第66話『Are You Ready? It's Time To Start!』ショーの始まり
野音フェス最終日。
他の出演者の演奏は、すべて終った。
このフェスのヘッドライナーであり、そしてクロージング・アクトでもある『Eternal Boy's Life』の演奏が、いよいよ始まろうとしている。
会場の熱気も上昇し始めていた。
スタッフとしてステージの脇で観るものだとばかり思っていた葉月は、柊馬の粋な計らいで、映像も含めたステージの全貌を見渡せる環境下で観られることとなる。
ファンとして『Eternal Boy's Life』の “ 新しい風 ” を見届けたい……
メンバーそれぞれの “人となり ” を知った今、その上で、彼らを心から応援したい……
そして、きっと自分にも吹くであろう“新しい風”を、全身で感じたい……
すべてをそう出来ると確信しながら、葉月は意気揚々と、PAブースの階段を上がっていった。
入り口を覗くと、PAエンジニアの松島さんがジェスチャーで呼んでくれて、葉月に椅子を用意してくれる。
「いよいよだね! 僕らはあっちのメインミキサーの方に居るから、この辺りのスペースなら、もちろんスタンディングで観てもらっても構わないよ! まだ他にも何人かスタッフが来るかもしれないけどね」
「ありがとうございます!」
「ああ、酸欠にならないように注意してよ!」
そう優しく笑って言った。
彼はもう何年も『エタボ』のツアーにも同行しているそうだ。
重要な立ち位置に居ながらも、その笑顔からは生粋の『エタボ』ファンとも窺い知れる、彼の高揚ぶりも見て取れた。
松島がキョロキョロする。
「あれ? 映像クリエイターさんを紹介しようと思ったのになあ……どうしていないんだろう?」
「映像クリエイターさん?」
「あ、白石さんって、今から流れる映像、事前に見せてもらってるの?」
「いいえ。映像どころか『エタボ』の曲も、ステージリハの時にほんのちょっと聞いただけなんです」
「そうなんだ? じゃあ本番でようやく全部観られるんだね。そりゃ感動するだろうなあ! 今回の映像、僕もちょっと見せてもらったけど、素晴らしかったよ」
「ワクワクしますね!」
「ああ、今回のフェスの目玉だな! 早く見たいだろうけど、ちょっとセットチェンジでステージがバタバタするから、しばらく待っててね」
「ステージ回りが忙しいんだったら、私はやっぱりあっちでお手伝いした方が良かったんじゃないんですか?」
「いやいや大丈夫だよ。手が足らないっていうんじゃなくて、テクニカル的な作業が入るから、どっちかって言うとエンジニアが何人もセッティングに加わってる感じなんだよ。ほら」
松島が指差すステージの上には、楽器の他にもいくつかの照明機器や、おそらく煙玉や音玉、炎が出るような機材が、ぞくぞくと運び込まれて設置されていた。
「松島さん、その " 映像クリエイターさん " ってどんな人なんですか?」
「ん? ああ……白石さんはさ、どんな人を想像してる?」
「あ……そうですね、なんかメンバーよりも年上で、個性的……例えば、夏なのに全身真っ黒で、黒いつばの大きな帽子かぶってたりとか……変わった形のメガネしてるとか?」
「ははは。面白い想像力だね。やっぱそう思う? 実は僕も映像を先に見てるからさ、わりとそれに近いようなイメージがあったんだけど、全くもって払拭されたよ」
「え? 私の想像とは全然違うっていう意味ですか?」
「そう!」
「じゃあどんな感じの方なんです?」
松島はもう一度、辺りを見回した。
「そのうち帰ってくるでしょ。ここに来たら紹介するね、それまで楽しみにしてたら?」
そう言って松島は、モニターヘッドホンを耳にかけながらミキサーの方に歩いて行く。
笑顔で彼を見送り、ステージの方に目をやと、テックの人達と舞台装置のエンジニアが忙しく 作業している中に、裕貴の姿を見つけた。
「わぁ……ユウキもあんなプロ集団の中で立派に仕事してるのね。すごいなぁ……」
