第52話『Suspicious Manager』怪しい存在
音楽スタジオのPAブースに身をひそめた葉月と裕貴は、アレックスの素晴らしい演奏と、キラの渾身のバラードに心を揺さぶられる。
暗がりの中、感極まった葉月は、とめどなく流れる涙と感情を止めることができなかった。
柊馬が退室したあと、そんな葉月を胸に抱きしめてしまった裕貴の心にも、僅かな変化が生まれていた。
ハンカチを顔に押し当てながら、葉月は心の状況を話し出す。
「ただ生歌に感動したっていうだけじゃなかったの。なんかね、心の真ん中の “ 芯 ” みたいなものを全部引っ張り出されちゃったみたいな……もう、気持ちがグチャグチャになっちゃって。すごく幸せなんだけど、すごく切なくなって……ああどうしよう、また泣きそう」
葉月は胸を押さえた。
「葉月はさ、ここに来てから心休まる暇がなかったんだろう。もちろん毎日楽しいだろうけどさ、刺激がいっぱい過ぎて、きっといい意味でも、気持ちが定まることなく不安定なんだな。解るよ」
「ありがとう……ユウキ」
「なんか、そんなことでお礼を言われてもあんま嬉しくないけどな。ミュージシャンとしては、聞き手の心を揺さぶって全部奪っちゃうようなアーティスト側になりたいって、思うだろうからさ。その点、やっぱり『Eternal Boy's Life』のキラは天才なんだな」
またガチャンとドアの音がして、ミネラルウォーターを片手に持ったキラがブースに戻ってきた。
「葉月、見つかっちゃう前にここ、出ようか。後の曲は、当日のお楽しみにしなよ」
「うん、わかった」
キラがパッと振り返って、その真っ青な瞳がこちらの窓に注がれた。
視線が合ってしまったような気がして、2人とも心臓が止まりそうになったが、キラのその美しい顔の表情に変化は見られなかった。
無関心にスッと視線を外したその様子だと、やはりこちら側は見えていないらしい。
2人は慌ててPAブースから退散した。
別に誰に追いかけられているわけでもないのに、2人は走りながら階段を使ってペントハウスから外に出た。
木漏れ日がキラキラと身体を包み、そのまぶしさに目を細める。
「びっくりした! うわぁ、暗いところに居たから目が開けられないよ!」
「ホント、マジで見つかったかと思ったよな……しかし、アレックスさんのストイックさにも驚いたと思わない?」
「ほんと、1回も止まってないよね。ずっと弾き続けてて……」
「まさしく職人だな」
「うん。素敵よね……アレックスさんの才能とか感性が、あの指からあんなに情熱的な音楽として奏でられて……頭の中を覗いてみたいよね」
2人はそのまま駐車場へ向かった。
合宿所に向けてRange Roverを走らせる。
「トーマさんてさぁ」
「え!……うん」
すぐさま葉月が反応しているのがわかった。
「アレックスさんのことも、リュウジさんのことも正式メンバーに迎えたいみたいだな」
「うん、そうね。なんか、" 2人の事を思いすぎて言い出せない " って感じだったよね?」
「正直、ボクはそれが聞けて嬉しかったよ。ボクも、トーマさんと同じ思いだから」
葉月はそんな裕貴の横顔をじっと見て、微笑んだ。
「なんか……愛に溢れてるなぁ!」
そう言いながら、陽に向かって大きく伸びをした。
裕貴が皮肉を言う。
「そう言う葉月だってさ、あのブース内では、トーマさん対してもキラさんに対しても、愛が溢れすぎて、もはやこぼれ落ちてたけどね」
葉月の顔が赤くなった。
「ほーら図星!」
「もう! ユウキ!」
