第98話『True Friends Got Your Back』親友の思い
「……ん」
眩しさに目が覚めた。
カーテンを閉め忘れたまま眠ったようだ。
腕を額に置いて朝日を遮る。
「あれ……服」
シャワーから上がって上半身裸のままビールを飲んでいたのを思い出した。
「あれから……?」
目を細めながら、開いたままのドアの方に目をやる。
「こんな格好で寝てたら、またパパラッチに狙われるな」
動ききっていない頭に手をやって、髪をかき上げながら半身を起こした。
昨夜は、彼女を家に送ってここに帰って来てからそんなに飲んではいないはずだが……
あまり記憶がない。
久しぶりに誰もいない夜。
そして静かな閑散とした朝。
裕貴は実家に帰っていて不在だ。
ふっと思い出す。
ゆうべの彼女の泣き顔と、緑色の瞳を……
しがみついてきた彼女の痛いほどの手の感触と、抱き上げた時の軽さを………
隆二はベッドから立ち上がって陽の光に身を晒し、窓に腕をついた。
昨日、自分がうろうろしていた眼下の花時計を一瞥して、グーンと伸びをして首を鳴らす。
「カラダ、ナマってんなぁ……運動してねーわ。フッ! 昨日、あんな格好してたくせにな」
隆二は簡単に身支度を整えて部屋を出た。
「おはようございます! 『2801』号室の水嶋隆二さん。こんな朝早くから来られるのって珍しくないですか?」
隆二は、自室のワンフロア上の階に来ていた。
まるでジオラマのような景色を散りばめたパノラマの窓に向かって、トレーニングマシンが所狭しと並んでいる。
一通りメニューを終えた隆二は、汗をダラダラ流したままそれを気に留める様子もなく、ミネラルウォーターをぐっと呷っていた。
隆二にカウンセリングを行うこの担当インストラクターの彼と会うのは、いつもなら午後の遅い時間だった。
「ああ、昨日ちょっとね。全身バッチリコーディネートして、ランニングウェアで身を固めて前の公園に出向いたんだけどさ、10Mくらいしか走れなくてね」
「どういうことですか? 10M? ジョギングするつもりだったのに?」
「あ……まあ、こっちのハナシ」
「なんか怪しいな……ランニングせずに、別メニュートレーニングとか? 例えば、フリーウェイトとか……してたんじゃないでしょうねぇ?」
「あ……40~50㎏ってとこかな、ほんの5分ほど」
「うわ! ヤラしいな。女の子ですね! そりゃスターはモテるから、入れ喰いだろうけど」
「ちがうちがう! 外で抱き上げ……」
「そ、外で!」
「だから、ちがう! 立てなくなった人を持ち上げたんだよ。人助けだろ? ったく、人聞きが悪い……それに、スターって?」
「あはは、インスタ見ちゃいました!」
隆二は大きく息をついて、肩を落とした。
「いゃあ、このマンションってまぁまぁ有名人もセレブも居ますけど、まさか『Eternal Boy's Life』のメンバーが居たとは!」
「わ……ここにもパパラッチか?」
隆二はうんざりした顔をする。
「いいえ、僕らは口外しないと誓約書を書かされてますからね。でも、サインくらいもらってもイイでしょ? これからも素敵なボディ作りにしっかり貢献しますから! ねっ?」
「わかったよ」
「ありがとうございます! それで? 昨日のフラストレーションを解消するぐらい、コイツで走ってたってわけですか?」
彼は、トレッドミルをいたわるように撫でた。
「まあ、30分ほどね」
「傾斜角度は?」
「5%」
「心拍数は?」
「150くらいかな」
「そうですか、効果的な心拍数ですね」
「メニューは?」
「ショルダープレス、ラットプルダウン、チェストプレスだな」
「なるほど。肩と胸を重視ですか。で、最後にトレッドミルね! OKです! 理想的ですね。なんと言ってもドラマーですもんねぇ! プレイしてらっしゃる時はあのインスタの雰囲気とはまた違うんでしょうね。観たいなぁ……! じゃあこれから、上半身にキレイな筋肉、作っていきましょう!」
隆二は苦笑いしながら頷く。
「じゃあよろしく」
彼は嬉しそうに微笑んだ。
その夜、隆二は『Blue Stone』にいた。
ここのカウンターの中に、一人で立つのは随分久しぶりのような気がする。
ほんの一週間前は当たり前だったことが、ほんの数日で事態が変わる事があるのだと、思い知らされた。
人との関係もしかり。
色々警戒もしてしまうが、それでも……
何があるかわからない人生は、趣がある。
それを望んで、この世界に入ったんだ。
俺は。
あの家を捨てて……
ドアチャイムが鳴った。
「大浜裕貴! ただいま戻りました!」
