第96話『She Got Over It And Moved On』前進あるのみ
翌日の夕方、隆二は東公園にいた。
全身ダークなNIKEのランニングウエアに身を包んだ完璧なジョギングスタイルに加えて、まだ明るいのでキャップとOakleyの|サングラス《flak Jacket》を装着し、なんとなくその辺りを走ってみる。
怪しくないかといえば……まぁ……怪しいが。
19時少し前に、葉月が姿を現した。
見つからないように木に同化しながら、彼女が広場に面したベンチに座るのを、背中越しに見ていた。
スマートウォッチに目を落とす。
葉月が到着して、そろそろ30分が経とうとしていた。
「おい……だんだん暗くなってくるぞ、こんなところに女の子を一人で待たせるなんて、ナンテ男だよ!」
そう呟いたところで、スーツ姿の男が気だるそうにダラダラと歩いてきた。
彼が彼女のベンチのそばに来ると彼女は立ち上がり、彼の後をついていく。
もう少し奥の小道沿いのベンチに移動するようだ。
「もっと若いヤツかと思ったら……一応社会人じゃねえか」
二人の後をそっとつけた。
「俺も全く……イイ趣味とは言えねえなぁ、こりゃ……」
そうボヤきながらも、辺りの様子を伺いながら、そっと二人を見ていた。
声は聞こえない。
「こんなところ、お巡りさんに見られでもしたら、たらそれこそ“職質”くらいそうだな……」
そうため息をついたその時、男が急に立ち上がった。
すごい剣幕で彼女に何か言ってるように見えた。
隆二がサッと身構える。
なにか仕掛けて来ようもんなら阻止ししようと、体勢を整えながら静かにそのまま様子を見る。
男はもう1回座って、彼女の両肩を掴んだ。
彼女の体を強く揺らしてから、彼女を抱きしめるように覆いかぶさる。
彼女はそんな彼に、顔を背けながら抵抗していた。
時折大きく首を降り、苦悩の表情を浮かべる。
「おいおい……ちょっと……ヤバいか……今にも手をあげそうな雰囲気だ。仕方ない、これは行くしかないか!」
そう思った時に、彼女がバッとその彼の両手を掴んで自分の体から引き剥がすと、更にその手で彼の胸を押し返した。
そしてスッと立ち上がると、90度に体を折り曲げて頭を下げた。
「ごめんなさい! もう解放して下さい!」
辺り一面に響くようなその声が、隆二にも聞こえた。
彼は今にも倒れそうな体勢でベンチにもたれかかり、そのままの体勢で口だけが動いていた。
彼女は90°に頭を下げたそのままで動かない。
男が立ち上がって、罵声を浴びせるかのようになにか言いながら彼女に近付いても、彼女は動かなかった。
男はベンチから自分のカバンを乱暴に持ち上げて、くるっと踵をかえすとその場を去っていった。
彼女は男が見えなくなるまでその体勢のまま貫いた。
そしてしばらくすると、ベンチにへたり込み、下を向いて両手で顔を覆うと肩を揺らして泣きはじめた。
やっと終わったか……
そう思いながらも、彼女のその様子を見ると胸が痛んだ。
よく頑張ったな……
そう心の中で呟いた。
駆け寄って抱き締めたい衝動が沸いて、慌ててかき消す。
とにかく、これで彼女は前に進めるんだ。
隆二は安堵して、ようやく息をつくことができた。
さて、このまま家へ彼女が自分で帰るまで見守るか、声をかけて連れて帰るか……悩んだ。
すると、道の向こうから、学生っぽい三人組の男たちがフラフラとやって来た。
一人でベンチに座っている葉月の存在に気付くと、なにやらこそこそ話しているように見えた。
隆二は舌打ちする。
「くそっ……厄介だな」
隆二は更に目深にキャップを被り直し、サングラスを深く装着してランニングをスタートした。
ニヤニヤしながら彼女ににじり寄っていく連中の一人の男の手が葉月の肩に触れる寸前に、周りに響くような大きな声で言った。
「お待たせ! さあ、行こうか」
バツの悪そうな顔をする男たちから顔を背けるようにして、隆二は葉月の手をサッと握って立たせると、手を引いたままスタスタと早足で歩き出した。
「あの……えっと、リュウジ……さん?」
「ん? 俺って気付かれないカンジ?」
「はい……声聞くまではわかんなかったです」
「そんなに俺って、声に特徴があんの?」
「そりゃもう! 魅力的な声なので……わぁ、リュウジさん、カッコいい! 頭ちっちゃいんですね! ホント、このジョギングスタイルなら完璧な変装ですよ! これなら顔バレの心配も……」
「葉月ちゃん」
「……はい」
「そんな元気なフリ、しなくていいから」
隆二は人影がないのを確認してから、道を南に渡ってマンションの地下駐車場のスロープに入っていった。
下りきったところでリモート操作でシャッターを開け、中に入るとその手を掴んだままクルッと葉月のほうに体を向ける。
