第82話『At The Time Of Departure』出発の時
葉月は朝日を背に、隆二に手を振ってから、足も軽やかに合宿所に戻ってきた。
早くから人の姿があり、みな名残惜しそうに最後の交流に顔を輝かせ、一階のフロアも活気づいている。
部屋に戻ると、ルームメイトの彼女らも荷造りをしていた。
テーブルの上にスマートフォンを置き忘れていることに気付いた。
都会にいると肌身離さす持ち歩いてしまうスマホも、ここではそれに依存せず過ごせるよメンタル的な充実感がある。
スタッフ端末をかろうじてマナーとして持っているだけで、心はいつもフラットでいられるこの感覚を葉月は気に入っていた。
「おはよう!」
「ああ、葉月、今日も出かけてたの?」
翼が葉月に近づいてきた。
「うん」
「なんかスマホ、ずっと光ってたよ」
耳元でそう言うと、含み笑いをする。
「そう? ありがとう」
心当たりがなくて、スマホに手を伸ばす。
「葉月、毎朝ご苦労さんやなぁ。朝の散歩て、お年寄りやあるまいし、私やったらようせんわ。出かける前にメイクに時間かかってまうしな!」
「あはは、梨沙子にお散歩は似合わないよね? ていうか葉月、奈々が起きないのよ!ちょっと起こしてきて」
「あはは。わかった!」
葉月はそのままスマホをポケットにしまって、寝室の奈々のもとへ行った。
昨夜、あれから彼女らこの三人と裕貴との五人で、テラスで長きにわたっての “尋問” が行われた。
だいぶ酔っていたと思う。
かろうじて意識はあったと思うけれど、結構ドラマティックに……話しちゃったかも?
断片的な幾つかのシーンを思い出すと、少し顔が火照るような感覚が残っている。
昨夜はそれまでキラさんと色々話していたのもあって、気持ちが高揚していたのかもしれない。
私、変なこと言ったりしなかったかなぁ……
実際話しているうちに、ライブと映像のあの感動も思い出してしまって、また胸がぎゅっと 苦しくなったのを覚えている。
そして……そこに思いがけなく見つけた鴻上さんの優しい視線に驚いて、そしてその安堵感にうっとりしてしまったことも……
ああ……
すっかり “自白” してしまったようだった……
裕貴が少し複雑な顔をしていたのが、頭の片隅に残っていた。
途中みんなが暑い暑いと言い出して、クーラーの効いている『Public Space』に移動しようと言いだしたのを、ユウキがみんなの分の飲み物を買ってきたりして、うまくかわしてくれたのを覚えている。
「奈々、ほら、みんなもう起きてるよ。起きなきゃ!」
なんとか奈々の半身を起こしたところで、翼に聞かれた。
「で、なに? 葉月は地元に帰ったら、鴻上さんと付き合うの?」
「ええっ!? な、なんでそんな話になるの?!」
「なんでって?……ねぇ」
梨沙子と翼が顔を見合わせる。
「だって、昨日は葉月の愛が溢れかえってたように見えたけど?」
「え、それは……『エタボ』愛でしょ? あんなステージを観たんだから……みんなだって感動したって言ってたじゃない」
「そりゃもちろんそうなんだけど、昨日の葉月はもう、隣にいる鴻上さんのことばっかり言ってたよ」
「え? 私が? 本当に?」
「そりゃあもう!」
「覚えてへんの? あんだけ言うといて?」
寝ぼけ眼の奈々まで、大きく頷いた。
「あ……そうだっけ? なんか、色々あったから……」
「ふーん、そうか。でもあれだけ熱弁したんだからさ、今後の鴻上さんとの動向は、私たちにも報告してもらう権利はあるよね?」
「そうやで! 葉月には報告義務が発生すんねんから!」
「えー! そうなの?」
「そうよ! これからはあたしたち、なかなか顔を合わせることは出来ないけど、それでも頻繁に連絡のやり取りはしようね!」
「うん! そうしよう」
奈々がガバッと葉月に抱きついて、また目をつぶった。
「コラコラ、あんたもいい加減、早よ起きんと! そんなボサボサ頭で下に降りるんか?」
