第75話『Let's Play Tag!』鬼ごっこ
月明かりに照らされたキラの瞳とその頬に落ちた影を、葉月は改めて美しいと思った。
葉月の曇りのない聡明さに心打たれたキラは、ほっとして思わず素直な気持ちを話してしまう自分に気づく。
「あーあ、このままずっとここに居たい! 君と」
キラが葉月の肩に手を回そうとまた顔を近付けた時、バタバタと足音がして隆二と裕貴が息を切らしてテラスにやって来た。
「こらぁ! 渡辺! またお前かよ。なに勝手に連れ回してんだ!」
キラは涼しい表情で振り向く。
「人聞きが悪いなぁ、オレはこうして葉月ちゃんとロマンチックに月を見てただけだよ」
「は? なに歌の文句みたいなこと言ってんだ! 葉月ちゃん……マジ心配したわ。何度も電話したのに。コイツになんかされてない?!」
キラは抗議に口を尖らせる。
「お前なぁ! ヒトをけだものみたいに言うなよな!」
ちょっとむくれて座るその美男子が小学生のように見えて、葉月はクスッと笑った。
「ごめんなさいリュウジさん、ご心配ごをかけて。ユウキも。でもね、キラさんが迷っちゃった私を助けてくれたんです」
「ああっ!? 渡辺が助けたぁ? 葉月ちゃん、オトコの下心についてまだまだ勉強が足らないな。コイツがタダで助けるかよ? ホント、危なっかしい!」
葉月はキラをちらっと見た。
本当にこの人が、助けてくれたんだけどな……
そう思いながら。
しかし、キラがパッとこっちを向くと、葉月はやっぱり反射的に下を向いてしまう。
「おやおや! すっかり仲良くなれたと思ったのに、まだこの目に慣れないわけ?」
ギロッと睨むフリをしてからクスッと笑って、キラは葉月ににじり寄る。
裕貴がすかさず割って入った。
「無理ですよ、キラさん! 四日経ったって この調子なんだから……一生無理なんじゃないですか?」
「へー、言ってくれるじゃん。おや? まさか……お前も葉月ちゃんに気があるとか?」
キラが怪しい顔をする。
「ボクは葉月の友達ですよ」
「そうなの? 水嶋」
「ああ、同い歳の “にわか親友” ってやつ?」
「ずいぶんな言い方ですね!」
裕貴が不満げな顔をする。
「ボクがちゃんと葉月の面倒見てるから、リュウジさんだって安心してタイコに勤しめたわけでしょ?」
「ハイハイ、優秀なボーヤがいて助かりました!」
隆二のぞんざいな物言いに、裕貴は不満の色をにじませる。
「お? 師弟の決別か? まあどうでもいいや、オレ、障害が多い方が燃えるし!」
葉月がふっと笑った。
「なに? 急に笑って」
「 “渡辺さん” と “水嶋さん” って、二人とも言ってることがよく似てるなぁって思って。ホント仲良しなんですね!」
「はぁ? 何言ってんの!」
「強がっちゃって! 今からサシで飲んだらどうですか? しばらく会えなくなるんでしょ? なら、目いっぱい絡み合って、イチャイチャしたらいいのに! うふふふ!」
上機嫌の葉月に裕貴が苦笑いをする。
「葉月、ちょっと挑発しすぎじゃない?」
「いつもからかわれてばかりなんで、ここでたっぷり、お二人にも仕返ししなきゃ! ということで、私、ユウキと二人で行きますね! あ! お二人とも! しばらく降りてきちゃダメですよ! 絶対ですからね!!」
男たちが唖然とするなか、葉月は隆二の腕をつかんだ。
「はいリュウジさん、私の座ってた所に座ってください! ああ! お酒が足らないって言うなら、持ってきますけど!」
裕貴は言葉を失って突っ立っている。
葉月に腕を引っ張られて座らされた隆二も、困り顔のキラも、二人とも無口のまま同じ表情をしている。
「ビール、持ってきますからね。行こう、ユウキ! じゃあ、Ready……Fight! うふふふ」
葉月はコロコロと笑いながら、裕貴と一緒にテラスから室内に入った。
「さあ! どんな展開になるかな?」
