4 私と養女と男爵婦人
あれから4年の月日が経った。
私は10歳になり、アレンは12歳になった。
あの後、すぐに戻るだろうと思われていたアレンの記憶は、何日たっても何年たっても一向に戻る事はなかった。素性も分からず行く当てもないアレンはあの日以来ずっと、私と一緒に暮らしている。
迷惑でなければここに置いて欲しいという彼の願いを断る理由はなかった。ただ、元々は良いところのご子息であっただろう彼を、こんな家とも呼べないあばら屋に住まわせるのはどうだろうと心配にはなったけど彼は気にしないと笑ってくれた。
その笑顔がなんだか懐かしく思えて、私もつられて笑った。
そして現在に至る……。
訳なんだけど、
現在ここ男爵家において、私は究極の選択を迫られている真っ只中だったりする。
馬車の事故から半月ほど経ち、頭の傷もほとんど目立たなくなってきた。そろそろ家に帰らせてもらおうかなと思っていた矢先、男爵夫人であるイザベル様がとんでもないことを言いだしたのだ。
私を養女に迎えたい、と。
突然の申し出にポカンと口を開いたまましばし固まる私。
晴天の霹靂とはまさにこの事だ。
よくよく話を聞いてみると、夫人には遠い昔、幼くして事故で亡くなった娘さんがいたそうだ。名前はエリシア。まだ10歳にもならない幼い令嬢は侍女がちょっと目を離した隙に水辺の花を取ろうとして溺れて亡くなったらしい。
二人の息子を立派に育て上げた夫人だったが、娘の事は心の傷となりいまだに癒えることはないのだという。老男爵は気遣うように婦人の肩を抱いた。
あの日はちょうどエリシアちゃんの命日だったそう。お墓参りを終えたばかりの帰り道、私があの事故を起こさせてしまった。
私はずっと意識がなかったから知らなかったのだけど、夫人の取り乱しようは尋常ではなかったそうだ。それについては私の浅はかな行動でほんとに申し訳ない事をしたなと猛省中だったりする。とにかく夫人は終日、私の側に付き添い自ら看病をしてくれていたらしい。そう言えば目が覚めた涙を流しながら強く抱き締めてくれたっけ。
だけど……。
私はこの話をきっぱりお断りすることにした。
「お気持ちはとても嬉しいです。が、私は生まれも育ちもスラムの人間です。教養も礼儀もなに一つ備わっていません。私なんかを養女にしたら恥をかくのは男爵様達です。これ以上のご迷惑はかけられません。折角ですがこの件はお断りさせて頂ければと存じます」
言い切ってしまってから若干おかしな空気を感じ、顔を上げる。
そこにはあんぐりと口を開けた男爵夫妻がポカンとした顔で私を見つめていた。
(ヤバい…。今のって、ちょッと言動が子供らしくなかった…よね?)
自分で礼儀も教養もないと言っておきながら、流石にこの物言いはないだろうと思ったがもう遅い。
(だってしょうがないじゃない。いまいちさじ加減がよくわからないんだから…っ)
急に戻った記憶とその年齢に引っ張られた感は我ながらある。近くにいたアレンもきょとんとしていた。
「だ、だって……、おばあちゃんに会えなくなるのはさみしい…もん」
ついでのように出てしまった言葉だけど、これはほんとの気持ち。だって、まだおばあちゃんになんの恩も返せてないのにそんな恩知らずな事ができるほど冷たい人間にはなれない。
夫人はそんな私を見て小さく息を吐き「そうね……」と呟いた。
寂しそうな顔を見るとなんだか胸が痛くなる。私はイザベル様の手をそっと握ると「ごめんなさい」と謝った。
イザベル様は優しい顔で微笑むと、再び私の手に自分の手を重ねた。
「決めるのは今すぐじゃなくていいのよ。あなたがその気になった時はいつでもいいからいらっしゃい。いつだって歓迎するから」
そう言って私の頬を優しく撫でる。
その代わり私の生きている間にしてね、と付け加えられ今度は私が笑った。
次話投稿は明日の19時を予定しています。
お休みなさい。