第95話『Such A Pleasure To Talk To You』愉快な会話
裕貴が自分に代わって『Blue Stone』に出勤し、一人部屋に残された隆二は、まだぼんやりとした頭を起こそうと、軽く食事をとった。
近藤楽器に裕貴を紹介したのも、三年ぶりに『Moon Drops』に行ったのも、本当に今日一日の出来事だったのかと思うほど、遥か昔の事のようだった。
多くの人の "目" と、シャッター音に蝕まれた一日……
あんなに全力疾走したのも久しぶりだ。
葉月に電話をかける約束をしていたが、さすがにいきなりビデオ電話をかけるわけにもいかず、とりあえず “おうかがい” のメッセージを送った。
「ん? なんだこれは?」
返って来た返事は、不可解極まりなく……
隆二は首をひねりながら、何度となく見直した。
「AI『Hazuki』でーす! セクシーなリュウジさーん!」
AI?
どういうことだ?
とにかく……
メッセージを送ってみる。
「あのさ、妙なメッセージが来たけど? 俺、ひょっとしてまだ夢の中?」
「そうかも!」
「なんか不測の事態になってない? 起きたばっかのアタマなんだけど……」
「知ってまーす!」
「でも、寝ボケてるのは君の方だよね?」
「セクシーなリュウジさん↓↓↓」
ん?
そのメッセージの下に、画像が貼られていた。
なんだ?
あ! これは……
……ユウキのヤツめ!
全力疾走でここに辿り着いた末に、シャツのボタンを全開にして……
そして、そのままソファーで眠り込んでいる姿を撮影したものだった……
わざわざ葉月ちゃんに送るとは……悪質な!
「盗撮は犯罪ですよね(笑)?」
「だな。AIなら犯罪係数、測ってよ! そんな写真を女子に送りつけたユウキは、重罪だろ? 処刑するか!」
「いいえ、セクシーショット、ゲット♡出来たので、犯罪係数はクリアです!」
どういう意味だ?
マジでAIか?
なんせ、葉月ちゃんらしくない。
それに……
返答に困った。
先にまた画像が、送られてきた。
あーあ、若者のメッセージを打つの早さには、かなわないな……
な、なんだこれは?
「“セクシーランジェリーはこちら↓↓↓”」
だと?!
うん……新手の “スパム攻撃” か?
リンクを開くと、スタッフTシャツを着た葉月の写真だった。
隆二は大きく溜め息をついた。
俺、なんか振り回されてないか?
全く……
セクシーランジェリーについては、ユウキが口を割ったらしい……
アイツ、先手を打ったな!
侮れないヤツだ。
返事でまごついているうちに、彼女からビデオ通話がかかってきた。
「リュウジさん! お久しぶりです!」
「さっき寝起きにも話したよね? ああ、あれがAIの方の葉月ちゃんだったのか? そんな気がするくらい、さっきから随分、俺を振り回して遊んでくれてるみたいだけど?」
葉月は隆二の顔をじっと見てから、にっこり微笑んだ。
「怒っちゃいました?」
「そんな顔で聞かれて、怒れるわけないでしょ」
「やった!」
お互いにスマホをテーブルに立て、セットを完了させる。
「うわ、ホンモノだ……!」
「ん? 何それ? どういう意味?」
「昨日の夜から、インスタでしか会ってないので」
「なんか、ロマンチックな響きだね」
「そうですか?」
「まだAI? ちょっとドキッとしたよ」
「ドキッとしてるのは、私の方ですよ」
「何が?」
「リュウジさんのギターと歌に」
「そりゃどうも」
「あ、なんかあんまり嬉しくなさそう」
「いや、そんなわけじゃないけどさ」
「聞きました、ユウキから。街もろくに歩けなかったって……見た人の気持ちも分かりますけどね。知り合いの私だって、うっとりしちゃうぐらいですから」
「しかし、あんな演奏シーンだけ見てさ、街歩いてる俺によく気がつくよね?」
「え? リュウジさんはエゴサしたことないんですか?」
「なんで?」
「リュウジさんの情報はネット上には溢れていますよ。オフショットもたくさん上がっていますしファンの人と撮った写真もアップされてましたよ」
「なんだそれ! 俺より葉月ちゃんの方が詳しいな」
「アウトレットモールでも、アレックスさんとリュウジさんは、やっぱり声かけられてましたもんね。だから、もともとサポメンのお二人も ファンからは注目を浴びてたんですね。ただ今回はインスタで、コアなファン以外の人達も、みんなリュウジさんのこと認識しちゃって……やっぱり窮屈に感じますか?」
「ああ、すごくね。だってさ、フェスの前日に葉月ちゃんとショッピングに行っただろ? ああいうことも、もう出来なくなるんだぜ? 正直、ヘコむよ」
「あ! そうか! えーっ! 行けなくなるんですね……でも、そりゃそうですよね……わぁそれは寂しい」
「だろ?」
「アウトレットモールの時みたいに、みんなでゾロゾロ行ったらいいんですかね?」
「ああ、メンバーたちは割とそうしてるよ。とくに地方では。クルーも引き連れて大所帯で」
「なるほど……」
「でも、もうなかなか俺と二人でなんて出掛けられないと思ったら……葉月ちゃん、どうよ?」
「たしかにヘコみますね。不自由な感じがして……あ、『ミュゼ・ド・キュイジーヌ』また行きたかったのに……」
「ホントだな」
「なんかあのフェスで、色々なことが変わったんですね」
「そうかもな」
俺と君との関係は、どうかな?