少しぼんやりした頭で、この数日間のことを思い返す。
あの日、家の玄関を出るまでの自分は、『Eternity Boy's Life』のただの|一人のファンに過ぎなかった。
みんなが知っている『エタボ』というすごく眩しく輝く光は、そんなみんなと同じような遠い距離だからこそ、ただただ美しいと眺めていられるような、自分にとって無責任な嗜好的存在だった。
楽しく旅行気分で車に乗せてもらって会場に向かうなかで、ドラマーとしての隆二を初めて知り、裕貴に出会って色々な事を教えてもらいながらも、ちょっとずつ自分が『エタボ』に近づいているなんて、頭ではわかってはいても、その時はまともに認識すらできていなかったと言えるだろう。
だから、その後に出会った “ タカヨシ ” という存在に大きく心を揺さぶられて、自分を見失いそうになってしまった……
今思えば、何にでも情熱的なキラだからこそ、あの景色を見せてくれたり、思いを受け止めながら多くの話をしてくれたのだろうと思える。
初めて出会ったとは思えないほど気さくな裕貴と同じく、初めて出会ったとは思えないほど気さくな翼と奈々と梨沙子。
みんなでパブリックスペースで過ごした時間でぐんと距離が縮まった。
逃げ出して、自己嫌悪で落ち込んだ時に展望台まで連れて行ってくれて慰めてくれた裕貴。
そして夜中まで話を聞いてくれたルームメイト。
このフェスに来て、一生の友達ができたと思った。
気合を入れてスタッフとしてリハーサルステージに挑んでも、心をうまくコントロール出来ない自分を初めて知り、その壁にぶち当たって、心底ふがいないと思った。
そんな情けない自分を見捨てずに、ショッピングに連れ出してくれた裕貴に心を開いた。
そしてそこで出会ったアレックス。
運命の出会いとも言えるくらい、不思議なほどに心が通じ合った。
ペントハウスのランチに招かれ、間近で柊馬を見た時の胸の高鳴りは、まるで初恋のような高揚感だった。
秘密裏に潜り込んだ、真っ暗なスタジオ内での息が触れそうなニアミス……今思い出すだけも、心臓が早くなる。
そしてそこで一緒に聴いた、キラの渾身の歌……体の中を何か熱いものが通りぬけていくような、初めての感覚に翻弄された。
感動で心が高まって、溢れ続けるその涙の温度は、これまでのものとは比にならなかった。
気遣って開催してくれたであろうバスケットボール対決。
隆二と共にボールを追いかけ、オーディエンスに盛り上げてもらいながら、何かひとつ自分の将来への展望が見えた気がした。
イベント業界に足を踏み入れる勇気と決心が、自分の中に生まれ始めた。
そしてようやく、自分が少しずつ成長していることに気付く。
緊張やに恐れをなして逃げるよりも、そこを乗り越えながら対話し、心揺さぶられようとも心に残る言葉を受けとる方が、何十倍も幸せであることを知った。
トーマが楽屋で話してくれたことは、まるで宝石のように心の中で輝いている。
そして今、いよいよこのフェスに来た真骨頂である『Eternal Boy's Life』の演奏が始まろうとしている。
彼らを間近に感じることができ、しかも今までとは違った何かが動き出して、それに基づいた 変化の瞬間を、この目で目撃することができる。
たった数日で、もうあの頃の自分には戻れないような、多くの体験と多くの思いを積み重ねてきた。
今からのこの時間を深く心に刻もう。
そして新しい自分であの街に帰ったら、新しいことを、始めよう。
そう心に誓った。
松島がやってきた。
「白石さん、セッティングが終わったみたいだよ。君にとっても忘れられない夏になるかもな。おお! そろそろか?」
板付だと言われていたアレックスが、ソデ付近にいるのがチラリと見えた。
あとの4人はリフトでステージに上がってくるはず……
もう、カウントダウンは始まっている。
舞台にスモークが焚かれ、神秘的なエレクトロニックサウンドのSEと共に、巨大なスクリーンには宇宙のような渦巻いた映像が映し出された。
会場からの熱気が上がってくるほど、観客は沸き始めてきている。
