第212話『Bring back the taste』懐かしい味
会社まで迎えに来た由夏は、葉月の問いには答えずに、意味ありげな笑顔のままどんどんと葉月を誘導しながら『Blue Stone』の前で足を止めた。
「はーい、到着!」
「えっ? どうして?!」
促されるまま半信半疑で『Blue Stone』のドアから階段を降りていく葉月は、そっと中扉を開ける。
いつもの賑やかなジャズに迎えられながら正面のカウンターに目を向けると、そこにあった背中がくりとこちらに向いた。
「葉月、お疲れ!」
「かれん! 久しぶり!」
かれんは目を細めながら葉月を睨む。
「ホントよ! 親友を放っておいて、一体なにしてたのよ!」
葉月の横で、由夏も意地悪な顔をした。
「この子が何してたのかなんて、どうせ仕事に決まってるじゃない! ワーカホリックなんだから! あ、でもバスケには行ったみたい。そうよね?」
「へぇ……」
そう頷いたかれんが、突然大きな声を出した。
「そうなんですかぁ? リュウジさーん」
「ええっ!?」
葉月が驚く。
「え……今リュウジさんが、来てるの?」
微笑むかれんの視線の先から隆二が現れた。
「あ……こんばんは。今日は、お店に出てたんですね」
「ああ。さっき彼女たちから葉月ちゃんを連れて来るって聞いたからさ、今慌てて賄いを作ってるとこ」
「え?」
「悪いわね、私たちは先に夕食を済ませてきたの。でも葉月は会社帰りだし、何かケータリングでも頼もうかって相談してたら、リュウジさんが作ってくれるって」
葉月は首を振る。
「いやでも、作ってもらうなんて……申し訳なくて」
「いいよ、俺も食べるんだから。それにさ、久しぶりに食べたくないかな!? 俺の作るバターライス」
「ええっ!」
葉月は色めき立った。
「わぁ…食べたいです。あ……バターライスって聞いたら、急にお腹空いてきちゃった!」
「ははは! そりゃよかった。じゃあ、もう少し待ってて」
隆二が奥に入っていくと、由夏が葉月の肩を抱きながら席につかせる。
「厨房を覗いてみたいわね。イイ男が豪快にフライパンを振ってる姿って妙にセクシーじゃない?!」
「な、なに言ってるの?!」
落ち着きのない素振りで座る葉月を、親友たちは取り囲んでほほ笑んだ。
「お待たせ!」
両手に皿を持って現れた隆二は、少し気取った声で言った。
「チキンとエビのトマトソース煮でございます」
「わぁ……これって……」
数ヶ月前の隆二の姿と重なる。
野音フェスから帰って葉月の誕生パーティーをここで開催してもらった直後のことだった。
「なんだか懐かしい……また食べられるなんて、ホントに嬉しいです!」
「なに言ってんの? このくらい、ご所望とあらば、いつでも作ってあげるよ。ねぇ、お客さんの前で悪いんだけどさ、俺もここで一緒にいただいていい?」
「どうぞどうぞ」
由夏が立ち上がって、葉月のとなりの席をすすめる。
「だって『Eternal Boy's Life』のイケメンドラマーの日常を垣間見るなんて、お宝映像ですから! フフフ、なんか得した気分! ぜひぜひ豪快に食べてください」
隆二は苦笑いしながら席に着く。
「君らにそんな風に言われるのはなんか変な感じだよ。葉月ちゃんなんてさ、他のメンバーに対しては目を輝かせてスターとして認証してるみたいだけど、片や、俺のことは近所の優しいおじさんとしか思ってないからね」
「そ、そんなことないですよ! リュウジさんがおじさんなわけないじゃないですか?!」
「そうかなぁ? じゃあ、今日は晩御飯を作ってくれるパパってところか?!」
「またそんなことを……」
頬を膨らます葉月に、隆二は微笑みながらスプーンを手渡した。
「ははは、ほら! 冷めないうちに、どうぞ」
「はい……ありがとうございます」
由夏とかれんが嬉しそうに目配せをする。
「わぁ……この味」
久しぶりに味わったバターライスに、またあの時の気持ちが蘇えってきた。
「とっても美味しいです」
「そう? よかった」
美味しそうに頬張る葉月を、隆二は労わるように見つめる。
「もう本当に……大丈夫なの?」
その言葉に、由夏とかれんが顔を上げた。
「ごめんな。俺がガチで葉月ちゃんに挑んだせいで……」
「いいえ! 勝負なんですから、真剣に戦ってもらわないと、私も楽しくないですし」
「まぁ、君ならそう言うと思ったけど……」
微笑み合う2人の間に由夏が手を伸ばした。
「ちょっとすみません……2人の世界をお邪魔して悪いんですけど、それって一体なんの話?」
葉月は苦笑いをしながら体育館で失神した話をする。
2人は立ち上がらんばかりに驚いた。
「何よそれ! そんな大変なことがあったなら、ちゃんと親友に話しなさいよ!」
