第188話『Sunday Morning』待ちに待った日々
いよいよ迎えた週半ばの平日の朝、葉月は慌ただしく身支度を整えた。
由夏とかれんに見送られ、1人、桜川を南下して渚駅に向かう。
川沿いの小路を歩くと、食事に連れ出してもらった夜に徹也と話したベンチを見つけた。
あの時、虫の登場によってとんでもなくみっともないところを見せてしまったことを思い出し、葉月は改めてうちひしがれる。
眉根を寄せながら更に歩くと、右前方からブランコのキーコーという音が聞こえてきた。
小さな女の子と男の子がお母さんに見守られながら楽しそうに揺れている。
そこにユウキと自分の姿が重ならないことにホッとしながら、国道を渡って駅にたどり着いた。
久しぶりに乗る通勤電車も新鮮に映り、その車窓から見える馴染みある景色を、葉月は幸せそうな面持ちで眺めていた。
人気ロックバンド『Eternal Boy's Life』のリーダーである柊馬の記者会見により、晴れて身の潔白を証明できた葉月は、『forms Fireworks』に出勤した。
「皆さん、ご心配をおかけしました。また、マスコミ対応などのご面倒もお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした」
そう言って仰々しく頭を下げる葉月に、皆が口々に労いや温かい言葉をかける。
専務が意気揚々と葉月のデスクにやってきた。
「白石さん、あなたに任せたい案件がたまってるわ。よろしくね」
いい意味でS上司の美波はそう言って葉月に微笑みかける。
そのとなりで琉佳が腕を組みながらため息をついた。
「姉ちゃんさぁ、だんだん徹也さんに似てきたんじゃない? " とにかく仕事に打ち込ませて存在価値を認識させる " ナンテやり方は、昭和の負の遺産だと思うけど?」
琉佳の言葉に、美波は目をむく。
「やめてよ! 徹也と一緒にしないで! 相手のことも考えないでその才能につけ込んで絞り上げるような非道なことは、私はしないわよ? ねぇ白石さん?」
そう言いながら葉月を覗き込んだ。
「あ……」
「僕ならもっと、優しく労ってあげるけどね?」
そう言って葉月の肩に伸ばした琉佳の手を、美波はおもいっきりつねった。
「イテテテ! やめてよ、姉ちゃん!」
「白石さん、くれぐれもこの狼には気を付けてね。それはそうと、実はね、この前のリモート会議で話してた案件について、例のあなたのプランを採用させてもらおうと思ってるの」
「ええっ! ホントですか!」
葉月は驚いたように顔を上げた。
「あら? いい反応。じゃあ、早速プレゼン資料を作ってもらえる?」
「はい!! 喜んで!」
まるで尻尾が生えているような葉月の子犬ぶりに笑いだしながら、琉佳は肩をすくめた。
「やっぱ徹也さんと同じじゃん?」
「うるさいわね! あんたもさっさと仕事しなさい!」
「おー怖っ! 白石さん、毎日こうして虐げられてるかわいそうな僕を癒してくれない?」
美波に後ろから後頭部をバチンと殴られて、琉佳は舌を出す。
いつもの姉弟のやり取りをにこやかに見つめながら、葉月は戻ってきたことを実感していた。
「あの……鴻上さんは……?」
「ああ、徹也? 最低でも今週いっぱいは戻ってこれないと思うわ。私も明日は徹也の代わりに関西に飛ぶことになるし……ごめんなさいね。せっかく白石さんが復帰したのに、バタバタしたままだし、仕事は丸投げしちゃうし」
「いいえ! 一人前に見ていただいて、ホントに嬉しいです」
「そう言ってもらえて私もありがたいわ! あなたは立派な戦力よ! よろしくね」
「はい!」
琉佳は肩をすくめる。
「白石さんって、社蓄になりたいの?! 社蓄よりも僕のもとでペットとして可愛がっ……痛っ! 姉ちゃん! 痛いって!」
琉佳は美波に耳をつままれながら引きずられていった。
「あははは」
葉月はコロコロと笑いながら、何気ない日常のありがたみを噛み締めていた。
初日から数日はかれんの家から出勤した葉月は、週の後半になると自宅に引き上げた。
荷物の運搬などを手伝おうかと裕貴から提案されたが、彼自身の引っ越し準備もあり、楽器店のバイトも『Blue Stone』のバイトも忙しいその状況から、葉月はその申し出を断った。
