第208話『Get knocked over』テクニカルファール
日曜日の朝、裕貴との約束の時間に家を出ると、まっすぐ先のT字路に真っ白のレンジローバーが停まっていた。
葉月は笑顔で車に向かう。
運転席の裕貴に微笑みながら近寄っていくと、後部座席のドアが開いた。
「あ……リュウジさん……」
大きなJordanのシルエットがプリントされたバスT姿の隆二が現れる。
「……おはようございます。あの……リュウジさん、この前は……」
「ストップ!」
隆二は葉月の言葉を制する。
「ユウキから聞いた。俺さ、君がどんな気持ちで明るく振る舞ってたとか、ちっともわかってなくてさ……ユウキにも怒られたよ。デリカシーのない武骨な男で、ホント申し訳ない」
そう頭を下げる隆二に葉月は慌てて首を横に振る。
「そんな! リュウジさんは何も悪くないですよ。私の方こそ、あんな変な態度を取ってしまって……もう、めちゃめちゃ後悔してました。本当にごめんなさい!」
「いや、葉月ちゃんが謝ることないよ。悪いのは俺だからさ」
「いいえ、悪いのは私で……」
「あの! そろそろいいですか?」
運転席から裕貴が身体を乗り出して呆れ顔を見せた。
「悪い・悪くないの譲り合いはその辺で! もうドローでいいでしょ?! さぁ葉月、助手席に乗って」
葉月はバツが悪そうな顔で、誘導されるがまま助手席に乗った。
ドアを閉めた隆二は後部座席に乗り込む。
「リュウジさん、どうして後ろに?」
裕貴がハンドルを切りながら肩をすくめた。
「実は、急に覚えなきゃいけない曲が送られてきてさ。しばらくはそっちに集中するみたい」
裕貴の視線に促されて後部座席を覗いてみると、早々にヘッドフォンをつけた隆二がスティックを握っていた。
「え! それって……もしかして、新曲ってこと!?」
色めき立つ葉月に、裕貴は笑顔で頷く。
「ええっ!! ホントに!? うわぁ……めちゃめちゃ楽しみ!」
小さく手をたたきながら笑顔で振り返ると、ヘッドフォンをしたままの隆二がフッと微笑んで見せた。
トキメキを顕にする葉月に、裕貴はホッとする。
「いいニュースを聞いたから今日のバスケのパフォーマンスも上がるんじゃない?」
「うん! すごく活力が溢れてきた!」
葉月の表情がみるみる明るくなってくる。
「ヤベっ! そんな感じだと、またボクは葉月にボコボコにやられちゃうじゃん!?」
葉月は笑いながらもすまし顔を決める。
「ユウキには色々お世話になってるけど、私は忖度はしない主義なので!」
「チェッ! 辛いなぁ葉月は。それだけパワーがみなぎってるんならさ、今日は " 諸悪の権限 " をボコしてよ。日々連なっていく弟子の恨みを、この際一気に晴らして欲しいんだよなぁ」
葉月は目を見開く。
「ちょ、ちょっと! そんなこと言ってリュウジさんに聞こえたら、またどやされるわよ?」
「いや、大丈夫!」
「え?」
裕貴の視線に合わせてバックミラー越しに後部座席を盗み見ると、真剣な表情でスティックを振る隆二の姿があった。
またふわっと表情を明るくする葉月に、裕貴が問いかける。
「どう? " アーティスト水嶋隆二 " に惚れ直した?」
葉月は瞬時に頬を赤く染めてバッと正面を向いた。
「私は……生粋の『Eternal Boy's Life』のファンなんだから、新曲に向き合うメンバーをこんなに間近に見たら……そりゃ……」
「おや? まさか、フェスの時みたいにコーフンするとか?!」
「もうユウキ! 変な言い方しないで!」
葉月はますます顔を赤くしながら裕貴の肩を叩いた。
「ふふふ」
そう笑いながら裕貴も満足げな表情で、再度バックミラーに目をやった。
熱気がこもった体育館では、途切れることなくバッシュが床に擦れる音が鳴り響いていた。
葉月の指導でアップを終えたメンバーは、チームに分かれて【5対5】の試合形式を始める。
