第193話『Jetty』突堤にて
徹也は葉月の家の方面に車を走らせるも、最寄りの湊駅から反対方向に南下し、大きな橋が見える海沿いの突堤で車を停めた。
「なんか飲み物でも買ってくるよ。待ってて」
そう言ってシートベルトを外す徹也に、葉月は首を振る。
「いえ、私も行きます。少し歩いてみたいので」
「そっか、わかった」
2人は海を眺めながら、ゆったりと並んで歩く。
「君の誕生日パーティーの翌日だったか、" あんまり海は知らない " って言ってたけどさ、意外と近くに海があるじゃない?」
「そうですね。そう言われてみれば、小学生の頃はよくこの辺りに来た記憶があります。釣りをしてるおじさんのそばで魚を見せてもらったり、もう少し向こうに行ったところで手持ち花火をしたこともあったかも。でも、中学からはほとんど体育館にいる生活でしたから」
「そうか、やっぱりバスケット強豪校でやっていくには、そこにオールシフトする必要があるんだな。大変だっだろう?」
「それが、そうでもないと言うか……私ね、あんまり大変とか……わかんないんです。その渦中にいて、やるべきことを一生懸命やるってことが、あまり苦じゃないタイプって言うか……変ですかね?」
「いいや、変じゃない。それは君の話を聞いているとよくわかるよ。もちろんいい面もあるけど、逆にちょっと危険だなって思うこともある。君の親友の話によると、特に恋愛においてはそうだったみたいだしな?」
葉月は恥ずかしそうに俯く。
「ええ。今思えばわかることなのに、いざそこに居る時は気づかないんです。だからみんなに " 鈍感 " って言われちゃうのかも……」
徹也は苦笑いしながら頭を掻く。
「まぁ……本来そこは、" そんなことないよ〜 " っていうセリフを言うべきなんだろうけどさ、まぁ……それは君の特性と言うか、君の感性が冴える要因でもあるし、否定はしないかなぁ。たださ、これからは純粋に、イイものとイイ人に囲まれて、その感性を磨きながら楽しく幸せに過ごして欲しいって、そう願うだけだよ」
葉月は顔を上げて徹也を仰ぐと、明るい表情を向けた。
たどり着いた自動販売機の前で、葉月は迷わず花梨エキスの入った琥珀色の紅茶のボタンを押した。
「あれ? ミルクティーじゃないの?」
葉月は懐かしむように、取り出したボトルを眺める。
「この紅茶ね、キラさんのお気に入りで、フェスの楽屋にも大量にストックしてあったんです。喉にもいいらしいんですよ? トーマさんと楽屋でお話しする機会があって……その時に下さったんです。初めて飲んでから、私もこれを見つけたら買うようにしていて」
徹也は白けた表情を向ける。
「へぇ……推しのトーマ君との熱い思い出のシーンが蘇ってくる紅茶なんだ?! あ、それとも、キラ君との情熱的な会話かな?!」
「な、なに言ってるんですか?! おっ、思い出のシーンだなんて……」
葉月がバッと顔を赤くするのを見て、徹也は大きくため息をついた。
「はぁ……あのさ葉月ちゃん、分かりやす過ぎるんだけど?! 今、頭の中がトーマ君でいっぱいになってない?!」
「そ、そんなことあるわけないじゃないですか!」
「は! 図星だな! めちゃめちゃテンパってんじゃん!」
徹也は葉月の手から紅茶のペットボトルを抜き取ると、キャップをカリッと開けて再度手渡す。
「ほら、顔が火照ってるぞ! さっさと飲んだらどう?! あ、飲んだら今度はキラ君のこと思い出したりするんだろうか……ったく! 気の多いオンナだな?」
「もう! からかわないでくださいよ!」
徹也は悠然と首を横に振る。
「いいや、からかってなんかないさ。君の周りには、実にイイ大人がたくさんいるなぁと思っただけ。まぁ、俺も含めてだけどね?」
そう微笑みながら、徹也も自販機のボタンを押す。
「俺はこれにするよ」
取り出し口から出てきたボトルを見て、葉月はハッとする。
「あ、このソーダ……」
