第92話『KONDO Musical Instrument Store』新しい朝
「おい! ユウキ! 起きろ!」
「う……ん……」
「この野郎! 師匠が起きろつってんだ、起きやがれ!」
「あ……もうちょっと優しく起こしてくださいよ……朝からグロッキーになるじゃないですか」
「は? なんで俺がお前に優しくしなきゃなんねぇんだ! そもそもお前が俺を起こす立場じゃねえのかよ、おい! 聞いてんのか」
「……聞こえてますよ、至近距離でそんな大きな声出さなさなくても……うん……」
裕貴は気持ち良さそうに伸びをしてバンと腕を下ろす。
隆二はその手をバチンと払った。
依然目を瞑ったままの顔が綻ぶ。
「ってかお前さ、優しくしろって言う割には、ぶたれて嬉しそうな顔してるぞ。気持ちわりぃな……ドMの仲間入りか?」
「まさか……ドSドラマーの餌食にはなりたくないですよ」
裕貴はようやく目を開けた。
「さっさと身支度しろよ!」
「……どこに……?」
「ああ、飯食いに行くぞ、とりあえず」
そう言って隆二は上を指差した。
「ん? なんで、天井?」
エレベーターに乗り込むと、隆二は『30』のボタンに触れた。
「え? スカイラウンジって、朝からやってるんですか?」
「朝はモーニングが食えるんだよ」
「マジですか!」
そのフロアに降り立った裕貴はもう1度驚く。
「うわー! すっごい眺めですね!」
パノラマの景色が広がる。
「もはやタワーの展望台ですね。入場料取れそう!」
「あのな、お前がさっきまで寝ボケて俺にクダ巻いてた部屋だって、カーテンを開けりゃあこれぐらいの景色だ。さぁ、さっさと飯食うぞ。今日はお前を連れて行くとこがあるって、言っただろ」
「うわ、うんまぁ! なんですか! このフレンチトーストは!? ふわっふわじゃないですか!」
「ま、男二人がこのロケーションで食うメニューじゃねえけどな……せめて隣は女の子が良かったけど」
「まあ基本、フェスの5日間も食事の時は、ほぼ女子抜きでしたもんね。そう思えば『Eternal Boy's Life』の日常って、全然華やかじゃないですよね……世の中の人は意外の思うだろうなぁ。それに引き換え、合宿所の食事って盛り上がってますよ。何日かすると、あっちこっちでカップルみたいなツーショットも増えるし」
「そうなのか?」
「そりゃそうでしょ。男女共に、出会い求めて来てる子も、結構いますし」
「へぇ……ま、みんな若いしな」
「ああ、そう言えば、みんなでぞろぞろ歩いてる時とか、葉月は結構、男子に声かけられてましたけどね」
「え、なんで?」
「なんか、バスケ見たよって言われたり、あとあのルームメイト達がやたら顔広いんで、それで多分、紹介されてとか?」
「ふーん……おい、お前! なにじっと見てんだよ」
「いや、昨夜はけっこうボクに対してまでジェラシーが盛んだったので、素面の時はどうなのかなと思って……」
「お前! 俺をおちょくってんのか!」
「リュウジさん、ほらほら公衆の面前ですよ! パワハラドラマーは封印しないと……」
「チッ! お前……部屋に戻ったらどうなるか、覚悟しろよ!」
「そう言うことは、夜景見ながら女子に言ってくださいよ」
隆二はがっくりと肩を落とす。
「なんかさぁ、お前……最近そんなだよな? 脳内妄想激しくないか?」
「そんなこと言ったら、昨日はリュウジさん、セクシーランジェリーでだいぶんコーフン……痛ててて! もう! つねんないで下さいよ!」
「お前! 声が大きいんだよ!」
「え? 何がです? “セクシーランジェリー” の件ですか?」
「お前っ! 静かにしろって! マジで締めんぞ!」
「昨日散々、固め技でボクを虐めたくせに!」
「そうだっけ? あんま覚えてないわ」
