第214話『secret crush』密かな恋心
葉月を送り届けた裕貴と由夏は、車に戻る。
「もう、ユウキったら! 私、お姫様なんて柄じゃないわよ!? なんなら葉月より頑丈かもね? お酒も強いし」
そう笑う由夏を助手席に座らせて、裕貴は運転席に回り込む。
「なになに? また自虐ネタ?! 前にも言ったけどさ、由夏は充分、女の子らしいじゃん」
「ユウキ………そんな風に、見てくれてるの?」
裕貴はエンジンをかけながら、茶化すように由香に笑いかけた。
「自分がどれぐらいイイ女だか分かってないんじゃない?」
「えっ……?」
「由夏はさ、勘が鋭いぶん気配りができるし、直感的感性も備わってるだろ? 語彙センスも抜群! 誰からも好かれるの、よくわかるよ」
由夏は言葉を失ったまま、気持ちを整えようとうつむいた。
「そのくせ、強がりが過ぎるから、厄介なんだよなぁ」
由夏はたまらず顔を上げる。
「ユウキ、あの……」
「よく葉月とさ、そう言って由夏のことを話してるんだ」
被った言葉に、由香は視線を下げた。
「……ああ、葉月と……?」
「うん。ん? 何か言いかけた?」
「あ……いや別に……私の話をしてくれてるなんて嬉しいなって……ありがとう」
「なにお礼言ってんの? どっちかって言うとさ、由夏とボクって似てると思うんだよね。まあ葉月っていう気の置けない……というよりは気が気じゃない存在が近くにいるっていう共通点があるからかもしれないけど、何かと先回りさせられるよね? ボクらってさ」
「ああ……確かに」
「これからも色々気苦労が絶えないんだろうな、ボクたちは。やれやれ」
面白おかしく共感を得るように笑顔を向ける裕貴のハンドルを持つ手を見つめながら、由夏は心が流れ出すのを感じた。
「ホントそうね。ねえ……ユウキはさ、葉月のこと……どう思ってるの?」
裕貴の顔がサッと真顔になったのが分かった。
「どう……とは?」
由夏は意を決してずっと聞きたかったことを問いかける。
「だってさ、葉月ってリュウジさんといい感じで、私から見れば鴻上さんともいい感じで……鈍感だから見ててもどかしいけど、きっとゆくゆくはこの2人のどっちかと結ばれるのかなっていうか、結ばれるように私たちもサポートしたりするのかなって、漠然と思ってるんだけど……ユウキはそれでいいわけ?」
目を泳がせた裕貴を見て、由夏は確信した。
「は? それでいいかって……なにを……」
由夏は被せる。
「ユウキの中でも、葉月は特別な女性として存在してるんだよね……?」
「ん……」
その端切れの悪さに、由夏の心臓が強く打ち始める。
「ユウキ、ホントは葉月のこと……」
「いや、それは違う」
裕貴は瞬時に打ち消した。
「それは、あっちゃいけないと思ってるから」
返答に納得がいかない由夏は首を傾げる。
「それってどういう意味?」
裕貴は深くため息をついた。
「出会った時点で、もうボクの出る幕ではなかったから」
「それは……?」
「出会い方が、すでに師匠のオンナ……いや師匠が好きな女の人っていうところから始まってるからさ」
自分が欲しかった否定の言葉とはかけ離れていることに、由夏は肩を落とす。
「そっか……フェスの時に初めて会ったんだもんね」
「だから最初は気楽だったよ。ボーヤの仕事の一環として師匠をアーティストとして支え、その師匠が大切にしてる人を預かるっていうイメージだったし、しかも同い年だからフレンドリーにやりやすかったしね。それに、ずっと一緒にいても、他の人から誤解されることもないかったから……」
「最初はって……じゃあ今はどうなの?」
裕貴はちらっと由夏に視線を向けると、観念したように息をついて再び前を向いた。
「さすが由夏だね。ごまかせない……」
「え?」
「たまに苦しい時はあるかな。葉月は何にでも一生懸命でがむしゃらだからさ、いろんな表情もみせるし、ひたむきな葉月を見てて助けたいっていう気持ちが、たまに " 師匠の好きな人だから " っていう部分が抜け落ちて、手を携えたくなる」
どんどん苦しくなる胸を抑えながら、由夏は声を絞り出す。
「それって……ユウキが葉月のことを……」
「いや、そこは否定しなきゃいけない。ボクと葉月に未来はないから」
「未来は……ない?」
「ただでさえ夢見がちなアーティストを支えるボクの立場としては、これまで超のつくぐらい現実主義に生きてきたんだよ。仮にボクと葉月が付き合って、それでボクがリュウジさんのボーヤを今まで通り務めるなんていう未来は、どう考えたってありえないと思う。仕事におけるパートナーシップとは言ったって人間同士だから、そこは信頼が一番重要な肝なんだよ。" 後ろぐらい未来 " をボクの手で演出するなんてありえない。由夏だって容易に想像ができるだろう?」