そっと隆二を見上げた彼女の顔は、また涙が乾いておらず、ぐっしょり濡れていた。
「なんだよ、その顔は」
「リュウジさん……」
「別れて正解だ。あんなところに女の子を一人で残して行くような悪い男なんて、最低だ」
「どうして公園に?」
「見てわからない? このスタイル。ジョギングだよ」
そう言って隆二は、大きく溜め息をついて見せた。
「ウソですよね。見てたんですか……」
「まあ……見てたと言うか、見守ってたって言うか……だって君、危なっかしいじゃん。ヘタに素直だから流されちゃったりしないかなぁとか、まさか殴られでもしないかってハラハラした」
「リュウジさん」
「ん?」
「親切なのは分かりますけど、今最高に恥ずかしいです、私……」
葉月はそう言って下を向いた。
「誰だって恥ずかしいことくらいあるさ。でも難関をクリアしないと、次に行けないこともあるだろう?」
「お節介なんですね」
「 “優しい” ってよく言われるけどね?」
「なんか、リュウジさん、お父さんみたいですね」
「それってなに? 新手の仕返しか?! そんな仕返しには屈しないよ。なんなら今から本当に君のお父さんになってあげてもいい。1日限定だけどな」
「あははは」
「ああ、ようやく笑った」
隆二は葉月の頭に手を置いた。
「まあ、無理してるんだけろうどね」
葉月は俯いて、隆二の胸に、そっとその頭をつけた。
隆二はその頭を優しく抱きとめる。
髪を撫でながら、その涙が尽きるのを静かに待ってやった。
「キツいこと、言われた? まあ基本、オトコの方が女々しいからな。なに言われても気にしちゃダメだよ。心に残さない! 全部、洗い流しちゃえよ」
「ありがとう……ございます」
「お節介なパパが、何でも聞いてやるからさ」
「あんまり……優しいこと言わないで下さい……涙が止まらなくなって……」
「そりゃ厄介だな、早いことここから出たいのに」
「……え? どこかに行くんですか?」
「行こうよ! だって腹減ってるだろう? 女の子ってさ、泣いたら余計に腹が減る生き物なんだろ? で……機嫌が悪くなるって、パターン?」
「あはは。リュウジさん、どんな女の人と付き合ってきたんですか? その定義、間違ってますよ!」
「そうかなぁ? 少なくとも上手いもんをたらふく食わせとけば、機嫌がいいのは確かだろ?」
「まあ……それは」
顔をあげた彼女の顔は、元気を取り戻していた。
「ほら、やっぱりな!」
「なんか単細胞扱いされてるみたいでビミョーな気持ちなんですけど」
隆二は彼女の肩に手を置いて、車の止めてある方向へ促した。
「まあまあ、気にしないで! 葉月ちゃん、ケバブって好き?」
「はい、好きです! っていっても、まだ2回しか食べたことないですけど」
「そうなんだ。屋台なんだけどさ、海見ながら食べれらるんだけど、これからどう?」
「わぁ! 行きたいです! あ……でも、リュウジさん、また人だかりが……」
「大丈夫! 夜だし屋台だから、サッと買って人目につかない所で食べよう。それにこのジョギングスタイル、予想を上回るほどの効果があるみたいだしな」
駐車場に、一際目立つ華麗な車が停まっている。
葉月は懐かしいものを見るかのような目で、中を覗いた。
隆二は助手席のドアを開け、葉月を促す。
葉月はさっと腰を下げて、その真っ赤な『アストンマーティン』に乗り込んだ。
「なんだか、乗り慣れたって感じ?」
「とはいえ、2回目のお目見えなんですけどね。ヤミツキになりそうです、このシート!」
「あはは。このシート、ヤミツキになるだろ?。じゃあ……もうひとつ、ヤミツキになるものを!」
そう言って隆二はオーディオのスイッチをオンした。
『Eternal Boy's Life』の『宝物』が流れた。
途端にフェスの感動や合宿所での打ち上げのシーンが頭を占領し、葉月の胸を一瞬にして熱くする。
二人は無言のまま、それぞれの思いでその曲を聴いていた。
ハンドルを握る隆二の視線の方隅で、彼女が 何度も頬を拭う仕草が見えた。
今はそっとしておいてやろうと、そう思った隆二は、近付いてくる海の方向へと視線を移した。
埠頭に着くと葉月は目を輝かせて、窓に張り付いた。
「うわぁ、素敵な景色!」
その様子を微笑ましく見つめながら、隆二はキャップを目深にかぶり直し、薄い色のウェリントン型のサングラスを装着した。
「リュウジさん、あそこの屋台でしょ? 私が買いに行ってきますよ!」
「いいって! 女の子にこういう買い物をお願いするの、好きじゃないんだ。俺、フェミニストだから」
そう言って、隆二はバチッとウィンクをして運転席から腰をあげた。
