第47話『Stairway to Heaven』天国への階段
ステージリハーサルが始まった。
キラの合図で隆二がカウントを打つ。
鋼のようなハイトーンのハスキーヴォイスと、共鳴する疾走感溢れるサウンドと、足元から突き上げてくるような重低音に、身体が痺れるような感覚に陥る。
夢の中に落ちる寸前でプツンと音が止み、前のめりに転びそうになることも幾度とあり、リハーサルの聴き手として自分は不向きだと、改めて思い知らされる。
しかもその合間には、昨日同様にシリアスなディスカッションが行われた。
キラはイヤーモニターからの “ 返し ” のバランスが良くないと、テックと話し込み、フロントの2人も、アンプの調節をしたりエフェクターの踏み替え操作をしながらPAに要請を出していた。
裕貴も何度となくドラムセット回りに行っては隆二の指示を仰ぎ、ポケットから金具のようなものを出して調整していた。
彼らがPAに向かって発する言葉の中には、“ 聴いてくれている人たち ” “ オーディエンス ” “ ファン ” というワードが多く使われていた。
そうやって彼らの音楽は、より繊細に完成度高く作り上げられ、そして職人として最高なものを、誠実な気持ちでファンに届けているのだということがよくわかった。
彼らの音やパフォーマンスに対するこだわりが見えて、葉月の中で一瞬ミーハー的な気持ちが消えた。
短いリハーサルの時間が終わり、メンバーがソデに向かって、葉月の横をにこやかに通り過ぎる。
尊敬の念を抱きながらメンバーを見送るつもりが、キラの真っ青な美しい瞳と、トーマが通りすがりにチョンと肩に触れたことにキュンとしてしまって、また一瞬にして一ファンに戻ってしまった。
「葉月!」
アレックスが前に立ち塞がる。
「アンタ、またぽーっとしてんじゃないでしょうね?」
「ああ……ごめんなさい」
アレックスはため息をつきながら葉月の肩に触れる。
「アンタね、謝ったら認めたことになるでしょ? ホント、おバカなんだから」
隣にいた裕貴がプッと吹き出す。
「さぁ、行くわよ」
アレックスは美しい笑顔を葉月に向け、そのまま彼女の肩を抱いて楽屋へ連行していった。
裕貴の後ろから隆二がやってきた。
「お前の役割、すっかりアレクに取られてんなぁ」
「アレックスさん、もうすっかり " 飼い主気取り " なんで」
「ははは、だな? おい、お前の顔に淋しいって書いてあるぞ?」
「別にそんなことないですよ。仕事が一個減ったぐらいで」
「フン! なかなか素直じゃないな」
「そんな悠長なこと言ってられるのも今だけですよ。さすがにペントハウスに入ったら、葉月は平常心じゃいられないと思うんで。結局ボクが世話しなきゃならなくなるんですから」
「なんだ? お前も葉月ちゃんの事、飼いたいのか?」
「別にボクは……」
隆二は裕貴の頭を指で弾いた。
葉月はアレックスに連れられて楽屋の前まで来てはみたが、中を覗くとトーマもハヤトも 半裸で、とてもとても入ることが出来ず、またパニック状態に陥りそうになっていた。
楽屋の前にしゃがみこんでいる葉月を見つけた隆二は、裕貴に視線を向ける。
「お? ペントハウスに行くまでもなく、お前の出番か?」
裕貴は隆二を置いて、小走りに葉月に寄って行く。
「今度はどうしたの?」
「いや別に……お着替えの邪魔をしないように、こうしてるだけで……」
「へぇ、顔真っ赤だけどね」
そう言って裕貴は笑った。
「もう、ユウキ! うるさいよ」
楽屋からアレックスが出てきた。
「ユウキ、この子さ、一回合宿所に連れて帰ったら? ペントハウスでランチする手筈にしたから、着替えさせてきて。ユウキも今日はこっちで食べなさいね」
「わかりました」
裕貴は葉月に視線を合わせて言った。
