第197話『Lay in wait』待ち伏せ
翌日、葉月はいつものように『forms Fireworks』に出勤するも、徹也の姿はなかった。
美波に聞くと、出張ではないが会社に戻るのは夜遅くなるとのことだった。
オフィスの窓からオレンジ色の光が低い角度で差し込んでくると、美波が葉月に声をかけてくる。
「白石さん、今日はもう上がっていいからね!」
葉月はデスクから立ち上がった。
「えー白石さん、もう帰っちゃうの? なんか白石さんがいなくなるとさ、オフィスから色がなくなるみたいで寂しいんだけどなぁ」
そう言って葉月の隣に歩み寄る琉佳の耳を、美波がぎゅっと引っ張る。
「痛っててて……姉ちゃん! 痛いって!」
「オフィスでよこしまな気持ちを晒さないの! 風紀が乱れるでしょ!」
「なんで?! アットホームなムード作りじゃん?」
「アンタの存在自体がよこしまなんだから! ムードじゃなくてセクハラでしょう?! 白石さん、気にしなくていいから、もう帰ってね」
一人っ子である自分からすれば憧れのシチュエーションとも言えるこの姉弟のやり取りは、葉月にとっては楽しみの1つでもあった。
「では、お言葉に甘えてお先に失礼します」
「ええ、お疲れ様」
「また明日会おうね〜」
手を振りながら葉月を見送ると、琉佳はつまらなさそうにため息をつく。
「あーあ、オフィスから花がなくなった」
「何言ってるの?! ここにこうして大輪の花が咲いてるじゃない?!」
そう言って自分を指差す美波に、琉佳はさらに大きくため息をついてみせた。
「あのさ、僕は彼岸花じゃなくて、すずらんが好きなんだよ。清楚で純心でかわいらしい可憐な花」
「はぁ!? 誰が彼岸花よ! 失礼ね。もっと高貴で品格のある花に例えて欲しいわね」
琉佳は面倒くさそうに頭の後ろで手を組んで空を仰いだ。
「姉ちゃんのことを " バラ " だ " カサブランカ " だって讃えてくれる能天気な蝶みたいな男が現れることを願ってるよ」
「アンタ! マジでぶっ殺す!」
また一撃を食らった琉佳は、頭をさすりながら大きな窓のそばへ歩み寄る。
彼女にはすずらんがぴったりだと思った。
花言葉は純粋・純真。
清らかで清楚な姿は彼女そのものだと思う。
ふと自社ビルの前の階段に目を落とすと、そこに見覚えのあるシルエットを見つけた。
「ん?! あれは……」
地上6階からの距離で見下ろしていても気づくほど、一際目につくそのいで立ち……
「水嶋隆二氏が……なぜここに?」
そうつぶやいたと同時に、自社ビルのエントランスから葉月が出てきたのが見えた。
「待ち合わせてたのか?」
しかし琉佳の予想を裏切るように、葉月は階段の方を見ず、まっすぐ駅に向かって歩き出す。
「おお? どうする……?」
琉佳が乗り出すように地上に目を向けると、階段からその一際目立つシルエットが葉月に歩み寄った。
「ふーん。待ち合わせじゃなくて、待ち伏せだったか……」
2人は合流してそのまま駅に向かって並んで歩きだした。
「デート? いや、『Blue Stone』に向かうのかも」
ふと妙な想像が頭をよぎる。
「ハハ。" すずらん " に寄ってきた " アゲハチョウ " みたいだな……でも、すずらんにアゲハ蝶は似合わない。そんな大きな体であんな可憐な花にとまったら、花ごと散ってしまう……」
琉佳はもう一度小さくなっていく2つの背中を眺めた。
「すずらんには、大振りなアゲハチョウより、テントウムシがお似合いだよな?」
そう呟いた瞬間、ふと徹也の顔が頭に浮かんだ。
「なるほど! うちのBOSSはテントウムシか……ハハ、ぴったりかも!? カラフルで斬新なフォルムで夢と幸運を運ぶテントウムシねぇ! いいんじゃない?!」
クリエイターとしての発想力もなかなかなもんだと自負しながら、琉佳は眉を上げる。
「でも……気をつけなきゃなぁ。すずらんはあんなに清楚で可愛いけど、猛毒を持ってる。下手に触れれば大怪我をしかねないよ? さて、2人のBOSSは……大丈夫なのか?」
隆二と葉月の姿が完全に見えなくなって、琉佳はまたデスクに戻り仕事を始めた。
「にしても、驚きましたよ! リュウジさんが待っててくれるって知ってたら、もう少し早く降りてきたのに……けっこうお待たせしちゃったんじゃないですか?」