「お前……戦後かよ? 誰も生還を祝ってはくれねーぞ」
裕貴は、荷物を抱えたまま嬉しそうに突っ立っていた。
「で? あっちではどんな戦いだった? さぞ激しい攻防戦だったろうな」
「そりゃあもう! 二日間子供に付き合うのってなかなか大変ですよ! 奴ら、相当体力ありますしね。かろうじて救いがあるとしたら……強いて言えば、ヤツらは深酒しないことですね」
「は? なんだそれ。あたりまえだろ」
「その代わり! 起きてても酔ってるようなもんですけどね」
「ははは、子供のお前が言ってちゃあ世話ないわ」
「何言ってるんですか、リュウジさん! ボクのこと、中にオッサン入ってるのかって散々言ってたクセに!」
「わかったから、さっさと座れよ!」
「いいですよ、ボクがカウンターに入りますから」
「いいって。忙しくなってきてからでいいから、とりあえず座れ!」
「……ありがとうございます」
やたらカウンターに馴染んでいる隆二の姿を見て、裕貴はあえて素直に従った。
裕貴は母が隆二のために作った牛肉のしぐれ煮と、大量に作ったクッキーのおすそわけを隆二に渡す。
「うわ! 凄いな、手作りか! ちょっと頂くぞ……うん、ウマイ!」
「良かった! 母も喜びます。実は……帰ってみたら、母がすっかりリュウジさんファンに変貌していて……」
「へっ?」
「キラさんのポスターの横に、どこから引っ張ってきたかわからない、ライブの時のリュウジさんの写真をひきのばして貼ってあって……あ、萎えますよね? すみません……」
「いや……まあ、これからの付き合いが円滑になるなら構わないさ。しかし、ホントに俺の知らないネットの中で色々錯綜してんだな……確かに、葉月ちゃんの言う通りだ」
そのワードに裕貴が反応した。
「そうそう! リュウジさん! 昨日のあの “ヤバ彼” と葉月! 一体どうなったんですか?」
隆二が話し出そうとした時、来客を知らせるドアチャイムが鳴った。
「あ、いらっしゃい」
ガタイがよくて背の高い客人は、隆二を見るなり、嬉しそうに言った。
「お! 珍しいな、リュウジじゃん?」
隆二は自嘲的に笑った。
「オーナーなのに “珍しい” って言われてるようじゃ、ダメだな」
隆二の友人、二階堂ハルは高校の同級生で、アメリカンフットボールの選手だった。
今は海外を飛び回る商社マンだ。
音楽が好きで、公私共に『Blue Stone』を使ってくれる、上得意様でもあった。
「今日はカノジョも一緒か。いらっしゃい。かれんちゃんだっけ?」
「わ、名前覚えててくれて、嬉しいです!」
ハルのカノジョのかれんは、フェミニンでセンスもよく、女性っぽい中にも芯があるようなしっかりした女性だった。
確かけっこう若いとは聞いていたが、年の差を感じさせないくらいに、ハルは彼女にがっちりと手綱を握られているようだ。
「あの……リュウジさんって、まさか『Eternal Boy's Life』の……?」
「やっぱりバレるよな? インスタ、見ちゃった?」
「観ましたよ! ここで会うのと雰囲気が違うから、一瞬分からなかったんですけど、でもやっぱりそうだ! すごい! 素敵でした!」
「そりゃどうも。隣のカレシ、怒ってない?」
「ヘンなフリ方すんなよリュウジ! ってかあの動画、なんて言うか……やっぱ友達があんな色っぽいと、観てるこっちが恥ずかしくなっちまって……」
「だろうな。わかるよ、体育会系だからな」
「てか、なんかお前、ヤラしいわぁ」
「なんだその表現は!」
「だって、あんなの見せられたら、女はイチコロだぞ!」
「そういう言い方、やめろっつうの!」
前に座っている裕貴が吹き出した。
隆二がその頭をバシッと叩く。
「おお! 彼、一昨日も居たよな? カウンターに入ってたぞ。新しいバイトか?」
ハルが裕貴の顔を覗き込んだ。
「こいつ、俺の “ボーヤ” でさ、ここで働いてもらうことにしたんだ」
「あ! ボーヤ!」
彼女は突然大きな声を出した。
「どうしたの? かれんちゃん?」
「繋がった!」
「なにが?」
「ボーヤって、付き人のことでしょ?」
「よく知ってるね。誰から聞いたの?」
「葉月!」
「え!」
「え!」
裕貴と隆二が同時に叫んだ。
「あ、待てよ……ひょっとして……ここに来る常連の彼氏がいる、葉月ちゃんの親友が……かれんちゃん?」
「そう!」
かれんは嬉しそうにカウンターにもたれ掛かった。
「そっか、葉月ちゃんの親友の彼氏が、ハルの事だったとはね!」
「すごい偶然! なんか嬉しいです!」
そしてかれんはすぐ隣にいる男の子の瞳を覗く。
「……ってことは、あなたが……ユウキ!」
「え、そう……だけど……ああ、大浜裕貴です」