日曜の朝、バッグに『BLACK WALLS』のウェアを詰めながら体育館へ行く準備をしていると、インターホンが鳴った。
「ん?」
モニターを見た智代が玄関に走り出す。
「え? ママ、どうしたの?」
葉月も玄関に足を向けた。
開いたドアの向こうには、朝日に照らされた2つのシルエットが見える。
「ええっ?!」
そこには隆二と裕貴の姿があった。
「……どうして……?」
いつものT字路で落ち合う約束をしていたはずだった。
葉月に気付いた隆二が、柔らかい表情を向ける。
「葉月ちゃん、おはよう」
「お、おはようございます……どうして……」
振り返った母の表情が紅潮していて、思わず言葉につまる。
母の肩越しで裕貴が笑っていた。
「葉月、おはよう」
「お、おはよう」
母のとなりに葉月が並ぶと、隆二は今回の "SNSトラブルの件 " について謝罪し、深々と頭を下げた。
「そんな……私も娘を信じてましたし、心配なんてしてませんから」
隆二が顔をあげてほっとした表情を向けると、また更に顔を赤らめた智代は、菓子折りを受け取った手を上げたまま言った。
「また会えるなんて……あの……隆二さん、握手……してもらっても?」
葉月は母の発言に驚いて向き直る。
「ち、ちょっとママ!? な、なに言ってんのよ!」
智代は娘の動揺も気にせず続ける。
「それより、今度、家に食事にいらしてもらえませんか? 隆二さんのお好きなものってなんなのかしら?! 私、お料理は得意なのでなんでも作りますので! ユウキくん! コーラもいっぱい買ってあるのよ! すき焼きでもタコパでもいいわ。是非いらしてくださいね!」
隆二は笑いを噛み殺し、裕貴はすっかり笑い出している。
「もう! ママ! 空気読んでよ!」
その発言に、2人はたまらず爆笑した。
「あははは!」
「あははは……」
「え……どうしてそこで笑うんですか?! ああもう! やだ、時間! 遅れちゃう!」
そう言って葉月はバタバタと自室に荷物を取りに行った。
智代が娘の後ろ姿をみながら微笑む。
そして改めて2人に向かって会釈した。
「いい人たちに囲まれて、あの子、今本当に楽しそうで。この短い期間でずいぶん成長したように見えますし。とはいえまだまだ子供なので、ご面倒をお掛けするかもしれませんけど、葉月のこと、よろしくお願いします」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
お互いに頭を下げたところで、隆二は智代の握手に応えた。
葉月がバタバタと戻ってきて、隆二の手を握る母に一瞥してから、3人は表へ出た。
いつものT字路に停めてある純白のレンジローバーがキラリと光っている。
後部座席に乗り込む込んで早々、葉月は恥ずかしそうに切り出した。
「あの……なんかすみません……」
「いいお母さんだな。気さくだし、気配り上手で人がよくてさ。それでいてかわいらしい感じ、葉月ちゃんとよく似てるよ」
「そうですか?! 私が荷物取りに行って戻ってきても、まだリュウジさんの手を離そうとしないので焦りましたよ。ホントにすみません」
前の2人は笑い出す。
「いや、推されるのも嬉しいもんだよ?」
裕貴がハンドルを切りながら隆二に向かって反抗的に話す。
「でも智代は、ボクのためにコーラを買い込んでくれてるんですよ?」
「おい! 人の母親を呼び捨てにするな!」
「あははは」
葉月が笑い転げている。
「智代の推しがリュウジさんに移行したとしても、そんなの所詮二次元的な憧れに過ぎないわけですよ。現実的には、ボクが婿入り候補No.1なのかも?」
「はぁ? 俺は実在してるだろ! 現に握手もしてるわけだし」
「え……っていうか、なんの話を?」
葉月が首をかしげている前席で、裕貴は挑戦的に隆二をあおる。
「まぁ、白石家で開催されるタコパで立証されることでしょう!」
「ほう! 受けて立ってやる!」
悪ノリする隆二に、葉月は割り込むように前のめりに言った。
「あの……」
「ん?」
隆二が後部座席を振り返る。
「母のあれは……リップサービスじゃなくてホンキですから」
「え?」
運転席の裕貴がバックミラー越しに葉月に視線を向けた。