そのガラスのドアを閉めながら、にっこりと裕貴に笑いかけた。
溜め息をつく裕貴の前を、葉月はスタスタと階段に向かって、軽やかに歩いていく。
「葉月!」
スピードを緩めないままニコッと笑ってみせる葉月に、裕貴はまた一つ溜め息をついて、更に歩き出そうとする葉月の手首を掴んだ。
「待って」
「ん? 何?」
裕貴は階段の踊り場で、葉月の動きを止めた。
「これ」
「あ……」
それは連絡用のスタッフ携帯だった。
葉月の番号がシールで貼ってある。
「ここに何回も連絡したのに一向に繋がらないからさ。どんだけ心配したかわかる?」
「ユウキ……ごめん」
葉月は下を向いた。
「だからしょうがなく、リュウジさんに言って携帯の方に電話してもらったんだよ。二つ持っててよかったよ」
「うん……ホント」
「それでさ……これ、どこに落ちてたと思う?」
「はっ……」
葉月は俯いたまま、何も答えなかった。
「そこだよ。今通り過ぎた『Public Space』のドアが少し開いてた。中にいるんじゃないかって、開けて入ってみたら、ハヤトさんが寝てた。いや……寝てると思って近づいたんだけど、あれは墜ちてた。葉月が持ってたトレーとビールが机の上にあったんだ」
葉月は裕貴の顔を見た。
「葉月が誰かに頼まれてビールをトレーに乗せて持っていくの目撃してたんだよ。帰ってくるのが遅いから見に行ったんだけど、その時は見つかんなくてさ。それでずっと電話してたんだ」
葉月がまた俯いた。
「キラさんと一緒に居て、ハヤトさんが墜ちてるって事は……キラさんに助けられた……そういう……こと? まさか……」
裕貴が葉月に近付いて、グッと腕を掴んだ。
「葉月!!」
葉月は裕貴のその強い声にバッと顔を上げた。
真っ直ぐ見据える裕貴の眼差しには、嘘をつくことはできなかった。
「ユウキ……」
葉月の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「葉月……」
葉月は裕貴に本当のことを話した。
きっかけは佳澄だったこと。
キラに助けられたこと。
颯斗とのことを隆二に言わないとキラに約束したことも。
何度も息を整えながら、下を向き黙って聞いていた裕貴がバッと顔を上げた。
「ユウキ、なんか……ごめん。私、ここに来てからユウキには心配ばかりかけて……私がもうちょっとしっかりしてれば……」
裕貴はその言葉を遮るように葉月を抱きしめた。
「怖かっただろう。ああ……もう! 葉月……ボクがちゃんとついててやれたらよかったのに……ごめん」
「なんでユウキが謝るの? そんな……心配かけてる私が悪いのよ。私こそごめん……」
裕貴は葉月の背中に回した手に何度も力を込めながら、自分の憤りを殺そうとした。
「ユウキ……」
「ごめんな……」
悲痛な表情のまま、裕貴はそっと葉月を解放した。
「葉月、リュウジさんには……」
「私、話しちゃダメだって、思ってる」
「さすがに……葉月が被害者だとリュウジさんが知ったら……黙ってられないだろう」
「私も……話したくない……知られたくないの」
「わかった」
裕貴はまた下を向いて息を整えた。
言葉を震わせながら、葉月は裕貴の方を向く。
「ねぇ、ユウキは……あんなハヤトさん、見たことは……」
「ああ……変貌したハヤトさんを目撃したこともあるし、秘密裏に女の子を助けたこともある。すごい気迫だったのも……覚えてるよ。あの状態のハヤトさんに……葉月、本当にヤバかったと思うよ。キラさんが気付いてくれて、本当に良かった……」
裕貴は壁に背中をつけて大きく息をついた。
「ハヤトさん、ホントに記憶がないし、全く素面の時と人格が違うからさ、酔った時は違う人間だと思ってボクも接してた」
「……リュウジさんも?」