「マジですか! ひどいな、それじゃボクのヤラれ損じゃないですか」
隆二がハッとした表情で辺りを見回す。
「おい……なんかさ……さっきからのお前の発言は、第三者が聞いたら多大な誤解を生むからさ……」
「あ……確かに……」
「もう黙ってろ!」
裕貴は肩をすくめた。
「あ!」
裕貴の声に、隆二が慌てる。
「おい! 黙ってろって言っただろうが!」
「リュウジさん、あそこに見えるのって、ひょっとして “花時計” じゃないですか?」
「え? ああ、そうだな」
「う^ん……これじゃあ葉月の監視はできませんね。ちっちゃ過ぎる……」
「ああ、明日はちゃんと下界に降りて見とくから!」
「じゃあ『Blue Stone』はどうするんですか?」
「ああ、晃に頼んでるから」
「はは、晃さんね! あの人、マジで面白いですね! あれで素なんですもんね?」
「ああ、あいつこそホンモノの天然かもな? これから一緒になることも多いから、せいぜい楽しめよ」
「ホントに楽しみだ!」
「じゃあ俺らも、下界に降りるぞ」
隆二は裕貴を引き連れて、センター街に向かった。
歩いていると、今日はいつになく、人の視線が気になる。
妙な気配を、二人とも感じていた。
後ろから声をかけられた。
「あの……すいません」
「はい……」
「あの……『エタボ』のリュウジさんじゃありませんか?」
「あ……そうですが」
そこで「キャー!」と歓声が上がる。
「握手してもらえますか!」
そう言って一人に応じると、そのうちその輪がおおきくなっていって、大勢に囲まれた。
人だかりの中、写真を撮られたり、握手やサインを求められたりしながら、裕貴の誘導もあって何とか抜け出し、二人はファッションビルの階段の踊り場に逃げ込む。
「……なんだ、この事態は?」
「たぶん……キラさんのインスタのせいでしょうね」
「にしても、たった一日だぞ? 大体、なんだよ、なんで俺がこんな所に隠れなきゃいけないんだ!」
「ちょっと待ってくださいね……」
裕貴がそう言って、インスタを開いた。
「うわ! リュウジさん、見てくださいよ。この数字!」
そう言って裕貴は隆二にスマホの画面を見せた。
「コメント数も凄い……これはちょっと……普通に街を歩くのヤバいかもしれませんね」
「そもそも俺に断りもなく、なんで渡辺の野郎はこんなのアップしたんだ! くそっ!」
裕貴はそっと下を向いて笑いをごまかした。
人の少ない道を選びながら、伏し目がちに構えて早足で歩く二人の姿は、かなり怪しい出で立ちにも見えたが、なんとかようやく楽器屋に到達した。
「わ! リュウジさん、お帰りなさい!」
楽器店の店員が口々に言葉を投げかける。
「キラのインスタ見ましたよ! リュウジさんがギター弾くのは知ってましたけど、歌もあんなに上手いなんて……反則ですよ!」
隆二は苦笑いしながら奥へ進む。
「近藤さん」
「おお、有名人の登場か」
「近藤さんまで……勘弁してくださいよ……」
「だいぶ疲れてるみたいだな? さっきから人目も気になるみたいだし。ちょっと奥に入るか」
近藤は奥にあるスタジオに二人を通した。
缶コーヒーを差し出して、二人の前に座る。
「近藤さん、コイツが俺のボーヤのユウキです」
「はじめまして、大浜裕貴と言います」
裕貴は丁寧に頭を下げた。
「ああ君がそうなんだ? 優秀なボーヤって聞いてたけど、随分若いんだな?」
「え?」
裕貴は驚いて隆二の方を向く。
「ちょっと! 近藤さん……」
「ははは、リュウジは最近若い子ばっかり連れてるよな? この前のかわいい……あ、失礼」
「近藤さん!」
「ははは。すまんすまん、有名人になってモテまくるだろうからさ、年甲斐もなくやっかんでるんだよ」
「何言ってるんですか……」
「ところで大浜くんは、いつから来られるんだい?」
「え?」
