第4話 『Two Days Before Fireworks』花火大会二日前の悪夢
ふと目が覚めて、辺りを見回す。
ん? ……ここは?
ソファにもたれたまま、眠ってしまったらしい。
一瞬、夜も昼もわからなくなり、無機質なカーテンに目をやった。
夜……よね?
私の部屋じゃない……
ああ、そうか。
なんだか、いい夢を見た。
花火の夢。
二日後にある花火大会に、心がはやっているせいだろう。
子供の頃から打ち上げ花火が大好きで、花火大会は欠かしたことがなかった。
夜空という漆黒のキャンバスに、大きな音と、豪華絢爛な色彩のスペクタクル。
夏真っ盛りの演出で心底感動させておいて、花火が消えると途端に、夏の終わりを告げる無情さに、心揺さぶられるのがたまらなく好きだ。
ツンデレなの?
それとも私が一人で心乱されているのかしら?
ふと時計を見ると、二十一時を回っていた。
遅いなぁ……
その時、鍵穴からのガチャガチャという音がして、彼が姿を現した。
「あ、……葉月」
「おかえり隆史。遅かったね。今日ご飯作って待ってるって、連絡してなかったっけ」
「あ……ごめんごめん。ちょっと高校の時の友達とばったり会っちゃってさ」
「いいけど、連絡してくれたらいいのに……」
「ごめんって。そんな怒んなって」
「別に怒ってないけど……」
ご飯をよそおうとしたら、米は要らないと言われた。
「もしかして、食べてきたの?」
「いや……忙しくて昼飯が遅かったから、あんまり腹減ってないんだよ」
彼は面倒くさそうにネクタイを引き抜いた。
「そう。それはそうと、今週末の花火大会、行くよね?」
「あ?ああ……そうだっけな? 花火大会な」
「乗り気じゃないみたいだけど……」
「いや別に。お前、行きたいんだろ? 花火好きだもんな。あ、この前言ってたサッカーの試合、録画しといてくれた?」
「うん、しておいたわ」
「そっか、後で観よっと!」
今日、私がここに来てることも、今週末が花火大会であることも、どうやら彼は忘れていたらしい。
学生時代から知り合いだった隆史とは、付き合ってもうすぐ二年になる。
強引なところもあるけれど、優柔不断な私には彼みたいな人に声をかけてもらわなかったら、二十代に入っても恋人なんて出来なかったかもしれない。
馴れ合いの夫婦みたいになるのを嫌がる子もいるけれど、私は何だか気楽でいいかもと思える。
「ビール飲みたいなぁ」
冷蔵庫から一缶持って彼のそばに行く。
「はい」
そう言って缶ビールを差し出しても、彼の視線はテレビの方を向いたままだった。
"お前も飲めば?" と言われなかったので、再度冷蔵庫まで行ってミネラルウォーターを取る。
冷蔵庫の隅にイチゴのパックが入っていた。
そうそう、彼がイチゴを買うなんて珍しいので、帰宅したら聞こうと思っていたのだ。
よく見ると、少ししなびている。
「ねえ、イチゴなんてどうしたの? ちょっと傷んでるけど」
「イチゴ? ああ、そういえばさ、お前の母ちゃんに会ったんだよ。で、もらった」
「え!? お母さんに?! いつ?」
「そうだなあ……二週間ぐらい前?」
「二週間も前?!」
そういえば、いつもはたくさんフルーツを買ってくる母がイチゴを一パックだけ買ってきた日があった。
珍しいなと思ったので覚えていたが、それはずいぶん前の記憶だった。
二週間どころか、二十日ぐらい前じゃないかとも思える。
「どうして言ってくれなかったの?」
「は? 母ちゃんから聞いてると思ったよ。聞いてないのかよ」
「まあ……聞いてなかったけど」
彼の視線は依然、テレビに向けらたままだった。
「二週間も前のイチゴを置いておくなんて。傷んだら食べられなくなるじゃない」
「そんなの大丈夫だって」
イチゴパックを出して水洗いをして、お皿に並べた。
傷んでいるものは、ヘタを落として予めいくつか自分で食べた。
テーブルに置くと、彼がようやくこっちを向いた。
「ほら見ろよ! 全然傷んでないじゃないか」
そう言って、添えてあるフォークを無視して、手でバクバク食べ始めた。
一通り食べ終えたところで、番組が終わった。
もう夜の十時だ。
「なぁ、こっち来いよ」
隆史が、ベッドに脱ぎ散らかしていた寝巻きのTシャツと短パンを、床に放り投げてそこに座った。
気分じゃなかった。
でも数日後に花火大会を控えているので、喧嘩をしたくなかった。
身ぐるみ剥がされたところで、彼の携帯電話が鳴った。
彼はすぐにそれを手に取る。
画面を見て「おっ!」と短く言った。
「もしもし! ミホちゃんが俺に電話してくるなんて超珍しくない? うん。分かってるって。サークルの同窓会のことでしょ? でさぁ、オレ思ったんだけどさあ……」
