第198話『ミュゼ・ド・キュイジーヌ』回想レストラン
近藤楽器店を出て、隆二と2人で歩いていると、葉月が前方に何か見つけて声を上げた。
「あ!」
ショーウィンドウを指さす。
「どうした?」
「リュウジさんが、すっかり秋冬物になってるんです!」
「は?! 俺?!」
隆二が不可解な顔をして、指さす方向に目をやると、それは『Paul Smith』の店先だった。
ショーウィンドウのマネキンが、ニットにマフラー姿で立っている。
「はは、さすがにああなると、似ても似つかないな」
「確かに、隆二さん感はないですね。でもニットとか着たら素敵だと思うんですけど?」
「はぁ? ガラじゃないだろう?! こう見えて、俺、ロックドラマーなんだけど?!」
「ふふ。でもそんなワイルドな人があんな感じのキレイ目のニット姿で現れたら、ギャップ萌えするんじゃないですか?」
「は? 誰がギャップ萌えするんだ? 君のお母さんか?」
「あははは。めちゃめちゃ喜びそう!」
葉月はカラカラと笑う。
隆二が立ち止まった。
「ほら着いたよ。今日の早めのディナーは、ここでどうかな?」
葉月は顔をパッと明るくする。
「ええっ! 『ミュゼ・ド・キュイジーヌ』ですか!」
葉月は浮足立つように、その美術館のような佇まいに足を踏み入れると、褐色の美しいフォルムのインテリアを懐かしむように見回した。
店内に進み案内された席は、以前隆二と来た時と同じテーブルで、猫足の椅子を引いてもらって着席すると、2人は早々にシャンパンで乾杯をした。
「フェスの前日でしたよね?」
「そうだったな」
「そんなに昔じゃないのに、懐かしい気がして……さっき見た『Paul Smith』のマネキンも、あの時はリュウジさんそっくりな夏の白シャツを纏ってたのに、もうすっかり季節が変わって……やっぱり月日が経ったんだなあって感じました。まぁ……あれからは、色々ありましたしね……」
いたわるような視線を向ける隆二に、葉月は手のひらを横に振った。
「ああ! 別にネガティブなことを指して言ってるんじゃないですよ。楽しいことがいっぱいあったなって思ったんです。前にここに座っていた私は、まだあの野音フェスを知らなかったんですよ?! 信じられない……『Eternal Boy's Life』と出会ってない私と今の私では、もう違う人間みたいに変わったって思いいたりします。何せあの時は、リュウジさんを『エタボ』一の員だと認識していないわけですからね!」
「そうだよな? " ただのバスケ好きの飲み屋の兄ちゃん " としか思ってなかったわけだし?」
皮肉な視線を向ける隆二に、葉月は今度は首を横に振る。
「えー、全然! そういう感じじゃないですよ! 初めて会った時は……ミステリアスな存在だったかな。もちろん話すと気さくなんですけど、ただ者じゃない雰囲気があって……最初はモデルさんか芸能人っぽいなって思ったんですよね。でも話してみたら、私くらいコアなバスケファンで……嬉しかったです。音楽のことも、それ以外の色々なことも、なんでも知ってるオトナな存在で、話を聞くだけで楽しくて、好奇心が湧いて、とにかく毎日が刺激的でした。『Blue Stone』に通うのは自分の見聞を広げることにつながるんだって、私の中での勘が働いたんですよね」
隆二は眉を上げる。
「へぇ、そんな風に思ってくれてたんだ?」
「ええ。母も、最初は毎晩出かけてはほろ酔いで帰ってくる私のこと、何も言わないけど少し心配そうに見てたんですけど、今やその母が " 隆二さんを最推し! " って言うんですから、本当に人生どこでどうなるか、わからないもんですよね?」
「ははは。そうだな。出会いって不思議だから」
フィレ肉にナイフを入れながら葉月が尋ねた。
「リュウジさんはどうして、私をフェスに誘ってくれたんですか?」
「そうだな。正直、" こんなに話の合う女子は今までいなかったな " って思ったのがきっかけかな。もちろんバスケの話からそうだったんだけど、それと君の純真なところを見てさ、" 色々な世界をこの子に教えてあげたいな " って思ったんだよ。教えたらどんな顔するんだろう? どれほど感動するんだろう? ってさ。そういった輝きって、この年齢ともなると、簡単にお目見えするもんじゃないから貴重なんだ。音楽にとっては特にそんな感性が大切だって、よく渡辺も言ってるけどさ、君に関して言えば、まさしく俺もそう思ったのかもしれないな。ただし! フェスに誘った後の君の態度は、あまりにも意外すぎたけどね」
「え、どういうことですか?」
「あまりにもコアなファンすぎて、緊張で口もきけなくなってさ」
葉月はばつが悪そうに笑う。