「でも……」
由夏は言葉が震えるのを制しながら、絞るように話す。
「じゃあ、そのユウキの感情は?! その思いはどうするの?!」
「どうもしない」
前を向いたままの裕貴は自嘲的に微笑む。
「人として、仲間として、葉月を尊重して今まで通り叱咤激励しながら生きていく」
「でもそれで、仮に葉月とリュウジさんが付き合ったりしても、ユウキ平気なの?!」
「平気どころか、今だってあの不器用な2人が円滑に行くように接点を与えてるのはボクだよ? ボクにとっては " アーティスト水嶋隆二 " がドラマーとしての最高のパフォーマンスを発揮するために日常生活を整えるっていうのが、一番のミッションなわけだから」
「ミッションだなんて……それじゃあユウキの心が死んでしまうじゃない!」
「ボクは覚悟を持ってリュウジさんの元にいる。それをさ、色恋沙汰で崩すとか、なかったことにするとか、そんなことできるわけないよ。それでなくても、あらゆる大人たちを見てきて、恋愛っていうものが生活基盤を根底から覆すぐらい感情を乱すめちゃめちゃ
危険なものだって、改めて感じてるしね。なのにボク立場でみすみす自らそんなとこに飛び込んで行こうなんて、思うワケない」
「ユウキ……苦しくないの?」
裕貴はハンドルを切りながら前を向いたまま表情を変えずに話す。
「苦しい波はたまにやってくるけど、大丈夫。ボクは師匠ほど流動的なタイプじゃないから」
「それは、流動的じゃないタイプなんじゃなくて、ユウキが大人のフリして、あらゆることを我慢して、妙に聞き分け良くなってるだけなんじゃないの? そんなことしてたら、いつかユウキの心の決壊が崩れてしまう……」
「由夏」
その裕貴の優しい声にハッとしながら運転席を見る。
「こんな話……誰にもしたことなかったんだ。自分の中でも向き合わないようきしてたから……」
「そう……」
「うん。直視したくなかったのかもしれないけどね。由夏だから話せたのかもしれないな。ありがとう」
「あ、ありがとうだなんて……」
裕貴はウインカーを出した。
「ほら着いたよ。由夏、今日もお疲れ様!」
いつもの裕貴の優しい眼差しに、由夏の決壊が崩壊する。
ドアを開けてルームライトがついた瞬間、驚いた裕貴が由夏を覗き込む。
「どうしたの……?」
「え……」
裕貴はそっと由夏に手を伸ばす。
「どうして由夏が泣くんだよ」
大きく見開いた由夏の瞳から滴る涙の雫を、裕貴は親指で拭った。
「由夏も感受性が豊かだからな。他人の失恋話で泣くなんて、イイ人すぎるだろ!」
そう言って頭に手を乗せる。
「さあ、玄関まで送るから」
車をサッと降りた裕貴は助手席から降りる由夏に手を添えて、涙が止まらないままの由夏の肩に手を置きながら、労わるように部屋の前まで寄り添った。
由夏が鍵を差し込む横で、裕貴は明るい声で言う。
「なんかスッキリしたよ。これまで自分のことを話せる人っていなかったからね。由夏にこんなになんでも話せたことに、正直驚いてる。でもさ……今日話したことは、全部忘れてくれない?」
「え?」
由夏がドアから顔を上げる。
「どうして?」
「全てこれまで通りで行きたいんだ。由夏がボクの感情を知ってるって思っただけで、ボクが由夏の前で葉月に対する態度が変わったりするのも嫌だし、由夏にも今まで通りくったくなくムードメーカーでいてもらいたいんだよね。こんな余計なことを聞かせといて今更言うのもなんなんだけど、今まで通り何も変わりなくいてくれたら助かるよ」
「ユウキ……」
「じゃあおやすみ」
そう言って笑顔で手をあげた裕貴がエレベーターホールに身体を向けた瞬間、由夏が裕貴のシャツの裾を掴んだ。
「待って……」
「ん? どうしたの?」
「あの……家に上がっていかない?」
「え?」
「一人暮らしだし、よかったらコーヒーでも飲んでいかないかなって……」
「ありがとう」
そう言いながら、裕貴は由夏の手をそっと外した。
「今夜はやめとく。それよりさ、今度ボクの新居の片付け、手伝いに来てくれるんだろう? 引っ越し祝いはコーラ以外でよろしく! 葉月とかれんとしっかり相談して来てよね? じゃあおやすみ」
「おやすみ……」
部屋に入ってドアを閉めた由夏は、そのままそこに座り込んだ。
裕貴なりの優しさでやんわりではあったが、明らかに拒絶された彼の手の感触がいつまでも消えずに残っている。
由夏は胸を押さえながら、ずっと言えなかった言葉をそっと吐き出す。
「好きなの……ユウキ……私じゃ……ダメ……?」
第214話『secret crush』密かな恋心 - 終 -