「じゃあ葉月、一回合宿所に戻ろう。この時間だといい感じで中途半端だからさ、車使っても大丈夫だ。多分、合宿所には誰もいないだろうしね。ちょっとリュウジさんに言ってくるから、このまま待ってて」
「うん」
しゃがんだまま裕貴を待っていると、ふっと横に気配を感じた。
ぱっと振り向くと、そこには視界いっぱいの顔に、瞳の青が飛び込んでくる。
「うわーっ!」
そう言って、葉月はよろめいて尻もちをついた。
「あーあー! そんなに驚くことないだろ?! まるで化け物でも見たみたいな顔してさ」
差し伸べられたキラの手をやんわり断る。
「あ……いえ、そんなことありません」
キラは口を尖らせて、抗議のまなざしを向けた。
「じゃあさ、何でそんなに驚くんだよ?」
「その……青い瞳が……綺麗で」
「は? 何言ってんの? 口説き文句か? 実は天然なフリしてやり手だとか……」
キラは、尻もちをついたまま固まっている葉月を見回して、溜め息をついた。
「……なわけないよな、君は」
そう言ってキラは葉月の両腕をおもむろに掴むと、よいしょっと引っ張る。
「わわわ……」
「だから! もうそんなにビビんなくていいからさ。オレ、ゾンビじゃなくて人間だし!」
そう言って葉月の手を取り、地面に着いた手のひらをパンパンと叩いてやった。
「……あ、ありがとうございます」
立ち上がった葉月の後ろから声がする。
「コラーーーァ!」
「うわっ! びびったぁ ……なんだ、アレクかよ! また水嶋の野郎が殴りに来たのかと思ったぜ」
「アタシだって、あんたが何か “ 悪さ ” したら、リュウジみたいに殴りかかるわよ! この子の飼い主はアタシなんだからね!」
「はぁ? 葉月ちゃん、いつのまにアレクのペットになったの?」
「え……さ、さあ?」
「どいつもこいつも怖い怖い! じゃあね、葉月ちゃん」
そう言ってキラは楽屋に戻っていった。
「葉月、アンタ、ユウキと一緒に合宿所に戻るんでしょ?」
「はい。じゃあ、アレックスさんに買ってもらった靴、履いて行きますね」
アレックスは葉月を抱きしめた。
「もう! アンタって子は! カワイイんだからっ!」
裕貴が戻ってきた。
「ああ、アレックスさん。今から車で合宿所に行ってきます」
「わかってるわよ! ユウキ、アンタが目を離してる隙に、またこの子、キラの餌食になりかけてたわよ!」
「え! そうなの?!」
「べ、別に……餌食にはなってないと……」
「ちゃんと子鹿ちゃん見といてくれないと、オオカミにやられちゃうんだから! 頼むわよ!」
そう言って、アレックスも楽屋に戻っていった。
「葉月、まだ免疫できてないのか……体力は男並みにあるのになぁ……」
裕貴のそのつぶやきに、葉月は目を剥く。
「ひどい! 一生懸命、仕事頑張ったのに!」
「あはは、ウソウソ、ゴメンゴメン」
「ウソじゃないでしょ! それがユウキの本音なんでしょ!」
笑う裕貴の胸を叩いた。
その時、耳元で息のかかったウィスパーヴォイスが響く。
「なぁ、そんなひどいオトコと戯れてないでさ、オレと一緒に行こうよ」
「えっ……」
後ろから肩に手を掛けられ、回転した拍子によろめいた。
その相手に腰を支えられた時、またもや青い瞳と視線が合う。
「はっ!!」
葉月が息を呑む音と同時に、楽屋の方から隆二の怒鳴り声が聞こえた。
「渡辺ぇーー!!」
「チッ! また見つかっちまった。ユウキ! パス!」
そう言って葉月の身体を裕貴に委ねて、キラは走り去った。
茫然自失とする葉月に、裕貴は溜め息をつく。
「あーあ、前途多難だ……」
裕貴と共に、葉月は何とか平常を保っているように装いながら、楽屋から出てくるメンバーを見送り、PAに挨拶に行ってから駐車場へ向かった。
「まぁ、まだまだ大変そうではあるけど……葉月自身は昨日よりは少しは成長したかもな?」
