第53話『Man Of Great Importance』重要な人物
マネージャーの香澄に、葉月のことで突っかかられた隆二は、終始憂鬱な面持ちだった。
これから裕貴と合宿所に向かい、葉月とそのルームメイトと共に中庭でバスケットボール対決をするというポップなイベントに向かう割には、2人の気持ちはアンニュイに傾いていた。
懸念しているのは、癖のある性格の香澄から、やたら葉月の名前が発せられることに対する不安だった。
静かに車に乗り込む隆二に、裕貴が出す。
1年と少し前に起こった、ある事件についてだった。
「リュウジさん、ひょっとして “ アノ時 ” から更に、なんかありました?」
「お前なぁ! オブラートに包んでんだか誇張してんだかよくわかんねぇ言い方すんなよ!……もともと、いや、そもそも、アイツとはなんもないんだから!」
「じゃあ、“ アノ時 ” の香澄さんじゃない方の女の人は、あの後一体どうなったんでしょうか?」
「お前……マジ恐ろしいことをぶっ込んでくるなって! みんな誤解してるけど、あの子とも俺は何でもない。なのにみんなが妙な思い込みをするから。それで香澄が……」
「うわ……思い出すだけでも、おぞましいですね」
「お前から話を振ったんだろうが! 何度も言ってるが、そもそも俺は全く関係ないんだ! わかったか!」
「そんなのわかってますよ。結局 “ アノ時 ” も、そして今も、香澄さんが勝手にリュウジさんのことが好きなだけなんでしょ? ホント、モテる男はツラいですね。香澄さんのみならずアレックスさんも、リュウジさんの虜ですから」
「ユウキ……お前なぁ! 俺をからかうなんて5万年早いんだよ!」
隆二は裕貴の耳を思いっきり引っ張った。
「痛っててて! 運転中なんですから、危ないですよ! 冗談なのにそんな怒んないで下さいよ!」
裕貴はハンドルを握り直す。
「ただ……さっきの感じではちょっと葉月の事が心配かと」
「なんで?」
「わかんないですか? 香澄さん、葉月のことをカナリ意識してたじゃないですか。ひょっとして “ アノ時 ” と同じような事が起きないかと……」
隆二がゾッとするように肩をすくめる。
「起きるわけないだろ! もし、そんなことになったら……」
「リュウジさん、葉月の事はちゃんとボクが見てますけど、もし香澄さんがなにか起こしそうになったら、阻止して下さいよ」
「わかってる……で、その葉月ちゃんは最近どうよ? さっき、あれから何してたんだ?」
「ああ……ペントハウスを探索してました。シアタールームとかギャラリーとかプールとか。後はプレイルームの充実ぶりにかなり驚いてて。楽しそうに見てましたよ」
「おお、そうか」
スタジオに潜入したことは、伏せておいた。
「合宿所でもだいぶ打ち解けたみたいで。まぁ初日から葉月は色々あったんで、彼女達にも色々協力してもらったんです。今から会いますけど、そのルームメイト達とも本当に仲良くて、楽しそうにキャッキャやってますよ」
「そっか。そういうお前も、去年よりうんと楽しそうだもんな」
「そうですね。この1年でようやく『Eternal Boy's Life』メンバーとも馴染んだって感じですよ。この前の年末のツアーも、なかなかディープだったでしょ?」
「確かに。濃密だったな」
「はい。まあ、お陰でメンバーのみなさんとも打ち解けましたしね。でもそんなボクと違って、葉月はルームメイトと一瞬にして馴染んでますよ」
「やっぱ社交性はあるね、体育会系女子は」
「ははは、でもやっぱり “推しメン” にはからっきし、ってところですね。ホント、初日なんてどうなることかと思いましたし」
隆二がまた裕貴の耳を摘まんだ。
「あーあ、どうせ俺は安全牌だ! それが言いたいのか?!」
「……リュウジさん、今回はいつになく卑屈ですね? もしかして本気なんですか?」
「お前ぶっ殺すぞ! 俺をからかうなって言ってんだろ!」
「ああ、怖い怖い! それより、リュウジさん、本番前日なのに合宿所の方に来ても良かったんですか?」
隆二は怪訝な顔をする。
「何言ってんだ! お前がバスケに誘ったんだろう!」
