第45話『Stage Setting』ステージセッティング
車の前でアレックスと別れた葉月は、大きな紙袋をいくつも下げて、合宿所の食堂で裕貴に手を振った。
明日に、期待と不安を抱きながら……
怪しげな足取りを誤魔化そうと策を練りながら部屋に戻ってきたが、同室の3人はまだ帰宅しておらず、ホッとする。
両手いっぱいのショッピングバッグを、床に置いて一息つく。
今日もまた濃密な夜を送ってしまった。
そう思いながら戦利品に目をやると、靴の箱がちらっと見えた。
葉月の頭の中に、アレックスが投げるウィンクと共に陽気な場面が瞬時に駆け巡り、顔がほころぶ。
先にお風呂を済ませ、髪を拭きながら鏡の前に立つ。
まだ酔いが残って、顔も胸元もうっすらピンク色をしていた。
しかし……いくらすっぴんとはいえ、なんとも平凡な自分の顔。
ほんのついさっき、目前にはこの世のものとは思えないほどの美しいアレックスの顔があった。
あまりの見劣り具合に消沈してしまう。
「アレックスさん、あんなに綺麗だけど……」
そこまでつぶやいて、その後の言葉が見つからなかった。
彼or彼女? もはやセクシャリティは関係ない。
アレックスの豪快で、かつ繊細な、なんとも素敵なキャラクターに心底惚れてしまった。
また会いたいと、切にそう思う。
その “ 会いたい ” という思いは、今まで感じた度の思いとも違う初めての感覚で、後ろめたさも息苦しさもなく、幸せな気持ちで素直にそう思える、真っ白な感情だった。
髪を乾かしていると、部屋の方からガヤガヤと声が聞こえる。
「あ! 帰ってきた!」
そう思って洗面所から出てくると、何故か3人は疲労感を漂わせていた。
「あ……葉月、おかえり」
「いや……みんなも、おかえり。どうしたの? 今日、合コンだったんでしょ?」
「そうよ。合コンなんだけどな……」
「さっき梨沙子と電話した時は、テンション高かったなぁって、思ったんだけど?」
「ああ、あん時はまだよかってんけどなぁ……」
「その後にさ、二軒目に行こうって話になって、ちょっとバーみたいなとこ行ったんだけどさ。そしたらそこにたまたま居た女の子達が、以前彼らと合コンしたことがあったみたいで」
「わ……それは、なかなか……」
「それだけだったら別に私たちも気にしないんだけどさ、その女の子達が彼らを凄く詰りだして……」
「詰る?」
「そう! よくよく話し聞いてるとね、彼らが悪いのよ。そのグループ内の女の子達を無責任にそれぞれが口説きまくって、グチャグチャにされたって」
「へぇ……」
「ようするに、軽い連中だったの」
「それでその男達はもう帰らせて、女の子達と意気投合しちゃったわよ。結局女子会になったのよ! なんでそうなるかな?!」
「まあ別の意味で楽しかったから、いいけどね。その子達もフェスのスタッフだったし」
「そうなの?」
「うん。まぁ……今回は、男はいいわ」
「わ……なんか、翼姉さんがそう言うと、重みが違うんだけど?」
「なによ奈々! 言ってくれんじゃない?」
「まぁ、去年何があったか知らんけど、今回の合コンは翼姉さんが一番ノッてたはずやけどなぁ」
「梨沙子! うるさい!」
「まあ、とにかく今日は早く寝なきゃね。葉月、明日と明後日は忙しいよ!」
「せやな! じゃあ私からお風呂入させてもらうで」
翼と奈々が葉月の横に腰かける。
「葉月、結構飲んでるんでしょ? その顔」
「あ……うん、ちょっと飲み過ぎて」
「そう。梨沙子から、葉月はユウキと二人でアウトレットモールに居たって聞いてるけど、ユウキは車の運転だから飲んでないでしょ? 葉月一人で何杯もグビグビ飲んだの? なんか変じゃない?」
