第88話『I Will Follow You Anywhere』旅の終わり
ほろ酔いの葉月とNBA談義で盛り上がっていた隆二は、ふとあの日のこと思い出していた。
まだ自分の中で、彼女が“徹也の管轄”だったあの日。
もう既にこの気持ちは……始まりかけていたのかもしれない……と。
「ちょっと!」
隆二は我に返る。
裕貴が辟易とした顔で言った。
「あの! お二人さん、これ見よがしに盛り上がるの、やめてもらえません !ボク素面だし」
「あー、ごめんごめん!」
葉月が笑いながら手を合わせる。
隆二は咳払いしてから言った。
「なんだ? お前もバスケに来たらいいじゃん。あの合宿所のバスケ大会、お前ひどかったよなぁ? 葉月ちゃんにやられっぱなしだったじゃねぇか! ちょっと鍛え直してやるから、体育館に来いって!」
裕貴は大きく溜め息をついた。
「ボクはドラマーとしてのリュウジさんに付いてるんですよ。なんでわざわざ遠方からバスケのためにここまで来なきゃならないんですか!」
「え? ユウキの家って、遠いの?」
「ああ、ここから車で一時間弱ってとこかな?」
「え? 今からそこまで帰るんだ?」
「まあそうだけど。気まぐれな師匠に付き合うのも大変なんだよ。それこそあの公園で野宿でもさせられそうだよ」
「あの公園?」
裕貴は言葉を詰まらせた。
「あ、いや……あの公園っていうか……ほら、今通ってきた道に公園あったよね? 何か広そうな、野宿には最適って感じの……」
「ああ、東公園? 何よ“野宿には最適”って? ワケわかんないけど」
「ははは。まあ……なかなか通うのも大変だって話だよ!」
「だからここにも来ないってわけね? あ……さっき言ってたよね、 “お客さんになるのは違う”って」
黙って二人のやり取りを聞いていた隆二が入ってきた。
「なんだ? お客さんになるのは違うって」
「さっき話してた時に『Blue Stone』で会ったことないよねって話してたら、ユウキ、師匠であるリュウジさんのお客さんにはなれない、って」
「おい葉月! 何でも話すなよ!」
隆二は眉を上げる。
「ふーん、ボーヤとしては良い心がけだなあ」
裕貴は分が悪い顔をした。
葉月は深く頷く。
「ホント、従順なお弟子さんですよね」
「葉月! もう酔っ払ってんの? 早くない?」
葉月をにらむ裕貴に隆二が詰め寄る。
「じゃあ! 客にもならずに遠出にもならいなら、ずっと俺はお前をコキ使えるって訳だな?」
「へぇ!? リュウジさん、何言ってんすか?」
「今日のところはお前、俺ん家に泊まれ!」
「え! でも隆二さん、疲れてるでしょ? いいですよ、帰りますって」
「何言ってんだ、ずっと運転してるお前の方が疲れてるだろうが。つまんねぇこと、気にすんなよ!」
「リュウジさん、かっこいい……」
葉月がうっとりとした表情で隆二を見上げる。
「は? どうした、葉月ちゃん?」
「なんか、思いやりのあるツンデレ発言って、素敵ですよね!」
「そう? 葉月ちゃんがそう言うならなら、俺の提案は間違ってないんだな?」
「え?」
隆二は裕貴の肩に手をやった。
「ユウキ、お前が良ければ来週からでも、お前は客でなくなればいい。それから、今日のところは俺ん家に泊めるが、今月中に家を探せ。いいな!」
突然に通達に、裕貴はうろたえる。
「え? リュウジさん? 話が見えません。どういうことですか?」
「だから! お前はこの『Blue Stone』で働いて、こっちで住んで、常に俺にコキ使われるって事だよ。なぁに、ちゃんと生活できるぐらいのギャラは払ってやる」
「え? ええっ!」
「あ? なんだその反応は。文句でもあるのか!」
「あるわけ……ないじゃないですか……」
茫然自失の裕貴の肩に、葉月は手を置いた。
「良かったね、ユウキ! ずっとリュウジさんのそばにいられるんだよ!」
葉月はまるで自分の事のように、嬉しそうな顔を裕貴に向けながら言った。
隆二はその手を裕貴の肩から引き剥がして、自分の手の中に収める。
「リュ、リュウジさん?!」
目を見開く葉月に、隆二は艶かしい目でその顔を覗き込む。
