第211話『Traditional Japan』日本の伝統美
翌日、葉月が『forms Fireworks』に出社するやいなや、スマホに耳を当てている琉佳と目があった。
「おはようございます」
「じゃあ切るね、徹也さん」
そうそっけなく言ってスマートフォンから耳を外した琉佳が、笑顔で葉月に近づく。
「あ……BOSSからですか?」
「うん。今週は戻れないってさ。ふぅ……1日に何度も連絡が来そうだ……それより白石さん、明後日なんだけどさ、実は僕が任されたイベントがあって。もしよかったら白石さんに同行してもらえないかなぁって思ってるんだけど?」
葉月はパッと華やいだ顔を向ける。
「えっ! どんなイベントなんですか?!」
「簡単に言っちゃうと和装の展示会なんだけど、単に着物を展示してあるだけじゃなくてプロジェクションマッピングを絡めてアート作品みたいにディスプレイされてて、和装モデルも登場するんだ。ファッションショーというより、もう少し厳かなイメージなんだけどね。実際に会場も美術館なんだよ。どう? 興味ある?」
「もう、めちゃめちゃ興味あります! 是非行かせてください!」
琉佳は満足そうに笑う。
「フフフ、そう言うと思った! 実は徹也さんの案件なんだけど、どうも来週まで忙しいみたいでさ。僕が繋ぎで担当するんだけど、白石さんってイベント好きだろ? 喜ぶかなぁと思ってさ。予想通り食いついてくれてうれしいよ。よかったら、これ見てみる?」
琉佳は脇に抱えているクライアントからの分厚い資料を持ち上げた。
「いいんですか!? 是非見てみたいです!」
かなり前のめりな葉月に、琉佳はとたんに怪訝な顔をする。
「ああ……そうだった……白石さんって、異様なほど勉強熱心だったよねぇ……初めて会った時を思い出すなぁ」
早速資料を開いて熱心に目を通す葉月に、琉佳はため息をつく。
「お願いだからさ、あんまり根詰めないでよ。僕が姉ちゃんに叱られるから」
「ふふっ、大丈夫です。やるべき作業は昼までに終わるんで、その後はこっちの研究をしてもいいですか?」
「あ……いいけど、白石さん、本気でのめり込むタイプだから、あらかじめBOSSにも了承を取っておくよ。徹也さんもあのイベントなら、白石さんに見せたいって思うだろうし?」
「ありがとうございます! じゃあ心置きなく勉強させてもらいますね!」
琉佳はまた、苦笑いする。
「ホントに勉強熱心だね……頭が下がるよ」
昼休みになったことにも気づかずに資料を読みふけっている葉月の肩に琉佳が手を置いた。
「ほら! なに?! お昼ご飯も忘れて勉強してるわけ? 白石さんはそれだから怖いんだよね……僕の管理不行き届きでまた何かあったら、姉ちゃんだけじゃなくBOSSにもぶっ飛ばされそうだ」
「そんな……無理してるんじゃなくて、楽しくて夢中になってたんですよ。和装の世界って、実は前々から興味があって……美しいだけじゃなくて、色彩とか柄の種類も伝統的なものから革新的なものまで多種多様じゃないですか!」
「そんなに気に入ったんだ? じゃあこれから白石さんを連れて行くランチのお店はうってつけだね」
「え?」
「あれ、忘れたの? 昨日約束したじゃない? " いい子にしてたらとっておきのランチをご馳走する " って。ほら、行くよ!」
「ああ……はい!」
琉佳に連れられて向かった先は、駅前から通り一本入った和食創作料理店だった。
「なんだか高級そうな店構えですね」
「確かに夜はけっこういい値段だけど、ランチは比較的リーズナブルだよ」
「ルカさんは本当に素敵なお店をご存知ですよね?」
琉佳はにっこりと微笑む。
「まぁ、実はここも僕が手掛けた店なんだけど」
