第35話『Observatory deck at night』夜の展望台
夜風が心地良く、時折目を閉じてすうっと深呼吸している葉月の表情は、ここに来た時よりずいぶん明るくなっているように見えた。
自然あふれる夜景に癒されたのか、裕貴が見る限りでは、落ち着きを感じる。
“全力でサポートもするが、覚悟をもってタフになれ”と、裕貴はそう言った。
それは葉月の胸にしっかりと響き、腑に落ちた言葉だった。
「なあ葉月、ちょっと元気が出てきたように見えるから、それを見込んで言うんだけどさ」
「うん。なに?」
「多分ペントハウスの方でも、既にその話題にはなってると……思うんだよね。いや間違いなく」
「……ああ」
「リュウジさん、結構怒ってただろ? キラさんに事情を聞くって豪語してたし。今日はシアタールームで映像をチェックしながら夕食とってたんだけど、メンバー全員揃ってフランクな感じでやってたから、そういう話題が出ないワケないしね。ちょうど今頃……」
「ああ…… トーマも知っちゃうのね」
「まあ、ハヤトさんもアレックスさんも」
「……そっか」
葉月はおもむろに下を向いて、しゃがみこむ。
「おいおい! しっかりする約束だろ?」
「ああ、ごめん」
「まあ、でも気にするよなぁ……解るけど。明日は多分葉月はリュウジさんの周りで仕事することになるんだ。ステージ周辺な。ってことは、メンバーも近くにいるって事だ。ボクも近くにはいるからフォローするけどさ、当然キラさんとも顔を合わすことになるし、メンバーも葉月のこと認識してるかもしれない。それ、大丈夫か?……ってまあ大丈夫じゃないだろうけど」
「う……」
「だよな? でもだからって、逃げる? ボクから山下さんに頼んで、葉月を翼たちと同じブースの仕事に変えてもらうことだって、出来なくはないけどさ、だけどそれでいいのかって話だよね? 今回はまぁ不測の事態というか、まあ悪戯好きのキラさんがやりそうな事ではあるんだよね、それにまんまとハマっちゃったんだろうけどさ、別にいつものキラさんの “ 軽い悪ノリ ” なだけで、葉月が傷付けられたわけではないしさ」
「うん」
「だけど、その “ノリ ” をさ、なんか葉月がシリアスに捉えたり逃げたりしたら、きっとキラさん、気にするよね? シラケるっていうか? しかもリュウジさんも怒ったままだろうし。 “ ノリ ” っていうのはさ、やっぱ “ノリ ” で返さなきゃダメじゃないかなって。まあミュージシャンってこともあって、お堅いセオリーやコンプライアンスのハードルが低い業界でもあるからね、ボクなんかは男だからかもしれないけど、もうそれはマストって感覚なんだよね。仮にさ、いつも悪戯されてるハヤトさんが、キラさんにマジでキレたり、憔悴して立ち直れないようなタイプだったりしたら、それをインスタで見て楽しいと思う? 後味も悪くて、誰もハッピーじゃないだろ?」
「そうよね」
「どう? ボクの言ってる意味、理解できる」
「すごくよく解る」
「ホント?」
「うん」
「そう? 解ってもらえたらいいんだけど」
「ありがとうユウキ、ちゃんと響いたよ」
「響くほど良い事言ったかな?」
「まあ……そう言われたら、そんなにスゴイ事は言ってないかもだけど?」
「なんだ葉月、調子出てきたじゃない!?」
葉月はにっこり笑った。
「リュウジさんと知り合いになってから、ここしばらく私の周りではね、色々な事が目まぐるしく起こったの。初めての事だらけで、本当は全然対応できてないんだけど、いつもリュウジさんが助言をくれたり誘導してくれてたりしてたんだよね。私、それに甘えてたってことに気が付いてなかった。だから一人になって新しい所にポンと放り込まれたら、途端にパニックになっちゃって……結局今だって、こうしてユウキに支えられてはいるんだけどね。今日、気持ちがコントロール出来なくなって、ひどく自分に驚いたのもあるけど、それよりもね、こんなにも弱い自分のことを本気で嫌になりかけてたんだ。でもユウキが背中押してくれた。 “ 覚悟して、そしてタフになれ ” って。素直にそうしたいと思ったの。もちろん器用じゃないから、バチっと180度切り替えできる自信はないし、明日『エタボ』メンバーに会ったりしたら、やっぱり激しく動揺する気はするけど……でも、迷惑はかけないように、そしてちゃんと音楽を楽しめるように、私、やれるだけの努力をしようって、そう思った」
「そうか、よかった!」
「ユウキのおかげだよ」
裕貴はちょっと照れくさそうな顔をした。
「ボクだって、最初ここに来た時はなかなか気持ちをフラットに出来ずに悩んだよ。大変だった。人のことは言えないよ。ボクだってリュウジさんに支えられて今があるわけだし。年月の積み重ねもあるから、メンバーともうまくやっていけてるってだけだしね」
「ユウキでもそうだったんだ?」
「まあぶっちゃけるとさ、正直 “ ファン ” って、心のコアな部分を根こそぎ持ってかれちゃうじゃん? だからボク的には『Eternal Boy's Life』に初めて会った時よりも、初めてリュウジさんに声かけた時が一番ワァーって高揚しちゃって、本当に自分が何を言ってるのかわからないくらいのパニック状態だったんだ。だから今回の葉月の気持ち、解るよ。話聞いてたら、その時のこと、思い出すもん」
「意外……ユウキでもそんな風になるんだ?」