「そりゃそうなんですけど……皆さんで一緒に食事取らなくても?」
「別にいいよ。もうリハも打ち合わせも出来てるしな。あとはまぁ、本番迎えるだけって感じだし。明日も前半にいろんなバンドがあるから、俺らも割とのんびりやれると思うし。まぁ……こういう考えがサポメン的なのかもな」
「なんだか、自虐的発言ですよね?」
「そうだな……なんかわかんねえけど、今回は色々考えさせられるわ。年々俺の立ち位置、わかんなくなってきてるしな」
「そうですね。『エタボ』的にリュウジさんは、サポメンというよりも “ レギュラー ” で、でも “ レギュラー ” というよりはもう “ メンバーの一員 ” って感じですから。あ、分かった! だからこうやって、わざと夕食を抜けてきたりするんじゃないんですか?」
隆二はギョッとした顔で裕貴を見つめる。
「……お前ここんとこ何気に鋭いな……ぜってぇ1年に7つずつ年取ってるに違いねぇ! 気付いたら “ 成犬 ” 通り越して “ 老犬 ” になってんぞ!」
「ひっどい表現ですねぇ」
裕貴はハンドルを握りながら笑っていた。
ペントハウスのエントランスのソファーには、颯斗と、スタジオから戻ってきたアレックスが座っていた。
柊馬がやってきて、マネージャーの香澄に聞く。
「キラは? まだか」
「さっきまで外出してたので、今着替えに部屋へ上がっているようです」
「そうか」
柊馬はアレックスをチラッと見た。
P-StudioとV-Studioは間隔が開いてる。
だから、お互いにスタジオに入ってたとは
気付いていないようだ……
柊馬は真っ暗なPAブースでの出来事を思い出していた。
ここに来た初日にも感じたことだったが、今回のキラの渾身の歌は、明らかに新たな卓越性を感じた。
そして、それを全身に受けて涙を流していたあの女の子のことが頭によぎる。
ほんの少し話しただけだったが、キラが彼女の言葉に突き動かされた理由が解ったような気がした。
柊馬の電話が鳴った。
画面表示を見て眉を上げた柊馬は、その場で出ると、しばらく電話の主と会話をする。
その間に部屋から降りてきたキラが、いつになく友好的に話をしている柊馬を指差しながら、みんなに誰と会話しているのかを聞いて回るが、全員が首をかしげるだけだった。
電話を切った柊馬が言った。
「ああ……リュウジはもう行っちまったよな?」
マネージャーの香澄が答える。
「ええ、さっき大浜くんと降りていきましたから、もう合宿所の方に着いてるんじゃないでしょうか。どうかされましたか?」
「ああ、映像クリエイターがこっちに着いたみたいだから、一緒に食事することになった」
メンバーが反応した。
「そっか! じゃあ合宿所から水嶋を呼び戻す?」
キラがそう言った。
「まあ……そこまでしなくてもいいだろ。早速出るぞ。もうあっちは市内に着いてるらしいから、レストランにも近いみたいだしな」
「OK! なんか映像見て興奮したから会うの楽しみだな」
颯斗が上機嫌で言った。
「トーマ君は会ったことがあるの?」
キラがボディバッグをかけ直しながら聞いた。
「いや、1回Zoomで話しただけ」
「じゃあ、打ち合わせとか曲の細かいイメージとかはメールだけでやり取りしてたってわけか?」
「そうだなあ、大まかなオファーは最初に渡してるけど、あんまり細かいこと言わなくてもわかってくれるんだよ。で、俺が思ってる以上のもん作ってくれるからさ、もうなんかそれでお願いします、って感じでな」
「ふーん、めっちゃイイ感じじゃん!」
アレックスがキラの様子をうかがう。
「今回はいつになく興味あるみたいね?」
「うん。オレ、ああいうの好きだな。幾何学的なエレクトリックなのもいいんだけど、自然の雄大さとか恐怖心とか、そういうのを感じさせるのも要所要所に入ってたじゃん? あの感じがまたいいんだよなぁ」
颯斗も参戦する。
「それに照明も一緒にプロデュースしてくれるんだろ? もう全てお任せみたいな感じだな。俺らの音さえあればいい、みたいな感じ?」
「サイコーだね」
柊馬は満足そうに頷いた。
「よし! こっちの意見はまとまったも同然だな。彼と組めば、今後の『Eternal Boy's Life』のLIVEスタイルは確実に変わってくるだろう。みんな、今日は本気で口説くぞ!」