突然、ノイジーなギターの音が切り裂くように入ってくると、フィルと共にトリッキーなドラムが始まり、ドラムセットがステージにせり上がって隆二が現れた。
会場が一気に沸き立つ。
力強く全身をしならせてドラムを叩く隆二の激しい動きと少し苦痛を伴ったような表情はこの上なく魅力的で、その艶かしさに葉月は思わず吐息を洩らした。
アレックスの流れるような美しいピアノが重なり、ドラムとピアノそして映像という、その絶妙なる不安定さは、まるで不思議な世界観の物語が始まるかのようだった。
一瞬、停電でも起きたようにすべての音と光が消えたあと、大きな爆音と共にリフトからトーマとハヤトが姿を現した。
観客のボルテージは一気に上がる。
そして始まるイントロ……
その時、コンカッションと共にリフトから キラが大きく飛び上がった。
会場が悲鳴のような歓声に包まれ、観客は今度はあっという間にその歌声に心をさらわれた。
挑戦的に放つ青い瞳からの視線に、心を撃ち抜かれる。
バックスクリーンとシンクロした曲のリズムからバーストした映像で、ボルテージは一気に最高潮まで駆け上がる。
1曲2曲とハイテンポなナンバーが続き、観客もトランス状態に陥った。
もう観ている会場のすべての人間が息を切らした頃、キラは片手を上げて叫んだ。
「Are you Having fun?」
観客はちからを振り絞って歓声で応える。
キラが辺りを見回す。
「ありがとう」
狂喜に満ちた歓声がおさまるのを待って、キラは静かに話し出した。
「この曲を書いたときは、オレら10代だった。
こんな形で、こんな大勢の前で、何年も先になってまでも、こんなふうにこの曲を歌えるなんて、思いもしなかった。
夢ってのがなんだかよくわかんなくて、とにかく、その時その時を一生懸命過ごした。
その時に見える景色を、憤りを、ささやかな景色すら、とどめたくて、忘れたくなくて……
だからそれを曲にしてさ、今でもその時の気持ちのまま、オレたちは演ってる。
みんなさ、オレたちが順風満帆にやって来たと思ってるか?
そりゃさ、こんな豪勢なステージに立って、こんなたくさんの人に見守られて、支持してもらってさ、こうして一緒に楽しんで……確かに幸せだよ?
だけどさ、 “ 運 ” とか “ なんとなく ” でここまできたんじゃない。
オレらは今ここでかみしめてる幸せの何倍も苦い思いをして、その代償を払って、ここまできたんだ。
潰されかけても立ち上がったし、痛みを感じてもそれを乗り越えて、新しい事に挑戦してきた。
みんながみんな、オレらに協力的なわけでもないし、みんながみんなオレらのことを好きでもないし、それでも負けずに仲間と助け合って、オレらはここまで来て……
そして今、ここにいるみんなとこうして出会えて、幸せだと思える瞬間を勝ち取ってるんだ。
だから綺麗事なんて言えない。
信じれば必ず夢は叶うとか、そんなこと簡単に、無責任には言えない。
だけどさ、願わない限り……そう、思いを募らせない限りは、何も叶わねぇんだ。
それは、歩くために足を一歩前に出さないと前に進めないのと同じでさ、ごくごく単純で簡単なことなんだよ。
だからみんなも、オレら『Eternal Boy's Life』の思いや憤りが散りばめられたこの曲を聞いて、何かを感じてもらえたらいいなと思います。
そして今日は、オレらと一緒になってここで大暴れして、今生きてるっていうこの瞬間、この幸せを噛み締めて、それを糧に明日を生きてくれたらいいなって、そう……思います」
ステージで多くの光を浴びながら、キラが感極まったように俯いた。
観客は皆、キラの名前を叫ぶ。
「ありがとう」
そう言ってキラは頭を下げた。
そして、グッと頭を持ち上げると、青いその視線を空に向けた。
『Feelings Of You !』
更なる歓声が、会場を埋め尽くした。
第66話『Are You Ready? It's Time To Start!』ショーの始まり ー終ー