「なぁ、葉月ちゃんだって、ずっと俺のそばにいたいんじゃない?」
葉月は意外にもにっこり笑った。
「そりゃいたいですけど、ユウキはもっといたいんじゃないですか?」
隆二は慌てて手を離す。
「あ……葉月ちゃん、酔ってるね……冗談でもそんなスルーの仕方したら男は勘違いしちまうぞ! ったく、危なっかしい」
隆二はまたビールをくぐっと呷った。
裕貴がバッと立ち上がった。
「リュウジさん!」
「あ?」
「ボク、リュウジさんに一生ついていきます!」
隆二は面食らった表情でビールを吹き出しそうになる。
「あのな……そういうことはさ、酔っ払ってから言ってくれ! 素面で言われると、俺も返答に困る」
そう言って隆二はばつが悪そうな顔をしながらカウンターの奥へ入って行った。
「ホント、よかったねユウキ!」
葉月は何度もそう言って、またユウキの肩に手をかけた。
主人不在のスマートフォンの通知ランプが光った時、葉月はそれをカウンターに置いたまま化粧室にいっていた。
すかさず手に取った裕貴は、画面を凝視する。
それに気付いた隆二もそばに来た。
「……しかしまあ。他人のスマホを悪びれもせず覗き込むなんて……全くいい趣味だぜ。我ながら呆れる」
「まあそう言わないでくださいよ、ボクだってこういうの好きじゃないですよ。されるのも嫌だし。だけど緊急事態でしょう?」
「そうやって自分らのやってることを正当化するのもどうかと思うけどな。それで? なんだって?」
「あ…… “明後日東公園に19時に来い” それだけです」
「はぁ?! なんか乱暴だな……ま、とにかくその時間に行くとするか」
「あんな女々しいヤツがちょっとした話し合いで納得するとは、どうしても思えないんですけどね……」
「確かになぁ。一応見守るつもりで行くけど、万が一ヤバいことになったら、ちゃんと出て行くからさ。お前は心配するな」
「はい。あれ……葉月、ちょっと遅くないですか?」
「そうだな。今日は何杯飲んだかな? キャパオーバーか?」
「まぁ、射程圏内でも、精神的ダメージで酔いが回ってるとか?……わかんないですね、ちょっと声かけてきます」
「葉月、大丈夫? もしかして気分悪いとか?」
「全然大丈夫!」
裕貴のノックに葉月はサッと出て、シャキッとした顔を見せて笑った。
「どうしたの?」
並んでカウンターに歩き出しながら話す。
「久しぶりに家に帰るから、あんまり酔っ払った顔で帰るのは嫌だなと思って。メイク直してたの」
「……変わった発想だな。親が特別厳しいとか?」
「ううん、全然。むしろその逆」
「どういう事?」
席に着いた葉月の前に隆二がミネラルウォーターがなみなみ入ったトールグラスを差し出した。
「ほう! 完全復活か? しっかりメイク直して、まさかこれからデートにでも行くつもり?」
「またそんなこと言う……家に帰るだけですよ。久しぶりに家に帰るから、酔っ払った顔で帰るのはやだなと思って」
「へー、そうなんだ」
「変わった発想だと思いません? で、葉月、なんで?」
「何でも受け入れてくれるママを、心配させたくないだけ」
二人は顔を見合わせる。
「何ですか?」
不思議な顔をする葉月に、隆二は深く頷いた。
「なるほど!」
「めちゃめちゃ葉月らしいね!」
「じゃあ、遅くならないうちに帰らなきゃな! ユウキ、彼女を送ってきてくれ。素面はお前だけだ」
「了解です!」
「ユウキ、ごめんね!」
「なに言ってんの! じゃぁ、リュウジさんのマンションまで走るか?」
「いくら体育会系の私でも、飲酒のハンデは厳しいなぁ」
「そう? 今この手に“玉虫”を握ってたら、葉月は充分、全力疾走が出来ると思うけどな」
「ユウキ、マジで最低!」
「ははは、そりゃ最低だな! お前って、実は “ドS” なnじゃねぇの? 見てみ。葉月ちゃんマジで怒ってるぞ」
「ごめんごめん!」
「いや! あの時の怒りがこみ上げてきた!」
葉月が高く振りかぶった手を、裕貴が頭上で必死に押さえる。
そこに奥から晃がやってきた。
「おや? なんでこんなとこで踊ってんの?」
その言葉に三人とも大爆笑した。
隆二は裕貴に、車の鍵を放り投げた。