「まあ高校生だったていうのもあったけどね。でもさ、思い起こすと、あの時の気持ちって、すごくたまらなく輝いてて……葉月も辛いんじゃないだろ? むしろ凄く素敵なことだって気付いてるわけじゃん? ただ気持ちや行動がついてこないだけだよね? だったら、覚悟決めてタフになって挑めば、こんなに楽しくてハッピーなことはない! そうだろ?」
葉月に満面の笑顔が戻った。
「うん!」
「よし! なら帰るか?」
「帰って、みんなにちゃんと私の思ったこと、話すね」
今朝と同じように明るい面持ちで助手席に座ってる葉月に、裕貴はホッとしながらもと来た道に車を走らせる。
「ようやく元の葉月に戻ったって感じだな」
「ご面倒をおかけしました」
「本当だよ! とっておきの隠し玉スポットも、公開しちゃったんだから」
「ごめんごめん、じゃあお詫びに、ユウキに誰か誘いたい子が現れたら、私全力で協力するからね!」
裕貴が葉月の顔をまじまじと見た。
「ん? ユウキ! 前、見なきゃ。運転中だよ」
「ああ、分かってるよ」
どんどん近づいてくる街の明かりにはしゃぐ葉月とは対照的に、裕貴はしばらく前を向いたまま静かに運転した。
「ねえユウキ」
「今度はなに?」
「どうしてあの白亜の建物のこと、ペントハウスって言うの? 普通ペントハウスって言ったらなんかマンションの最上階の一室みたいな意味合いで言うでしょ?」
「ああ、あの建物はすごい造りなんだよ」
裕貴は一通り、施設の説明をした。
「じゃあメンバーが宿泊する部屋は、本当に最上階ってことなのね?」
「そう、あらゆる施設が揃っているその最上階にミングルルームみたいな、巨大なシェアハウスがあるんだ」
「だからペントハウスか!」
「そういうこと」
「あとはスタジオだったりギャラリーだったりシアターだったりコンベンションスペースだったりするの?! スゴイね!」
「カラオケもバーも、それにダーツもビリヤードも卓球もあるよ。リュウジさん、昼間に探索したらしくてさ、ボルダリングとVRも見つけたって、盛り上がってたらしいよ」
「もはやアミューズメントパークね! ユウキもそこに泊まるんでしょ?」
「ああ。ボクは1階下のスタッフたちが泊まってるフロアにね。とはいえ個室だし、そんじょそこらのホテルよりも充実してるよ」
「いいね」
「ただ……まぁホテルほどセキュリティはなってないしさ、楽屋みたいにドアの前に名前が張り出してるわけよ。そしたら去年はほら、リュウジさんのベッドに女の子がさぁ! ……あ、ごめんごめん」
葉月の顔がまた固まりそうになったのを見て、裕貴は慌てた。
「あ! あと屋上にプールな」
「私、それ航空写真で見た」
「航空写真? なんで?」
葉月は裕貴と隆二が荷物を運び込んでいる時の話をした。
「そうか。だからボクが戻った時に葉月は駐車場の端っこにいたのか。……ん? 待てよ、その時キラさんはどこに居たんだろ……」
「え? なに?」
「いや、何でもない。そうそう、プールといえばさ、去年の打ち上げの後かな、他の出演バンドの奴らをあっちに呼んで、卓球大会したりカラオケ大会したりしてたんだけど、その時にさぁ、ハヤトさんが例のごとく酔っ払ってレディースバンドの子に絡んでね。思いっきり突き飛ばされてプールに落ちたんだよ」
「え! それはまた……」
「うん。ハヤトさんの女癖の悪さってみんな知ってるし、いい加減呆れてるからもう大爆笑だったんだけどさ、ハヤトさんがプールから一向に上がってこなくて大騒ぎになって」
「え! どうしたの?」
「どうも泥酔してたからそのまま気を失ったみたいで。キラさんが咄嗟に飛び込んで助けたけど、マジびっくりしたよ」
「うわ、そんなことがあったんだ……」
「そう。キラさんがさ、 “ オレはハヤトの命の恩人だから ” って言いながら、翌日に二日酔いのハヤトさんに、なかなかパンチの効いた悪戯を仕掛けてインスタで晒してたけどね」
「あははは。どれの事だろ? 後で探してみよう!」
「ああ、でもこれは翼たちには言っちゃだめだぞ。信頼してないわけじゃないけど、一応メンバーの不利益になることは言わないってようにって、ボクも契約書にサインさせられてあそこに泊まってるんだ」
「へぇ、そんな契約書があるんだ?」
「まぁ、音楽界のスターと行動を共にしているわけだからね。関係者スタッフ一同、署名してるよ」
「分かった、言わないわ。でもそれだったら、今日のお昼の事はもう話しちゃったんだけど、大丈夫かな?」
裕貴はふうっと溜め息をついた。
「そうだな、キラさんが葉月を騙してスタッフになりすましたっていうのも、なかなかな問題かもしれないけど……まあ、あの3人だけってことなら大丈夫じゃねえか?」
合宿所に車が到着した。
裕貴がシートベルトを外そうとするのを、葉月が止める。
そして、裕貴の右腕をぎゅっと握ったまま言った。
「大丈夫、一人でちゃんと部屋に戻れるから。それから、ちゃんと話すよ。みんなにね! ユウキ、本当にありがとう!」
車を降りた葉月は、玄関に立って大きく手を振りながら車を見送る。
「明日はコーラ、奢るから!」
そう言って華やかに笑った。
裕貴も開いた窓に腕をかけて手を振った。
閉まるパワーウインドウの音を聞きながら、裕貴はその胸に何かがつっかえているのを感じた。
第35話『Observatory deck at night』夜の展望台 ー終ー




