第203話『Work settles down』仕事終わりの静穏
「おまたせ、白石さん!」
琉佳が戻って来ると、オフィスの脇にあるレクリエーションコーナーにいた葉月が立ち上がった。
「ほら!」
琉佳が袋を開いて見せる。
「わ! 美味しそう! 実はこのロールケーキ、前から気になってたんですよね」
「そう? よかった。じゃあ早速食べよっか」
そう言って早速袋から取り出そうとする琉佳に首をかしげる。
「え……仕事してからじゃないんですか?」
琉佳は肩をすくめた。
「え! だってこんなに美味しそうなんだよ? 買ったらすぐ食べたくなっちゃうのは、僕だけ?」
琉佳はスプーンをくわえながらおどけて見せる。
その子供のような仕草に、葉月は微笑んだ。
「いっただきまーす!」
生クリームをパクリと口に入れた葉月はほっぺたを押さえた。
「うわぁ! 美味しい!」
「だろ?! これが今の僕のイチオシ! ただし、新しい商品が出たら僕のイチオシもまた変わるかもね? それってさ、しょうがないと思わない? 同じ商品だけ好きなわけじゃなくて、革新的な物が出たらそれにも興味が湧くのって人間の摂理だと思うんだけど」
葉月が笑い出す。
「フフフ。なんかルカさんがそう言うと、浮気がバレた時の言い訳みたいに聞こえるんですけど、違います?」
「なんだよそれ?! まぁ正直、僕にとっては、あまり定義には変わりはないんだけど……それを言うと女性を怒らせちゃうからさ?」
「当たり前ですよ! やっぱり美波さんの見解は正しいみたいですね?」
「ちょっと! 姉ちゃんの名前は出さないでよぉ! せっかくこうして女の子と2人でスイーツを楽しんでるのに、台無しになるじゃん?」
「あははは。やっぱりルカさんは、ワルイオトコなんですね?」
食べ終わる頃になって、流佳はさりげなく言う。
「そうそう、さっきこれ買いに降りた時にさ、リュウジさんに偶然会ったんだよね」
「え、リュウジさん……?」
葉月の口調に緊張感が走る。
「うん。君を待ってるかもしれないと思ってさ、僕のせいで残業になったんですよって謝っといたんだけど……もしかして、待ち合わせしてたとか?」
「いいえ、待ち合わせはしてないです」
葉月は表情をなくしたように即答した。
「ああ……そっか。これからどうするんですかって聞いてみたら、今日はアキラさんが『Blue Stone』に入ってるから、リュウジさんは店には行かないって言ってたよ」
「……そうなんですね」
琉佳は葉月を真っ直ぐ見つめる。
「ねぇ、今すぐ帰った方がいいんじゃない?」
「えっ?」
葉月はその唐突な言葉に驚いた。
「白石さんさ、昨日は珍しくダウンしたわけでしょ? 自分では気付いてなくても、心や体がギブアップって言ってたのかもしれないよ。そういう時はさ、とりあえず美味しいものを食べてゆっくり休むのが一番だよ。だから、これ食べたら、もう今日はまっすぐ家に帰んなよ」
「え? でも、残業しないと……」
琉佳はとぼけた表情で空を仰ぐ。
「あ……よくよく考えてみたらさ、そんなに詰めなくてもいい仕事だったわ……締め切りもまだ先だったし。ごめんね、僕の勘違い! まぁ、それに白石さんに残業させると、姉ちゃんにまた怒られちゃうからさぁ……そうだ! だったらさ、白石さんの残ってる仕事は、今日のところは在宅でやってもらっていいかな? 資料渡すからさ。それなら僕が姉ちゃんに叱られなくて済むんだけど……協力してもらえない?」
そう言って無邪気な表情を向けてくる琉佳の細やかな気遣いが伝わってきて、葉月の心を温かくした。
「はい、わかりました。じゃあそうさせてもらいますね。ルカさん、色々……ありがとうございます」
葉月の言葉に、琉佳はにっこり微笑み返した。
葉月がハッとして琉佳を見上げる。
「そうだ! この前ね、うちの母にルカさんの写真を見せたんですよ」
「え、なんで? 僕の写真?」
「この人がウチにタコパに来たいって言ってくれるんだって話したら、母も大喜びで。" イケメン大歓迎!" って叫んでました」
「マジ?! じゃあやっとタコパが実現されるんだ! やったぁ!」