「母としては、普通に来てもらおうと思ったから言い出したと思うので……当分、" いつ来てくれるの " ってうるさいハズです……」
「そうなんだ?! なんか……そういうところも、何気に葉月ちゃんに似てるような……」
「どこがですか!?」
隆二の発言に、葉月は眉をつり上げる。
「いや、似てるだろ!」
裕貴が更に追い討ちをかける。
「そんな葉月がさ、さっき智代に向かって " 空気読んでよ! " ナンテ言ったから、マジでツボにはまっちゃってさ……! あははは!」
「ああ確かに。あれは俺も……フフフ」
「ええっ! リュウジさんまで!? ひどーい!」
「あははは」
車内に響く笑い声に頬を膨らませながらも、この心地よい空間に戻ってこれたことを、葉月は心底ありがたいと思った。
一通り笑いが治まったところで、葉月は改めて頭を下げる。
「わざわざ母にご挨拶頂いて、ありがとうございました」
「いや、もっと早く行きたかったくらいだ。黒幕がわかったにしても、結局はウチのバンドのせいで、一般人の葉月ちゃんが巻き込まれたわけだからね。お母さんはああ言ってくれたけどさ、実際に危険な目に遭わせてしまったわけだから……謝るだけではすまない程の事だったと思うんだ。でも、これからは仲間として、関係者総出で守るから! それに、君は我がバスケチームの有力選手でもあるし?」
振り向いた隆二の横顔を、葉月は静かに見つめた。
「リュウジさん……ありがとうございます」
その視線の熱さに、隆二は目を泳がせながらサッと前を向く。
「ほ、ほら! 今日はアキラがさ、張り切りすぎて4時間も体育館とりやがっただろう?! だからさ、戒めとして、アイツがもう迂闊にそんなことできないくらい、葉月ちゃんの手でゴリゴリにしごいてやってほしいんだよ! どう?」
「あはは、了解しました!」
葉月が『BLACK WALLS』と大きくチームロゴの入ったウェア姿で更衣室から出てくると、裕貴も出てきたところだった。
葉月はそのお揃いのロゴの入ったTシャツに目を丸くする。
「あれっ! ユウキも正式加入したの?!」
嬉しそうに近寄ってくる葉月に、裕貴は面倒くさそうに言った。
「そんなわけないだろ! リュウジさんがこれを着ろって言うから仕方なく……引っ越し荷物に服を詰めた後だったし、丁度いいTシャツが見つからなくてさ……サイズもデカいし、他のフツーのTシャツを貸して下さいって言ってんのに、聞きもしないで……」
後ろから声がする。
「ああっ!? 親切に貸してやってんのに難癖付けてんじゃねぇよ! ウチの練習に来るんだから、ウチのウェアが最適に決まってんだろうが!」
葉月が隆二を真正面から見つめる。
「リュウジさん……」
「ん? なに? 久しぶりの俺のこのコスチュームに見惚れたとか?」
「え、あ、いや、そんな……」
葉月の反応に満足そうな表情で自分を見下ろしてくる隆二を、裕貴はにらみ返す。
「ちょっと葉月! なんだよその顔は! ほら、またアクセサリーついたままじゃん!」
「あ!」
葉月は胸元と手首を同時に触れる。
「いけない……久しぶりだから忘れてた! 外してくるね」
そう言ってバタバタと更衣室に戻っていった。
表情を戻した隆二が静かに訪ねる。
「あのペンダントは……お前が?」
「ええ。フェスの露店で……葉月が立ち止まって見てたので」
「ふーんなるほど。似合ってんな」
「そうでしょう? じゃあ、あのブレスレットは……リュウジさんが贈ったものなんですよね?」
「まぁ、お前なら簡単に気付くよな?」
「葉月が選ぶにしては、ずいぶん大人っぽいと思ってたので。それで? リュウジさんは1人でティファニーの店舗へ?」
「どういう質問だ?」
「いやぁ、普通、1人では入りにくいだろうなと……ああ、そっか! これまでも、オンナが変わる度に何度も買いに行ってるとか?!」
隆二が目をつり上げる。
「お前なぁ! 勝手に軽薄な男に仕立てるなっ!」
「あ、あの……」
いつの間にか戻ってきた葉月に、2人は閉口する。
「誰が……軽薄な男なんですか?」
その葉月の無垢な表情に、隆二と裕貴は顔を見合わせて笑い出す。
「ほら行くよ、葉月ちゃん。みんなマスコットガールの登場をおまちかねだ!」
第188話『Sunday Morning』待ちに待った日々 - 終 -




