第94話『Master And Pupil』師匠と弟子
全力疾走の息をエレベーター内でなんとか鎮め、二人は疲労感を引きずりながら28階の部屋に転がり込んだ。
冷蔵庫から各々ミネラルウォーターとコーラを出して、それぞれグッと呷る。
「うっ! さすがに炭酸の一気飲みはツラい……チョイスミス……」
「あははは! バカだな!」
「いやいや、笑い事じゃないですよ!」
「お前さぁ、よくもまあコーラみたいな甘ったるいもんを、一日に何本も飲めるよな?」
「ボクの嗜好を否定しないでくださいよ! それに『Moon Drops』でコーラを頼んだのはボクじゃないんですから!」
「まあ、一応そうだな。でもコーラでよかったんだろ?」
「そうですね」
「フン! 全く……ガキだな」
「そりゃ、リュウジさんはすこぶる大人の空気が出てましたから! なんかボク、妙にドギマギしましたよ」
「は? 何の話だ」
「なんだか……そりゃ『Moon Drops』自体、オトナの雰囲気ですからね。でも、あの二人の演奏は……もうなんか、独特な空気感を感じちゃって……」
「だから、どういう意味だ」
裕貴はニヤッとして、怪しい目つきで隆二を睨んだ。
「隆二さん、美玲さんとは……本当はどういう関係なんですか?」
「なんだその顔?」
「だって、怪しいですよ! 店でもリュウジさん、妙に静かだったし。なんか、雰囲気違ったよなぁ…… “大人の男と女” みたいな」
「はぁっ? ガキのクセに、変なこと言うな」
「いや、ガキにもわかっちゃうくらいの……」
「彼女は、兄貴の元カノだ」
被せるようにそう言った隆二を、裕貴は驚いて見上げる。
「え?」
隆二は溜め息をついて話し出した。
「彼女は兄貴と付き合ってた、長いことな。俺は確かに彼女にジャズを教わったよ、弟としてね。いざ結婚ってなった時に、父が反対した」
「何ですか、それ……」
「奇しくも今、兄の嫁は俺の高校の同級生だ。それなりの家柄の子女ってとこだ。気にくわないないヤツでさ。そいつを “義姉さん” と呼ぶ羽目になった。全く、茶番だ」
「じゃあ……美玲さん、相当辛かったんじゃ……」
「そうだな。そんな時期もあった。それでも店を続けてたんだな」
「ずっと行ってなかったんですか?」
「ああ、三年ぐらい行ってなかった」
「なんでですか? 近藤楽器も近いし、お店の応援をしてあげれば……」
「俺も『Blue Stone』を始めたばかりで、忙しかったんだ」
「そうですか……あの」
裕貴が遠慮がちに尋ねる。
「なんだ」
「さっき言ってもらったみたいに、本当に美玲さんにお世話になってもいいんですかね?」
「ああ、まあいいだろ。そう言ってくれてるわけだし、それに店の経営にも貢献してやってくれ」
「わかりました」
裕貴は、隆二の顔を盗み見た。
あの『Moon Drops』の看板を見つけた瞬間から、隆二の表情の中に何らかの憂いを感じた。
嫌悪感ではないように思えた。
寂しさというよりは、何か “苦悩” を感じた。
罪悪感……いや違う。
頑なに店の前まで行こうとしなかったのも、リュウジさんらしくなかった。
でも会ったら普通だったぞ。
スッと思い出した。
最初にドアを開けた時、美玲さんは師匠のことを “リュウジ” と言った。
そして会話の中で、年上の彼女に向かって、師匠は “君” と言った。
兄の婚約者だった人に、そんな言葉遣いをするだろうか……
なんだか計り知れない大人の世界が繰り広げられていたような気がして、裕貴は身震いをする。
「どうした、ユウキ?」
「な、なんでも……ありません」
この人と目が合うと、時に男の自分でもドキッとする瞬間がある。