そう言いながら、梨沙子が葉月から奈々を引き剥がした。
四人はグループメッセージ用のアイコンの写真を一緒に選んだ。
バスケ対決の時の、お揃いのスタッフTを着た写真に決定した。
その写真を確認するためにスマホを覗き込んだ葉月の表情が、少し不自然に変わったのを翼は見逃さなかった。
最後の朝食に、皆が集められた。
ここで出会ったルームメイトも、スタッフの仲間たちも宝物だ。
大きなグループLINEを作って、また次年度の再会を願いながら、山下さんが乾杯の音頭を取った。
あちらこちらで、拍手したりハグしたり、別れを惜しむスタッフたちで、温かい空気に包まれている。
いつものように席を取ってくれていた『Sanctuary』の三人とも、昨夜の打ち上げですっかり打ち解けたはずなのに、何だか今朝は、みんな物静かだった。
「尚樹君、今日はずいぶん静かだけど、どうしたの?」
たまらず聞いてみた。
すると玲央と和也が首を振りながら、葉月の顔を見る。
尚樹が下を向いた。
両脇の二人が頭に手をやりながら、あーあと言わんばかりに空を仰ぐ。
「なんなのよ? あんたたち!」
奈々が待ちきれなくなって彼らを問い詰めると、玲央が渋々話し出した。
「尚樹が朝から泣いちゃって、口開いたら泣きそうだって言うから……」
「え?」
女子が顔を見合わせる。
「分かった」
葉月はそう言って、尚樹の方に向き合った。
「尚樹君、バスケットもドラム談義も楽しかったよ。尚樹君の真面目で一生懸命なとこも素敵だし、昨日の打ち上げでドラムがすごい上手なことも分かったし、私、本当にファンになったよ! いつか『Sanctuary』を観に行く! バスケもまた一緒にやろうよ。私、リュウジさんのチームに入るんだ、だからそこに遊びに来て!」
そう笑顔で言うと、みんなが目を見開いて、あ……と言った。
「あー! 泣いちゃった……葉月ったら、結局泣かしちゃったじゃない!」
「あ、ごめん……」
尚樹は下を向きながら手を出した。
「……ありがとう、葉月さん」
葉月はその手をしっかり握って、ブンブンと握手した。
その手に、玲央も和也も一緒に手を添える。
そして女子三人も加わり、みんなで円陣を組むように手を取り合った。
「山下さん、お世話になりました!」
彼に呼ばれた葉月は、みんなから離れて挨拶しに伺った。
「いや、初日から色々ごめんね」
「そんなこと……ご迷惑かけたのは私です」
「実は……またキラさんからわがまま言われちゃって……」
「え? 何かありました」
「これを」
「はい? これは……さっき返却したスタッフ用の携帯電話ですよね……」
「これは白石さんに持たせといてくれって」
「えっ?! キラさんが……ですか? どうして?」
「これで今後も連絡を取りたいってことですかね? なら個人的にSNSを繋いだらいいんじゃないですかって言ったんですけど、今はこれでいいんだっておっしゃるので……」
「そうですか……」
「はい。他のスタッフの記録も残っているので流出だけはしないように、大切に保管してくださいね。はい、これ充電器も」
「ありがとうございます。すみません、ここまでしていただいて」
「いえいえ。いや、なんかね、僕も長いことこのフェスに関わってきたんですけど、今回みたいに演者とスタッフサイドがこんなに近しくなるのは初めてで……僕が思うに白石さんのおかげだと思うんですよ」
「いいえ、そんな力、私にはないですよ」
「いやホントに、今までとは全然違うんですよ。僕自身もあんなに彼らと接したのも初めてだったし、なんかすごいファミリー感があって、今年は特に楽しかったので、本当にこちらこそお礼を言います。来年も絶対来て下さいね」
「はい! もちろんです」
「僕もね、今まではあまり参加してない『エタボ』の地方ツアーの方にも、スタッフ登録出しとこうかなと思って。また白石さんも来てくれるかもしれないし……どうかな?」