「お姫様を、丁重にお送りして」
「かしこまりました」
「葉月ちゃん、ゆっくり休んでね」
「はい」
葉月はそう言って、隆二の前にやって来た。
「リュウジさん、この数日間、本当にありがとうございました。いっぱいお礼を言いたいことがありすぎて……でも小出しにしますね。また来ます。リュウジさんもお疲れ様でした。おやすみなさい」
そう言って葉月は裕貴に伴われて階段に消えていった。
二人は、並んで隆二のマンションの方へ向かう。
「やっぱりこっちの夜は暑いよね? あっちだと結構、夜になると涼しいなって思った時もあったんだけど……」
そう言って葉月は、言葉に詰まった。
「色々な夜が……ありすぎて」
「葉月……」
そう言って裕貴は、葉月の肩に手をやった。
葉月は一つ息を吐いてから顔をあげる。
「私達って、出会って何日だっけ?」
「5日だよ。たった5日」
「絶対ウソだよ。5年じゃない?」
「ははは。そう思えるくらい、毎日濃かったからね!」
「そう思えるぐらい、ユウキが信頼できる人だった」
「最初は頼りない年下の少年だと思ったくせに!」
「ははは! ごめん!」
「そこで謝るなよなぁ! 認めたことになるじゃん!」
「わあ! 同じことリュウジさんに言われ! さすが信頼関係のある師弟関係だね!」
「おい! 誤魔化してもダメだぞ!」
「あはは。でもね、今は……心底頼れる人だって、思ってるよ。ユウキのおかげでどれほど助けられたか。本当に危ないこと……いっぱいあったから……」
そう言った葉月が、とたんに泣き顔になった。
「ああ……わかったよ! わかったから、もう泣かないで! これからいつでも、ずっとずっと助けてあげるから!」
「ユウキ……そんなこと言われたら、泣いちゃうじゃない」
そう言って葉月は、裕貴の肩に頭を置いた。
……やっぱり酔いが覚めてないんだな……
「もう! 困った子だな」
その頭に手を置いて、髪を撫でる。
心の中に何かが迸るのを感じた。
マジで困る……
ユウキは星を見上げた。
「ほら、葉月、またメイク直さなきゃならなくなるぞ!」
そう言って、両肩を持って前を向かせた。
ふと右手を見ると公園がある。
「葉月、元カレのことだけど……」
「ここ……」
「ん?」
「この公園で会う約束になってるの」
「……ああ、そうなんだ?」
「明後日なの。でもユウキ、来ないでね」
「うん、ボク明後日は親戚の会合があるから家を出られなくてさ」
「良かった」
「なんで?」
「だって恥ずかしいもん」
「それだけ?」
「ううん……自分で決着つけたいから」
「わかったよ、邪魔しないから」
「……リュウジさんにも言わないで」
「わかった」
「鴻上さんにも……知られたくない……」
「わかった。わかったから気を付けるんだよ。困ったことがあったら絶対に言うんだぞ!」
「うん。ありがとう、ユウキ」
「鴻上さんとは? 何か約束してなかったっけ?」
「明日連絡することになってるの」
「バイトの概要でも聞くの?」
「そうなのかな? 携帯の番号とか知らないから、名刺を見て会社に電話するんだけどね」
「へぇ……やっぱり硬派なタイプなのか。 どんな人なんだろ?」
「私も多分ちゃんとは分かってないと思う。でも……優しい人。それから……やっぱり感性がある人かな?」
「リュウジさんは“堅物”っぽく言ってたけどね」
「あ……それは一理あるよ」
「あ、そっか! ドMの葉月が喜ぶような叱咤激励を受けたんだっけ?」
「もう! その話はやめてって言ったのに!」
葉月が手を振りかぶったので、裕貴がさっと逃げた。
「もう待ってよ! 逃げるなー!」
「これじゃあボクまで酔っ払いみたいじゃないか。あはは。そんなに走ったら、酔いがまわるよ」
裕貴は葉月から飛んできた腕をキャッチして、その手をさっとつないだ。
「え?」
「さあ、帰るよ!」
裕貴は葉月の手を引いたまま、隆二のマンションの地下駐車場に降りた。
裕貴がスマートキーを向けると、RANGE ROVERのハザードランプが点滅した。
「さあ乗って!」
第88話『I Will Follow You Anywhere』旅の終わり ー終ー