「フフフ。でも思いの外、大人数になりそうですけどね。私の親友2人に、リュウジさんとユウキでしょ? それにうちの母、徹也さんも誘ってましたから」
「え? 徹也さん?」
「ああ……この前、弟の和也さんとの商談の後に、家に送ってくれた際に母にご挨拶してくださったんです。それで徹也さんにも、母がタコパに来てくださいって……」
「そう……って言うか、白石さん、いつから徹也さんって呼んでんの?」
「え?」
「あ……まぁいいや、そんなことは。そっかそっか! じゃあみんなでタコパね! 楽しみにしてよっと!」
「はい、楽しみにしていてください」
「うん。じゃあ姉ちゃんにバレる前に、さっさと帰ってくれる?」
甘えるように小首を傾ける琉佳に、葉月は笑い出した。
「ははは! はい! わかりました」
明るく敬礼をして見せてオフィスを出る葉月の背中を見送りながら、琉佳は頭を整理する。
一昨日の月曜日に、このビルの前で待ち構えていた隆二と落ち合った葉月は、仲睦まじくセンター街の方に歩いていった。
「でもそこから3時間も経たないうちに、白石さん、駅のロータリーで1人佇んでたよな? 今思えば具合が悪そうにも見えたけど……でも具合の悪い彼女を、リュウジさんが1人にするわけないし……」
翌日である昨日は、彼女は会社を休んだ。
明確な理由は聞かされていない。
「ひょっとしたら僕が気づかなかっただけで、リュウジさんは昨日もこのオフィスの前に来ていたのかもしれないな……それで今日もまた待ち伏せるなんて。喧嘩するような仲なのか? でもさっきのリュウジさんの口振りだと、なんか距離を感じるし……」
琉佳は隆二の表情を思い出す。
「いつもの勢いっていうか、オーラがなかったな。悩み事? まさか一方的に白石さんを思ってて、彼女がそれを嫌がって避ける……いやいや、ありえないって! 白石さんはリュウジさんにはかなり信頼を寄せてるはずだから、拒絶したりしないだろうし、当然、駆け引きするようなオンナでもないわけだし……日曜のバスケの時だって、そんな変な空気は微塵も感じなかったしなぁ。うーん……」
そこまで考えてから琉佳はハッとする。
「そうだ! 白石さん、さっきBOSSのこと " 徹也さん " って呼んでたぞ!? バスケしてる間は、まだ鴻上さんだった筈だけどな……実は前々から2人になったら徹也さんて呼んでたとか? いやいや、白石さんはそんな工作できるほど器用じゃないだろう。現に、さっきだって自然に僕の前で徹也さんって呼んじゃってたわけだし? なら……バスケの後に行った商談の後に、何かあったのか?」
日曜の朝からバスケにも同行した琉佳は、徹也から昼の会議の後は帰宅していいと言われ、姉の美波とも徹也とも、別行動になった。
『LBフロンティア』の案件で商談が行われることは前々から決まっていたが、後から聞けば、自分と分かれた後に美波が葉月の服を見立てて正装させて、弟の和也に引き合わせたらしく、姉は満足そうな表情で自分のことのように彼女の仕上がり具合を自慢していた。
「弟に引き合わせて、その後は白石さんの母親にも挨拶?! これは……いよいよ何かが動き出すのか?!」
そう口角を上げながらつぶやくも、ブンブンと首を横に振る。
「いやいや、あの不器用な2人がそうスムーズに事を運べるはずがない。単にそういうタイミングが重なっただけだろ?」
加えてさっきの隆二の様子が頭をかすめた。
「あ……そっちもあるんだよなぁ。こりゃ一筋縄ではいかない問題になるかも……まぁでも」
琉佳はまた窓の外を見下ろして、道行く人々の行きかう様子に目をやる。
「オトコとオンナなんて、それまでにどんな伏線が張り巡らされていたとしても、所詮たった1つの点のような出来事で始まっちゃうような、不安定で危なっかしいっかしいもんだしね? ま、この件においては、とにかく面白そうだし、しばらく動向を見守っておくとするか? さて! 僕も彩ちゃんの店に行こっかなぁ? もう怒ってなきゃいいんだけど? フフフ」
グーンと身体を伸ばした琉佳は、照明を落としてオフィスを後にした。
第203話『Work settles down』仕事終わりの静穏 - 終 -