ただのイケメンじゃない、この艶っぽさだ。
本人は気付いていないだろうが、インスタを介した多くのオンナ達の心を鷲掴みにするのも、無理もない話だ。
メッセージが来た。
「うわ!」
「どうした?」
「新たな情報が来ましたよ。またネットニュースに出たそうです。『エタボ』の “新星” はサポメン “リュウジ” ですって」
「はぁ?! なにっ!!」
隆二は眉をつり上げる。
「なんでまた……柊馬さんはなんか対策してくんねえのかよ!」
「ホントですね、トーマさんなら、そろそろ手回ししてくれそうなもんなのに……」
「ま、メンバーからしてみたら、こんなことぐらい蚊に刺された程度の事案なのかもしんねぇけど……だいたい、 “新星” って歳でもねぇっつーの!」
「これじゃあ、なかなか下火にはならなさそうですね。別に話題に上るのはいいですけど、こうも人に付け回されちゃあね……っていうか……ずっとこういう感じなんでしょうか?」
「そりゃ、マジで困るけどな」
「リュウジさん、キラさんたちって、一体どういう生活してるんですかね?」
「メンバーにプライベートなんか、一切ねぇよ。十代からだ」
「一切……ですか」
「渡辺はさ、あんなヤツだから最終的には順応したけど、最初はだいぶん抗ってたなぁ……あいつは矢面だったからさ。『エタボ』も初期は不祥事とか、色々あっただろ? あん時はまぁ若かったのもあるし、ビジュアル的な露出法で意見が合わなかった事で事務所ともハデにやり合ってさ、大変だったみたいだ。それでもあちらこちらにある “人の目” を常に意識する中でのプライベートだから、 “生活自体が専ら演技だ” ってよくボヤいてたよ。ここ最近でも、移動とかでメンバーと同行する時はやっぱ凄い人だかりを目の当たりにするだろう? 正直、可哀想だと思っていたけど、それでも今思えば、その時は他人事だったんだなって……今、身に沁みてわかるよ」
俯き加減の師匠の様子を見ながら、裕貴も腕を組む。
「……なかなか、堪えてますね、リュウジさん」
「ああ……今日の数時間でこんだけ疲れて、これから朝も夜もどこでも、誰かの目が自分を捉えてるって考えちまったら、軽くノイローゼになりそうだ」
「そうですよね……さっき言ってた、葉月とショッピングの話も、現実的に言えば、本当に無理なんですよね」
「マジか……」
「あ……本気でショックみたいですね……」
「あのフェス前の、葉月ちゃんとのショッピングタイムは、幻か……あ! まさか、ウチの店やバスケもヤバいのか?」
「いや、それはなんとか死守したいですね。バレる前に対策をしましょう!」
裕貴の言葉に、隆二は幾分明るくした顔を上げた。
「ははは。お前もそう思ってくれるか? まあしばらくは表立った行動は慎むよ。店にも立てないな。お前と晃の力を借りることになる」
「早速お役に立てるなら、精一杯やりますけどね」
「ああ、頼む。まあ、この件については、一度柊馬さんと話さなきゃいけないかもな」
「ああ……ええ、そうですね」
「忙しくなるぞ、ユウキ! お前の家も見つけなきゃなんないし。ナマイキなお前はずっとここに居たらいつか俺ん家で死ぬことになりそうだしな?」
隆二が不敵な笑みを浮かべる。
「ほんと毎晩恐怖です」
「チッ! コイツめ! こき使ってやんねーとな」
「出た! ドSドラマー!」
隆二はまんざらでもない顔で笑っている。
「っていうか……そのドSドラマーにお伺いしますが……」
「なんだと!?」
裕貴は改めて隆二に向き直る。
「一体いつから、こんな構想を……?」