「了解!」
そう言ってメンバー全員でエレベーターに乗り込み、1階に降りて駐車場に向かって歩き出した。
各々自分の車に乗って、送られてきた店のデータを元に、それぞれナビゲーションを設定する。
「なに、この店。洒落てるじゃない? リュウジも来れば良かったのに……」
そう独りゴトを言いながら、アレックスはバケットシートに身体をうずめた。
最初はこのバンドのやり方に、少し戸惑いを覚えていたアレックスも、今では正式メンバーのごとく、柊馬の提案に従っている。
『Eternal Boy's Life』の方針として、 “ ライブ前夜は飲酒をしない ” のは暗黙の了解。
ロックバンドのわりに、こうした “ 取り決め ” が多いのは『エタボ』の特徴と言えるだろう。
これらの取り決めはすべて、リーダーである柊馬が遂行している。
厳密には “ 深酒をしない ” と吟っていて、社交的なメンバーが、交遊の場をしらけせさせてまで死守させるような鉄の掟では決してないが、おそらくボーカルのキラの喉を気遣って派生した事。
柊馬はことあるごとに “ 生身の楽器 ” と言っては キラに対して注意喚起する。
彼はきっと、キラの声の一番のファンでもあった。
そして今日も、こうやって各々が車に乗って現地に向かうことで、円滑で確実な禁酒が約束されるのだった。
バンドのサウンドプロデュースはもとより、ファッションスタイル、プロモーションからキャラクターイメージを含め『Eternal Boy's Life』に関わる全ての “ 露出 ” に関しては、柊馬の方針で統一している。
バンド全体のケアももちろんのこと、メンバーの個人的な心身のケアにも積極的に関わっていた。
プライベートなことでも問題を抱えていると判断すれば、まるで親友の如く入り込んで全力で助け、反対にデリケートな 問題であれば、まるで親のようにそっと見守る姿勢をとる。
そんな柊馬の兄貴的要素にみんなが惚れ込んで、このteamが成り立ってきた。
こんなバンドは他には中々ないだろう。
珍しく隆二が不在なことに、アレックスは同じサポメンとしてなんとなく心細く思っていた。
このようなバンドにとって重要なイベント的な会合がある時は、自分の立ち位置について戸惑うことがある。
それを察してか、柊馬は幾分強引さを演出して自分を引き込んでくれているのだと感じた。
隆二は、それについてどう思っているのだろう?
今日は意図的に席を外した、とか?
いや、彼は今日の会合は知らないはずだ。
この展開は、珍しいと思った。
こういう重要な局面にこそ、いつもなら自分たちサポメンを巻き込むはずの柊馬なのに……
なぜ、隆二を呼び戻さなかったのだろう?
隆二の本心も聞いてみたいと本当はいつも思っているが、もし逆に自分が聞かれたらどう応えていいか迷うだろう。
それもあって、なかなか隆二にも踏み込めずにいる状況だった。
片田舎の車道を、エンジン音も高らかにそうそうたる外車が連なって走っているが、中にいる人間はさほど優雅に構えているわけではないのだと、アレックスは自嘲的にそう思った。
到着したレストランは何台もの外車を横付けできるような洋館風の外観だったが、メニューをみると日仏折衷の創作料理で、カトラリーに加えて箸も用意されているような趣のある店だった。
ぞろぞろと店内に入ると、身なり正しき支配人が、サッと奥へ誘導してくれた。
「お連れ様がお待ちです」
そう促されて開けられたドアの中へ入ると、1人の男性が立ち上がって彼らを迎えた。
メンバーたちは驚きの表情を隠せない。
あれほどのスピリッツ溢れる創作を生み出す感性の持ち主なら、どんな個性的な逸材であっても受け止める覚悟があった。
しかし……
あまりにもイメージと違っていた。
そこに立っている人物は、爽やかな笑顔が眩しいスポーツマン風の青年だった。
「あら! かわいい!」
アレックスが漏らした一言で、颯斗が笑いだし、柊馬の握手を皮切りに皆が彼を囲んだ。
第53話『Man of Great Importance』重要な人物 ー終ー




