第218話『Hard to get close』遠い存在
隆二に部屋を貸してくれと言われ、裕貴はやむなく自分の新居を提供し、2人を残して席を外す。
先に部屋に上がった隆二が振り返ると、葉月は靴も脱がずにそのまま玄関に立ちつくしていた。
「葉月ちゃん……」
ため息をつきながらそう言って近寄ってくる隆二に、葉月は怯えた視線を向ける。
「なぁ葉月ちゃん! 誤解だから! あれは……」
「いいんです」
葉月は上ずった声で、取り繕うように言った。
「私に弁解なんかする必要はないんですよ。だって、リュウジさんはみんなの憧れで……スターですけど、恋愛は自由だし、それに、リュウジさんは大人だから……」
「大人だから何?」
「大人だから……そういったシチュエーションも時にはあったりするのかなぁって……想像はできるんですけど……」
葉月は目をつぶったまま首をブンブンと振る。
「と、とにかく! 私とは世界が違うっていうか、なんていうか……華やかなそのリュウジさんがいる世界と、私の狭い狭い世界とでは大きく違うっていうか……私なんか到底ついていけないって……」
震えた声で懸命に言葉を絞り出す葉月を、隆二はたまらない思いで見つめる。
突然思い立ったかのように隆二はつかつかと葉月の前までやってきた。
「あ、あの……私はもうこれで失礼しようかと……」
たじろぐ葉月の言葉に耳を貸さず、隆二は葉月を横向きに抱き上げた。
「えっ!」
そのまま部屋の中へ連れて行く。
「ち、ちょっと……リ、リュウジさん!」
葉月の身体をソファーに下ろした隆二は、彼女の靴をそっと外して玄関に置きに行き、すぐさま戻ってきた。
「なぁ! 教えてくれよ! どうやったらさ、俺たちは近付くことができるんだ?!」
「え……」
「この部屋に2人でいても、こうしてソファーに座る君に、今の俺は近付けない。君が香澄のことで辛いトラウマを抱えたのも俺のせいで、それでこの前は店でも君を怖がらせしまって、今日は今日で、あんな形で……」
隆二は頭を掻きむしるように両手を頭に挙げたまま顔を歪める。
「マジで不甲斐なくて、本当に申し訳なくて……でもさ! それでもどうしてもわかって欲しいから、逃げる君を強引に追いかけてきた」
葉月は息が苦しくなるのを堪えながら、また上ずった声を発する。
「リュウジさんが気に病む必要はありませんよ。私が勝手に目撃して勝手に誤解して勝手に逃げちゃっただけですから。そもそも、誤解なにも……私とリュウジさんは特別な関係でもないのに……私、なにを勘違いしてたのかなって……それに、今はリュウジさんにとっても『Eternal Boy's Life』にとっても大事な時期なので、私はもうリュウジさんを困らせたり煩わせたりしたくないんです。今頃になって気づくのも遅いですけど、リュウジさんの隣に私がいたら不釣り合いですし、それこそ、さっきの人みたいな大人の女性がお似合いだって誰しもそう思うと思うし、そんな当たり前のことに今までどうして気がつかなかったのかなって、ホントに私ったら……」
「ストップ!」
隆二が言葉を荒らげた。
「それ以上……自分を蔑むようなこと言わないでくれ! でなきゃ強引にその口を塞ぎたくなる……」
葉月は驚いて顔を上げる。
「ここはユウキの部屋だ……だから俺の理性が働いてる。そうじゃなかったら……」
隆二の苦悩に歪む表情に、葉月は息を飲んだ。
「君が言うように、今が大事な時期なのは俺だって分かってる。だから、君とのことは慎重に焦らず大切に進めていくと決めたんだ。そんな時に……よりにもよって、あんなことに……本当に誤解だけどさ、でも不快な思いをさせた。ごめん……今はこれ以上は言わないけど、事務所で今後の展望にカタがついたら……そこから新たに始めたいと思ってるんだ。もちろん、葉月ちゃんの気持ちが最優先だけど……」
葉月がゆっくりと顔を上げ、視線がからむ。
しばらくの間、2人は何も言わないまま見つめ合った。
その時、外の廊下の向こうでかすかな足音がした。
「今日は帰るよ。どうせ俺がフライングしやしないかって、ユウキが表で聞き耳立ててるだろうから」
そう言って隆二は葉月を残して玄関まで行くと、ドアを開けた。
「悪かったな、ユウキ」
閉まったドアの向こうで、低いトーンのディスカッションが聞こえる。
内容はわからなかったが、穏やかなやり取りに聞こえた。
葉月はソファーから滑り落ちるように、床に座りこむ。
この小さな空間で、隆二がさっきまでここで自分だけを見つめていた事が、現実だとは思えなかった。
ほどなくして裕貴が静かに部屋に入ってきた。
「葉月……少しは落ち着いた?」