「まだドキドキだけどね。でも、昨日の私はただ単に舞い上がってただけで何も見えてなかったけど、今日はね、メンバーがどれだけ真剣に自分達の音楽に向き合ってるかってことが、よくわかったの。ちゃんとお客さんの立場に立って、何を求められてるかとか、聴きたいものは何なのかっていうのを、しっかり考えたうえで自分たちのステージを作ってるんだなぁって。その妥協のないところが、改めてカッコいいなって思った」
「へぇ、冷静に観れてるじゃん?」
「うん。それとね、ユウキも含めテックの人たちとの信頼関係とか、メンバー以外の人たちが彼らのパフォーマンスを最高潮に持っていこうとしてる、その一人一人のプロ意識とか、こだわりとか……なんかそれに凄く感動しちゃったの。チームなんだなって……」
裕貴はじっと葉月の顔を見た。
「え……なに? 私、なんか変な事言ったかな?」
裕貴は黙って首を振った。
「あの短いリハーサルでそこまで感じられる葉月の感性に感動した」
「え? 感動だなんて、大げさよ。実際にいつも直面してる皆さんに比べたら……」
「いや……リュウジさんが葉月に一目置くのも、何かわかる気がしたんだ」
葉月は首をかしげる。
「葉月ってさ、そこに置いてあるものをちゃんと一つ一つ拾うよね? 面倒くさがらずさ。ちゃんと大切なものを見極めて、心にストックしてる、みたいな。ひょっとして、天然に見えて実はとてつもない審美眼の持ち主だったりとか?」
「まさか! いつも息切れしてるのに?」
裕貴はにっこり笑った。
「いいよ葉月、そのままで。葉月の傍で、ボクも色々葉月の思いを聞きたい。自分が見えてないことが葉月には見えてるから、それに気付かされるのって結構楽しいよ」
「ありがとう。そんな風に言ってもらえたら、私でも “ ここにいていいんだ ” って思えるよ」
「ん? どうしてそんなふうに思うの?」
「だって……ここに来てから迷惑ばっかりかけて……ホント、ユウキがいなかったら ボロボロになっちゃってるかもしれないし、合宿所に引きこもってるかもしれないじゃない……」
「なんだ、そんなこと? 葉月はそれだけ “ 敏感な感性 ” っていうことで、いいんじゃない?」
「え……じゃあ、とりあえずそういうことで」
2人は顔を見合わせて笑った。
合宿所に到着し、葉月が部屋に戻って着替えている間、裕貴は中庭を散策した。
「たしか翼がバスケゴールがあるって言ってたよなぁ。ヤバっ! リュウジさんに話すって言ってたのに忘れてた……確かメンズ棟の奥の方って、言ってたっけ?」
中庭の中程に植え込みがせり出して、少し狭くなっている。
そこを抜けると一気に広がった空間があり、そのどんつきにリングが見えた。
「お、ホントにあった!」
メンズ棟の連中はその存在を知っているらしく、ボールが3個転がっていた。
「うん、高さは……高校ゴールぐらいはあるな」
そうつぶやいて球を拾ってドリブルをつくと、少し遠目からシュートしてみる。
一発目はリングに嫌われて、外れた。
「やべっ! もし葉月とやることになったりしたら、下手くそだったら話になんないぞ! 麗神学園か……油断は出来ないけど、とはいえ、相手は女子だし……」
裕貴は何本かシュートを打ってみる。
「よし、45°だったら入りやすいな。待てよ、女子相手なら高さがないからレイアップでも行けるな! けどリュウジさんと対戦するとなると、やっぱミドルから打たないと……」
夢中でシュート練習していると、裕貴の携帯が鳴った。
葉月からだった。
「もしもしユウキ、どこにいるの? 食堂に戻ったら姿がなかったから」
「あーちょっと外で電話してて。車に向かっといて。ボクもすぐ行くから。じゃあね」
裕貴は汗を拭いながら、スマホをポケットにしまった。
「ガチでシュート練習してたなんて、言えるわけないよな」
ボールを置いた裕貴は、苦笑いしながら反対側のポケットから車のキーを出して、直接駐車場に向かった。
第47話『Stairway to Heaven』天国への階段 ー終ー




