第91話 『So Wise For Your Age』年齢不相応
裕貴は丁寧に葉月のお母さんに挨拶をして、家の前まで送りに出ようとする葉月を制した。
満面の笑みで手を振る葉月の顔の目の前でドアを閉め、裕貴は一人車に向かう。
何か気配を感じて、周りを見渡した。
立ち止まって耳を澄ましたが、何も聞こえない。
「気のせいか」
裕貴は車に乗り込むと、エンジンをかけて車を走らせた。
玄関での葉月の笑顔が、ふと脳裏に浮かぶ。
「なんだよ、子供みたいな顔してさ……」
そう溜め息混じりに笑うと、裕貴は隆二の待つタワーマンションへと向かった。
地下駐車場に車を停めてエレベーターに乗り込み、『28』のボタンに触れる。
ドアの前でインターホンを押すと、思いの外すぐにガチャっとドアが開いた。
「おい! お前、遅いぞ! 夜遅くに女子の家に上がり込んで、イイのかよ?」
リビングに到達するまでもなく、隆二は突っ込む。
「リュウジさん、ボクは自分から上がり込んだ訳じゃないですよ、半ば強制連行で……」
「なんだそれ?」
隆二は不可解な表情をしつつも、乱暴に缶ビールを裕貴に手渡す。
「どうも、ありがとうございます」
裕貴の向かい側に座った隆二は、自分もビールを開けながら、裕貴を見据える。
「で、お前の言い訳は?」
「だから、ホントですって! それがね、葉月のお母さん、なかなかファンキーなタイプで、 “あの母にしてあの娘” って感じなんですよ」
「葉月ちゃんは別にファンキーなタイプじゃないだろ? むしろ天然?」
「それなら、あのお母さんも天然ではありますね。ま、葉月はボクが居るのに、風呂上がりのすっぴんでセクシーランジェリー姿で出てきましたからね。まったく……重度の天然で……」
「セ、セクシー……ランジェリー……?」
しばらく隆二の様子をじっと見ていた裕貴が、堪らず吹き出した。
「冗談ですよ! あははは、リュウジさん、めちゃくちゃうろたえてるじゃないですか! うわ……なに想像してんすか? 何気にエロい顔になってたし! 葉月がそんなカッコするワケないじゃないですか! あはは、ヤバい! 腹ちぎれそう……」
「……お前……ぶっ殺す!」
笑いながら逃げる裕貴は、すぐに捕まって処刑を受けた。
「う……痛ってぇ……技で固めないで下さいよ! そんな格闘技、どこで習得したんですか! あ、キラさんから伝授されたとか?」
「なんで俺が渡辺に教わんなきゃならないんだ! ガキの頃に兄貴と遊んでただけさ」
「え? リュウジさんってお兄さんがいるんでしたっけ?」
「ああ、ちょっと年の離れた兄がな。昔はよく遊んでもらったもんだ」
隆二の横顔にスッと何かが差したような気がした。
「あーあ、お前と暴れたらどっと疲れが出た」
そう言ってソファーに座ってグーンと伸びる隆二に向かって、裕貴は言った。
「あ、セクシーランジェリーなんて着てませんのでご安心を! なに着てたと思います? フェスのスタッフTシャツですよ……色気もなんもありゃしない……葉月らしいっていうか、もう少し女子力欲しいっていうか……ま、リュウジさん、せいぜい脳内で葉月をセクシーに着せ替えて楽しんでください」
「なんだと! 俺は変態かよ!」
「男はみんな変態でしょ? ま、度合いは違うでしょうけど。リュウジさん、意外とディープなタイプだったりして?」
「ユウキ……お前、許さねぇ! もっかい固めてやる!」
「わわっ! やめてください! すいません、すいませんって! うぁ! 痛ててて……ギブギブ!」
「お前のこの悪言は、全部葉月ちゃんに報告するからな!」
「え! それはご勘弁を! ボク、めちゃめちゃ怒られるじゃないですか!」
「このところナマイキが目に余るからな、制裁を加えないと!」
「そこをなんとか……痛ててて!」
「あーあ、お前のせいでマジ疲れた! ぐったりだ!」
「それは……こっちのセリフですよ……ガチで絞めるの、やめてください! これからこっちで暮らすのに、ボク、毎日安らげそうにないですもん」
「ああ、それは覚悟しとけよ! それもボーヤの仕事の一貫だ」
「なんですかそれ! リュウジさんってメンヘラ男子ですか! まいったな……」
「お前、いい加減にしねぇと生きて朝を迎えらんねぇぞ!」
「はいはい、わかりましたよ」