「リュウジさんもなんとなくハヤトさんが酒癖が悪いってことぐらいは認識してるだろうけど、ボクみたいに目撃したわけじゃないから、事の重大性には気づいてないと思う。基本、ハヤトさんとどうこうなる女の子は本人が望んでしてることだから、今まで表立って問題になってなかったけど、でもターゲットが葉月だってことになると話は変わってくる……二人の信頼関係も壊れるかもしてない……キラさんもそれがわかってるから、葉月に訳を話したんだと思う」
裕貴は何度も胸を撫で下ろすように息をついた。
「無事でいてくれて……よかった」
「心配かけでごめん。キラさんのおかげで、私もショックから立ち直れたの。キラさんもすごく辛そうだった」
「そうか……キラさんもハヤトさんのことで責任感じてるんだな。リュウジさんに言わない決断も、リュウジさんとの関係性を考えて出した苦渋の決断なんだろうね」
「うん。キラさん自身が、すごくリュウジさんを大切に思ってるって、そう感じたの。あの二人って、やっぱりいいよね?」
そうやって務めて明るく話す葉月を、裕貴は静かに見つめる。
相当怖い思いをしたはずで、なんなら無事とは言い切れない事をされて本当は傷付いているのかもしれない葉月が、彼らのことを懸命に話す姿に、寄り添いたいと思った。
「そうだよな……でもさ葉月、だからってあの二人をひとつのベンチに座らせるなんて…ふふふ! これは葉月でないと出来ない技だとおもうよ!」
「あはは! そう? 私ってそんな無茶ぶりしちゃったんだ?」
「そうだよ! 周りから見りゃ、相当恐ろしいことを簡単にやってのけたって感じ! マジで崇拝されるぞ!」
「ヤダな、大げさよ!」
「あ……そろそろビール持って行かないと、間が持たないんじゃない? あの二人……」
「そうね! 急がなきゃ!」
裕貴と葉月は勤めて明るい表情で、慌てるように階段をかけ降りて食堂に行き、ビールを4つトレイに乗せて持ってあがってきた。
テラスのガラス戸越しに、二人の背中をのぞく。
「何話してんだろ?」
「なんか邪魔したくないよね? いい話してるかもしれないじゃない?」
「そうか? ボクは聞いたことないけど」
「でも見て。なんだか静かな感じ……」
「確かに。こんな眺めも珍しいから、しばらく見ておくか!」
「そうね!」
裕貴と葉月は、自分たちの分のビールを静かに乾杯して、そこに座ったまま飲み始めた。
「あの……」
「ん?」
「ハヤトさん……」
「えっ? なに?」
葉月は遠慮がちに裕貴に尋ねた。
「ハヤトさんって、まだあそこに寝てるの? 寝てるっていうか……」
「ああ。ソファーに横たわってる。着衣に乱れは……なかった」
「そう……」
「心配……してるの? 被害者なのに?」
「まぁ……本当のハヤトさんじゃないって、キラさんに聞いたし……」
「そうか。あ……葉月はさあ……ハヤトさんが墜ちたの、見たの?」
「うん……なんか一瞬のことで訳わかんなかったけど、キラさんが首をゆっくり絞めて……ハヤトさんの膝がガクンってなったから、それを抱きかかえて……」
「絞め技……そうか。ならきっと大丈夫。酒も飲んでるから、今は酔いつぶれて寝てる状態だと思う。しかしキラさん、さすが武道の達人だな」
「うん。そんな風に見えないよね。華奢だし……なんならスポーツとかそんな好きじゃないタイプに見えるんだけど」
「そう? 今回はフェスだったから曲数も少なくて済んでるけどさ、ツアーだと連日相当体力を使うんだ。だって二万人から三万人のキャパの会場を、歌いながら端から端まで走りっぱなしなんだよ?」
「そっか……そうよね」
「ああ見えてキラさんは自己管理もすごくしっかりしてる。『エタボ』は総合プロデュースはトーマさんだけど、そのトーマさんもキラさんには何も文句つけることもないみたいだしね」
「そう、歌唱力だけじゃないのね」