大盛況のケバブ屋はそこそこの行列だったが、暗がりの中、終始俯き加減の隆二には誰一人気付く事なくスムーズに買い物が出来た。
「ほら、大丈夫だったろ? 俺、結構うまく馴染んでたんじゃない? ほら!」
嬉しそうにそう言う隆二を、微笑ましく見つめながら、両手一杯の荷物を受けとる。
「すごいボリューム! 美味しそうですね!」
「ここもいいけどさ、人が多いからもう少し南に行かない? 石油コンビナートがあって、沿岸沿いから海の向こう側の工場地帯が見えてさ、幻想的なんだ。良かったら、どう?」
「是非! 行ってみたいです!」
長い長い橋をひた走る。
滑走路のように真っ直ぐ続くその橋を渡っていると、まるで漆黒の海の上に自分達だけが浮かんでいるかような錯覚に陥る。
「さあ、ここだ。景色を堪能する前に、冷めないうちに先に食べよう」
「うっわ、美味しい!」
「豪快だね葉月ちゃん、俺、女の子がガッツリメシにかぶりつくのって好きなんだよね。なんか、野性的でセクシーだし」
葉月は首を振りながら笑った。
「もう “セクシー” はいいですよ、 “AI葉月” は休眠中です」
「そうなんだ? たまに発動してくれてもいいけどね、面白かったし。また俺のセクシーショットでも送れば覚醒するかな?」
「あはは。じゃあユウキにパパラッチをお願いしておきます!」
「ああ……パパラッチはちょっと拒否反応かも。しばらくは写真撮られんの、遠慮したいね」
そう言って隆二は周りを見渡してから車を降りると、ぐるっと助手席側に回り込んでドアを開け、シートに沈み込んでいる葉月を引っ張り出した。
「ありがとうございます」
葉月はそう言って付いていくと、後ろから隆二に投げ掛けた。
「リュウジさん、今回の件、実は結構ホンキで憂鬱になってます?」
「まあね」
海辺のデッキスペースに続く薄暗い道を歩きながら、そう言って振り向く隆二の艶かしい眼差しにドキッとした。
ふと何かに気付いたような顔をした隆二が、葉月の近くにつかつかとやって来た。
そして自分の着ているパーカーをサッと脱ぐと、ふわっと葉月の肩にかける。
「少し風が出てきたから、着といて」
その所作にまた、ドキッとしてしまう。
「幻想的だな……」
隆二のその言葉に顔を上げると、一気に広がった視界の中に、まるでジブリの映画の世界のような、パノラマの異空間が広がっていた。
丸いガスタンクが数基並び、その傍らには美しくライトアップされた工場が水面にも反射して、緑色の瑪瑙のように美しく妖艶な色彩が現れた。
隆二はキャップを外して、その景色に見惚れている葉月にポンと被せると、前髪をかき上げてグーンと伸びをした。
「なんか、ようやく解放感!」
「私も……です」
彼女を見下ろすと、その見上げた顔が輝いているのがわかった。
彼女の人生においてのひとつの節目を、今日越えることが出来たという、彼女の達成感のようなものが見えた。
「そっか、良かったな!」
そう言って隆二は、パンとキャップを叩いた。
「やった! ドSドラマー体験、達成!」
「は? なんだそれ? 葉月ちゃん、やっぱり“ドM”じゃん」
「違いますよ! 有名ドラマーのクリーンヒットを頂いたら、記念になるじゃないですか?」
「葉月ちゃんまでそんなミーハーなこと言わないでくれよ。俺、今回は何気にヘコみ気味だし、この先も不安を抱えて地味にオチてるんだけど……」
そう言いながら、力なくベンチに腰を下ろした。
「あ……そうですよね? ごめんなさい、デリカシーのないことを言って……」
彼女はそう言いながら隆二の横に座って、俯いた隆二の顔を覗き込んだ。
「じゃあさ……お詫びに、どんなことをして俺を癒してくれる?」
隆二が不敵な笑みを浮かべて、前髪の間から彼女の視線を捉えた。
「も、もう! またそうやってすぐからかうでしょ! ドキッとしちゃったじゃないですか! やめてくださいよ!」
隆二は声を上げて笑った。
「だってさあ、思った通りのリアクションしてくれるじゃん! 楽しくてしょうがないからやめらんないよ。葉月ちゃん、マジでからかい甲斐があるよな」
「ホント、ひどいですよね!」
「まあまあ、そんな怒んないで。この幻想的な景色でも見てさ」
隆二がキャップの上から大きな手を置いて、優しく微笑んだ。
「もう……この景色がなかったら、本当に怒ってますからね!」
そう言いながら、葉月は海に目を向けた。
「さあ、この夜景を皮切りに、新しいスタートだ」
「はい」
彼女のその目の中に映る乳緑色の夜景は、その表情の輝きと共に、エメラルドのような宝石に見えた。
第96話 『She Got Over It
And Moved On』前進あるのみ ー終ー




