第206話『Complex situation』複雑な状況
裕貴は新居に葉月を招き、『forms Fireworks』の琉佳の話を聞きながら、彼の洞察力に恐れおののく。
話を進めていくうえで、葉月の隆二に対する気持ちの核心を確認するべく、裕貴は新たに切り出した。
「じゃあ話を戻すけどさ、葉月は今後リュウジさんと、どうしたいの?」
葉月は肩を落とす。
「どうしたいって聞かれても……私、リュウジさんに悪いことしちゃったから……正直、合わせる顔がないわ」
「じゃあこのままにする? 違うだろ? 普通なら葉月だって誤解も解きたいだろうし、関係性を回復させたいって思うタイプだよね? でもそうできないのは、葉月のせいでもリュウジさんのせいでもない。合宿所の事件の後遺症のせいなんだからさ。でもそれをリュウジさんに言えないから、何とか別の方法で対策しなきゃならないけど……でも何よりまず最初に聞確認すべきは、葉月の気持ちだと思うんだよね」
「私の……気持ち?」
「うん。まぁ、大の大人のリュウジさんに向かって若輩者のボクが言うのもなんなんだけどさ、リュウジさん、このところ勇み足っていうか……ちょっと葉月との関係を急いでるようにも見えたんだ。解禁になったからって、世間に顔が知られてる葉月と、『Eternal Boy's Life』の正式メンバーになろうとしている人物が2人で街を歩いたらどうなるかとか、危険察知が全然出来てないだろ?! 正直ボクはそこに一番驚いてたんだよね。だけど、言い方を変えれば、それってリュウジさんの覚悟だとも捉えられる。葉月と一緒のところを人に見られてもいいっていうぐらいの気持ちがあるって言うか、認められたいって言うか……それでさ、当の葉月は、どう思ってるわけ?」
突然そうふられて、葉月は困惑した表情を見せる。
「私は……そんなところまで考えが至ってないっていうか……あんな大きな事件になって『エタボ』に大迷惑をかけたのに、まだ地面が乾ききってないこの状態で別の噂なんて出たりしたらとんてもないって思ってしまって……そんなことになったら、『エタボ』のメンバーにも顔向けできないし、全力で私のことを擁護してくれたトーマさんに恩を仇で返すようなことはしたくないって……そう思って……」
裕貴は感慨深げに腕を組む。
「そう……それはリュウジさんに話した?」
「ん……話したような気もする。とにかくパニックになっちゃったから、喚めき散らして店を出ちゃったんだけど……」
裕貴は静かに息を吐きながら頭に手をやる。
「あ……そんな感じだったんだ……大変だったね、葉月」
紅茶を飲み切った葉月が、ボトルを見つめて言った。
「あの翌日も、昨日も……リュウジさん、来てくれてたんだよね……」
「うん……多分、葉月に直接会って謝りたかったんじゃないかな? リュウジさんもどうしていいか分らなかったんだと思う。下手にメッセージとか送って困惑させてもいけないから、顔を見て話そうって思ったのかもしれないし……」
葉月はバッと顔を伏せた。
「はぁっ! なんてことしちゃったんだろう……私こそリュウジさんに謝らなきゃ……」
「いや、誤解を解きさえすれば解決するって。とにかく葉月がリュウジさん自体を拒絶したんじゃないっていうことを伝えなきゃ。リュウジさんのためだけじゃなくて、葉月のためにもね」
「うん……そうしたい」
「わかった。ボクも協力するから大丈夫!」
「ユウキ……ありがとう」
「じゃあさ、そろそろ晩ご飯を食べに出掛けようよ。葉月にタダ働きさせたってバレたら、師匠に怒られそうだしさ」
「うん、お腹すいた!」
葉月の表情が明るくなったことにホッとする。
2人でアパートを出て、駅から西へ渡り、裕貴に誘導されるがままセンター街の方へ足を進めた。
「どこに行くの?」
にっこり笑った裕貴が指差す方向にピンと来た。
「ああ! 『Moon Drops』?」
「そう。葉月のこと、美玲さんも心配してたからさ、顔見せてあげるのもいいかなって」
「うん!」
ウインドチャイムを鳴らしながらドアを開けると、趣のある店内から美玲がパッと顔を明るくして走り寄ってきた。
「葉月ちゃん、色々大変だったでしょ。大丈夫?!」
「はい。ご心配かけてすみません」
「何言ってるの! ユウキくんから事情は聞いてたけど、顔が見られて、私もホッとしたわ」
美玲は微笑みながら席に案内する。
「今日はね、ユウキ君が葉月ちゃんを連れてきてくれるって言うから、一番最初に葉月ちゃんがここに来てくれた時に好評だったブイヤベースを作ってみたの。あなたに食べて欲しくて」