ふと、そんなことが頭によぎった。
「リュウジさん、これから『Blue Stone』にはあんまり出ないんですか?」
「今日、ユウキがどういう感じか見に行ってくれてるんだけど、まあ、あそこはほぼ常連客だし、俺がそういう状況になったからって、態度変えてくるようなゲストたちじゃないからね。大丈夫とは思ってるんだけど。ただ新規の客の増え方がちょっと心配だから……その動向を見て、どうってことないようなら普通にでるようにするつもり。『Blue Stone』は俺がやりたいしな」
「じゃあ今は、いつ行ってもリュウジさんがいるっていう状況じゃないんですよね」
「そうだな。でもまあこうして今はもっと、密に話してるじゃない? 俺たち」
「そうですねっ」
ぐっと画面に近づいた顔が、妙にきれいに見えた。
「喉乾かない? 飲み物取ってきたら?」
「実はここにあるんです」
「じゃあ乾杯しよう。はい、乾杯!」
「あれ?」
「同じかよ!」
「なんだー、リュウジさんも、それ仕込んでたんですか? ウケると思ったんだけどなぁ」
「まさか君も! 俺たち、めちゃ気が合うね!」
にこやかに頷く葉月は、花梨エキス入りレモンティーの蓋をカリッと開けた。
「俺はさすがに渡辺じゃないから、夜にそんな甘ったるいのは飲みたくないなぁ。これはネタで、本当はこっち!」
そう言ってビールのプルトップを開けた。
「いや、まさかAIと酒を飲み交わす時代が来るとはね!」
「もうAIじゃありませんよー」
「いや、さっきのセクシー発言はどう考えても葉月ちゃんじゃなかったけどな」
「フェス行ってから、周りの人がみんな面白いので、なんか影響受けちゃってます」
「かなり色濃く影響受けたみたいだな。ピュアな葉月ちゃんには、ずっとそのままでいてもらいたいんだけど?」
「すごく色々あったから……帰ってももう、もとの私には戻れないって思ってましたけど……」
「うん」
「今の私も気に入っています。少しは逞しくなったかも、って」
「そうか。じゃあ……」
隆二が、画面の中の葉月を見捉えた。
「葉月ちゃんのその元気な顔、ずっと見てたかったから、さっきからなかなか聞けずにいたんだけど……」
「え?」
「もう、メッセージ攻撃に悩まされたりしてないの?」
葉月は少し驚いた顔をしてから、伏し目がちに頷いた。
「はい……今はもう。実は明日、会うことになってるんです」
「そうなんだ」
「友達は、一人で行って大丈夫かって心配そうにしてくれるんですけど、一応二年も付き合った人だし、自分勝手な人ではありますけど乱暴な性格の人でもないので……私は話せばわかると思っているんです」
「そう。まぁ……正直言うと、女の子相手にあんなメッセージ送ってくるヤツだからさ、俺はどうしても、穏やかな人間だとは思えないんだけどね。心配しちゃ迷惑かな?」
「いえ、そんなことは」
「心配してるのはさ、例えば暴力とか、そういうことだけじゃなくて、君の心が相手の言動に傷つけられて、ショックを受けたりしなければいいなって……そういう事なんだ。悲しんで欲しくないからさ」
「リュウジさん……ありがとうございます」
「うん。気を付けてね。ちゃんと報告してくれるんだろ?」
「はい、必ず」
「そっか。よかった」
葉月が笑顔を見せた。
少し無理をしているのだろう、すぐに視線を下げる。
仮に、あのサービスエリアで震えていた時のような恐怖心が、今は彼女の中で緩和されていたとしても、明日そいつに呼び出されるとなれば、今夜はかなり憂鬱な夜なはずだ。
なのに、こんな笑顔で……
労しい。
そう感じた。
あ! 解った……
AI『Hazuki』の “発動理由” が。
その憂鬱な夜を、やり過ごすために……
恐怖心を吹き飛ばすために……
その相手に、自分を選んでくれたことを、素直に嬉しいと思った。
そして、力になりたいと……思った。
それからはしばらく、フェスでの話に花が咲いた。
話題の中心は専ら裕貴で、その他にはルームメイトの話題や例のバスケ対決の話なども盛り上がった。
意図的に柊馬さんの話題を出さないのかと勘ぐって、意地悪心でふってみたら、分かりやすく顔を赤らめて話が失速した。
“なんだ、やっぱりガチなのかよ” と、意地悪を仕掛けたこっちが辟易とするくらい分かりやすいファン精神は、依然揺るぎないものだった。
どの話題になっても、四日間あの地にいた中で、いかに自分が彼女らと別行動だったかということに改めて気が付かされた。
あの期間、やはり自分はがっつり『Eternal Boy's Life』の一員だったことを再認識した。
自分の知り得ないところで色々感じる事のあった彼女は、クルーの仕事ぶりや情熱など、音楽以外の部分でも多くの影響を受けたらしい。
それらを揚々と興奮気味に話す彼女は、それが今後目指す自分の将来にも繋がるのではないかと思った瞬間があったと話す。
取り立てて口にはしなかったが、きっと渡辺貴良と、多く時間を過ごしたことで、ヤツの研ぎ澄まされた感性や考え方に共感しているように思えた。
いつの間に、そんなに飼い慣らされちまったんだ?
