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第37話『Throbbing In My Heart』高鳴る鼓動

裕貴にドラムのチューニングを任せた隆二は、まだ『Eternal(エターナル) Boy's(ボーイズ) Life(ライフ)』のメンバーが誰も到着していない中、バックステージをふらふらと歩く。

朝の空気も心地よく、そのままアリーナ側に行ってみても良かったが、隆二の足は控え室側に向かっていた。

数多くある(ひか)え室を、何となく一つ一つ覗きながら、彼女の姿を探している自分がいる。


一番奥の控え室から、葉月がひょいと顔を出した。

「あ、リュウジさん!」

「よお、しっかり働いてる?」

「ええ。あ、ちょっと待ってください」

そう言って葉月は一旦(いったん)控え室の中に引っ込むと、ミネラルウォーターを持って小走りに隆二のもとにやって来た。

「はい! お疲れさまです」

「サンキュー。なんかそんな格好もしてるし、スタッフっぽいね」

「いえ、まだ大したことは出来なくて……」


ー『Eternal Boy's Life』様 ー と書かれた控え室に入ると、隆二が葉月に椅子(いす)をすすめてくれた。

「いえ、そんな! 私はスタッフなんで」

「なに言ってんの、誰もいないんだし、妙な気をまわさないの! で? なんの仕事してたの?」

「ああ、控え室の準備です」

「へぇ。じゃあ、このおしぼりの山とか、お菓子のトレイとか飲み物とか?」

隆二はきれいに並べてあるクッキーの袋を1つつまんで言った。

「はい、あとはテーブルと椅子を出して、テーブルウェアの配置とか……この並びの控え室は全部やりました」

「え、全部! ここの並びっていっても、出演バンド分だろ? だったら『エタボ』省いても10室は下らないだろ?」 

「はい」

「誰も他に見当たらないけど? まさか一人で?」

「ええ。大丈夫ですよ。まあ、そのくらいはやらせてもらいたいですしね」

「大変だっただろ? 山下もなかなかこき使ってくれるねぇ。ま、こなしちゃうところが体育会系の葉月ちゃんらしいけど」


遠くで不規則にトントンと鳴っていたドラムの音が、曲を奏でだした。

「え! 今叩いてるのって……?」

「そう、ユウキだよ。なかなかいいだろ? さては、この日のためにだいぶん仕込んできたな!」

「この曲『Stop The Flow Of Time』ですね」

「え? 葉月ちゃん、ドラムだけ聞いて曲わかるの?」

「そんなの当たり前ですよ! 『エタボ』のイントロクイズで、優勝したことありますもん!」

「そんなのあるの!」

「あ……バスケ部の合宿の余興(よきょう)ですけど……」

隆二が爆笑して、持っていたペットボトルを握りしめたので、中身が飛び出ててしまった。

勢いよく飛んだ水は隆二の肩を濡らす。


「あーあ、そんなに笑うからバチが当たったんですよ!」

葉月は立ち上がると、顔をしかめてベーっと舌を出し、クスッと笑いながらおしぼりを隆二に渡した。

それをなかなか受け取らない隆二に、葉月は首をかしげる。

「ん? リュウジさん?」

「あ……サンキュー。いや、そんなかわいい顔されたら、ボーッとしちゃうじゃん!」 

「もう! なに言ってるんですか、早く()かないと! あ……おしぼりじゃダメですね。余計に湿っちゃうな」

葉月はポケットからハンカチタオルを出した。

「ちょっと失礼しますよ」

そう言って、隆二の肩を湿らせた水分を、ぎゅーっとタオルを押し付けて吸い取る。

「少しはマシになりましたか?」

葉月が座っている隆二をを覗き込む。

「ああ、俺、自分で……」

タオルを自分で押さえようとして手を出すと、葉月の指先に触れた。

思わず二人が手を引いてしまい、ハンカチが隆二の膝に落ちてきた。


「あ、これは……」

そのハンカチに、隆二は見覚えがあった。

あの日…… "親友" が、白石葉月という女の子に返しておいてくれと、隆二に預けた、あのハンカチだった。

隆二の視線に、葉月もそのことに気がつく。

「あれからもう随分(ずいぶん)時間が経ったように思います。人の出会いって不思議ですよね? ただ平凡な毎日を過ごしてた何も知らない私だったのに、今はリュウジさんとこんな華やかなところにいるんですから」