「あ……うん……」
「その調子じゃ、ちゃんと話はできてないみたいだね……」
「ごめん……」
「はぁ?! なんで葉月が謝んの?!」
「なんか……ユウキのことも巻き込んじゃって……勝手に新居も占領しちゃってるし……」
「全くだよ! 師匠の横暴さと言ったら、もはやワガママな小学生レベルだし。でもね葉月、分別つかなくなるぐらい、リュウジさんも焦ってたんだと思うよ」
「どうして……? 私なんかに弁解する必要ないのに……」
裕貴が眉を釣り上げる。
「なにそれ?! 葉月はどうしてそんな考え方になったの? リュウジさんに対する気持ちがなくなった? そんなことないよね? もしそうなら、どんな場面に出くわしたとしても走って逃げたりなんかしないだろ? わけわかんなくなって泣いたりもしないはずだし」
「私……もうわからない……」
裕貴は冷蔵庫からレモンティーを取ってきて、頭を抱えて座り込んだ葉月の肩に手を回すと、そっとソファーに座らせてから慰めるように優しい視線を向け、そのボトルを手に握らせた。
「ずっと飲まず食わずであの階段の所に座って泣いてたんだろ? 脱水症状になっちゃうって! どうせ師匠は気が利かないから、飲み物も出してくれなかっただろうし?」
裕貴はもう一度葉月の手からボトルを抜き取ってカリッとキャップを開けてから、またその手に戻す。
「さあ、とりあえず飲んで」
葉月はその琥珀色のボトルをじっと見つめる。
「ほら、この花梨の入ったレモンティーでキラさんを思い出してさ、パワーをもらいなよ」
そう言って裕貴はまた冷蔵庫に向かい、自分もコーラーのボトルを開けながらソファーの向かい側に座った。
申し訳なさそうにうつろな目をしている葉月に、裕貴は笑って見せる。
「フフ、なんだよ! そんなに怯えた顔してさ。まさかリュウジさん、自分のことは棚にあげて質問攻めにしたとか?!」
サッとまた俯く葉月に裕貴はため息をついた。
「なるほど……師匠も相当テンパってたんだな。お互い、被害者同士みたいなもんなのに」
疲弊した葉月をなんとか復活させようと、裕貴は話題を変える。
「葉月に伝えたいニュースが2つあるんだ。1つ目は由夏とかれんから。この週末は3人でかれんの家に泊まろうって」
葉月は不可解な表情を向ける。
「え……なんで? 由夏とかれんとは……いつ話したの?」
「あ……」
裕貴は葉月が『Blue Stone』に来た時に、実は店内に2人がいたことを話した。
「えっ?! じゃあ……」
「うん。彼女たちも、リュウジさんが慌てて駆け込んできて支離滅裂に説明しているのを横で聞いてたんだ。だから状況を把握した上で、今日は葉月と一緒に過ごしたいって言っててさ。由夏なんて、早速智代に連絡してたし。きっとその葉月の電源を切ってるスマホに、メッセージが入ってるはずだよ」
「そうなの?!」
「うん。マジで最高の親友だね」
葉月は少し顔色を戻しながら頷く。
「そして2つ目、これは心して聞いてね」
その言葉に顔を上げた葉月は、裕貴の口から流れてくるトーマの言葉に目を見開きながら、まるで神からのありがたい言葉を受けるかのように頬を上気させ、涙を流しながら聞いていた。
「ホントに録音して葉月にそのまま聞かせてあげたいぐらいだったよ。一字一句違いがないとは言えないけど、今ボクが言った通りのことをトーマさんは話してたよ。本当に葉月のこと大事に考えてくれてる。トーマさんにはさ、" きっと葉月は失神するぐらい喜ぶと思います " って、伝えといたからね」
葉月はワッと突っ伏して泣き始める。
「ああ……そうなるよなぁ……」
裕貴は肩をすくめながら葉月の横に座り直し、その背中をさすった。
「今は、嬉しい気持ちも悲しい気持ちもぐちゃぐちゃに葉月の中にあるんだろうけど、素直になって冷静に考えたら、きっと本当の気持ちが見えてくると思うからさ。整理してみるのもいいかもしれないよ」
立ち上がった裕貴は葉月のとなりにティッシュボックスを置いてキッチンへ向かうと、ガチャガチャと調理器具を鳴らしながらお湯を沸かし始める。
葉月がティッシュで顔を拭っていると、キッチンから2つの皿を持ってやってきた裕貴がテーブルの上にそれをトンと置いた。
「あそこに座り込んだまま何も食べてなかっただろ? パスタを茹でてソースをかけただけだけど、とりあえず食べよう」
「ありがとう、ユウキ……」
顔を上げてそう言った葉月の言葉に少し芯を感じて、裕貴はホッとしながら葉月の前に座った。
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