「ああ、お前をこっちに呼ぶって話か? 『Winter Tour』かな? まあ、なかなか ハードでタイトなスケジュールだったろ? あの中でさ、まあお前には色々こなしてもらったし、メンバーとも随分仲良くなってたしな。こんな感じなら行けるかって、ビジョンが沸いたんだよ。それからかな?」
「けっこうなインターバルがあるような気がするんですけど?」
「ま、結果的に半年以上は空いてるからな」
「その間、一言もそんな話をボクにしてくれませんでしたよね?」
「そっか? 所々にヒントはあったと思うけどな」
「そんな…… “ウォーリー” よりも微細な難題、見つけられるわけないですよ! 何一つ “探せ” ませんでしたから!」
「そうだな、まあ……正直なところ、俺自身が踏ん切りつかなかった」
「踏ん切りとは?」
「単に “老舗のジャズバーの店主” で、あくまでも “サポートメンバー”だ。そんな状態のドラマーが、ボーヤを抱えられるのかっていう話だよ。いわば、大浜家から婿養子をもらうようなもんだからな」
「そんな……大げさな!」
「俺は本気だよ。お前の親御さんは、もともと特別理解のあるタイプだとは思っているが、一度挨拶に行こうと思ってる。本当はずっとそうしたいと思っていたし」
「そんなことまで考えてもらってたんですか……ありがとうございます」
「最近、どうだ? 親御さんとは」
「すこぶるイイですよ。うちの母が一番喜んでますから。この前もキラさんとツーショット写真を送ったら、ハートだらけのLINEが返ってきたんですよ。親ですよ? ゾッとしませんか?」
「あはは、そっか。まあ改めて挨拶、というよりは、さりげなくお会いできるようにできたらいいなと思ってる」
「そんなふうに考えてくれてたんですね、ありがとうございます! ボクはリュウジさんに一生ついて行くんで!」
「なんか昨日もそんなこと言ってたな。だから、素面で言うなって!」
「ドSにも耐えます! あ、外では動画アップされちゃうんでダメですよ!」
「じゃあ、家の中でたっぷりやってやる!」
「それはちょっと……なんかイヤらしいんで、言わないでください」
「は? お前、いつからそんな妄想癖が? ビョーキか?」
「大勢のビョーキの大人とつるんでるうちにです。あーあ、葉月にこんな冗談言ったら大変でしょうね?」
隆二は笑う。
「あぁ、葉月ちゃんは絶対駄目だな……ってか、なんだこの話は? お前まで壊れるなよ! 俺をコントロールする立場だろ!」
「はい、以後、気を付けます。そういやぁ、葉月に電話しなきゃ!」
「は? なんで?」
「今日、鴻上さんに電話するって言ってたんで、気になって」
「徹也に?」
「そうです。週末から鴻上さんの個展が始まるから、そのバイトの件で電話するって随分前から約束してたらしいです」
「ふーん、じゃあ電話してみれば?」
「なんだ、リュウジさん、めっちゃ気になってきてるじゃないですか!」
「あ? 別に気にしてねぇけど?」
「そういう時はめちゃめちゃ気にしてるんですって!」
「もう、うるさい! マジで」
「あはは、拗ねないでくださいよ。ちゃんと報告しますから! その前にボク、明日実家で従兄弟達と戯れなきゃいけないんで、電話して時間決めてきます」
「おお、そうか。お母さんによろしくな。近いうちに、俺とのセッティングも考えてくれ」
「マジでお見合いですね! うちの母に “息子さんを俺に下さい” とか、言わないで下さいよ」
「つまんねぇこと言ってねぇで、さっさと電話しろや!」
「はーい!」
隆二はソファーに横になって、頭の上に腕を置いた。
いつになく疲れる一日だった。
あ……ユウキが親戚と会う日ってことは、彼女があの猟奇的なオトコと会う日か……
見に行ってやんなきゃな……
あ……俺、変装すんのか?