裕貴が隆二を仰ぐ。
「はは! 肝心なコト、言い忘れてた! いや、道々話すつもりだったんだけどさ、すっかり囲まれちまったからな」
キョトンとしている裕貴に、近藤が話し始めた。
「実は少し前から話してたことなんだが、昨夜、リュウジからようやく連絡が来てね、ゴーサインが出たって訳だ」
「ゴーサイン?」
裕貴は首をかしげながら店主の顔を覗く。
「ああ、優秀で知識と指導力のあるドラム担当のバイトを募集しててね。適任なヤツが居るってリュウジから聞いてたのさ。もう待ちくたびれたよ。だから早速、君はここでバイトしてもらいたいんだが、いいかな?」
「え?」
裕貴が戸惑った顔で隆二を見る。
「……ああもう! だから! お前は昼間ここで働いて、夜は『Blue Stone』に来い! いいな!」
「リュウジさん……」
裕貴は言葉が出ないまま師匠の顔を仰いだ。
バツの悪い顔をした隆二をにんまりと見ていた近藤が、裕貴の方に向き直る。
「なぁ大浜くん、この店はシフトも緩いし、たいした研修もないし、気軽に働いてもらえると思うよ。ウチのモットーとしては “ただお客さんを大事にする” それだけだ。それから、ドラムクリニックに力を入れてるから、不定期に行われるイベントと、週に一回のドラム教室のサポートは是非とも協力してもらいたい。ウチはわりと従業員はいるけど、ドラム担当のヤツがいないんだよ。今まで俺が一人で担ってたから結構大変だったんだ。君が来てくれたらすごく助かる。もちろん『エタボ』のツアーがあってリュウジについて行く時は、それを最優先してもらって全く構わないから。とにかくこれから一緒にこの店を盛り上げていって欲しい。協力してくれるかい?」
裕貴は顔を輝かせて、また頭を下げた。
「はい! 喜んで! どうぞよろしくお願いします!」
そう近藤に言ってから、裕貴は改めて隆二の方を向く。
「なっ……なんだよ」
「リュウジさん……ありがとうございます」
隆二は照れ臭そうにぞんざいに言う。
「……いいよ、別に……それより、忙しくなったからって、お前、手ぇ抜くんじゃねーぞ」
「わかりました」
近藤はそんな二人を微笑ましく見つめた。
「ほほぉ、なかなかキビシイ師匠だな。大浜くん、師匠の愚痴はいつでも聞くぞ!」
裕貴の顔がパッと明るくなると同時に、その頭に鉄拳が下る。
「うっ! 痛ってぇ! あ……こんな感じです」
「ははは! 把握した! じゃあ一応、来週からってことにしようと思ってるんだけど、構わないか? こっちに引っ越して来るんだよね?」
裕貴はまた驚いた表情で支障を見上げる。
「そんな事まで、話してくれてたんですか!」
何も答えない隆二の代わりに、近藤が答えた。
「そうだよ。いい師匠だね!」
「はい、本当に……」
「よかったら、店を見て回って。ちょっとリュウジは借りるよ。いいか? リュウジ」
「はい」
「次のデモンストレーション動画のメーカーなんだけど……」
話しながら近藤と隆二が更に奥に消えて行くのを見送って、裕貴はフロアーに出た。
先ほど隆二に声をかけたスタッフたちに、一斉に囲まれる。
「ねえ君、今度来るバイトの子だよね?」
「はい。大浜裕貴と言います。21歳です。よろしくお願いします」
「うわ真面目……さすが、リュウジさんのボーヤを勤めてるだけあるわ」
「思ってたよりも若いのね」
「可愛いじゃん!」
「そういや、この前、リュウジさんが連れてきた女の子も可愛かったよね!」
裕貴がハッとする。
「それって、二十歳ぐらいの? ですか」
「そうそう、めっちゃ可愛いらしい子! 知り合い?」
「ええ、彼女も今回のフェススタッフとして同行したんです」
「なぁんだ、やっぱり本当にそうなんだ。新しいカノジョかなぁーナンテ話してたんだけど」