「やっぱりそうなんですね!」
ガラッと格子戸を引くと和装の美しい女性が微笑みながらやってきた。
「いらっしゃいませ。あ、ルカ君!」
「澪さん、久しぶり」
「まぁ! 今日はずいぶんと可愛いらしいお客さんも一緒に」
葉月が慌てて挨拶をする。
「初めまして。『forms Fireworks』でアルバイトさせていただいています、白石と申します」
「あら、会社の人だったの?」
「当たり前だろう? 平日の昼間だよ?」
「そうよね。では奥のお席へどうぞ」
靴を脱いで奥の個室に通された。
「わぁ! 素敵なお部屋ですね! この床の間の雰囲気とか、欄間の透かしも素敵! こういう和のテイストもルカさんがプロデュースを?」
「うん。澪さんは着付けの先生もしてるし、この店の定休日にはここでお花の教室を開いたりもしてるんだ。だから数寄屋造りのモダンな和室をオーダーされてね」
「だからあんなに和装がお似合いなんですね!」
「それにちょうど、さっき話した来週の和装のイベントにも参加してもらうんだ。モデルの着付けも彼女に頼んでる」
「そうなんですか!」
運ばれてきた料理の数々に、葉月は驚く。
散りばめられた小鉢は味も勿論のこと、澪の説明によるとその薬効もかなりなものらしく、聞いているだけでも健康になりそうに思えた。
「わぁ……身体に良さそうなものがこんなにたくさん……しかもこんなに美味しくいただけるなんて!」
「そう。心も身体も綺麗になるよ? 澪さんみたいに」
「本当に綺麗な人ですよね。何て言うか……大人の魅力? 同性の私でもドキドキしちゃうような……」
琉佳はにっこりと微笑む。
「彼女、ああ見えて姉ちゃんと同い年なんだよ。なのにあの色気と落ち着きを兼ね揃えてて……ホント姉ちゃんとは大違いだよなぁ? まぁ僕も、この店をプロデュースする上で、あらゆる面で彼女とコンタクトを取りながら、このコンセプトに行き着いたんだけどね?」
琉佳の不敵な笑みに首をかしげる。
「あらゆる面って……まさか」
「あ、澪さん? そう、彼女は僕の枠」
葉月はがくりと肩を落とす。
「……やっぱりそうなんだ……」
食後のデザートを持って入室した澪の美しい所作にドギマギしながら、葉月は妙な想像を頭からかき消す。
抹茶を頂いているところで、葉月に連絡が入った。
「あ……ちょっとすみません」
スマートフォンを手に葉月は襖の外で話をする。
「あ、もしもし? 由夏? どうしたの? あ、今夜……ごめん、ちょっと調べ物があって……」
その時サッと襖が開いた。
「行ってきなよ。明日1日あれば充分準備は出来るから、大丈夫だって!」
「ルカさん……ありがとうございます」
「ごちそうさまでした。とっても素敵なお料理でした。和装のイベントでもお会いできるみたいですね」
そう言った葉月に澪は美しい微笑みを向けた。
「まあ、そうでしたか。楽しみです。こちらにもまたお越し下さいね。ありがとうございました。ルカくんも素敵なお客さんを連れてきてくれてありがとう」
そう言った澪が、スッと琉佳の胸元に触れた仕草が妙に艶やかで、葉月はポッとしながら目を背ける。
会社へ戻る道すがら、琉佳は葉月の顔を覗き込む。
「あれ? どうしたの? さっきは薬膳料理ですっかり元気が出たって言ってたのに?」
葉月はぎこちなく眉を上げる。
「もちろん、元気出ましたよ。めちゃくちゃ美味しかったですし」
「じゃあなに? あ! もしかして、僕と澪さんの関係に嫉妬しちゃってるとか?」
「あー、それはないです」
「ないのかよ! つまんないなぁ!」
琉佳の拗ねたような言い方に、葉月はコロコロと笑った。