葉月はそう言って、隆二の膝の上に落ちたハンカチを取り上げ、もう一度隆二の肩に押し当てた。

ほんのひととき、二人の中に同じ回想が流れた。


葉月がハンカチを押さえる手を緩め、隆二はその距離に気付く。

「あ、もうほとんど乾いてますね」

乾き具合を確認するために、ハンカチを外して肩にそっと触れた葉月が言った。

その手の温もりがいつまでも消えなくて、隆二は少し焦る。


「あー、そろそろユウキの所に戻ってやるか」

「そうですね」

また曲が変わった。

「あ! これは『Feelings Of You』!」

府人は微笑み合う。

「ハモりましたね!」

葉月は足取りも軽く、隆二の前を跳ねるように歩いている。

片手に持ったスティックケースをちらりと見て、また葉月に視線を戻しながら、隆二は両手でパンと自分の顔を打った。

「よし! じゃあリハ、本腰(ほんごし)入れてやるか!」

後ろから大きな声が聞こえて、葉月はおどけたように振り向く。

にっこり笑って、またくるっと回転して前に向かって歩いていく葉月の背中を見ながら、隆二は小さなため息をついた。


舞台に上がっていくと、裕貴がドラムを叩くのを止めて、立ち上がった。

こちらに歩いて来るのを、葉月が一歩前に出て迎える。

「ユウキ、すごいじゃない! ドラム上手いのね!」

その言葉に、裕貴は大きく溜め息をつく。

「あのさ葉月、誰の前で言ってんの?」

そう言いながら隆二の方に顔を促す。

「あ……そっか」

また葉月がくるりと回転して隆二に笑いかけた。

「でもリュウジさんもさっき、仕上がってるってユウキのこと……」

「あー! じゃあリハーサル頑張ろうかな!」

葉月の言葉を遮って、隆二は両手を上げて大袈裟に伸びたりストレッチをしながらドラムセットに向かった。


PAエンジニアがマイクでアナウンスする。

「リュウジさん、ドラムバランス見ますんで演奏お願い出来ますか?」

「はい、お願いします」

隆二の(つや)やかな声がマイクを通して会場内に響いた。

PAブースからの注文で、セットリスト順にポイントだけ叩いては止まるという繰り返しが行われる。

葉月と並んで立っている裕貴に向かって、隆二がサムズアップ(親指を立てる)サインを送った。

それを受け取った裕貴も満足そうに頷く。


こんなに近くでドラムプレイを見るのも、その振動を感じるのも初めてだった。

隆二が叩き始める度に顔を明るくし、すぐにその曲のイントロを口ずさみながら楽しそうに隆二に見入ってている葉月を、裕貴は少し後ろから微笑ましげに見ている。


PAエンジニアの「暴れてください!」という“フリ”に、笑いながら隆二は大きく腕を振りかぶった。

ダイナミックに始まったドラムソロに、葉月は目を見張る。

隆二のそんな姿を見るのは初めてだった。

荒々しくも正確で、トリッキーなリズムを奏でる。

ワイルドなのにしなやかな身体、長い指の先でテンポよく回るスティックとスネアドラムのハーモニーも、職人の(わざ)そのものだった。

隆二が時折見せる、少し苦しそうな表情や荒い息遣(いきづか)いも、振るう腕の筋肉の動きも、普段と違う色めきを放っている。

「なんて……カッコいいんだろう……」

ポッとなりながら隆二を見つめている葉月の側に裕貴がやってきて、耳元で囁いた。

「リュウジさんがカッコいいのはわかるけど、もうすぐメンバーが揃うから、観客席に下りよう」


名残惜しそうな葉月を、裕貴はアリーナ会場側に引っ張っていった。

まるで裕貴に連行されているかのような放心の葉月を見ながら、隆二も笑顔を飛ばし、最後をキメる。

「ありがとうございました! リュウジさん、サイコーです!」

PAブースからも賞賛の声が上がった。

隆二に向かって拍手を送る葉月の肩に手を置いて、裕貴が改まった口調で話す。

「ボクはリュウジさんのそばでサポートしなきゃならないからステージ脇に上がるんだけど……」

「あ、うん」