「ああ……ちょっとほら、昼間いろいろあったし……そう言ったら、昨日も色々あったけど……だから! ヤケ酒っぽいっていうか?」
「ええっ! 全然、葉月らしくない!」
「あ……自分でもそう思う。飲み過ぎちゃって、ちょっと後悔」
「えー? 怪しいなぁ! 実はユウキと二人しっぽりデートしてたりして?」
「もしかして……もう?」
ニヤニヤしながら覗き込んでくる2人に首を振る。
「何言ってんの! そんなわけないでしょ! あくまでもショッピングを楽しんだだけよ」
「まぁでも……どうやら本当みたいよ?」
翼がそう言って、奈々の視線を大量のショッパーの方に促す。
「わ、ホントだ……えらく買い込んだわねぇ、葉月」
「あはは……まあね」
葉月はアレックスとのショッピングを思い出して、思わずにっこりした。
「とにかく早く寝なさい! 葉月も朝イチから忙しいはずよ? 明日は『エタボ』は出ないにしてもフェス自体の開催日だから、あの客席もいっぱいに埋まるの。それにたくさんのミュージシャンたちが楽屋に来るしね」
「ああ、そういえば、ステージセッティング、結構大変だって聞いたことある。ユウキはいつも手伝ってるけど、今までステージセッティングを女子が手伝ってんのは見たことないのよ。結構重労働だからさ」
「え? そうなんだ?」
「うん。でも逆に、彼らに振り回されてる暇もないぐらい忙しくなるから、いいかもよ?」
「そうそう! 葉月も一皮むけるんじゃない?」
「ひ……一皮むける!」
奈々が不可解な顔をする。
「ん? 何そこに過剰反応してんの?」
「い、いや、何でもない……」
「じゃあもう葉月は先に寝て。あ、買って来た服、明日見せてよね」
「うん。じゃあ、おやすみ」
2回目の朝はずいぶん早い。
毎年、野音フェス会場の周りは、明るくなる前から行列ができているそうだ。
今日出演するバンドの入りもあるので、朝食も昨日よりも1時間早かった。
スタッフTシャツは3枚支給され、6色の中から好きな色をチョイス出来る事になっている。
昨日は “ タカヨシさん ” が着ていたのと同じ黒のTシャツを選んだが、パニック状態に加えて、晴天の気温上昇で本気で熱中症になりかけたので、今日はパステルカラーにした。
緊張を和らげるようにと、願掛けするかのように選んだ淡いピンクのスタッフTシャツに、昨日アウトレットモールで買ったばかりの同系色の綿カーディガンを合わせて腰に巻く。
ベーシックなボトムスをカバーするサクラカラーがピッタリで、気分も上がった。
中庭に集まって、点呼と担当の割り振りの確認が行われる。
初日は黒が多かった中庭に、今日はカラフルな花が咲き乱れているようだった。
フェス会場の外周にあるグッズ売り場とフードコートに配属された翼と奈々と梨沙子の3人が担当ブースへ移動した後、昨日同様、葉月は個別に山下と打ち合わせて、今日の動きの確認をする。
山下と分かれて、今日は1人歩いて会場に向かった。
フェス初日はインディーズバンドも含め15組のアーティストが出演する。
会場は開演まで5時間、開場まで4時間あるはずだが、会場が近付いてくるにしたがって溢れんばかりの人の波に驚いた。
レジャーシートの持参率が高い場所は、もはやキャンプ場と化している。
会場に入って楽屋通りに辿り着くと、葉月は昨日よりも更に気合いを入れて各控え室のセッティングを黙々とこなしていった。
「うわ……なんかそのスピード、神かかってない?」
その声に振り向いた。
「あ、ユウキ! おはよう!」
裕貴はしばらく葉月の顔を覗き込んでからにっこり笑った。
「おはよ。よかった、昨日のアルコールは残ってないみたいだな!」
「うん、大丈夫。昨日もありがとう」