缶ビールの追加を取りに行った隆二は、ゆったりとソファーに腰を下ろした。
「で? なにを話したんだ? 彼女のママと」
「それが聞きたかったなら最初から素直に聞いて下さいよ」
「お前がセクシー……いや、まあいい。で、なんだ! 早く話せ」
「わかりました」
裕貴はぐびっと一口缶をあおる。
「でもね、楽しい話ばかりじゃなかったんですよ。ちょっと気になることを聞いて……」
「なんだ? 気になることって」
裕貴は、葉月の母から聞いたことを話した。
自宅にも彼が来た事
母が、彼の態度や言動がおかしいと感じた事
親友にしつこく連絡していた事
そしてそれを親友からの電話で知った事……
「なんか、そいつ、相当切羽詰まってんな。そういう状況は……良くない」
「ええ、 “窮鼠猫をかむ”、ってやつですよね」
「ああ、なんか仕掛けて来られても……心配だな。葉月ちゃん本人はそれを知ってんのか?」
「いや、親友のことは知ってるでしょうが、自宅までっていうのは本人には言わないんじゃないですかね? 明日、お母さんに電話して聞いてみます」
「おい! ちょっと待て! お前なにママの連絡先ゲットしてんだよ!」
「だって、ボク、お母さんに気に入られてるんですもん! あ、もしかして妬いてます?」
「お前……また死にたいのか?」
裕貴は続ける。
「それに葉月だって、ボクにだけ東公園で明後日に会う事を、ちゃんと報告してきたんですよ!」
「え? 葉月ちゃんが……自分から言ったのか?」
「ええ、ちょっと意外でしたけど、まぁ正直者の葉月なら、あり得ることですかね。あ、ただ……」
「ただ? なんだよ」
「リュウジさんには言わないでって言われました」
隆二は目を丸くする。
「あ? なんでだよ!」
「知りませんよ! ボクだけしか信用してないのかも?」
「お前、なに優越感に浸ってんだ。マジで婿入りでも考えてんのか!」
裕貴が落胆したように肩を落とす。
「はぁ、リュウジさん……」
「なんだ!? 呆れた顔すんなよ! お前にそんな態度取られると、自分がちっちゃく感じる」
「それは困りますね。師匠にそう思わせちゃあね。ちょっと遊びすぎました。すみません」
「なんか……それもムカつくな。くそっ、ちょっと飲みすぎたかな。素面のお前に対抗できねぇ」
「じゃあ、真面目な話……」
「なんだ?」
裕貴はそう切り出して、ソファーに深く座り直した。
「ボクは葉月と同じ年で、リュウジさんはボクたちから見たら大人じゃないですか? ボクらが悩んで解決すべきことを、大人は最短ルートで解決しちゃうんですよ。確かに、それはボクらを思ってそうしてくれる行動だって、子供なりにわかるんですけど、悩んで少しずつ解明に向かう “プロセス” が必要な時もあるんです。後は自分で何でもやりたいっていう “自我” っていうか……最終的に助けてもらう結果になっても、なるべく近くまでは自力で行きたいっていう気持ちが、あるんです」
「ユウキ、それはお前の気持ちでもあるのか?」
「そうでしょうね。葉月に共感するぐらいですから、ボクの中でもそんな気持ちがあると思います。ただボクも、女の子にもそんな気持ちがあるんだって事は、あまり解ってなかったです。むしろ “助けて” っていう女の子ばかり周りにいましたし。まぁ、葉月は責任感が強いからレアケースかも知れませんけどね」
「俺も、お前の目を摘むような事をしちまったことがあったか?」
「いえ、その点でもボクはリュウジさんを信頼してます。ちゃんと一人の男として、厳しく?いや、キビシ過ぎる程に扱ってもらってますし」
「お前がそんな “皮肉屋” だからだ!」
「なら、名コンビですね?」
「言ってろ!」
「葉月は、ヤツと会う日時は正直にボクに言いましたが、“来ないで” って言ったんです。“恥ずかしい” って最初は言いました。まぁ、それも本心でしょうけど。でもその後、“自分で解決したい” って。“リュウジさんには言わないで” って葉月が言ったことも、さっきは意地悪でボクしか信用してないからみたいなこと言いましたけど、そうじゃなくて、“自分で” っていうのが本心だと思いますよ。だからボクも、リュウジさんに監視はお願いするべきだとは思ってはいますが、リュウジさんには極力、葉月自身が “100%自分で解決した形” になるように見守ってやってほしいんです」
