第209話『discipline my boss』師匠への警鐘
体育館で意識を失った葉月を医務室に運び込んだ隆二は、目を覚ました葉月の傍らで憔悴した表情を向けた。
隆二が葉月の手を取ったとき、不意に医務室のドアがガチャリと開き、2人は慌てて同時に手を引く。
「よぉキャプテン! 飯に行かねぇ?」
そう言う晃のすぐ後ろから裕貴も部屋に入ってきた。
「ん……?」
さっと表情を変えるも、困惑した葉月の横顔を目撃した裕貴は小さく舌打ちをする。
「リュウジさん、練習が終わったんで、葉月の具合が良かったら移動しようと思うんですけど……」
隆二は取り繕うように頷きながら葉月の方を向いた。
「ああ。葉月ちゃん、どう? 動ける?」
「ええ、もう大丈夫です!」
「そうか」
葉月の肩に手を伸ばそうとする隆二の脇から、裕貴がサッとその腕を掴む。
「リュウジさん、みんな心配してるんで、メンバーに葉月の具合を説明してきてください」
「あ……そうだな」
「葉月はボクが更衣室まで連れて行きますから」
隆二は頷く。
「じゃあ……彼女は任せた」
隆二が出て行くと、裕貴は掴んでいた葉月の腕を解いて、ベッドの隣の椅子に座り直した。
葉月は首をかしげる。
「ユウキ、どうしたの?」
「どうしたのじゃないよ! あんなに無理して! 葉月はさ、確かにバスケにおいてはエキスパートかもしれないけどさ、あんな大男相手に体当たりして自分の体がどうなるかわかんないの?! 無茶しすぎだろ!」
裕貴の勢いに押されて、葉月は目を丸くした。
「あ……心配かけたよね。ごめん……」
「当たり前だろ! 女の子なんだからさ、もっと気をつけないと! 吹っ飛ばされて脳震盪なんて……信じられない!」
「ごめんって……もう本当に大丈夫だから」
裕貴は心落ち着かせるように息を吐く。
「リュウジさんも血の気が引いてたね。絶対寿命が縮んだと思う」
「ええっ……そんな……」
裕貴は葉月の頭に手をやった。
「どこ打ったの? 痛いところは?」
「ああ、それが……どこも痛くないのよ。頭を打ったって言うよりは、強く首に負担がかかったから瞬間的に酸欠になったのかなって……」
「そうなの?! それってさ、結局リュウジさんのせいじゃん! 倒れる葉月に無理に手を伸ばしたりするから腕が首に絡まって、それで失神したんだろ?! ったく! 何してんだよあの人は!!」
「いいえ、そのまま倒れてたら本当に頭を強く打ってたかもしれないから、軽く済んだのはリュウジのおかげだと思う。だからもう、そんなに怒んないでよ」
裕貴は葉月の顔じっと見つめた。
「で? リュウジさん、なんか言ってた」
「ああ、心配かけちゃったからね……」
「そうじゃなくて! 感極まって、また葉月に迫ったりしなかったのかって聞いてるの」
葉月は分が悪そうに視線を下げる。
「そんなことしないよ。" 生きた心地がしなかった " って……" どうして君は俺の心を "……って言われたところでアキラさんが入って来たから……」
裕貴は空を仰いだ。
鈍感な葉月だから気が付かないけど、もはや告白だけどな
頭の中に浮かぶ言葉を飲み込む。
「ユウキ?」
「もう動けそうなら着替えに行こうか? またみんなで食事に行くみたいだけど、葉月は今日は帰った方がいいんじゃない?」
「ううん、全然平気だし、それにね、今日は張り切ってバスケ頑張っちゃったから、お腹空いちゃったし」
「はぁっ?!」
ペロッと舌を出しながら微笑む葉月を見て、裕貴は肩を落としながら大げさにため息をついて見せた。
「ははっ。わかったよ。じゃあ起きよう」
裕貴に手を借りて起き上がった葉月は、そのまま付き添われて更衣室に向かう。