活気あるコートを背に、裕貴は眉を上げながら肩をすくめてキャプテンに同意を求めた。
「リュウジさん、見てくださいよ。いつにも増して今日の葉月のキレはすごくないですか?! 『エタボ』の新曲っていうワードだけであんなに活力が湧くなんて、単純と言うかなんと言うか……」
「ははは、ホントだな。見ろよ、あのヘロヘロのアキラの顔! ははは!」
「今日の葉月とは対戦したくないですね……」
「全くだ」
裕貴は隆二の顔を見上げる。
「嬉しそうに笑ってますけど、結局葉月は『エタボ』の力で元気を取り戻しただけで、師匠が気の利いた言葉をかけたわけじゃないですからね?」
隆二は露骨に嫌な顔をした。
「お前なぁ……そういう辛い意見を平気でぶつけるなよ。俺だって、だいぶ堪えてたのは、見ててわかんだろうが!」
「冗談ですよ! わかってますって。師匠にはなかなか仕返しできないから、こういう時を利用してちょっと意地悪を言ってみたかっただけです」
「お前なぁ!」
戻ってきた葉月に、隆二がタオルを渡してやった。
「今日はめちゃめちゃ身体動いてるじゃん?」
「はい、今日は視界が冴えてて、パスラインもよく見えるので」
「ん? なにその感覚?! 麗神学園のエースともなると、表現も変わってくるよなぁ?」
葉月がプッと頬を膨らませた。
「そんな変人みたいな言い方しないでくださいよ! ではリュウジさん、私と対決しません?」
隆二はあからさまに苦い顔をして見せる。
「ええっ!? 今日の君とはやりたくないけど……」
「私、ユウキにミッションを与えられてるので」
「は? ミッションとは?」
「いつも迷惑を被ってる師匠をボコして、って……」
「はぁっ?! アイツ……先に根回ししてやがったか! 俺に散々世話になっておきながら! クッソ! アイツ、どこ行った!?」
悔しそうに辺りを見回す隆二の無邪気な表情に、葉月は微笑んだ。
「フフッ。じゃあ今日は【3ポイント対決】じゃなくて、【1on1】にしますか?」
隆二は更にムッとした。
「ちょっと葉月ちゃん! それってもしかして、俺にハンデを与えてるつもり?! 俺、このチームのキャプテンなんだけど?!」
「あはは! バレました?」
「クッソ! しかし……まぁ【3ポイント対決】で勝てる気はしねぇからなぁ……悔しいけどその提案に乗るしかねぇか」
「じゃぁ決まり! 始めましょう!」
「え、今から? 試合終わったところなのに、疲れてないの?」
「今、イイ感じでアドレナリンが出てるんで、このまま行きたいなって」
「ふぇ……恐ろしい……おいユウキ! 笑ってねえで審判しろ!」
「ハイハイ!」
彰の背後に身を隠しながら遠巻きで様子をうかがっていた裕貴が、笑いながらホイッスルを持って2人についていった。
両者なかなか譲らず、5点先取の激しい【1on1】が始まり、チームメイトはそれを囲んで見物を始める。
4対3と葉月がリードしてリーチをかけた。
「おいおいリュウジ! キャプテンの名が廃るぞ?! さすがにここは負けるわけにはいかないんじゃね?」
さっきの試合で葉月に負けを被った晃の、悔し紛れのヤジが飛ぶ。
ボールを確保した葉月の行く手を、阻むように隆二がバッと踏み込んだ瞬間、同じ方向に身をかわした2人は真正面から体当たりするような形になり、葉月が後ろへ大きく弾き飛んだ。
「わっ!」
背中から落下していく葉月の頭を守るように、咄嗟に隆二が腕を伸ばしてその首元をホールドする。
ドスンと鈍い音を立てて、2人は床に倒れ込んだ。
裕貴が手を上げてホイッスルを吹く。
隆二が葉月の頭を包むような形のまま、2人は抱き合った状態でリングの真下に横になったままだった。
オーディエンスからは冷やかしの声も上がる。
「ちょっと! アンスポですよリュウジさん! 退場です!」
皆がニヤニヤ笑う中、隆二も苦笑いしながら身体を起こした。
