能は訝しげにテレビを見つめる。
『そうなのですね。では、伊能警部補の今後の活躍に期待です。以上、ICPOの……』
『あっ、最後に一つ言い忘れたことがあるデス』
サクラ捜査官はアナウンサーの締めの言葉を盗んだ。
『なんでしょうか?』
『マサヨシ・イノウ……いえ……伊能正義。私の正体を見抜けないようでは捜査官としてまだまだですね。ですがあなたは好むべき宿敵です。私はこれからも盗む。それこそが私の生きる意味であり美学ですから。それに、あなたの心もいつか盗んでみせるわ。覚悟しておきなさい! 以上、皆様のアイドル、怪盗カンパネラでした。またの鐘の音をお楽しみに、うふっ♪』
『え、ちょっと待って! これ……えっ!? 皆さん……なんとサクラ・クロシェット捜査官は……怪盗カンパネラでした!! えっ、本当に……!?』
なんということだ。
テレビ局は大慌て。
きっと警視庁も慌てふためいている頃だろう。
それでも、伊能は笑っていた。
そして、テレビに向かってツッコミを入れるのだった。
「俺の心は……もうお前に盗まれてるんだよっ……!」
――――いつの間にか伊能の刑事魂は完全復活を遂げていた。
奇しくも、宿敵、怪盗カンパネラによって――――。
『手に入らない愛を求め、男は成長を遂げる。
――求めていながら捧げていることに気づくことなく』
(純愛評論家 アイスベーキ・モノ)