「いや……今からメンバーが出てくるんだよ。わかってる? リハなんだから、当然だろ?」

葉月は口元に手をやってハッと息を吸い込んだ。

「ん……一人で観られるかなぁ、葉月……」

過剰(かじょう)なほどに何度も(うなづ)く葉月は、まるで自分に言い聞かせてるように上ずった声で言った。

「ごめん、気を遣わせて……うん、大丈夫大丈夫……ユウキ、もう行ってきて」

葉月の精一杯の強がりに、裕貴はもう一度その小さな肩に手を置いて、ステージに上がった。


何度か彼女を振り返りながらドラムセットに近付くと、同じように葉月を見ていた隆二と目が合う。

裕貴が首を振って、二人は同時に溜め息をついた。

「前途多難……か」

「……ですね」


普段じゃ絶対に入ることの出来ないアリーナ観客ブースのさらに前のスペースに、葉月はたった一人で立っている。

なんとも贅沢(ぜいたく)なこの環境を、心踊る純粋な観客心理で満喫出来ないほど、葉月の呼吸が彼女自身を苦しめていた。


その時、舞台ソデの方が何やら騒がしくなった。

メンバーが来たようだ。

葉月の中に緊張が走る。

「それでは一度、バランスリハやってみます」

PAエンジニアのアナウンスと共に、ステージに人影が現れた。


ものすごくきれいな顔……女性とみまごうほどの肌の輝きとぽってりした唇に、赤みがかった美しい髪をサラッとかき上げたのはアレックスだった。

隆二と同じくサポメンの彼は、一旦ピアノの前に着いてからまた立ち上がり、隆二のもとに歩いて行った。

隆二の手を止めさせて、その肩に手をやりながら耳元に唇を近付けて、何かを(ささや)いている。

思わず赤くなってしまいそうな、絵になる光景だった。

その体勢のまま、ちらっとこっちを向いたアレックスは、葉月に目を合わせると口角を上げて微笑んだ。

ため息が出るほど綺麗で、ポッとしてしまう。


ぼんやりしているのも束の間、ギターのハヤトが入ってきた。

ついさっき梨沙子達と一緒に、キラのインスタで悪戯されているハヤトを見て、大笑いしていた葉月だったが、生身のハヤトはアンニュイで寡黙(かもく)な雰囲気がとても魅力的だった。

歩くだけで絵になるようなスタイルと身のこなしで、モデルか俳優が雑誌からそのまま出てきたような美しい男性だった。


反対側のソデから、スタッフと話しながら トーマが入ってきた。

葉月の心臓が大きく音を立て始める。

スタッフに対する笑顔だったり、しなやかな長身が(かも)す男らしい動きだったり、どれも葉月の憧れの男性像にぴったりだった。

葉月はもう自力で立っていられなくなって 、アリーナの(さく)にもたれかかってしまった。

鼓動が上がって、顔も体も熱くて、手のひらが汗ばんでくるのを感じる。


それぞれ音を出しながら楽器を確認しつつ、トーマとハヤトが向かい合うように 接近して会話をしている。

こんな間近でそのシーンを見られるだけでも、幸せすぎて気が遠くなりそうだった。

なんだか楽しそうに笑顔で会話をしていた二人が、同時にバッと葉月の方を見た。

息が止まりそうになって目を見開いて固まる葉月に、二人はまた同時に笑いかけた。


その後ろから心配そうに眺めている隆二と裕貴の視線にも気付かずに、葉月はまた大きくフェンスに体を打ち付けた。

「もうだめ……」

その場にしゃがみそうになった時、隆二のドラムのカウントが始まった。   

「この曲は……『I'll Always Be here』……」

胸が一気に熱くなった。

もうイントロが終わろうとしたその時、奥から赤いマイクを握ったキラが、一気に走り込んできた。

葉月は口を手で(おお)い、その瞳はロックオンされる。

隆二は苦笑いしながらドラムを叩き、その隣では、裕貴が腕組みしながら小さな葉月を横目で見て、大きく溜め息をついた。


第37話『Throbbing In My Heart』 高鳴る鼓動 ー終ー


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