「美玲さん……ありがとうございます!」
テーブルに運ばれてきた料理に舌鼓を打つ。
店内を見回すと、何組かの客も同じ皿を前にして笑顔だった。
「本当に美味しい! 美玲さんのブイヤベースは最高です!」
「ホント?! 嬉しいわ! お店の経営は難しいけど、お昼時もユウキ君に協力してもらってみんなでランチ食べに来てもらったりしてるから、お料理も色々研究してるんだけど、やっぱり元々得意だった料理が一番好評なのよね」
美玲はそう嬉しそうに言った。
食べ終わった裕貴に、美玲はセッションを挑む。
照れくさそうに立ち上がる裕貴を、葉月は拍手で送り出した。
美玲の奏でるピアノは優しく、そこに乗り始める裕貴のドラムの繊細さが、ロックにはない大人の雰囲気を醸していた。
葉月は店内の客と共に、2人に大きな拍手を送る。
「わぁ! すごく素敵! ユウキ、めっちゃ良かったよ!」
「ユウキ君は本当に上手になったわよね?」
「美玲さんのおかげですよ」
「いいえ、ユウキ君が本当に熱心だからだと思うわよ! だって隆二が……あ、隆二君が若かった頃なんて、すぐに飽きちゃって大変だったんだから! やっぱり優等生は成長が早いわね」
美玲が言い直した言葉に、ふと思い出す。
以前ここで2人が話しているところを見た時、直感的に何かがあるように見えた。
葉月はまじまじと美玲を見つめる。
美しく大人の色気を感じるその横顔は、女性の自分でも目が離せないほど魅力的だった。
この人と、リュウジさんが……?
そう思った瞬間、胸の奥に亀裂が走り、その痛みが徐々に込み上げてきた。
どうしよう……
圧迫感で呼吸が苦しくなる。
「葉月? どうかした?」
気付いた裕貴が葉月の顔を覗き込む。
「ううん……なんでもない」
気の利いた言い訳も出て来ずに、ただそう言うのが精一杯だった。
「ちょっとごめん……」
葉月は立ち上がって、フラフラと化粧室に向かった。
美玲が心配そうにその後ろ姿を見つめる。
「ねぇユウキ君、葉月ちゃんは何か他にも悩みを抱えてるの?」
裕貴は美玲に向き直った。
「そう見えますか?」
「ええ……例えば、隆二くんとのこととか? もしかして、あの2人、お付き合いしてるとか?」
「いえ、まだそこまでは……」
そう話しているうちに視野の隅に戻ってきた葉月の姿が映る。
裕貴が迎えるようにサッと立ち上がった。
「葉月、そろそろ帰ろう。昨日会社も休んでるんだし、今日は力仕事までさせちゃったしさ。車で家まで送るから」
「そんなのいいよ! 引っ越しの手伝いは、私がやりたくてやらせてもらっただけだし」
「いや、後から葉月と会ってたことをリュウジさんに話す時、送っていかなかったって言ったら、ボクが師匠に怒られるから……」
「でも……」
困惑した表情の葉月の肩に美玲が触れる。
「ユウキ君の好意は受けるべきじゃいかしら? 体調が万全でないのなら心配して当然だし、ましてあなたが隆二君の大切な人なら、弟子のユウキ君の顔も立ててあげないと」
葉月は首を横に振る。
「私、別にそんなんじゃないんです。リュウジさんもユウキも、親切なので」
「そう……ならあなたと彼は……」
裕貴が葉月の肩を掴んで言った。
「なぁ葉月、いいかげん水くさいことはナシにしよう! 信頼のおける相手には、素直に甘えることも覚えなよ!」
「ユウキ……」
「ほら、帰ろう。具合が悪くならないうちにさ」
裕貴は葉月の腕を持ち上げた。
「ああ、うん……」
美玲が葉月のバッグを持って入り口まで見送る。
「葉月ちゃん、もしよかったらブイヤベースの作り方を教えてあげるから、またランチタイムに来て」
葉月はパッと顔を明るくした。
「ホントですか!」
「ええ。ただし、それまでにすっきりと体調は整えるのよ! 無理しちゃダメだからね。みんなあなたには元気でいてもらいたもの」
「美玲さん……ありがとうございます」
美玲は葉月にバッグを手渡すと、葉月の腕をさするように触れ、優しい眼差しを向けた。
「気を付けてね。来週は元気な葉月ちゃんを待ってる」
「はい! ご馳走さまでした。美玲さんのお料理教室、楽しみにしています」
『Moon Drops』を後にした葉月の足は、随分軽やかになっていた。
「美玲さんに会いに来てよかったね」
「うん! ユウキ、連れてきてくれてありがとう!」
2人は車に乗り込むために、隆二のマンションへ足を向けた。
第206話『Complex situation』複雑な状況 - 終 -