「そりゃそうですよ! 一番大好きなバンド、しかも雲の上のような存在で崇めるようにライブに行ってたんですから! しかも、そのステージでドラム叩いてた人が目の前にいるってなったら、息も止まりますよ?」
隆二が首を振りながら手のひらを立てる。
「ちょっと待った! そういう言い方だとさ、君がまるで俺に対して失神せんばかりのファン意識を持ってるみたいなニュアンスだけど、蓋を開けてみたらめちゃくちゃトーマさん推しじゃんかよ! 俺なんか単に当て馬だよ? 君にトーマさんを会わせるための仲介役に過ぎないし」
「そんなことないですよ! リュウジさんも私にとって、充分 " スター " なんですから」
隆二はまた皮肉な視線を向けた。
「はぁ? 本当にそんな風に思ってるかな?」
「もちろんです! 私に言わせれば……リュウジさん、気さくすぎるんですよ。優しくしてくれたり、時に私のパパになってくれたり、手を差し伸べてくれる保護者になったり……だから私がすっかり甘やかされて、こうやって面と向かってお話しさせてもらったりしてますけど、不意に、" 恐ろしい! " って我に返ることだってあるんですから……」
「ん? 恐ろしい? なにが?」
「だって! スターとこんなに身近で話をさせてもらってるんですよ? それに事情があったとはいえ、お家にまで泊めていただいて……だからせめて、自分が誤解しないようにしっかりとしなきゃ! って、今は思ってます」
「誤解? それはどういう?」
「親しき仲にも礼儀ありですから。私もリュウジさんに甘えすぎたらダメだなって思ってます。それでなくても今回あんな大きな騒動になって、本来なら皆さんの元を去るべき立場なのかもしれないのに、身内のように扱っていただいて……本当に感謝してます。だから私これ以上、増長しないように身を引き締めて……」
「ストップ!」
「え?」
「それ以上、そんな自分を蔑んだ発言は、俺が許さないよ。葉月ちゃん、わかってないのかな? 君は被害者だよ? 本来なら『Eternal Boy's Life』側が君に謝罪したり、賠償するべき案件なんだ。それを君の人柄に甘えて、こうして友好的な関係を続けさせてもらってるんだからさ、もうちょっと自分のことを重点的に考えて欲しい。でなきゃ。パパとしてはちょっと心配になるな」
「でも……」
隆二は神妙な表情で続ける。
「これはあまり言いたくはないが……香澄が君にした罪は、俺の責任なんだよ。もちろんあんな卑劣な人間をかばって言ってるんじゃない? 分かるよね? 香澄が俺に依存して、その矛先が君に向いて君を傷つけた。その責任も、俺は取りたいと思ってる。もう二度と君には傷ついて欲しくないんだ……君にはずっと笑顔でいて欲しいから」
「リュウジさん……」
「だからさ、お願いだからもう少し自分に対する肯定感を上げて、自分の価値に気づいてほしい。もしどうしてもおこがましいなんて考えがよぎったりすることがあったら、自分のためじゃなくて俺のためだと思って、そう考えてくれないか? 俺が大切に思っている人なんだから、蔑む言葉は許さない。それが君自身であってもだ。なぁ葉月ちゃん、俺の気持ち、伝わったかな?」
葉月は胸を押さえながら深く頷いた。
隆二はホッとした表情で笑顔を向けた。
「よかった。君のことが心配でたまらないパパの気持ちも、わかってよね?」
葉月がふんわりと笑う。
まるで花のようだと思った。
運ばれてくる食事にを満足そうに頬張る彼女を、隆二は微笑ましく見つめる。
そこからはまた『BLACK WALLS』の今後の展開と、『エタボ』やアレックスの話で盛り上がった。
運ばれてきたメインディッシュに目を輝かせる葉月の顔を、隆二は頬杖をつきながら、まじまじと眺める。
「君のその顔が見たくて、オジサンは君にせっせと美味しいものを食べさせてるんだよ」
「ヤダ、リュウジさん! 私、リュウジさんのこと、オジサンだなって一度も思ったことないですよ。昨日、同じようことを徹也さんにも言われたんです! やっぱりお2人は考えることも一緒なんですね?」
「えっ?」
隆二は一瞬不可解な表情になるも、気が付かない葉月はそのまま話を続ける。
「20代後半になると、男性ってオジサンっていうワードに固執する傾向があるんですか?」
そう面白おかしく問いかけてくる葉月を見ながら、隆二は曖昧な返事をする。
「ああ……まぁ、そうかもね?」
「わぁ! 美味しそう! 冷めないうちに! いただきます!」
「ああ……そうだな」
葉月をじっと見つめる隆二は、あるひとつの言葉に引っかかりを感じていた。
第198話『ミュゼ・ド・キュイジーヌ』回想レストラン - 終 -