「最初に言ったでしょ、役者バリの自己演出 って。ホント、キラさんは歌や声じゃないところも超人だよ」
葉月が裕貴の顔をまじまじと見つめる。
「なに?」
「ユウキってさ、人のこと、ホントよく見てるよね? 同い年とは思えないよ。ひょっとして中にオジサン入ってない?」
「なんだよ! 葉月、リュウジさんに似てきたんじゃない? すっかり皮肉屋じゃん!」
葉月が笑っていると、テラスの二人が同時に振り向いた。
「わっ!」
二人は立ち上がってつかつかと向かってくる。
「怒られるよね……」
「たぶんね……」
ガラッと戸が開いた途端、隆二が裕貴の頭をパチンと叩く。
「おい! いつ持ってくんのかと思って待ってたら、なんで二人でここで飲んでんだ! おかしいだろ! おい! なに笑ってんだこの野郎!」
裕貴が隆二に謝っている側で、葉月は微笑みながらキラの顔を見た。
今度はちゃんと、真正面からその目を見ることができた。
キラが葉月の手を取る。
葉月も握手のようにその手を持ち替えて、しっかりと握り返した。
「おい渡辺! お前どさくさに紛れて何やってんだ! その手を離せ!」
「やだね!」
「お前……ふざけんな! いい加減にしろよ」
「だって葉月ちゃん、水嶋の女じゃねえんだろうが、だったら握手ぐらいしても構わないよな?」
「いいから離せよ、渡辺! なぁ葉月ちゃん、ヤバいでしょ? このままこんな奴と手を繋いでたら……」
「何ですか? 妊娠するんでしたっけ?」
「もう……葉月ちゃんまで……あ! 酔ってるんだろ?」
「ふふふ、今、結構飲んだんで……」
「ああ、参ったなあ……」
隆二は額に手を置く。
「あー! もう、ユウキ! 何とかしろや!」
「知らないですよ! お二人で仲良く会話しててくれたらよかったのに。ボク達も同級生同士で話が弾んでたんですよ」
「なんだお前、俺のこと邪魔者扱いする気か? ユウキ! この野郎!」
その師弟のやり取りは、まるで古いコメディ映画を見ているかのようで、傍観者の二人は笑い出す。
「あはは、まるで “トムとジェリー” を見てるみたいですね」
「ホント、マジ傑作!」
「でもね、キラさん」
「ん? なに?」
「いつも『エタボ』の皆さんは、こんな風にキラさんとリュウジさんを見てるんだと……思いますけど?」
「はあっ? オレと水嶋が“トムとジェリー”?」
「ええ! 間違いなくキラさんが “ジェリー” ですけど」
「ひどいな、ネズミ扱いとは……だからアイツらオレが水嶋に捕まっててもヘラヘラ笑ってやがったのか……」
「でしょうね。だって、見てて楽しいんですもん! トーマさんもそう言ってましたよ!」
「トーマ君まで!? くそっ! おもちゃ扱いじゃん!」
「私も大好きですよ」
「そう? 大好きなのはオレのことでしょ?」
「ふふふ」
そう言って微笑みあった。
「おいおい! そこのに人! イチャイチャしてんじゃねぇよ!」
「師匠、もともとイチャイチャしてたのはキラさんと師匠でしょ?」
「なんだとユウキ! オマエ、今日はいつになくナマイキだぞ!」
「リュウジさんこそ、今日は珍しく深酒してるじゃないですか! あ、わかった! トーマさんに歌えって言われたとき、後ろ向いて実はグビッと飲んだんでしょ! 意外と小心者ですよね?」
「なんだとぉー! もう絶対に許さん!」
「うわぁ!」
裕貴がダーッと廊下を走っていき、隆二が追いかけて行った。
「あー……走ってったぞ……アイツら飲みすぎだな。オレらも行っとく?」
「はい」
葉月とキラも駆け出した。
私も酔ってる。
だって……
さっきから、キラに手を繋がれたまま離してもらっていなかった。
酔ってて良かったと思った。
シラフで『エタボ』のキラと、ずーっと手をつなぎっぱなしだったら……
きっと頭が爆発していたに違いないから……
第75話 『Let's Play Tag!』 鬼ごっこ ー終ー