「あ……だって大丈夫だったわけだし、無駄に心配かけたくなかったから……それにね、高校の時も相手のエルボーを食らって何回か失神したことがあるの」
隆二がクックと笑い出した。
「プッ! これだけ聞いたらさ、まるでプロレス同好会に入ってた話みたいに聞こえるだろ?! フフフ」
「あはは、ホント! いかつい話! うら若き女子大生が発する言葉じゃないわね。心配だけど、笑っちゃうわ。フフフ。でも葉月、本当に大丈夫なのね?」
「うん、もう全然! ピンピンしてるから」
隆二もホッとした表情を見せた。
食事を終えた3人は奥のブースを借りて、しばし会議を始める。
徹也から直々にオファーをもらった『LBフロンティア』の所有する、豪華なイベントスペースでのブライダルフェアのプレゼン資料は既に提出済みではあったが、それをより深掘りした提案をいくつかピックアップしてまとめたものをブラッシュアップしていく。
一通り会議が終わって葉月が1人カウンターに戻ると、隆二が待ち構えていたように出てきた。
「俺、ちょっと今からスタジオに戻ろうと思って」
「え? 戻る?」
「ああ、実は今日は昼からずっとスタジオに籠ってたんだけどさ、ちょっと気分転換に店に出てみようと思って来たんだ。会えてよかった」
「そうだったんですね」
「だいぶん形になってきたから明日もフルでやるつもり」
葉月は頬を紅潮させながら、浮き足立つ気持ちを抑えるように小声でささやく。
「なんせ、新曲が出るんですもんね!」
「ああ。レコーディングまでにはイメージを固めて、完璧に自分のものにしておきたくてさ」
「ホントに楽しみです!」
「なんか君のそんな嬉しそうな顔を見るの、久しぶりのような気がする」
隆二は一歩葉月に近付くと、真正面から葉月の手首をそっと掴んだ。
指でなぞるようにブレスレットに触れると、優しく手を握る。
「とにかく、いい状態で事務所に行きたいと思ってるんだ。君と一緒にさ」
「はい……」
葉月は隆二の顔を見上げた。
「みんなで事務所に行ったら、その後は……」
そこまで言って言葉を止めた隆二は、葉月をじっと見つめる。
「今週末さ、よかったらまたここに来てよ。まぁ今夜ほど早くは来れないと思うけど、夜には俺も息抜きに来るつもりだから」
「はい、絶対に来ます」
「はは、じゃあ行ってくるね」
「頑張ってください!」
そう手を振りながら、中扉が閉まるまで見送った。
ほんの少しの余韻を残しつつ、くるりと踵を返して奥のブースに戻ろうとした葉月に、廊下の向こう側に潜んでいた由夏とかれんが冷やかしの顔を見せる。
「な、なんでこんな所に?!」
由夏とかれんはニヤニヤしながら葉月の手を取って連行する。
「ち、ちょっと! なによその顔は!」
着席早々、2人は葉月の顔を覗き込んだ。
「それはこっちのセリフでしょ?! いくら体育館とはいえ、リュウジさんと物理的に絡んじゃったんだもんね? 盛り上がるわけだ! 失神しちゃうほど激しかったわけだしねぇ?!」
葉月は顔を真っ赤にして首を横に振る。
「ちょっと! 変な風に受け取らないでよ! 真剣勝負だったから、少し接触が強くなっただけで……」
「ふーん、そう。で? 実際のところ、リュウジさんとはどうなってんのよ?」
「どうって……どういう意味?」
「今回の事故で " 吊り橋効果 " が起きちゃったりしてないのかなーなんて!」
「言ってることがわからないんだけど!」
かれんがため息をつく。
「別に急かすつもりはないけどさ、葉月のそういうところ、もどかしいしいよね」
「なによ、もどかしいって……」
由夏がさらにかぶせた。
「リュウジさんもだけど、私は鴻上さんともかなり怪しいと思ってるんだけどなぁ?」
「え? なんで徹也さんと?」
由夏とかれんが同時に反応する。
「ちょっとちょっと葉月! いつから鴻上さんのこと徹也さんって呼んでるの?!」
「え?」
「これは相当怪しいわね……」
葉月は徹也の弟で『LBフロンティア』社長の和也に会った話をした。
「ええっ!? 鴻上さんの会社でのプレゼンが通ったって前に葉月がよろこんでた案件のクライアントが、実は鴻上さんの弟さんだったってこと?」
「そうなの! 私もびっくりして……」
かれんは意味ありげな視線を向けながら腕を組む。
「へぇ、弟さんと会わせるんだぁ……しかも葉月、確か鴻上さんのお母さんとも親しいのよね? すごい、もう家族ぐるみのお付き合いじゃない?!」
由夏がハッとする。
「ってことは……将来のお嫁さん候補だったりして!」
「ち、ちょっと! なに言ってるの?!」
「誰がお嫁さん候補だって?!」
不意にそう後ろから声がして、3人は揃ってビクッとしながら、そっと振り向いた。
第212話『Bring back the taste』懐かしい味 - 終 -