「はい、是非そこでもお会いしましょう!」
「よかった!」
「じゃあまた。お元気で!」
また一つ心のふれあいが増えたような気がして、葉月は嬉しかった。
キャリーケースを転がしながら合宿所の前まで 出てくる。
四人が手を取り合って、丸くなって向かい合う。
「また会える」
「うん!」
「遠くない未来に」
バスの到着が憎らしく思えるほど切なかった。
「すぐに連絡いれるから! いつでも繋がってるんだし」
「葉月、もっとメイク上手くなりやぁ!」
「葉月、愛してるぞー!」
そう言って彼女らが乗り込んで行ったバスを見送り、目頭を熱くしながら手を振った。
気が付けば子供みたいな大きい声でバイバーイと叫んでいた。
バスが見えなくなって俯いた頭をゆっくり上げながら、葉月は改めて合宿所の方に振り向いた。
この夏の貴重な体験と温かい思いを抱きながら、その感覚が身体中を巡るのを実感し、その景色と共に目の奥に焼き付けた。
後ろからクラクションが鳴った。
真っ白のレンジローバーが、スッと脇に着く。
「おはよう葉月!」
裕貴が運転席からポンと飛び降りて、しばらく葉月の顔を伺った。
「ふーん」
「なに?」
「大丈夫だって! またあの三人にはすぐに会えるよ」
「もう! 全部お見通しなんだから!」
「まあね」
そう笑いかけて、裕貴は手早く葉月の荷物をかっさらって車に積んだ。
ここ数日に見た裕貴の姿は、初めて会ったあの日の印象を大きく覆すものだった。
最初 は “こんなに若くてかわいい男の子がこんなに大きな車を運転出来るの?” ナンテ思ってしまったのに、今は誰よりも信頼できて頼りがいのある男の子だと思う。
後ろの席から隆二が降りてきた。
「おはよう葉月ちゃん」
その言葉に、一瞬たじろいだ。
そっか、ユウキに対しては、今朝会ったことを言ってないんだ……
瞬時にそう悟った。
「おはようございます、リュウジさん」
白々しくそう言って目を合わせるも、すぐに伏せてしまった。
自分はは本当に嘘が下手だと、ふがいなく思う。
裕貴の横顔を覗いて、悟られていないかとちょっと心配しながら車に近付く。
隆二は葉月に少しイタズラっぽい眼差しを送ると、それこそ白々しく微笑んで右に視線をずらした。
今にも舌をペロッと出しそうな雰囲気で、葉月も抗議の表情で隆二を仰ぐ。
「葉月、助手席に乗って」
裕貴にそう言われて、葉月は改めて隆二の方を向いた。
「あれ? リュウジさん、また後ろですか?」
「ああ、昨日は結構飲んだし、眠るかもしれない。悪いんだけどさ、今日のところはユウキの相手を葉月ちゃんがしてやってよ!」
「あ、はい。了解しました」
「なんですかそれ?! ボクは別に “お守り” される覚えはないですけどね!」
そう皮肉っぽく言いながらも、裕貴は明るく笑っていた。
「さあ行こうか!」
「ええ!」
見えているすべての景色を目に、そしてここで生まれた思いをすべて心に、グッと焼き付けるように……
葉月は辺りを見回して、心に刻んだ。
「みんなと別れるの、そんなに寂しかった?」
「うん、思ってたより……ずっとね」
「解るよ、ボクも一番最初に来た時はそうだった。今回はペントハウスの方に泊まったけど、最初はあの合宿所に泊まったてたからね。別れるのが辛くてさ。毎日楽しかったし、みんないいヤツで」
「ホントそう」
「でも安心して。新しい子達は毎回何人かは増えてるけど、ほとんど変わりなく来年も会えるよ。みんなここに帰ってくるって感じでさ」
「あ、解る! その感じ」
「だろ? ただ、今年はいつもと違ったな」
「何が?」
「メンバーがこれほどスタッフと濃く交流したのは、初めてじゃないかな?」
「さっき山下さんもそんなこと言ってた」
「そっか、みんな感じてるんだよ。いい感じで信頼関係が上がったんだな。来年も来る?」
「うん、絶対に。みんなにもそう約束した」
「だそうですよ、リュウジさん」
裕貴がミラー越しに言った。
