第24話『might be a trap』キラの罠
合宿所のロビーで、本物の総括 の山下にトボトボとついていく葉月を見ながら、裕貴は一つ大きく溜め息をついた。
「こりゃ、前途多難か……」
そう呟きながらガラッと戸を開けると、ドアのすぐそばに人影があった。
「お……よう! お疲れ!」
「リュウジさん……立ち聞きですか? いい趣味ですね」
隆二は裕貴の額をコツいた。
「痛って!」
「ナマイキなヤツめ! お前が俺をネタに葉月ちゃんをゆすったりするから、入りにくくなっただけだ! 全く、余計な事すんじゃねぇよ」
「……すみません。で、リュウジさん、キラさんからは、なんて?」
隆二の顔が辟易とした表情に変わる。
「渡辺の野郎、俺を振り切って逃げやがった」
「なんすかそれ? まるで小学生じゃないですか!」
「お前も知ってんだろううが!? あいつはそんなヤツさ」
「そうですかねぇ? キラさんはふざけた素振りする人ですけど、何も考えず行動するタイプじゃないですよ」
「じゃあなんだ? "自己演出の達人" ってか?」
「やっぱりだいぶん前から立ち聞きしてたんですね」
「うるせ! お前にはヤツがそう見えるのか?」
「まあ……そうですね。それより、どうも腑に落ちなくて。キラさんが何を思って、そんな行動を取ったりしたのかなって……」
「確かにな」
「山下さんに聞いた話だと、事前に山下さんに無理を吹っ掛けたらしいんですよ。スタッフウェアをよこせって、半ば慌てた様子で会場裏に来たらしくて。その場でさっさと着替えて、山下さんを追い払って……それって、総括になりきってまでして、わざわざ葉月に接触したわけでしょ?」
「ん……おかしいな、渡辺は葉月ちゃんが会場に来ることを知ってたって事になるよな?」
「ボクらがペントハウスに荷物を運び入れたとき、ボクはキラさんだけ見かけなかったんですけど、建物の中には居ましたか?」
「いや、居なかった。俺もさっきそこで会ったのが、今回の遠征では初めてだ」
「おかしいんですよね、ボクがペントハウスにリュウジさんの荷物を運んでから駐車場に戻った時には、確かにキラさんのポルシェが停まってたんですよ」
「そうなのか? なのにペントハウスにもスタジオにも一度も顔を出してない……ということは、一度は車を停めたけど、そこから会場までまたポルシェに乗ってやって来て、山下を脅して葉月ちゃんと? 一体何の為に?」
裕貴が肩をすくめる。
「それを聞いてほしかったのに……リュウジさん、キラさんを取り逃がしたんですよね」
「そんな事態になってるなんて知らなかったからな。どうせこの後すぐにメンバーと夕食だ。渡辺の野郎、ちょっと絞めてやんないとな!」
裕貴が腕組みをする。
「リュウジさん、キラさんとあんまり派手に立ち回らないで下さいよ! 慣れてない新人スタッフに目撃されて勘違いされでもしたら、不仲説とかマスコミに流されるかもしれないですよ。困るでしょ?」
「おまえさぁ……まるでマネージャーだな。最近特にジジ臭く感じるぞ、年齢詐称してねぇか?」
「よく言いますよ! 高校生のボクをあんなにないがしろにしてたくせに! リュウジさんもキラさんも、ホント自由過ぎです。お陰で若いボクがコンサバティブにならざるを得ないんだから」
「お前、調子にのってんな!」
「そんなことないです! 今日だって、会場リハを終えて後からスタジオに着いた時に、廊下で柊馬さんに会って “リュウジの面倒見てやってくれな、よろしく” って言われたんですから」
「は? 柊馬さんが? なんだそれ、ひでぇなあ」
「オトナの見解ですって。うわっ……痛っ!」
隆二は腕で裕貴の首を固めて、肘で頭をコツいた。
「う……そういうところが子供だって言ってるのに!」