辟易とした気持ちは否めないが、画面から伝わる彼女の表情の輝きと言葉から感じるパッションは、新しいものと、そこから生まれた共感を得たことで喜びに満ちていた。
他の出演アーティストに対する彼女の感想は実に興味深かった。
軽そうな出演者が彼女の手を執拗に触りながら「君も音楽をやったらいいのに」なんて舞台ソデで言っていたのに遭遇したのを思い出しながら、もしもそいつが彼女の感性に目を付けていたのなら、ただのナンパミュージシャンではないのかもしれないと思った。
“彼女に音楽を”というのも一理あるかもしれないと。
そこで気になるのは……彼女の感性にいち早く目を付けた、もう一人のオトコの存在。
本当はそのオトコについて、この通話を始めた段階ですぐにでも聞きたかったはずなのに、なぜ言い出しにくいのかが自分でも解らない。
「そういえば今日ね、鴻上さんに電話したんですけど……」
このタイミングでその名前が出たことに、ひどく驚いて、思わず咳き込んだ。
まさか、心の中を読まれてるのか?
そんなあり得ない猜疑心に、幾分呆れながら、話を促す。
「大丈夫ですか?」
「ああ、ごめんごめん。で、徹也がどうしたって?」
「鴻上さんから名刺だけもらっていたので、約束通り電話したんですけど……」
「ん? なにか問題でも?」
「いえ、別に問題なんてないんですけど、それが……話したのはほんの数秒で」
「数秒?」
「ええ、鴻上さんこっちにはいないみたいで、事務所に電話したら、スタッフさんが今地方にいるからって言って電話を転送してくれて、鴻上さん本人とお話しは出来たんですが……待ち合わせ日時だけで、数秒で終了……」
「は? メッセージで済むことじゃん」
「それでまた電話番号も教えてもらえなかったので、もう私から電話番号を言ったんです」
「ははは。相変わらず回りくどいヤツだな。徹也らしいけど、面倒くせぇ…… それで?」
「私、事務所の場所もなにも知らないので、ターミナル広場に9時に来てって」
「それだけ?」
「はい、それだけです」
「なんだそれ? 超ご多忙アピールか? なんか……雑だな」
「まあ、そうですね」
葉月は笑った。
「あれ? まんざらでもないその顔は……葉月ちゃん、まさか! ユウキが言ってたように “ドM体質” なのか?」
「やだ、違いますよ!」
「ホント?」
「いや……ただ、SかMかと聞かれたら、多分……Mかな……」
隆二は大爆笑した。
「あははは、やっぱり葉月ちゃんは面白いわ! 変わってなくてホッとするなぁ、いつまでも天然で居てくれな!」
「リュウジさんのからかいも、依然変わりませんよね?」
「うん? そんなに嬉しい?」
「そんなこと言ってないですよ!」
「おかしいな、顔にかいてあるのに!」
葉月の視線が少し外れた。
「あ! もしかして今、ほんのちょっと鏡見たりしなかった!」
「え……」
「うわ! マジで天然だな! いいぞ!」
「もう……リュウジさんひどいですよ、何でも揚げ足とってくるんだもん……」
ふくれた顔が可愛かった。
ずっとこうして笑っていてほしかった。
さんざん話して、最後まで笑顔で「おやすみ」を言い合ったあと、隆二は真っ暗になった画面に向かって呟いた。
「ごめんな過保護で。見に行っちまうけど……許してくれ。また明日な。おやすみ葉月ちゃん」
第95話
『Such A Pleasure To Talk To You』愉快な会話 ー終ー