小首をかしげながら話す葉月に、隆二は首を横に振った。
「いいんだよ。こっちにちょっと用事があってさ。今日は定時に上がるって聞いてたし、ちょうどいい時間だなと思ったからオフィスに寄ってみたんだ」
「そうでしたか。ありがとうございます」
「ねぇ、お腹空いてない? どうせ今日もハードに働かされたんだろ? ドS野郎に」
「あはは。でも今は私、仕事がすごく楽しくて。『forms Fireworks』としての大きなイベントにもチームとして加えて頂いていますし、それにね、『LBフロンティア』の所有している建物の内装現場を見せてもらったんですけど、そこが完成したらイベントスペースにするらしくて、私とかれんと由夏で新たな企画を考案して、そこでブライダルフェアを開こうって話も持ち上がってるんですよ」
「すごいね……葉月ちゃんはホント仕事が好きだよなぁ? この前のバスケでもさ、君がすこぶるタフなのもわかったけど、いきなり飛ばしすぎて電池切れしないようにな」
「はい、ありがとうございます」
「はは。さっそくパパみたいなこと言っちまったなぁ。まず腹ごしらえしよう。あ、その前に、ちょっと寄りたいところがあるんだ。ついてきて」
隆二と肩を並べながら『BLACK WALLS』の今後の練習スパンや、昨日葉月が帰った後の晃の荒ぶりようなどを聞いて、葉月は楽しそうに笑いながら歩いた。
隆二が葉月を連れていったのは近藤楽器店だった。
「ワォ! 葉月ちゃん! お久しぶり!」
「元気だった? 正直、ちょっと心配だったけど……」
すぐに従業員に囲まれる。
「ご心配いただいて……ありがとうございます」
「まあ、でもこうしてリュウジさんと一緒にまた来れて、ほんと良かった。私たちもほっとしたわ」
笑顔で話していると奥から裕貴がやってきた。
「葉月」
「ああユウキ、お疲れ様」
裕貴はちらっと隆二を見てから葉月に向き直る。
「約束してたの?」
「あ、会社を出たらリュウジさんが待っててくれて……」
「へえ」
裕貴は怪しい目つきで隆二を見上げる。
「待ち合わせじゃなくて、待ち伏せですか? いくら解禁になったからって、2人で堂々と街を歩くのはどうかなって思いますけど」
「まあまあ、ユウキ! いきなり噛みつかなくても……」
従業員たちになだめられて、裕貴は小さく頷く。
「まあ……そうですね。葉月からしたら、久しぶりに駅のこっち側まで徒歩で来れたんでしょうから。1人で歩かせるよりはマシかな? それで? 今からどこに行くんです? まさかまっすぐ『Blue Stone』に向かうわけじゃないですよね?」
「ああ。まだ飯も食ってないし」
「そりゃマズい。お腹を空かせたままじゃ、葉月の機嫌を損ねるか泥酔させるかですからね」
葉月が頬を膨らませる。
「ちょっと! そんな言い方しないでよ! なんかユウキ、不機嫌じゃない?」
従業員の我妻がすかさず葉月の隣に来て、その耳にささやく。
「違うのよ! 今、ユウキは引っ越し前だからさ、この2人はずっと一緒の家で暮らしてるでしょ? だから、ちょっとした倦怠期ってやつよ! わかる!?」
「へっ?! 倦怠期……?」
「やだ! 葉月ちゃんたら、なんか変な想像してない?」
「し、してませんよ!」
「あら? そのわりには、随分な慌てようだけど?」
葉月は上目遣いで裕貴と隆二を盗み見た。
「お前、ここのバイトが終わったら店に来るんだろ?」
「ええ、少し腹ごしらえしてから行くつもりです。そちらは、もう店は予約済みなんでしょうね」
「うっせえな! お前に言う必要ないだろう」
「そりゃそうですね。師匠がどんなデートプランを立ててるかなんて、ボクは興味ないですし。じゃあ葉月、せいぜい美味しいもの食べさせてもらっておいでよ」
「え……ああ、うん……じゃあまた、『Blue Stone』でね」
「うん、お疲れ」
あっさりと店の奥に向かう裕貴の背中を見つめながら、葉月がぽつりと呟いた。
「これが……倦怠期……」
「はぁ?! 倦怠期!?」
隆二が首を傾げながら訝しい顔をするのと同時に、従業員全員が笑った。
第197話『Lay in wait』待ち伏せ - 終 -