男子更衣室に裕貴が戻ると、隆二がさっとやってきて葉月の様子を聞いてきた。
「頭を打ったわけじゃないみたいです。なんで、もうすっかり普通に戻ってますよ」
「そうか、よかった」
「家に帰るのをすすめたんですけど、お腹空いてるから食事に行きたい言ってました。まぁすっかり元気なんで安心しましたけど……葉月に美味しいもん食べさせてやったらどうですか? 大人気なく葉月に本気で体当たりしたんですから」
隆二はバツが悪そうに小さく頷いた。
葉月が更衣室から出てくると、一気にメンバーに囲まれる。
「葉月ちゃん、大丈夫?!」
「マスコットガール兼エースっていう逸材なんだからさ、気をつけてもらわないと!」
「それを言うならさ、キャプテン自ら潰しにかかるなんざぁ、元も子もねぇぞ!」
葉月は笑いながら皆を制する。
「真剣勝負なんですから、ちょっとした負傷なんてあってもおかしくないでしょ?」
皆は眉をあげる。
「さすが麗神学園のエースだけはあるよなァ!」
「まあでも、気をつけてよ。俺たち、めちゃめちゃ心配したんだからさ」
「ありがとうございます。今からまたみんなでご飯を食べに行って、散々甘やかされようと思いまーす!」
皆がハンズアップしながら歓声をあげた。
車に乗り込むと、後部座席から助手席の葉月の後頭部に手が伸びてきた。
「本当にどこも打ってないの?」
葉月が驚いて頭に手をやると、隆二の指に触れてハッとする。
「え、ええ……多分倒れる時に首に負担がかかって酸欠になったのかなって……」
「え! もしかして俺が伸ばした腕で、葉月ちゃんを落としちまったってこと?!」
「い、いえ、違います! 首がこう……強くしなった時に……」
裕貴が横目で葉月を睨むと、葉月は小さく首を横に振って合図した。
「ああ、そういうことか!」
隆二がホッとしたように言った。
「俺も経験あるよ。外タレのバンドのドラム叩いてる時なんだけどさ……」
裕貴がすかさず口を挟む。
「ああ! それって『Cryonix Barricade』で叩いてた時でしょう?」
「はぁ? なんでお前知ってんだ? まだお前が俺を知る前の話だろ」
「師匠のルーツは調べ上げてますから。確か『Cryonix Barricade』のJAPAN TOURで演奏を一時中断した日程があったって……」
「ああ、それ。ハードにプレイしすぎて首に負担がかかってさ、空手で落とされたのと同じような状況になって」
葉月が驚いて振り返る。
「え、ドラム叩いててそんなことになるんですか?!」
「まあ、スラッシュメタルのバンドだったし、俺も若かったからね。しかし……お前も余計なこと知ってんな」
「師匠のことは何でもわかるんで、プライベートを含め、姑息な隠蔽は今後もしないでくださいね」
隆二が恐れおののく。
「怖えよ! なんなんだ、お前は?!」
葉月がカラカラと笑うと2人は同時にホッとした表情を見せた。
ファミレスで散々みんなに食べ物を勧められ、甘やかされた葉月は、お腹をさすりながらレンジローバーに乗り込んだ。
裕貴が軽蔑するような視線を向ける。
「21歳の女子が、そんな……」
葉月はギロッと睨み返す。
「いいじゃない? 美味しいものいーっぱい食べて幸せな気分なんだから! ユウキってさ、たまにウチのおばあちゃんみたいに口うるさい時あるよね? " 女の子らしくしなさい " みたいな? ホントに同い年の男の子なのかって、時々疑問に思う事があるわ」
その言葉に目を剥く裕貴の後ろで、隆二が高らかに笑い出した。
「あはは! お前の中におっさんが住んでるって思ってんのは俺だけじゃないみたいだな! 彼女の親友もそう言ってたし?」