「うるせぇな、お前ら!」
そう言って隆二は葉月を起こしてやろうと振り返る。
しかし葉月は目を閉じて横たわったまま動かなかった。
「えっ?!」
皆に一斉に緊張が走る。
「リュウジさん、もしかして……葉月を助けるために?!」
駆け寄った裕貴に、隆二が葉月を抱きかかえ、膝を立てて持ち上げながら言った。
「クソ! 間に合わなかったのか! 頭を打ったのかも……脳震盪を起こしてるかもしれない」
隆二はそのまま葉月を抱き上げ、体育館を出ると医務室へ駆け込んだ。
簡易ベッドに横たえた瞬間、葉月が目を覚ます。
「あれ? 私……」
後ろから走り込んできた裕貴もホッとした表情を見せた。
「葉月! 大丈夫!?」
葉月はまだ自分の首の後ろに腕を置いている隆二の顔を見つめた。
「あの……」
隆二がそのまま頷く。
「俺のこと、わかる?!」
「え?! もちろん、わかりますよ! なんとも無いですって! それより、私が放ったシュートは……やっぱり外れちゃったんですか?」
隆二はその体勢のまま閉口する。
「まぁ……どうせ外れてますよね? じゃあ、この対決の結果はまだ出てないってことですか……」
ポカンとする隆二のとなりで裕貴が目をつり上げた。
「葉月さ! 脳震盪で倒れたんだよ?! 1回意識を失ってるのに、なんで試合の勝敗なんか気にしてんのさ!」
「ああ……じゃあこの勝負は、また今度に繰り越しってことで……」
「はぁ?! なに言ってんの!」
仏頂面の裕貴のとなりで隆二が笑い出す。
「はは、葉月ちゃんらしいよな。よかったよ。頭を打ってるかもって心配したけど、ある意味まともだな」
チームメイトが医務室にどかどかと走り込んできて、その2人の光景を目にして言った。
「ん? なんだなんだ!? 今度はこっちでラブシーンが始まんのか?」
再び上がった冷やかしの声に、隆二は慌てて葉月の首の下から腕を抜いて身体を離した。
「あ……ご心配かけてすみません。私、大丈夫ですから……」
そう言って自分も起き上がろうとする葉月の肩を、隆二は押さえつける。
「いや、一度は気を失ったんだからまだ横になってないと。もう練習時間も残りわずかだし、このまま休んでて」
「そうだよ! これ以上みんなに心配かけないの!」
裕貴はそう葉月をたしなめて、隆二の後ろに下がった。
「リュウジさんが葉月に負けじとパワープレイに走ったことで起こった事故なんですから、責任をとって葉月についててくださいね!」
「え……ああ、わかった……」
裕貴はオーディエンスを引き連れて医務室のドアを閉めた。
「もう……ユウキったら、あんなに大袈裟な言い方しなくても……大丈夫なのに」
そう言ってまた身体を起こそうとする葉月を、隆二はまた制する。
「ダメダメ! 突然気分が悪くなることもあるから」
「こんなの、試合中にはしょっちゅうありましたよ。なんせ私は小柄なんで、ゴール下で競ってたりすると、上から相手チームの選手の肘が降りてくるんですよ! 何度エルボを喰らってって失神したことか……」
隆二はたまらず笑い出した。
「あははは! なにそれ?! " プロレス同好会 " かなんかに入ってたみたいなセリフだけど?! あははは!」
「あ……確かに……ふふふ」
葉月もその言葉に笑った。
盛大に笑っていた隆二が、大きく息をついて下を向いた。
「え? リュウジさん? どうしました?」
「マジ、焦った……」
「え?」
「葉月ちゃんが目を開けるまで、俺、生きた心地がしなかった……」
「ヤダ! そんな大袈裟な……」
顔を上げた隆二の表情は真剣そのものだった。
「リュウジ……さん?」
隆二は葉月の手を取る。
「冗談で言ってるんじゃないんだ。どうして君は……こんなに、俺の心を……」
第208話『Get knocked over』テクニカルファール - 終 -




