3 私と彼と薬の魔女
暖炉にかけた薬罐からシュンシュンと吹き出す蒸気の音で目が覚めた。
ウトウトと微睡んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
カーテンのない東の小窓からは朝の光が差し込み、徐々に室内を明るく照らす。
私は眠い目をごしごしと擦ると、体を起こした。
ベッドには、昨夜の少年がすやすやと静かな寝息を立てて眠っている。
私はホッと息を吐くと、彼の頬にそっと手を触れた。
(あったかい……)
昨夜、月明かりに照らされた彼の頬は青白く、憔悴しきっていた。
寒さに震え、ガチガチと歯を鳴らす彼を急いでベッドに運び、ありったけのブランケットをかけた。
そして今、
彼の頬には仄かに赤みが差し、穏やかな表情を浮かべている。
「きれいな子だなぁ」
思わず呟いた。
このスラムでは見たことがないほどきめ細かく透き通った肌。そばかすも黒子もただの一つもなく、白い頬は信じられないくらい柔らかい。
それだけに昨夜の騒ぎでついたであろう擦り傷がひどく痛々しい。
エンジ色の、緩やかに波を描く髪は柔らかく、花のようないい香りがする。眠っているため瞳の色はわからないが、長いまつ毛はクルンと反り返り思わずツンツンと触りたくなる。
身なりからしてかなり裕福な家の子なんだろうと想像できた。
状況からしておそらく拐かされてきたんだろう。
相当怖い思いをしたに違いない。そう考えると無性に腹が立った。
コンコンッ
ノックの音が聞こえ、ゆっくりと扉が開いた。
「具合はどうだい?」と言いながら一人の高齢女性が顔を出す。彼女は私の育ての親で恩人のソフィアおばあちゃんだ。
「どうかな?まだ目を覚まさないの。たいした怪我はしてないみたいだけど、大丈夫かな……」
おばあちゃんは彼の顔を覗き込むと、額に手を当てたり腕に触ったりして具合を確かめる。そして優しく彼の頭をなでると私に笑いかけた。
「おそらく疲れてるんだろうよ。落ち着けばそのうち目を覚ますさ。それよりお前は大丈夫なの?ちゃんと足は暖めたかい?」
おばあちゃんが椅子に座っている私の足を優しく撫でる。
少しだけ赤く腫れた両足がツキンと痛む。
「ちょっとしもやけ気味かねぇ。ちゃんと薬を塗っておくんだよ」
昨夜遅く、森から帰った私はその足でおばあちゃんの家のドアを叩いた。
ドアを開けたおばあちゃんはひどくびっくりした顔をしていた。
それはそうだろう。こんな真夜中に寝巻のまま、しかも裸足で頬を真っ赤にしながら息を切らしている私の姿を見れば誰だって何事かと思うだろう。
話を聞いたおばあちゃんは急いで私の小屋まで来てくれた。
手際よく暖炉に薪をくべ、部屋を暖かくし湯を沸かす。
ベッドに横たわる彼を触診し無事を確認すると、今度は暖炉の側に椅子を引き私を座らせた。そして一旦家に戻ると、持ってきたブランケットを私の体に巻き付けてくれた。
薬罐から湯気が立ち上り、小屋の中が徐々にあたたまる。
おばあちゃんは湧いた湯を大きな桶に移すと、外から持ってきた雪のかたまりを入れ温度を調節し私の足を浸けた。冷え切った指先からじんじんと痛みが広がる。それも次第におさまり、私はホッと息をはいた。
お湯を入れたカップを渡され一口すするとじんわりと体が暖まる。
ミルクでもあればよかったんだけどねぇ……と振り返ったおばあちゃんが、うまく笑顔を作れずにいた私に気づき、そっと抱き締めてくれた。
「怖かったろう。よく頑張ったね」
私は黙っておばあちゃんの腰に腕を回した。
(怖かった……)
追い付かれたら殺されていたんだと思うと胸の奥がざわざわする。だけど、不思議と涙はでなかった。
「ステラは勇敢な子だね。そして賢く優しい子だ。でもね、自分のことも大切にしなきゃだめだよ」