「それより、インスタすごい反響じゃない? 大丈夫だったの?」
裕貴は苦笑いする。
「いいえ……ここに来るまでにも、囲まれて……大変でした。そんなことになってるなんて、ボクもリュウジさんも知らなかったんで、ちょっとびっくりしました」
「なんかさ、閲覧数が凄いらしくて、それがまた今朝のネットニュースに出ちゃったんだよね。知らなかった?」
「え……そうなんですか!? それはまた……」
「しばらくリュウジさんの周りは騒がしくなりそうだね」
「そうですね……ちょっとそれをさっきも懸念しました。リュウジさんって、そういうのあまり得意な人じゃないので」
「あ……確かに。そうだね」
皆が頷いた。
「なら、ちょっと気をつけてあげなきゃいけないね。前に話してたんだよ、リュウジさんが『エタボ』の正式メンバーにならない理由って、ひょっとしたらそういう事なのかな? って……」
「まあ、純粋にドラムが叩きたい人ですからね」
「もちろん、ドラム以外のことが煩わしいのも、わかるわよ。でもさぁ……あんなに素敵なんだから! そりゃ、注目されてもしょうがないわよね」
「あのさ、君は俺という男がいながら……」
「え? 付き合ってんすか?」
裕貴が遠慮気味に尋ねる。
「そんなわけないでしょう! ちょっと! なに言ってんのよ! 大浜くんがビックリしてるじゃないの!」
「あはは……とにかく! しばらく大変だろうけど君も頑張ってサポートしてあげて! 僕らスタッフ一同、協力するからさ!」
「はい!」
「まあ、ここのバイトはみんな近藤さんを慕っててて、近藤さんの人柄に惚れてここで働いてるって奴ばっかりなんだ。だからメンバーも多いんだけど、今までドラムを担当できる子は殆ど居なくてさ。大浜君が来てくれたら本当に近藤さんも助かると思うし! 楽しくやろう! よろしく」
「はい! 是非ともよろしくお願いします」
「ユウキ」
後ろから声がした。
隆二がこちらに向かってきた。
「わお! 有名人が来た!」
「だからさぁ! それやめてもらえる!」
「すいませーん」
「まあ……でもこの状況、シャレになんないですね。ほら! お客さんが、もう注目し始めてる」
隆二は肩をすくめながら、彼らに囲まれている裕貴の肩をたたいた。
「お前、すっかり馴染んでんじゃん!」
「リュウジさん、この子のことは、私たちに任せて! たっぷり仕込んだげる!」
「はは。なんか怖いけど、よろしく頼むよ」
「まあまあ、そう言わずに。この前のカワイ子ちゃんも、またここに連れてきて下さいよ! あの子、大浜くんとも友達なんでしょ? あ……でも……」
「ん?」
「リュウジさん! もうしばらく……いや永遠かな? リュウジさんは、もうあの時みたいに女の子と街を歩くことは出来なくなりましたよ!」
「わ! 本当ですね」
「マジか……」
そう呟く隆二に裕貴が追い討ちをかけた。
「じゃあ、ショッピングはボクと葉月で行きますんで! リュウジさんはお留守番しといてください!」
「てめえ……ユウキ!」
「うわー! いいんですか? 公衆の面前で パワハラドラマー、ドSドラマーを炸裂しちゃっても……」
「かまうもんか! 今すぐお前を絞めてやる!」
「ねえねえ、なんかめっちゃ面白い展開になってない?」
スタッフが楽しそうにその光景を眺める。
「リュウジさんって、あんなことも言うのね! ますます好きになっちゃうわ!」
「初耳だけど? いつから好きだったわけ?」
「うん……多分、生まれる前からかな?」
「付き合ってらんねーわ、妄想女子には!」
「えヘヘっ」
奥から出てきた近藤と、これからバイトの仲間になる面々に挨拶をして、隆二と裕貴は楽器店を後にした。
第92話 『KONDO Musical Instrument Store』 新しい朝 ー終ー




