第34話『Voice of her heart』彼女の心の声
葉月に充電器を取ってきてくれるように要請した裕貴は、3人に昼間の出来事を匂わせながら、葉月をサポートしてくれるように頼んで、ペントハウスに帰っていった。
「ねぇ葉月……」
心配そうな面持ちの3人の顔にたじろぐ。
「一体どんな辛いことがあったの?」
「ここに来るの、初めてのハズだよね? それなのにいきなり嫌な事に遭遇するなんて、どうしちゃったの?」
「誰や? 葉月のことイジメたヤツは! 遠慮なしに言いや、アタシがそいつのこと締めたるから!」
葉月は首を振った。
「違うの。いじめられたとか、そういうわけじゃなくて……」
みんなが心配そうに、葉月の顔を覗きこんでいる。
そんな彼女たちの表情からは、 好奇も冷やかしも感じられない。
1人1人の目を見て、葉月は胸を押さえながら話し始めた。
初めて会場を訪れ、裕貴と分かれてから総括の人に会いに控え室に向かったこと。
その人はとても親切で話も弾み、色々な装置を見せてくれたり、様々な質問にも丁寧に答えてくれた上に、ステージのリフトにまで乗せてくれたこと。
そのステージでキラが見ているその景色に感動して、熱く語ってしまった挙げ句、泣いてしまったこと。
暗くなった夜道を、その人と高校時代の思い出話をしたりしながら、会場から合宿所まで歩いて帰ったこと。
そして合宿所に着いて、裕貴に会った直後、そこに来た隆二が、その人に向かって発した名前……
「え?! 渡辺……て?! リュウジさんがそう言うたん?!」
「“なんでリハーサルをサボったんだ” って、怒鳴った……?!」
「で、その人のキャップをもぎ取って、その頭を叩いたら……?!」
「……メガネを外した顔が……?!」
「キラだった!?」
「キラだった!?」
「キラだった!?」
3人はそうハモったあと、悲鳴のような叫び声を上げた。
お互い、慌ててシーッと口を押さえ合う。そしてゆっくり葉月の顔色を見た。
「葉月……」
葉月は下を向いていた。
「ごめん、ちょっと……お手洗いに行ってくるね」
そう言って葉月は、皆の返答も待たず部屋を出た。
「あ……どうしよう」
「ねぇ、追いかけた方がいいんじゃない?」
「でも、あたしたちの誰が行っても、結局、質問攻めにしちゃって葉月を苦しめることになるかも……」
「ん……」
みんなそれぞれ、俯いた。
「ちょっと待ってみよか」
「そうね、私たちも今、対応出来てないもんね。一度さ、葉月の立場に立ってみない?」
3人は、たった今葉月から聞いた事実について、改めて考えてみた。
部屋から出た葉月は、罪悪感に駆られていた。
自分から話すと決心をして彼女たちを信用して話をしたのに、苦しくなって逃げてしまった。
きっと余計に心配かけてしまってるよね。
どうして私、今日はこんなに弱いんだろう?