まいったな……
これから、どうなるのか……
そう思ってるうちに、すっと眠りに落ちた。
遠くで、人の話し声が聞こえる……
なんだか心地よい、明るい声……
「あ、リュウジさん、起きた!」
「え! そうなの? リュウジさーん、リュウジさーん!」
うっすらと開いた隆二の視界の真ん中に、裕貴がスマホをかざした。
起ききっていない頭を振って瞼を擦りながら、なんとか焦点を合わせる。
その視野いっぱいに葉月の笑顔があって、隆二は驚いて飛び起きた。
「ん……は、葉月ちゃん?!」
横で裕貴が笑っている。
画面越しに手を振りながら微笑む葉月をみて、ため息をつく。
「葉月ちゃん……どうしたの?」
「リュウジさんの寝起きは、妙にセクシーですね!」
「あれ……なんか発言が葉月ちゃんらしくないよなぁ……あ、さては “なりすまし” か……ニセモノ?」
裕貴が横からツッコむ。
「リュウジさん、なに寝ぼけてるんですか? さすがにここまで精巧な偽物は作れないんじゃないですか?」
「……だな? おはよう葉月ちゃん」
「あはは、おはようございます! って、もう夕方ですけどね」
「え……そうなの? じゃあ俺、店に……あ、行っちゃダメだった……」
隆二は腕をグッと伸ばして息を吸い込むと、力なく下ろしてきたその手で髪をかき上げる。
「リュウジさん、今日のところは、とりあえずボクが店に出ますから。晃さんに聞いて、仕事覚えてきますよ」
「マジ? ユウキ、やけに意欲的じゃねえか。どうした?」
「へへっ、結構、可愛い女の子来るでしょ?」
「そりゃ、まあな」
「あ! ヤバい、葉月に聞かれてる!」
葉月は画面越しにグッとにらむ。
「……嫌ですね、男子の会話って!」
「え? この程度で? ユウキはもっとスゴい事、言ってるよな? 葉月ちゃんが風呂上がりにセクシー……」
「わーわーわー」
裕貴が画面に入り込んでくる。
「ん? どうしたの?」
「なんでもない なんでもない!」
葉月はコロコロと笑った。
「やっぱりイイなぁ、師匠と弟子が戯れてるのって!」
「そっ、そう? とりあえずボク、今から『Blue Stone』に行くから、一旦切るね!」
焦る裕貴に笑いながら、隆二も画面に向かって投げ掛ける。
「葉月ちゃん、コイツが出てったら、連絡入れるから!」
「わかりました! 待ってまーす!」
通話を切った裕貴は、口を尖らせる。
「なんですか! 二人きりで喋ろうとしてるでしょ!」
「お前も俺の寝顔をネタに、しばらく彼女と話してたんだろうが! いいから早く行ってこいよ!」
「リュウジさん、 “さっき” の続きは無しですよ! ボクだって、リュウジさんの弱味くらい、いくらでも手に入れられるんですから!」
「わかったから。ビビってないで俺の事を信用しろよ!」
「いや……それは……」
「は? どういう意味だ! まあいい、さっさと行って美女を探せ!」
「はいはーい! あ、さっきリュウジさんが寝てる間に、コンビニに買い物に行ったんで、温めて食べてください。行ってきます!」
「お、サンキュー」
隆二はおもむろに立ち上がると、ぐーんと伸びをして、冷蔵庫の前に行き、飲み物を吟味した。
ビール……?
まあ……でも、今から電話するしな……
数ある飲み物が並ぶなか、ふとネタになりそうなものを見つけて、それをチョイスした。
ダイレクトにビデオ電話をかける裕貴のようなノリはさすがに自分には無理で、隆二は一旦メッセージを送る。
女子は都合の悪いタイミングもあるかもしれない。
そういうことを考えるのはジジイなんだろうかと、ふと思ったりもする。
すぐに返事が返ってきた。
なぜか、奇妙なメッセージで……
「AI『Hazuki』でーす! セクシーなリュウジさーん!」
AI?
ん??
どういうこと?
寝ぼけた頭には、この難解なワードが全くもって理解できなかった。
第94話『Master And Pupil』師匠と弟子 ー終ー