「 お? 調子、出てきたな。ほら着いたよ! その分だとシュートもバンバン決まるかもね?」
「わ! 今からバスケだ! 嬉しい!」
分かりやすく舞い上がる葉月を、チラッと見ながら、裕貴は車を停めた。
「葉月……中学生みたい。いや、やっぱり “ 子犬 ” かな?」
「もう! そんなこと言うなら、絶対に手加減してあげないんだからね!」
「お! 宣戦布告か? 受けて立つ!」
葉月は余裕の笑みを向けてくる。
「じゃあ後で。リュウジさん、連れてくるからさ、葉月は着替えて翼たちと合流しといて」
「了解! ありがとう、送ってくれて」
軽く手を振って、スカートの裾を揺らしながら舞うように歩いていく葉月を、裕貴は微笑ましく見つめながら、あの暗闇の中で芽生え始めた形のない気持ちを、胸の奥底にグッと押し込んだ。
部屋に戻ると、葉月はスタッフTシャツとショートパンツ姿で、ルームメイトの3人の帰りを待っていた。
「葉月! 戻ってたんだ?」
「お疲れ様!」
葉月は笑顔で出迎えた。
みんなの顔を見るとホッとして、元気も出る。
「なんか、会うのが久しぶりって感じ! 今日は忙しくてさ」
「ホンマ、すっごいヒトやで! 過去最高の動員数やねんて。でも明日絶対に今日を上回るやん?」
「そうだろうね! みんな『エタボ』を観に来るんだから」
「みんな疲れてる?」
葉月は人数分のミネラルウォーターを冷蔵庫から出して、みんなに配った。
「サンキュー! いやいや、このくらいは大丈夫! バタバタしてたけど、やっぱりフェスの雰囲気って好きなんだよね!」
「せやな、今日もめっちゃ盛り上がってたしなぁ」
「ねぇ、葉月ももう準備できてるみたいだし、早速バスケしに行こうよ!」
「ねぇ翼、ホントにバスケゴールなんかあるの?」
奈々が怪しい目をして、翼をじとっと見た。
「あるんだって!」
梨沙子がグッと葉月ににじり寄ってきた。
「なぁ葉月、ホンマに“リュウジ”が来んの? まだ信じられへんわ!」
「あはは、聞いてよ葉月! 梨沙子さぁ、何気に楽しみにしてて、もう昼くらいからずっと言ってるのよ!」
「そうなのね。多分ユウキが連れてきてくれると思うけど……私は直接リュウジさんとその話してないんだけどね」
「ああ! 早よ会いたいわぁ! もう、ほんならさっさとメイク直して、さっさと行こ!」
「ん? メイク……?」
裕貴は葉月を合宿所に送ってから、再びペントハウスに戻った。
4階のエントランスに入ると、隆二と颯斗がソファーにいた。
キラとアレックスは、まだスタジオにいるのか、そこに姿はなかった。
「今夜のお食事はどうします?」
マネージャーの牧野佳澄の声がした。
「そうだな、ライブ前日だから、まあちょっとゆったり食事をとりたい気分かもな」
佳澄と並んでそう話しながら、柊馬もソファーに向かって歩いてきた。
「あら、大浜くん。お疲れ様。珍しいわね、隆二と別行動なんて」
佳澄のその好奇に満ちた視線に少し胸騒ぎを感じながらも、軽く挨拶をした。
「ねぇ、ひょっとして、あの可愛いお嬢さんのお世話とか?」
やっぱりそう来たか……
そう思っていたら、柊馬と目が合った。
裕貴はほんの少し眉毛を上げながらも、にこやかに対応した。
「いや、まぁお世話ってわけじゃないですけど、彼女もステージ回りの仕事をしてもらってるので、そのフォローはしてますよ」
佳澄は裕貴の方に向き直して、上目遣いにじっと見据えた。
「へぇ。 なんだか昨日の朝は散々だったみたいだけど。ちょっとは慣れたのかしら? 彼女」
「ええ、まあ」
「大浜くんと同い年ぐらいじゃない?」
「そうですけど……」