彼は私に飲み物を飲むジェスチャーをした。
水を取ってきてくれ、ということらしい。
私が持ってきたグラスをサッと取って、何やら楽しそうに話しながら飲み干すと、携帯を持ったまま隣の部屋に入ってしまった。
とりあえず、そこにあった彼のTシャツを素肌に着る。
一人で服を拾っていると、そんな自分の姿が鏡に映った。
なんとも滑稽な格好で、本当に自分の顔が付いているかの改めて確認してしまう。
「はあ……」
大きくため息をつくと彼のTシャツをベッドに放り投げて、身支度を整えた。
時計を見上げながら帰ろうとした時、彼が戻ってきた。
「おいおまえ! 何してんだよ」
「もう帰るね」
彼は大きく舌打ちをする。
「泊まっていけばいいだろう!」
「何言ってるの、平日よ。着替えもないし」
「チッ、めんどくさいな」
「あ、いいよ。一人で帰るから」
「そうもいかないだろう? イチゴまでもらってるのに」
「そういう意味じゃないと思うけど……」
「お前のことを、よろしくって言われたんだよ」
「え? お母さん、そんなことを言ったんだ……」
彼はその辺にある服を着てサンダルを引きずるように玄関を出る。
彼がため息を聞くたびに、心の中でもっと大きなため息が出ていた。
蒸し暑い夜道を二人並んで歩いていると、部屋で話すよりも普通に会話ができた。
「明後日だな。花火大会」
「いいの? 行っても」
「ああ。ただ……その日は、花火大会の後、ちょっと…すぐに行かなきゃいけない所があるんだけどさ、それでもいい?」
「まあ……花火が見られるなら」
「花火は見れるんじゃね?」
彼は家の真ん前までは来ない。
いつものように、T字路の辺りで立ち止まった。
「じゃあ駅でね」
片手を上げて、その道をまっすぐ歩いて家へ向かう。
玄関フェンスに手をかけて振り向いた時には、彼の姿はもうない。
いつものことだった。
母は入浴中のようで、なんだか少しホッとする。
普段何も言わないまま心配してくれている母に、どんな顔をしたらいいのかわからなかった。
娘の幸せを願って彼に手渡したであろうイチゴが、心なくしなびたまま放置されていたことにも、申し訳なく思った。
小さなため息をつきながら部屋に入ってスマホをみると、親友からメッセージが届いている。
気持ちがグンと上がるのを感じる。
大学に入ってから一番最初に出来た友達だった。
同じ学部で、マネージメントコースでは常にトップクラス。
優秀なだけではなくいつもポジティブで、側に居るだけで元気がもらえる。
ただのモテ美人じゃない。
男女関係なく、皆が彼女の横を望み、皆が彼女と関わろうとする。
なぜなら、彼女と関わると何らかの温かい思いがもらえて、幸福度が増すのだ。
そんな彼女は、いつでも人の目を見て話す。
やっかみ半分で絡んでいた同性も、しばらくすると皆彼女の事が好きになってしまう魔法のような話術。
彼女が当たり前のようにやってのけるそれが、自分にとっては果てしなく難しい事でもある。
とんでもない『人たらし』で究極の『愛されキャラ』
そんな彼女に、親しくなって間もない時期に問いかけてみた事があった。
どうしたらそんな風に、いつも前向きに、人を肯定的に捉えることが出来るのか、と。
彼女は笑いながら言った。
そんなに器用じゃないよ、と。
自分が完成形じゃないから人に興味があるし、その人の考える事が自分と違えば違うほど面白く感じるのだと。
そして彼女が唯一自分の特技だと自負している事は、目を見て話しているとその人の良いところが、心にフワッと湧いてくる事なのだと。
最後に、彼女は言った。
「私だって辛いこともあるのよ。心休まる親友に助けられて、こうして毎日頑張ってるんだからね。だから私のことを不死身みたいに言わないで、これからも助けてよね!」と。
弱味まで見せてくれるこの素敵な子が、私なんかを親友だと言ってくれるなんて、夢のようだと思った。
だから……
だから私は、もう充分なのだ。
素敵な親友がいて、一応の彼氏も出来て……
それだけで、贅沢なのだと思う。
あんな彼氏のことも、私の親友のような寛大な気持ちで見る事が出来れば、それこそ私の親友が皆に愛されているように、私も彼に愛されるに違いないと、心のどこかで信じていた。
ー PS. ー
それから二日後の、あの花火大会が始まる瞬間までは……ね。
第4話 Two Days Before Fireworks 花火大会二日前の悪夢 ー終ー
Next→ 第5話
A Place Of Nostalgia And Refreshing