そう言って額にキスをくれる。
優しく体を包む温もりはいつも私を安心させてくれる。そんなソフィアおばあちゃんが私は大好きだ。
「朝になったらまた様子を見に来るけど、ステラはどうする?」
と聞かれ、そう言えばベッドを占領されてる事を思い出した。
彼を一人にはできないと言う私に、おばあちゃんはうなずいて「たまに窓を開けて換気するんだよ」と言い残し帰って行った。
「凍傷にはなっていないようだね。よかったよ」
ひとしきり確認され、ヘクソカズラの実を混ぜた軟膏を塗り込め、もこもこの靴下を履かせてくれる。この薬ちょっと臭いのが難点だけどその実、すごくよく効く万能薬なのだ。
おばあちゃんはこの街で「ソフィアさん」もしくは「薬の魔女」と呼ばれている。これは悪意のある呼び方じゃなくて薬草で薬を作ったり簡単な治療をしたりして生計を立てているから。
「……心配かけてごめんね」
「ほんとにねぇ。昨日は肝が冷えたよ。あんな薄着でしかも裸足で……。これからはもうあんな無茶しちゃダメだよ」
「……うん」
朝食に持ってきてくれたスープとパンをおばあちゃんと一緒に食べる。
具なんかちっとも入ってないスープだけど私はコレが大好きだ。
その時、ベッドからうめくような声が聞こえた。
おばあちゃんと二人、急いでベッドに駆け寄ると彼がゆっくりと瞼をあげるところだった。空ろな瞳からは静かに涙がこぼれ頬を伝っている。
「大丈夫?」と声をかけながら覗き込む。
ぼんやりとしていた彼の瞳に、徐々に光が戻り焦点があう。
寝ている時にはわからなかったけど澄んだ藍晶石のような瞳が輝き、ぼんやりと「きれいだな」と思った。
でもホッとしたのもつかの間、彼はその瞳を大きく見開くと私の両腕をつかみ、その勢いのまま強引に引き寄せた。突然のことにバランスを崩し彼の上に倒れ込む私。そしてそのまま、思い切り抱き締められた。
何が起きたのかわからず、されるがままに固まる私。
泣いているのだろうか…。彼の肩が…腕が小刻みに震えてているのが分かる。
私は彼の背中に腕を回すといつもおばあちゃんがやってくれていたようにトントンと優しくたたいた。
「もう大丈夫。悪いおじさんたちはいなくなったよ。怖くないから…大丈夫だから…泣かないで」
そんな私の耳元で彼がヒュッ息を吸い込んだ。
何かを言おうとしているのかと暫く待った。が、結局彼は何も言わなかった。
やがて静かに息を吐く。そして、
「…………ごめん」
たった一言、それだけ言うと背中に強く回されていた腕から力が抜けた。
そしてもう一度、ささやくような謝罪と共に彼は苦しげに微笑んだ。
私は体を起こし後ろにいたおばあちゃんと入れ代わる。おばあちゃんが調子はどうか、痛いところはないか確認すると彼は小さく首を振り「大丈夫です」と答え、辺りを見回した。
「ここは……どこ?」
「ここはヴェルナー領内のスラムよ。そして今居るのは私の住んでる小屋。あなたうちの前に倒れていたの」
「小屋?」
彼はもう一度、言葉の意味を確認するように回りを見渡した。
「それで……、僕はなぜここに?」
「……覚えてないの?」
彼はちょっと首をかしげ、目を伏せるとこくんとうなずいた。
「名前はわかるかい?」
おばあちゃんが聞く。彼はしばらく考えて、
「……アレン」
と答えた。
年は?と聞かれると8歳だと言い、それ以外はなにも思い出せないと両手で顔を覆った。
「…………おばあちゃん」
胸がギュッと痛くなりおばあちゃんのエプロンの裾を握りしめた。そんな私におばあちゃんは優しく微笑み、
「かわいそうに。よほど怖い思いをしたんだね。何、心配することはないさ。きっとそのうち思い出す…大丈夫だよ」
そう言って頭を撫でてくれた。
次話投稿は0時頃を予定しています。
よろしくお願いします。