隆二は缶をテーブルにおいて裕貴を見つめた。
「わかった。なんか……お前」
「なんですか? オトナになったなぁなんて言わないで下さいよ!」
「あ……いや」
「やっぱりそう思ったんでしょ! それがそもそも子供扱いなんですよ! 葉月は女の子だからまだいいとしても、ボクには、いい加減そういう見方をやめてくださいよ!」
「あーあー、わかったよ! なんか、面倒くせぇなぁ」
「とにかく、葉月のこと、よろしくお願いしますね」
「だから! どういう立ち位置で言ってんだ? お前の嫁かっつーの!」
「そんなにジェラシーむき出しにされても、困るんですけどね。あ、もうこんな時間なんでそろそろ寝ましょう。ボク、シャワー借りてもいいですか? リュウジさんはもうそのまま寝られるんでしょ?」
「お前なぁ……言いたい放題言いやがって! 今日はたまたま俺が酔ってるから許されてるだけだからな!……ああ、それと、明日はちょっと……お前を連れて行きたいとこあるから。午前中には稼働するぞ」
裕貴は、その言葉に一瞬動きを止めて隆二の横顔を見つめた。
この人は……
なんだかんだと言いながらも、弟子である自分がこれからここでどう生きていくのかを、しっかりと考えてくれているんだなと思った。
胸がジーンとするのを飲み込んで、平静を装う。
ああ……
これこそが、大人になりきれていない、ボクの子供の部分だ。
わかってはいるけど……
「それじゃあ尚更、さっさと寝ましょう! ボク、ここのソファーで寝かせてもらうんでブランケットかなんか貸してください」
「あ、あっちのゲストルーム使えよ。っても機材だらけで、ベッド回りしかスペースないけどな」
「ありがとうございます。じゃあお風呂、お借りします」
そう言って裕貴は、さっさと立ち上がってバスルームに足を向けた。
「ユウキ」
隆二に呼び止められて裕貴はビクッとする。
「お前、まだ俺に話してないことがあるだろ。まあ……今日のところはいい」
「……すみません、近いうちに必ず……」
裕貴は後ろ向きのままそう言った。
「おやすみなさい」
足早にバスルームに入った。
シャワーを浴びながら、隆二に“香澄のこと”を話す展開にならなくて、ホッとしていた自分を、不甲斐なく思った。
本当は早く話すべきなのかもしれない。
でも…
自分の中で、 “とりあえず葉月が元カレの問題を片付けるまでは” などという言い訳が溢れていた。
自分で自分に辟易とする。
正直、今日は全力で “そっちの話題” を避けて話していた。
タオルを頭から被ったまま、リビングに出てきた。
隆二の姿はもうない。
テーブルにミネラルウォーターのペットボトルが置かれていた。
「さすがにコーラじゃないよな」
カリッとキャップを開けて、豪快に呷った。
ゲストルームに入る。
シェードランプが、予め点けてあった。
無造作に置かれたドラムの機材だけでなく、パソコンとインターフェイス、スピーカーとMIDI鍵盤が並んだコーナーもあった。
「へぇ、こんな本格的なDTMがあったなんて……音楽編集とかしたりするにかな? 聞いたこともなかったけど。
壁には何本かのギターとベースが、まるで楽器屋のようにキレイにディスプレイされていた。
ベッドに腰掛けながら、タオルで髪を拭く。
さて……いつ話す?
まだリュウジさんには、柊馬さんから、会議招集連絡が入ってないようだし。
当然、自分がキラさんから聞いたことを、リュウジさんに告げるわけにもいかない。
でも会議は、“来月初旬” とキラさんが言っていたから、あまり時間がない。
きっとキラさんの方は、早急に動き始めているに違いないし。
しかし……問題が山積みだな。
葉月のこともそうだけど、『エタボ』周辺に大きな変化が起きるぞ。
キラさんが “意図的” にリュウジさんの動画をインスタにあげたのも、それに対する、柊馬さんのGOサインの “意味” も、まだリュウジさんは知らない……
そこに香澄さんの件が加わるとなると……
波乱は免れないだろうな……
裕貴はベッドに置かれた、きれいに畳まれたブランケットを広げながら、隣の壁に向かって呟いた。
「だから言ったでしょ。リュウジさん、ボクはリュウジさんが思ってるほど、子供じゃないんですよ」
第91話 『So Wise For Your Age』年齢不相応ー終ー