「了解!」
葉月は後ろに向かって笑いかけると、隆二もそれに応えて頷いた。
「なんか幸せ……」
「なに? 葉月、急になに言い出すの?」
「だって……本当に幸せだったから、この数日間。そして今もずっとね、心の中ポカポカしてて……」
「出たよ! 葉月節! ねぇリュウジさん?」
「そうだな……いつまでも変わってほしくないね、葉月ちゃんのそういうところ」
「それって、本当にこのままでいいって、ことですか?」
「そうだよ、なんで?」
「なんか、高校卒業してからは、大人になんなきゃいけないのかなと思って随分無理してきたような気がします。あっ……って言っても、全然大人にはなってないから……努力をしているような形跡は見当たらないと……思われちゃいそうですけど」
「あははは」
隆二が後ろからトンと 葉月の肩を叩いた。
「じゃあ俺が断言してあげよう! 葉月ちゃんは何も変わらなくていい! むしろ今のままでいてよ。これでいい? 信じた?」
葉月は少し言葉を詰まらせながら言った。
「はい。ありがとうございます!」
裕貴と目が合って、彼もにっこり微笑んだ。
また幸せだなと思った葉月は、鼻の奥がツンとするのを感じた。
しばらくは裕貴と合宿所での話をしていた。
今回裕貴は合宿所には宿泊しなかったが、名前を出して話すとほとんどの人のことを認識していて、ますます話が弾む。
次にPAエンジニアやテックの人の話になった。
一度、隆二に話を振ってみたら返事がなかったので、二人してルームミラーを覗いてみると、隆二は寝ているようだった。
更に裕貴と楽しく話を重ねながら、たまにちらりと後部座席をに目をやる。
静かに眠っている隆二の顔は、まるで彫刻のように端正で綺麗だった。
以前にもそう思ったこと、ふと思い出す。
真っ暗な『Blue Stone』に入って行った時の噎せるような暑さの中で、ポッとひとつのシェードランプがついた時の、そこに浮かんだ隆二の顔が蘇る。
「葉月?」
その声にハッとする。
「えっ? あ……なに?」
「聞いてもいいかな? 鴻上徹也っていう人のこと」
「え……」
「昨日、テラスで翼たち相手に結構話してたの、覚えてる?」
葉月は少し困った顔をして言った。
「それがさあ……私、結構酔ってたから……なんか、さっきもみんなに言われたんだけど……すごいテンションで話してたりしちゃったのかなぁと……」
「そうだな。結構ドラマティックに話してたよ」
葉月は肩を落として下を向いた。
「うわ、やっぱり……翼たちにもそう言われて……」
「まるで初恋の人の話をしてるみたいだった」
「え! 初恋?!」
「うん。それから……何だったかな? バスケの厳しい監督みたいな一面もあるし、自分のことを思って叱ってくれたり、頼りになったり、感性が素晴らしかったり……とか、そんなことを一生懸命言ってたよ」
「ウソ! 私……そこまで熱かったの……」
葉月は両手で顔を覆った。
「あれが全部本心なら、もうみんなの中では間違いなく、 “地元に帰ったら二人は付き合うなぁ” みたいな印象だった」
「え……そんな感じだったんだ……信じられない……」
「まあ、昨日の葉月は色々あり過ぎたから仕方がないとは思うけどね。ライブも含めて、かなり盛り上がっちゃったのは、分かってはいたけど」
「なんか恥ずかしい……ただの酔っ払いって感じだったのかな? 私……まさか、妄想入ったりしてた?」
「妄想かどうかは……ボクにはわかんないことじゃん? 情熱的なわりには断片的でよくわかんない話だった。まあ葉月も泥酔状態だったし? なぁ葉月、ボクも気になるからさ、よかったらどんな風に出会ったのか、ちゃんと聞かせてくれない? まだインターまでには結構時間もかかるしさ。リュウジさんもすっかり寝ちゃってることだし。どう?」
「うん……わかった」
第82話『At The Time Of Departure』出発の時
ー終ー