裕貴は息絶え絶えで抗議しながら、隆二に釘を刺すように言った。
「笑ってる場合じゃないんですよ。考えてみてください、知らない女の子一人をからかうのに、そんな手の込んだことや時間を使えるほどキラさんだって暇じゃないハズですよ。葉月と面識もないはずなのに、何らかの方法で情報を得て、そして何らかの理由で葉月に興味を持ったって訳でしょ? リュウジさんのオンナだと思ったのかもしれない。いずれにしても厄介ですよ、葉月、かなり参ってましたし」
「なに? 葉月ちゃんが?」
「さっきまでここに座り込んでたんですからね」
「そうなのか?」
「やっぱりちょっと心配ですね。今後はメンバーともご対面もあるし」
「そうか、ちょっと渡辺と話してくるかな」
「そうしてくださいよ。毎年、色々あるじゃないですか。ここにはあらゆるところに危険が落ちてますからね。あ、颯斗さんの酒癖の事は、車の中でやんわりと葉月に言いましたからね。"打ち上げでは近付かないように" って」
「お前……抜かりないな。ホントに中身はオッサンなんだろ?」
裕貴は溜め息をついた。
その日の昼間
3人が、あの "ペントハウス" に到着したその時から、事は動いていた。
キラがポルシェから降りて荷物を取ろうとした所に、白い Range Roverが入ってきた。
「ああ、水嶋の車だな」
そう思いながら、キラは離れたところに停まったそれを見る。
ボーヤが先に降りてきて荷物を運び出し、隆二も出てきた。
「あのボーや、確か "ユウキ" だったか?」
「あれ? 助手席に誰かいるぞ」
隆二がしきりに話しかけているのが見えた。
「女? しかも若い……」
ペントハウスの方に荷物を運ぶのに、その女の子だけが残されている。
「ということはこの後、どこかに連れていくってことか?」
しばらく座って待っていた女の子が、助手席から降りてきた。
周りを眺めながら散策し始める。
「なんだ? 本当に若いな。二十歳そこそこってかんじか? 真面目そうな……なかなか可愛いじゃん」
そう思って様子をうかがっていると、どうも気付かれたようだ。
「やべぇ、どうしよう。ちょっと隠れるか」
もう一ブロック奥の大きなバンの後ろに隠れた。
彼女はすぐ近くまで来て何かを探しているような素振りだったが、車の下や低い車間をやたら確認していた。
そのうち、車の下を覗きながらチッチッと舌を鳴らし始める。
「は?」
そっと近づくと、彼女の独り言が断片的に聞こえた。
「リスとかいそうだもんね? タヌキとか? でもさっきの影はもう少し大きかったような……まさか熊だったりして! でもそれならもっと存在感があるわよね?」
ワクワクした様子でキョロキョロ見回している。
「え? もしかして、オレ、人間じゃなくて、自然動物と間違えられてんのか?」
そう思ったら笑いがこみ上げて、思わず口を押さえる。
屈託のないその顔は本当に楽しそうで、周りの木々を見たり、また車の脇を見たりと、なんだか生気に満ちていた。
「しかし、どう見たって水嶋の女じゃないよな?」
なんだか妙に興味が湧いた。
ボーヤの裕貴が戻ってきて大きな声で彼女を呼んだ。
「葉月! おまたせ。会場に行こう」
会場に連れていくのなら、新人スタッフなのかもしれない。
「葉月って言うのか。ひょっとしてユウキの女とか? 同い年くらいか?」
今日から会場に入っているスタッフは、まだ総括の山下だけのはずだった。
この後、山下に紹介するとか会場を案内するとか、きっとそんなところだろうと踏んだ。
「今からペントハウスに入ったところですぐスタジオリハーサルだし、最初のリハなんて音合わせメインで、どうせボーカルの出番なんてほぼ無いようなもんだよなぁ? なんか退屈だし……ちょっとサボって遊んでみるか!」