「うん。あの花火大会の夜に、屋上で君からもらったものだ。今日は階段を登りながら振ったりしてないから、あの時みたいに飛び散ったりはしないと思うけど?」
そう言いながら、自分もカリッとキャップを開ける。
「ほら、セーフ!」
それをグイッと煽る精悍な喉元は、あの日と同じシルエットだった。
葉月はしばらく目を離せずにいた。
「ん? こっちの方が良かった? 少し飲んでみる?」
葉月は慌てて目線をそらす。
「あ、いいえ」
「俺はちょっとその紅茶、気になるなぁ。だってキラ君の味がするんだろう?」
「キ、キラさんの味だなんて……」
「あはは、ちょっと失礼!」
「あ……」
徹也はひょいと葉月の手からボトルを抜き取ると、さっと一口飲んでみる。
「わ、美味いけど……これがキラ君の味? なるほど、甘〜いわけだ? それとも飲むたびにトーマ君が頭に浮かぶとか?」
葉月は頬を膨らませ、徹也の手からボトルを取り返し、自分もゴクリと流し込んだ。
「そ、そんなに頭の中にスターばっかりが住んでるわけじゃありませんよ! そんなことしてたら……日常生活に支障をきたしますし……」
「じゃあ、さぞかし野音フェスは大変だったろうね? なんせ、君の心を震わせるスターがわんさか身近にいたわけだからさ?」
「そりゃ……大変でしたよ。心臓がいくつあっても足らないって感じで……」
「ふーん、なんか羨ましいな。一般人の俺じゃあ、君をときめかせることも出来ないなんてな!?」
「そんなことないですよ」
「そう? こうして同じ飲み物に口を付けても、君の心臓はひとっつも反応してないみたいだけど? これがもしトーマ君だったら……君の態度は大きく違うわけだろ?! ナンテ皮肉な話だ!」
訝しい表情を向けた徹也が、葉月にうんと近づく。
「そ、そんなことありませんよ! 鴻上さんだって、私にとって充分スター的存在ですから!」
「はあっ?! そんな風には全然見えないぞ? なに? スターにもランクがあるとか?」
「そんな……」
葉月の困り顔に、徹也は笑い出す。
「ははは。分かってるって! 俺には心を許してくれてるんだろ?」
葉月はホッとした表情を見せた。
「君の周りには本当にいい人間が沢山いる。『Eternal Boy's Life』の面々もそうだし、リュウジやユウキ、アキラとあのバスケメンバーも、それにうちの会社の連中だって、みんな君のファンだしな。なんと言ってもあの君の親友2人は最強だし?
人を惹きつける何かが、君にはあるって事だよ」
「でも、チャンスをくれたのは鴻上さんですよ。あの花火大会の日に、鴻上さんと出会わなければ、今の状況はなかったわけですから」
「まぁそうだな。仮に『Splash fantasia』の会場で出会っていたとしても、今のように親密ではなかっただろうし、ましてウチの会社に来てもらうなんてことはなかったかもしれない」
「ですよね」
「おお! そりゃマズい! 君みたいな優秀な人材を『東雲コーポレーション』に独り占めされるところだった! いやぁ……あの花火大会で君に声をかけて良かったよ。善人の俺に神が褒美をくれたか?」
「買いかぶりすぎですって!」
「いやいや! それか、君が俺を導く何かを持ってたのかもしれない」
「いいえ」
葉月は首を横に振る。
「導かれたのは私の方ですよ。鴻上さんこそ、人を惹きつける力があるじゃないですか! アートクリエイターの道はもちろん実力の世界なんでしょうけど、人脈がなきゃ成り立たない仕事でもありますし、みんなが鴻上さんを慕ってついて行きたいと思ってるのも、あの会社にいればよくわかりますもん。今日は和也さんにお会いしてみて、もっと色濃くそれを感じたんです」
徹也は眉を上げた。
「そう? 本当に和也についてもそう思う?」
「ええ、和也さんは素晴らしいパートナーなんだなって思いました」
ベンチを見つけて、2人は腰を下ろす。
徹也はグッと両腕を上げながら伸びをして、息をついた。
