7 私とアレンと「ワタセサナ」
改稿しました。内容に大幅な変更はありません。台詞回し、描写等の変更のみです(2021.3.10)
「お疲れ様」
小屋に戻り一息つくと、アレンがカップを渡してくれた。
ふわっといい香りがする。
「これって、紅茶?」
アレンがこくりと頷く。
「ご褒美の銀貨で買ったんだ。いい香りだろ?」
「ほんと、いい香り」
お茶は贅沢品。男爵家でお世話になっている間は頻繁に頂いていたけど、普段口にできるのは水かお湯のどちらかのみ。
ゆっくり香りを楽しんでから、一口すする。思わずほぅと息が漏れた。
「おいしい…」
「…………サナ」
唐突に、アレンがその名を口に出した。
なんて返事をしたらいいか分からず、黙ったまま紅茶に視線を落とす。
水色の表面がゆらゆらと揺れた。
「ワタセサナって……」
夢現で呟いた名前をアレンはしっかりと覚えていた。
「……あの事故以来、君は少し…変わったと思う。うまく言えないけど…君であって君でないと言うか…。その…そのワタセサナと…何か関係があるの?」
真っすぐ見つめてくるアレンの視線を、私も正面から受け止める。
別にやましい事がある訳ではないのに、ステラの中に混じってしまった「紗奈」という人格をどうアレンに説明するべきか…それを考えると言葉が出てこない。
「昔から賢い子だとは思っていたけど、今日の広場での話…アレはそんなレベルの内容じゃなかった。あれはかなり高等な学問を収めてなきゃできない考え方だと思う。それに、態度も口調もなんとなく今までとは違う気がする。君はステラだけどステラじゃない。じゃあ君は……?」
私は視線を反らし、カップの縁を指でなぞった。
「……言ったところで、とても信じられない話よ」
「話してほしい。君の事ならどんなことでも信じるよ」
その言葉に覚悟を決めた。
私は大きく息を吸い込むと、浮かんだ言葉を少しずつ音に乗せる。
「思い出したの、昔の事…。昔って言ってもステラが生まれてからの事じゃなくてもっと昔…。多分…私の前世の記憶…だと思う。…ワタセサナは私の前世での名前。渡瀬紗奈。私は昔、ニホンという国に生まれて育った日本人女性だったの…」
私の生涯、と言ってもたった30年弱の人生だったから大した話もないけれど、思い出せる限りの話をアレンに話して聞かせた。
アレンはそれを、なぜか嬉しそうに聞いている。
「おもしろい?」
「うん」
「……信じてくれるの?」
「うん」
「なんで?」
こんな荒唐無稽な話、夢だと言われてもおかしくないのに。
「だってステラは今まで嘘ついたことないし…。それにこんなちゃんとした物語、いきなり作れって言われて作れるもんじゃないだろ。あと……っ」
アレンが口元を手で押さえる。あ?もしかして笑ってる?
「死んだ理由がイモを追いかけてって……っ。何て言うか君らしくてっ!」
アレンが堪えきれずに大きな声を出して笑う。
「だって!落としそうになったら誰だって追いかけるでしょ!」
「ははっ!そうだね。でも間違いない。サナはステラだ」
「は?なんで?」
「だってイモを追いかけてはねられるとこが全くおんなじ」
そう言って更に声をあげて笑い出した。この間の馬車事故の時のこと言ってるんだろうけど…人が死んだ理由をこんな大声で笑うなんて…なんて失礼なんだろう…と若干怒りもわいてきたけど、でもなんだか力が抜けた。
「…ホントよね。確かにロクな死に方じゃなかったわ。前後の事はあんまりよく覚えてないんだけど、とにかく車の運転手さんにはホントに申し訳なかったと思う」
「そうだね。ねえ、他にも覚えてることってあるの?」
「他?例えば?」
「うーん、友達とか?ステラはここでも友達多いだろ?だから紗奈の時もそうだったのかなって」
「友達は…あんまりいなかったかな?人見知りだったし」
「ステラが?!」
「幼なじみの子とは小学校くらいまでは…あっ小学校っていうのは今のアレンの歳くらいまで子が通う学校の事なんだけど、すごく仲良くしてたんだ。でも、それ以外の子とはあんまり長く続かなくて」
「幼なじみって女の子?」
「ううん、男の子。結構仲良かったと思ってたんだけどねぇ。急に『話しかけるな』って言われて無視されるようになっちゃって…それっきり。自分の知らないうちになんかしちゃってたんだろうけど、あの時は悲しかったなぁ。まあ思春期だもんね。フフッ懐かしい」
その時、アレンの顔が苦しそうに歪んだ、気がした。
ん…?気のせいかな?
あーでも、昔話って人に聞いてもらうとこんなに楽しいんだってことを初めて知った。おじいちゃんたちの気持ちがすごくよくわかる。
その後も聞き上手なアレンに促されていろんなことを話した。そして、なんだかすごくすっきりした。
「聞いてくれてありがとう、アレン。なんだかとてもすっきりしたわ。紗奈のことを思い出した時はちょっと動揺したけど彼女はもう過去の人だから。今の私はステラ。今度はおばあちゃんになるまで幸せに生きるわよ」
だから紗奈のことはもう忘れて、という私の言葉にアレンは少し悲しそうな笑顔を見せた。
「うん…でも…僕は忘れないよ『紗奈』の事。紗奈だって君の中に生きてる。ううん、生きてて欲しいってそう思う。彼女も君の一部だから…」
「そっか…うんそうだね。紗奈の知識にはまだまだお世話になる事もありそうだし…。二人だったら心強いかも」
「そうだよ。それに僕もいる。僕だってずっと君のそばにいるから。君が幸せをつかむまでずっと見守っててあげる…」
「ふふっ、何言ってるのよ。あんたは早くこんな生活から抜け出して幸せになってよ。そんなにかっこいいんだもん。きっと素敵なお嫁さんが見つかるわ」
「だったら君が先に結婚してよ。そしたら僕も安心して結婚できる」
「あら私、結婚なんてしないわよ」
私はきっぱりと言い切った。
「…なんで?」
「結婚なんかしなくても私は幸せなるわ。まあ今のところおばあちゃんとアレンが笑ってくれたらそれで幸せなんだけど。それに今は目標ができたから。目的をもって生きることが私の幸せの条件なの」
「君、前はそんな事言ってなかったよね?そう思うのってもしかしてサナの記憶が原因だったりする?」
全く…アレンは鋭くて困る。
「うーん…まあ、ね。それもあるかな。でもごめん…その話はあんまりしたくないんだ。ごめん」
紗奈の事を過去だと言い切ったくせにどの口が、と自分を情けなく思うけど、こればっかりは誰にも言いたくない私だけの秘密。できるなら思い出したくなかった最低最悪な過去…。
(私を裏切ったあの男との記憶…)
このトラウマだけはおそらく一生拭い去る事は出来ないだろう。
次話投稿は明日の19時を予定しています。
よろしくお願いします。