でも事実を話すことは出来ても、一体自分がどういう気持ちで、
なぜこんなに苦しくなっているかという理由を、説明できない。
自分でもどうしてそうなっているのかが、分からないから……
考えれば考えるほど、分からない……
昼の出来事は、冷静になって客観的に考えれば決して悪夢ではなく、むしろ素敵なことと言えるかもしれない。
なのに、どうして私は今、こんな気持ちなんだろう……
苦しくて、息を吸っても吸っても足らないような荒い呼吸を繰り返す。
パブリックスペースを出て、意識のないままに歩いていると、自分がどこにいるかわからなくなってしまった。
心も一緒に道に迷った気分だった。
戻れない……とにかく近くにある階段を降りて、1階に下りてみた。
夕方には賑わっていたあの食堂が、暗く閑散として現れる。
自分たちが上ったはずの階段からは、随分遠い所から下りてきた事に気付く。
息苦しさが増して、外の空気が吸いたいと思った。
暗い食堂を大きく横切って、玄関エントランスに辿り着く。
そこに昼間に座り込んでいた自分の姿が見えたような気がして、慌てて下駄箱から靴を出し、ドアを開け放った。
しかし、そこにも彼の姿が残像として残っている。
彼が前髪を上げてこちらを向いた瞬間の顔がパッと目の前に浮かんで、葉月は大きく息を吸い込むと、その場にしゃがみ込んでしまった。
「葉月!」
その声にそっと顔を上げた。
「どうしたんだよ!? こんなところに一人で出てきたりして。みんなは?」
そう言って掛け寄ってきたのは裕貴だった。
「ユウキ……もう帰ったんじゃ……」
「やっぱり気になって戻ってきたんだ。なぁ、何してんだ! みんなで話してたんじゃなかったのか?」
「……話した」
「じゃあなんでこんな所に? 何か言われたか?」
「ううん。事実を話して、みんなが何か言う前に、私……逃げちゃった」
「なんだそれ? とにかく、こんなとこに一人でいたら危ないだろ! 戻るぞ」
でも葉月はそこから動こうとしなかった。
「……でも私、みんなに自分の気持ちを聞かれても、何て答えていいか……自分の気持ちがわからない……なんかね、話すと胸が苦しくなって……」
裕貴は、葉月の目を覗き込んだ。
伏し目がちに潤んだ瞳は、捉え処がなく、明らかにうろたえている。
裕貴は大きくため息をついた。
「ちょっと待ってて」
そう言って、携帯電話を取り出す。
「あ、翼? ユウキだけど。今さ、葉月を確保した。うん。いや、車まで行ったんだけど、やっぱりちょっと気になったから引き返して来たんだ。戻ってきて良かったよ。玄関の外でまた座り込んでてさ。あ……話し聞いたんだって? みんなは? そっか。なんか、話したことでまた混乱が始まったみたいで。ちょっと連れ出してみるわ。ああ、後で帰らせる時に連絡入れるからさ、玄関まで迎えに来てやって。悪いな。よろしく、じゃあ」
電話の手を降ろして、裕貴は葉月の前にしゃがんだ。
「ということだ、葉月」
そう言って、葉月の両肩を掴んで立ち上がらせる。
「全く。どうしたんだよ」
「ごめん……」
「誰が謝れって言った? 行くよ」
そう言って裕貴は葉月の手首を掴み、すぐ側に停めてある Range Roverの前に連れて行った。
「さあ乗って」
「……でも」
「いいから」
裕貴が車を走らせた。
「どこに行くの?」
「イイところ」
それからしばらく2人は何も話さなかった。
車は山道に入り、いくつかカーブを通り過ぎると、パッと開けた場所にたどり着いた。
「降りるよ」
裕貴はそう言って運転席から降りて、ぐるっと助手席側に回った。
「ほら」
手を出して、葉月が降りるのを支える。
「こっち」
裕貴についていくと、そこは展望台になっていた。
目の前に夜景が広がる。
都会の夜景とは違って光はまばらだったが、吸い込まれるような自然の暗さのせいか、それらがひときわ際立って見えた。
葉月の表情がふわっと柔らかくなったのを見て、裕貴は少しホッとしたように息をついた。
「なかなかいい眺めだろ?」
「うん」