裕貴はハルとかれんに向かって挨拶をした。
「そうなんだ! 私、三崎かれん! 葉月から聞いてるわ! ずっと会ってみたかったの! ユウキってめちゃ親切で頼りになる男の子だって!」
裕貴は恥ずかしそうに話す。
「ボクも聞いてるよ。葉月には親友が二人いるって」
「ってことは、私たち同じ年よね?」
「そうだね」
「呼び捨て戦法!」
「……呼び捨て……戦法?」
「そう! そのおかげで急激に仲良くなれるんだって、葉月驚いてた。だから私のことも、かれんって呼んでよ!」
「え! カレシに怒られない?」
ハルは横でニコニコしながら首を振っている。
「大丈夫よ! 彼もこの話、知ってるし。ねぇ、私もユウキって呼んでいい?」
「もちろん」
「だってさ、葉月の話にはいつも、ユウキユウキ……って出てくるから、もうすっかり知り合いみたいな気持ちなの! 馴れ馴れしいけど、ごめんね!」
「いや、やりやすくて助かるよ」
「よかった! それにしてもリュウジさん、インスタで見て私たちもびっくりしたんですからね! ハルは分かってた? わかってないよね?」
「基本、俺は内緒にはしてないんだけど、ハルはあんま分かってなかったんじゃないか?」
「あはは、まあね」
かれんは少し呆れたような顔をした。
「普通、友達が『エタボ』のメンバーなら、認識の有無どころか自慢だけどねぇ? あ……それより、リュウジさん! なんですか、あのギターと歌は! そりゃあ葉月もメロメロになるわ!」
「ん? メロメロになってた?」
「なってましたよ! 何回も見てるって、言ってたし」
「そうなの?」
「リュウジさん、何気に嬉しそう」
「そりゃ嬉しいけど」
かれんは、そう言う隆二をしばらく見て、それからユウキの事もじっくりと見た。
「ん? どうかした?」
「今回ね、葉月にはすっごく珍しく、気が多いと思うんですよ!」
「え? 気が多い?」
「だって、もともとトーマの熱狂的ファンでしょう?」
「え……熱狂的なんだ? ふーん……」
「そうよ。でもキラも素敵って言ってたし。そして、ドラムのリュウジさん、それからユウキ、そしてそして鴻上徹也さん!」
「ああ……」
「私は勝手に、鴻上徹也さんが本命だと思ってたんだけど……ユウキ、どうなの?」
「いや……どうなのってボクに聞かれても……」
「そりゃそうよね、当のキャストに聞くのもヘンか……っていうか、あ! そうそう! 肝心な話! 葉月は、ちゃんとあの “サイテー男” と別れられたんだっけ?」
「あ、昨日さ、ちゃんと会って、話つけてたよ」
「そうなんですか? あ……昨日、由夏もそう言ってたな。あ、由夏っていうのは、もう一人の葉月の親友で、相澤由夏って言うんですけど、昨日の夜遅くに葉月と電話したって言ってたので」
かれんが空を見据えて考え事をしている。
「あの公園で会ったって……そう言ってたはず。この近くの……東公園。あれ? ちょっと待ってよ? 昨日葉月は誰かに送ってもらったって言ってたらしいんだけど……それってユウキ?」
「ううん。リュウジさん」
裕貴が隆二を指差した。
「ええっ! リュウジさんが葉月に付き添ってくれたんですか!」
「うん。そんなに驚くこと?」
「だって……あ、いえ……じゃあ! ちゃんと別れたところも、見たんですか?」
「うん、まぁ見たと言うか……見守ったと言うか? 離れて見てたんだ。前からちょっとヤベぇ奴だなと思ってたし、なんかあったらいけないからさ」
「そうだったんですか……ありがとうございます!」
かれんは安堵した表情を浮かべながら、隆二にお礼を言った。
「あの人……本当に自分勝手でね、なんせ冷たいし、他の女の子と遊んだりもしてたし。葉月はあの人のせいですっかり自分に自信のない子になっちゃって……一緒にいたら葉月の価値が落ちるって、ずっと言ってきたんです。あの人、今まで葉月を放置しておいて、今回は何を思ったか、私たちにまでしつこく連絡してきたので、葉月にも警告してたんですけど、葉月も葉月で危機感も持ってなくて……本当に心配だったから、由夏とついて行こうかって言ってたんですけど、由夏が葉月に断られたって言ってて……だから見てくれる人がいて、ホント良かったって思ってます!」
そう一生懸命話すかれんを見ていれば、彼女達がどれくらい信頼し合い、お互いを大切に思っているのか、充分理解できる。
「リュウジさん、昨日の話、ちゃんと聞かせてもらえませんか? お願いします」
かれんは真剣な顔をして、隆二に頭を下げた。
第98話 『True Friends Got Your Back』親友の思い
ー終ー