「礼には及ばないよ、なんせきっと今日明日の方が、葉月の面倒を見る度合いが上がりそうだしな」
「あ……そっか。じゃあ、今日もお世話をお掛けします」
葉月は頭を下げてみせる。
「おっ! なんか吹っ切れた感じに見えるけど?」
「いや……どうかな。ホントのところは緊張してるけどね」
「ま、あんまり気負わないことだな。メンバーは短い時間内でのステージリハーサルになるから、集中してると思うしね。昨日よりは近い場所での観覧にはなりそうだけど、自分を見失わないようにさえしていれば大丈夫!」
「うん」
「無理して急がなくてもいいけど、ここ終わったらステージに来て」
裕貴はそう言ってから片手を上げて、奈落の方に歩いていった。
葉月は更にスピードアップして、控室の準備を終えると、裕貴に言われたようにステージに向かう。
あの “ タカヨシさん ” が乗せてくれた、エレベーター状のゴンドラのそばにある階段をコンコンと上っていくと、裕貴がスタッフの人と話しているところが見えた。
葉月に気付いた裕貴が手招きをする。
紹介されたPAスタッフさんの指示で、ステージセッティング表を確認しながら立ち位置をテープでバミる作業をしたり、タイムテーブルとセッティング表を見合わせながらモニターの位置を変更したり、マイクスタンドの位置を確認したりといった、細かい仕事を教えてもらった。
裕貴がドラムのチューニングをしている間も、スタッフさんに教えてもらったシールドの巻き方を一生懸命練習する。
夢中になって “ 八の字巻き ” をしていると、後ろから裕貴が来てポンと肩を叩いた。
「スタッフさんから好評だよ。頑張り屋さんだねってさ!」
「ホント? 嬉しい!」
「おお、シールドもだいぶ巻けるようになったな」
「まあね。色々ありがとう。裕貴がこの仕事に付かせてくれたんでしょ?」
「そうだよ……って言いたいとこだけど、それはボクじゃなくてリュウジさんなんだ」
「え? そうなの?」
後ろからPAスタッフさんがやってきて、その話に加わる。
「そうそう。意外と物を持ち上げたりする力仕事だし、暑いしさ、体力もいるだろ? だから最初は、女子にさせるのはどうかなって言ったんだけどねぇ。でもリュウジさんが “ 体育会系女子だから大丈夫 ” っていうから」
葉月は頬を膨らませる。
「ええ! 何ですかそれ? 本当に喜んでいいことかなぁ?」
裕貴が笑った。
「ハハハ。まあそれよりは、この辺りから離れないような仕事につかせてやって頼まれて。いやいや、白石さん、予想をはるかに上回る活躍だよ! ありがとうね。ちょっと休憩していいから。ああ、大浜くん、ちょっといい?」
「ありがとうございます」
そう言って元気に頭を下げて、裕貴には手を振った。
軽快に階段を降りて、スタッフ用の控え室でミネラルウォーターを開け、一気に流し込んだ。
少しハードだったけど、でも楽しい仕事だと思った。
ステージ周りは何かしらの仕事があるので、早々に戻ろうと思って部屋から出てきた時に、背後から声が聞こえたような気がして振り向く。
誰もいない。
「おかしいな……でも確かに名前を呼ばれたような……」
辺りを見回してから、もう一度前を向き直して歩いて行こうとしたその時に、強い力で手首を引っ張られた。
そのまま勢いよく隣の控え室の中に引き込まれ、プレハブの壁に背中をぶつける。
あまりの驚きに声も出ないまま、その顔を見上げると、すぐ側に目深にかぶった黒のスタッフキャップがあった。
無造作に下ろした前髪の間からは黒縁眼鏡が覗き、その奥には射すくめるような蒼い瞳が見えた。
「えっ! キ……」
第45話『Stage Setting』ステージセッティング ー終ー