定時になって『forms Fireworks』のオフィスを出ると、自社ビルのエントランスの前に由夏が迎えに来ていた。
「由夏! わざわざ迎えに来てくれたの?!」
「だって駅前だし?」
「そっか、ありがとう!」
夕日に向かって、2人は歩き出す。
「なんか久しぶりって感じよね?」
頷く葉月に、由夏は意地悪そうな視線を向ける。
「どうせ馬車馬のように働いてたんでしょう?! 葉月さ、トーマさんの会見が終わってから、なんかめちゃめちゃ仕事に目覚めてない?」
「そんなことないよ! バスケの練習に行ったりもしたし」
由夏が眉を上げる。
「そうなんだ? ねぇ、バスケってさ、リュウジさんがキャプテンなんでしょ? ユウキも来てるの?」
「ユウキ、いつもはあんまり行きたがらないんだけどね。この日曜日は、前々から来るって言ってたから……」
「ふーん、あんまり行きたがらないユウキが、なんで来たんだろ?」
「あ……さぁ……」
トラウマを引き起こした自分と隆二との間を取り持つために、裕貴が提案して来てくれたとは、葉月もさすがに言えなかった。
「私も観に行こうかな? ねぇ、バスケやらない人が観に行っちゃダメなのかな?」
「え、全然いいよ! ルカさんのお姉さん、わかるよね?」
「ああ、超絶美人な専務さんでしょ?」
「うん。美波さんは高校時代、リュウジさんの後輩でマネージャーさんだったんだけど、未だにリュウジさん推しで、時間があったら練習を観に行きたいからって、わざわざユウキに練習スケジュールを聞いてたらしいの!」
「え、なんでユウキに?」
「そうでしょ!? 私に聞いてくれたらよかったんだけど、なんかルカさんによるとね、私に " いつ練習? " って聞いたら、" 忙しいのに練習に行くな " みたいなニュアンスに誤解されるかもって、そんなふうに思ってくれてたみたい。それでわざわざユウキに聞いてたみたいなの」
「へぇ、さすが " ちょうどいいS上司 " だよね?!」
「そう! 本当に素敵な人なの」
「それで? その素敵な上司がリュウジさん推しなんだ?」
「ふふふ、そうなんだって」
由夏が不可解な顔をする。
「あのさ、そんな綺麗な人がリュウジさんのこと好きって言ってて、葉月は気になったりしないの?」
「え?」
葉月は驚いたように由夏の顔を見る。
「ああ……そんなこと考えてもみなかった」
「え? そうなの?! さすが葉月だね」
「ちょっと! それ、どういう意味よ!」
「あはは、ごめんごめん! その美波さんってさ……実はユウキと親しいってわけではないの?」
「あ……そういえば昨日話した時に、" 何気にユウキ君とは気が合う "って言ってたわ」
「ええっ!」
葉月が眉を上げる。
「どうしたの……そんなに驚いて」
「いや……どういう感じなのかなと思って。大人の女の人と、私たちと同い年のユウキって」
「ああ、美波さんが言ってたのは " お互い手のかかるアーティストを抱えてる立場だから " って」
由夏は首を傾げる。
「手のかかるアーティスト?」
「ユウキはリュウジさんで……」
「ああ、わかった! 美波さんが抱えるアーティストは鴻上さんってことね?」
「正解!」
「じゃあ恋愛感情とかじゃなくて、同士みたいな感覚なんだ?」
「恋愛感情じゃないよ! 共感できるって感じだと思う。ユウキも美波さんのことを尊敬してるみたいだしね」
「そっか!」
由夏のホッとした顔を見ながら、葉月も首を傾げる。
「今日はかれんも来るんだよね? 私、まだ晩ご飯食べてないんだけど……どこかのお店で待ち合わせしてるの?」
由夏は途端に、葉月に向けて不敵な笑みを浮かべた。
第211話『Traditional Japan』日本の伝統美 - 終 -