「時々さ、実はアイツも俺みたいに、あの会社以外にやりたいことがあったんじゃないかなって考えることがあるんだ。アイツは何も言わずに俺の背中を押してくれるけど、ホントはやりたいことを我慢してきたんじゃないかってね。本当に自分の気持ちを全部俺に晒してくれてるのかなって、ちょっと心配になる事がある」
「私はひとりっ子ですから、兄弟の関係性についてはあまりよくわかないかもしれませんが、今日のお2人のお話を聞いていて、和也さんがお兄さんを通して、あらゆる世界を見ているんだなって思ったんです」
「あらゆる世界?」
「ええ。自分の分野ではないあらゆる面白いことを、お兄さんを通じて見られることに喜びを感じたり、それに乗っかって一緒に手を広げていく事を楽しんでいらっしゃるような……そうなふうに見えたんですよね。そういう意味で、鴻上さんがあらゆることを和也さんと共有することが、和也さんの世界を広げることに繋がるんじゃないかなって……そう思ったりします」
徹也は葉月の方に身体を向けたまま、じっと見つめる。
「あの……鴻上さん……?」
「そうか……葉月ちゃんがそう感じたのなら、間違いないのかもな。ありがとう。なんか、心が落ち着いたよ」
「ホントですか? よかった……」
「しかし、君も和也もまだ若いのにさ、しっかり考えがあるんだよな。行き当たりばったりの俺とは全然違うよ」
「それは単に鴻上さんが、特別クリエイティブな世界に在籍しているからだと思いますよ。その時々の瞬発的な感性や発想力なしではありえない業界だと思いますし、和也さんは和也さんで大きな会社を背負ってあらゆる曲面で周りが見えている人ですから、対照的で当然なんです。そんな2人がタッグを組めば、もう最強なんじゃないですか?」
徹也は空を仰ぐ。
「参ったなぁ……」
「え?」
「今わかった。君のそういうところ、誰かに似てるってずっと考えてたんだが、どうやらそれは和也だったみたいだ。アイツも君みたいに俺に言葉をくれる存在でさ。いつもアイツと話すと、帰りに一人になった時に自分の中にさっき言ったみたいな気持ちが湧いてきて、自信を持たせてもらった分、自分を律するきっかけと、同時に一種の不安感が誘発される。もちろんイイ意味ではあるけどね。君はさ、そこから更に心をほぐすワードを俺にくれるんだよな」
徹也は自分の方を向いて話を聞いている葉月を見つめながら微笑んだ。
「あーあ、全く! 若いクセに末恐ろしいほど柔軟な発想で俺を翻弄してくる。和也だけならまだしも、今や君までもか。フフフ」
葉月は真っ直ぐな瞳のまま、少し首を振る。
「和也さんは本当にすごい人ですから、ご兄弟とはいえ気の置けない存在なのは分かりますけど、私はまだまだ世間知らずのひよっ子ですよ? 一緒にしたら、和也さんに申し訳ないです」
「いやいや、侮れない! なんせそのひよっ子は、無垢という名の最強のマシンガンで俺のことを高速連射で撃ち抜いてくるスナイパーだから! とんでもないぞ!」
挑戦的な徹也の表情に、葉月は眉根を寄せる。
「へっ?! なんですかその例えは! なんか……トゲがありません?」
徹也は急に真正面を向くと、ベンチの背もたれにぐっと身体を反らせて、ぎこちなく空を見上げる。
「あ、いや実は……さっきからひとつ、引っかかってることがあってさ」
「えっ? 何ですか? 私なんか悪いこと言いました?」
「ん……悪いことではないが……いや、まぁいい。忘れてくれ」
歯切れの悪い徹也に、葉月が詰め寄る。
「え! なんですか? そんな言い方されたら気になりますよ! ああっ! もしかして……それでさっきから、私にちょいちょい意地悪なこと言ってきてるとか……?!」
「あはは、地味に……あるかも?」
葉月は目を見開く。
「ウソでしょう?! それ、大人げなくないですか! 一体なんなんです?! 教えてくださいよ!」
第193話『Jetty』突堤にて - 終 -