「よく言いますよ! ボクが年相応でいられないのは、オトナなのにオトナじゃない人が周りに多すぎるせいなんですよ! 仕方がなくそうなってるのに……全く! ホント、自覚ないんですね?」
「この野郎! 言わせておけば……」
「まあ、苦言は葉月を家に送ってから聞きますよ。じゃあ、車出しますね」
エンジンをかける裕貴に、隆二がトーンダウンしながら言った。
「あのさユウキ、この後さ、俺、葉月ちゃんとちょっと……」
「ダメです」
裕貴が言葉を被せる。
「は……?」
「今日はダメです。1回気を失ってるんですよ?! 今日はまっすぐ帰した方がいいと思うので。ね、葉月、そうするよね?」
突然となりからそう振られて、葉月は驚く。
「え? あ……そうね……リュウジさん、今日はまっすぐ帰りますね。これ以上ご心配かけたくないですし」
「ああ……分かった。家でゆっくりして。もしなんかあったら、ちゃんと言ってよ」
「わかりました。気を遣ってもらって、ありがとうございます」
T字路に車を停め、葉月が家の中に入るまで見送ると、裕貴はエンジンをかけながら言った。
「さすがに今日は、本気でびっくりしたでしょう?」
「ああ……生きた心地がしなかったな」
裕貴はため息をつく。
「だから、今日2人で話すのを阻んだんですよ」
隆二が驚いて裕貴に向きなおす。
「ん? どういう意味だ?」
「この前、葉月とあんなことがあったのも、リュウジさんの気の焦りからだと思うんです。もちろん不運な偶然が重なったのもありますけど、冷静な判断ができていたらはやる気持ちも心も、もう少し待てただろうって……そういう意味で、余裕がない時に大きな行動するのはどうかと思うんですよね」
隆二は座席から身体を起こし、バックミラーに向かって茶化すように裕貴を睨んだ。
「お前さ、また葉月ちゃんのばあちゃんみたいになってるけど?!」
その言葉に反応することもなく、裕貴は運転をしながら淡々と続ける。
「冗談で言ってるんじゃありません。葉月自身が今一番気になってることが何かわかりますか?」
「へっ?」
「わかってたらフライングはしないと思うので言ってしまいますけど、葉月が今一番気にしていることは、『Eternal Boy's Life』への体面なんです。いくらみんなが寄ってたかって " あの事件は葉月のせいじゃない " と言ったって、葉月は大きな責任を感じていますし、メンバーに直に謝りたいと思ってるんですよ。そんな時にこっちで呑気に色恋がどうとか、そんなプライベートなことなんて考えられるはずがないでしょう? 生真面目な葉月からしたら、また何か問題が起きやしないかって、そんな心配ばっかりしてるのが現状なんです。……そんな時に、ここで行き急いだりしたら、うまくいくものもいかないような気がしませんか? だからリュウジさん、とりあえず事務所に行くまでは、葉月との関係を焦らないで欲しいんです」
「あ……」
「本来ボクがこんなこと言う立場じゃないのは分かってますけど、" アーティスト水嶋隆二 " を預かる立場としては、ここは重要なターニングポイントだと思ってます。間違えると大変ですからね」
「お前……一体誰なんだ」
「だから、アーティスト水嶋隆二を預かる者ですよ」
隆二は身震いをする。
「正直、マジで末恐ろしいが……確かにお前の言うことはもっともだな。分かった。彼女に負担をかけないという意味でも、今は平静を保つことにする」
「ご理解いただけてありがたいです。師匠!」
「うっせえ! 何が師匠だ?! 上から物を言いやがって! この怪しい仙人め!」
裕貴はようやくフッと微笑んで、隆二のマンションに向けて車を走らせた。
第209話『discipline my boss』師匠への警鐘 - 終 -