隆二がソファーから声を上げた。
「ユウキ、別に佳澄に律儀に話すことないぞ。どうせつまんねー好奇心なんだから」
佳澄は隆二がそう制するも、全く気にせず話を続けた。
「やっぱり同じ年なんだ! お似合いだなぁと思って。少なくとも隆二よりはね」
「佳澄……口出しは無用だ!」
隆二がソファから身を乗り出して言った。
「あら、私は『Eternal Boy's Life』のマネージャーよ? あなたには、ここで演奏する限りは、私の話も聞いてもらいますからね!」
佳澄は悪びれる様子もなく、微笑んで言った。
「では柊馬さん、市内のレストランを予約しましょうか?」
「ああ、じゃあそうしてくれるか」
「わかりました」
不穏な空気を払拭するように、柊馬が切り出した。
「葉月ちゃん、いい子じゃない?」
颯斗が過剰反応する。
「ええっ! トーマがそんな風に女の子に興味持ったの、俺初めて見たわ!」
「おい、なんだその誤解を生むような発言は? 彼女、性格も良さそうだし、しっかりしてるし。なぁリュウジ?」
「ああ……まあ」
「は? しっかりしてるかぁ? むしろ危なっかしいタイプなんじゃねーの。なんかもう、必死で平常心保とうと頑張ってるようにしか見えなかったけど? いやいやそれよりさ、絶対珍しいって! トーマが女の子について話したり、まして “ ちゃん付け ” で呼んだりとか。ありえねぇわ!」
颯斗は一人で盛り上がってる。
柊馬はまたチラッと裕貴を見てから言った。
「いいじゃねえか、俺のファンなんだし!」
颯斗が首を振りながら言う。
「いや、確かにトーマのファンではあるけど、あれは確実にアレクのペットだぞ! しかもキラが珍しく熱くなってるじゃん? 超おもしれぇ! 彼女さぁ、あんな顔して意外と “ 魔性 ” なんじゃん? どうなのよ? リュウジ」
その言葉に、隆二は憤然と答える。
「んなわけないだろ!」
佳澄がタブレット端末をソファーまで持ってきて柊馬に渡した。
「あら、隆二もすっかり騙されてたりして? 白石葉月さんか……あの子、なかなかやるわね」
佳澄はじっと隆二を見つめる。
「いいね、この店。じゃあ佳澄、ここの個室、予約しといて」
柊馬の依頼に、香澄は業務的に返事をする。
「はい」
隆二が手をあげた。
「ああ、俺は今夜は合宿所の方で食事するつもりなんで」
「ボクも同じく」
裕貴も続く。
「へぇ、2人して? また白石葉月さん?」
佳澄が含んだような言い方をした。
「いちいち突っかかってこないでくれ。今日はもともと合宿所で飯を食うことに決めてたんだ」
隆二がソファーから立ち上がった。
「へぇ、なぜなの?」
香澄が絡む。
「俺の好きなメニューだからだ」
隆二の発言に、颯斗がソファーで大爆笑した。
「じゃあ、行ってきます」
メンバーにそう言って、裕貴の居るエントランスの方に歩き出した隆二の背中に、ソファーから柊馬が声を投げかける。
「俺のファンによろしくな! リュウジ」
隆二はすっと立ち止まって振り向くと、ジロッと柊馬を一瞥してから、またスタスタとエレベーターホールの方に向かって歩き出した。
エレベーターに乗ると2人同時に溜め息をつく。
「なんだよ、その溜め息は」
「リュウジさんこそ」
「俺は別になんでもねぇよ」
「ウソばっかり。佳澄さん、前より増してリュウジさんに突っ掛かって来てるじゃないですか」
隆二はさらに苦い表情をする。
2人は幾分うつ向きがちに、エレベーターを降りて駐車場へ向かった。
第52話『Suspicious Manager』怪しい存在 ー終ー