彼らが再びRange Roverに乗り込み、門を出たのを見届けてから、ポルシェのエンジンをかけた。
キラの頭の中では、すでに一つの面白い構想が出来ていた。
距離を保って後ろからついて行ったポルシェは、 Range Roverの死角に停まる。
「もしもし山下か? 今どこにいる?」
車を降りながら、総括の山下に電話を入れて居場所を確認する。
そして彼らを先回りするように、慌てて舞台裏へ走った。
葉月が到着する前に、一番端の控え室の中ではちょっとした事件が起こっていた。
「おい山下!」
「キラさん、そんなに急いでどうしたんですか? っていうか、そもそも何でここに? ペントハウスでリハーサルでは?」
「まあ細かいことはいいからよ、なぁお前が着てるそのTシャツ、まだある?」
「え? このスタッフTシャツですか?」
「ああ、それそれ」
「そりゃもちろん、何百人分もありますけど……」
「じゃあそれと、お前が今かぶってるそのスタッフキャップもあるよな?」
「ええ、もちろんこれもありますよ」
「じゃあ、今すぐ一セットくれよ」
「いいですけど……どうするんですか?」
「いいからいいから!」
キラはおもむろに服を脱ぎ出した。
「ちょ、ちょっと! 今ここで着替えるんですか?!」
「シーツ! 静かにしろよ」
「え? なんで?」
「ったく! どーでもいいから早くTシャツよこせよ!」
「……分かりましたよ。はいどうぞ」
キラは素早くTシャツを着る。
「わ! キラさんが着ると同じTシャツに見えませんね!」
「んなこと、どーでもいいから、早くキャップ!」
「はいはい」
手渡された帽子をかぶる。
鏡の前に立って、ポケットからメガネを取り出して、目深に被ったキャップの間に差し込むように装着した。
前髪を多めに下ろして、黒いマスクを顎にひっかける。
「なあ、これってさ、キラだって分かる?」
ぽかんと見ていた山下は、我に返ったようにあわてて答えた。
「分かるわけないじゃないですか!」
「そっか! ならこれでOK!」
「これでOKって……?」
「はい! お前は合宿所に帰ってよし!」
「ちょっと待ってくださいよ、これからリュウジさんが連れてきた女の子に会場案内したり色々仕事を教えたり、スタッフに紹介したりしてくれって、頼まれたんすよ」
「それ、やっといてやるよ」
「は? なに言ってんすか! そういう訳にはいかないですよ! キラさんに任せたりなんかしたらリュウジさんにどんな目に合わされるか……」
「お前がちゃんと案内したことにすりゃいいじゃん」
「まさか! そんなの無理ですって! すぐバレますよ」
「お前、さっき "キラってわかんない" って言ったじゃんか! 完璧な変装なんだから大丈夫だって」
「ファンだったらきっとすぐわかりますよ!」
「へぇ、オレのファンなんだ?」
「もう……キラさん、ヤバいですって……ホント勘弁してくださいよ!」
「ダメだ! 今すぐ帰れ!」
「じゃあ、あの子どうするんですか!」
「あの子、葉月……だっけ?」
「ああ、確か白石葉月さんだったと思いますけど……なんで知ってるんですか? お知り合いとか?」
「いや、ペントハウスで見かけてね。隠れて、話聞いてたんだ」
「隠れてって! 一体なにしようとしてんすか! こんないたずらは悪質なのでは?」
「いいじゃん、水嶋の連れだろ? しかもこっちに気付いたのかと思ったら、動物かなんかと間違えて………」
キラはくっと笑い出した。
「まあ、その子のことはオレに任せろよ」
「いや、さすがにそれは……僕もリュウジさんに叱られますって」
「いいからいいから」
山下は強制的に、会場を追い出されていた。
第24話『might be a trap』キラの罠 ー終ー