「あーあ。新しい出会いとかがあって、彼女でも出来そうな時にここを使おうと思ってたのに! ボクの隠し玉だったんだよ、このとっておきスポット」
裕貴は大袈裟にため息をついて見せる。
「ごめん」
「ホントだよ!」
そう言って葉月の顔を見て笑う。
「で? ちょっとは落ち着いた?」
「……うん」
「その調子だと全然ダメみたいだな。そうだな……抽象的に聞いてもダメなんだよな、ならさ、ボクがこれから話すことに答えて。いい?」
明らかに葉月の目が構えていることが見てとれた。
「まあ、そんなに緊張しないでいいからさ」
裕貴が笑うと、葉月は少しバツが悪そうな表情で夜景に目をやった。
「ぶっちゃけさ、キラさんを近くで見て、動揺しちまっただけなんじゃないの? 芸能人的にとか?」
葉月は考えながら首をかしげている。
「じゃあさ、なんかイヤな思いでもさせられたか?」
今度はすぐに首を振った。
「そうだろ。キラさんが女の子相手にひどいことするとは思えないし、葉月さ、まだ総括の人だって信じてた時には “とても親切で丁寧に色々説明してくれる人で、感謝してる” って言ってただろ? あれは本心だよな?」
深く頷く。
「なあ、それがどうして “山下さん” じゃなくて “キラさん” だったらダメなの?」
葉月がまた複雑な顔をした。
「好きなの? ファンとして好きだったのが、身近で話したことによってキラさん自身を好きになった、とか?」
目を見開いている葉月を見て、裕貴は大きく首を振った。
「あーごめんごめん。余計に混乱させるようなこと、言っちまったか?」
裕貴は額に手をやって、辺りを見回した。
「あ、ちょっと待ってて」
そう言って走り出した。
その先には自販機があり、ほどなくしてミルクティーとコーラを抱えた裕貴が早足で戻ってきた。
「はい」
葉月にミルクティーを手渡す。
「ありがとう」
そう言って、葉月は裕貴の手元に目をやった。
「あー今、 “コイツまたコーラ飲むんだ!?” って思ったろ!」
裕貴のその言葉に、葉月は少し笑った。
ペットボトルを開けて、2人並んでそれをあおる。
下を向いた時、葉月が小さな声で言った。
「ごめんユウキ。私、めんどくさいよね」
「なにが?」
「なんか、バカだなあと思って。私が今更パニクってたって、どうしようもないのにね。うまく言えないけど、知り合ったばかりなのに、タカヨシさんっていう人のことを、私は “ 話せる人だなぁ ” “ 信頼できる人だなぁ ” とか、思っちゃったから、心を預けてしまったって言うか……勝手に安心して、勝手に自分の事を色々話したりしてしまって。凄く恥ずかしい気持ちもあるし」
裕貴は相槌を打ちながら葉月の話を黙って聞いていた。
「だからね、その人は本当は別人で、しかも “ キラ ” だった、ってなったらね、私、頭がぐちゃぐちゃになっちゃって。もうなんか、どんな顔していいかもわかんないし、笑いたいのか泣きたいのかも、何もかも判らない……っていうか、ごめん……何言ってんだろ。私」
裕貴は首を振った。
「そんな必死で説明しなくていいよ。もう分かったから」
裕貴は葉月の頭に右手を置いた。
「ホント、混乱してんな。しんどいだろ?」
「……うん」
裕貴は大きく息をつくと、伸びをするように両手を上げて、身体を反らしながら言った。
「あーあ。しかしまぁ、そう来ますかキラさんは。ホントに罪作りだよなぁ。ボクだってキラさんのことは葉月に忠告したけど、そんな騙し討ちじゃあ、対応出来ないよな?」
そう言って、上げた両手をバンと葉月の両肩に置いた。
「よって、葉月に罪はない。もう気にしないで。とはいえ、明日からはマジでメンバーと顔会わすことになるぞ。ボクももちろん全力でサポートするよ? でもさ、ここに来た限りは覚悟が必要になる。なぁ葉月、タフにならなきゃ」
「ユウキ……」
その言葉が妙に腑に落ちた。
「わかった」
裕貴は向き合うように葉月の瞳を覗き込んだ。
その中に葉月の決意を見た裕貴は再び、葉月の頭に手を置いた。
「よし!」
第34話『Voice of her heart』彼女の心の声 ー終ー




