第182話『Freaking out』パニック
かれんのマンション前で親友たちを降ろし、2人はそのまま桜川を南下する。
川沿いのレンガ小径が街灯にライトアップされ、等間隔に置かれたベンチを見つけた徹也は車を停めた。
「葉月ちゃん、あそこで話すのはどう?」
「ああ、いいですね。私、今かれんの家に居ますけど、ずっと外に出てないので、ここら辺もしばらく歩いてないんです」
「そうか……あんな思いしたんだもんな。あのSNS事件以来は、外に出られなかったのか……」
徹也はさっと運転席を降りると、助手席に回って葉月に手を貸す。
「車高が高いから気を付けて」
「ああ……ありがとうございます。わぁっ!」
「おっ!」
葉月が滑り落ちそうになるのを徹也が支える。
「ほら! ハイヒール なんだから、気をつけないと」
「……すみません」
差し出された手をぎゅっと掴んでいることに気付いた葉月は、慌てて手を引こうとした。
徹也は力を込めてそれを阻止し、握り直す。
「ほら、こっち」
手を繋いだ格好のままベンチに到着した。
「……すみません」
「なんで? 謝ることないだろ?」
ベンチに座ろうとすると、徹也がそれを制した。
「ちょっと待った! そのままで……」
「え……なんですか?」
「君のおっかない親友たちの目があったから、ゆっくり君のファッションチェックができなかったんだよね」
「え?」
徹也は一歩下がって上から下まで眺める。
「うん。今日のファッションも大人びてて素敵だ。三崎かれんさんプロデュース?」
「そうです。私じゃぁこんな シックな組み合わせはできそうにないんで」
「まぁ、取引先の俺に最大限の気を使って生け贄を献上してくれるのはありがたいんだけど……」
「あの、生け贄の献上じゃなくて橋渡しじゃなかったですか?」
「そうだっけ? まあどっちでもいいけど。ただなぁ……気を使いすぎなんだよ。全身が『Attractive・Vision』っていうのも、逆に母親の顔がチラついちまって、気持ちが萎えるんだけどなぁ?」
「え……」
「そういう男心は、さすがの彼女らにもわかんないってことかな?」
「あ……」
きょとんと徹也の顔を見つめる葉月に、徹也は吹き出した。
「クックック……ごめん、葉月ちゃんにはもっとわかんない話だったかもな」
首を傾げる葉月をベンチに座らせる。
「俺と会う時は、無理してそんなハイヒールを履かなくてもいいんだよ。元々タッパがあるんだから、必要ないだろう?」
「私、タッパがあるなんて言われたことないですよ」
「それは麗神学園のバスケ部の中だけの話だろ? まさか自分のこと小柄だと思ったりしてないよね?」
「え……小柄だと……」
徹也は顔を横にブンブンと振った。
「葉月ちゃんは色々わかってないことが多いなぁ! 特に自分の魅力については全然わかってない」
「魅力的なのは私の親友ですよ。私、もし男性だったら彼女たちと付き合いたいですもん。美貌もハートもあって、それでいてパッションも、そして知性もあるんですよ。あんな素敵な女の子たちと、友達でいられることが本当に幸せなんです」
「俺に言わせればさ」
徹也は少しムッとしたように前を向いたまま話す。
「今君が並べた言葉は、全部 君に当てはまることなんだけど?」
「ええっ? そんなわけ……」
「そんなわけあるんだよ。初めて会った時に、それから君にウチの会社に来てほしいと言ったときに、君に向かって俺が並べた言葉と合致してる。聞いてなかったの?」
「あ……それは鴻上さんが優しいから……」
「ん? リップサービスだと思ってたわけ?! 全く君は……俺のこと信じてないわけ?!」
「そんな……信じてますよ。尊敬してますし……」
「だったらさ、君に関する言葉も信じてよ。もっと自分の魅力に気がついてほしいな。そりゃさ、自信満々な高飛車女になられちゃ困るけど、せめて君は何も臆することなく、自分のことを素敵だって自分を認めてやってもいいんじゃないかって思うんだ」
「あ……ありがとうございます」
徹也はため息をつく。
「やっぱ信じてない……まぁいい、仕方がないから、俺がおいおい君に分からせてやるよ」
徹也はふふっと微笑んだ。
「今日はどうだった? 楽しかった?」
「ええ。とっても! 大好きな彼女たちと大好きな鴻上さんが一緒に1つのものを作り上げることが現実になるんですもん! 夢のようです」
「ちょっと待った! 気になるフレーズがあったな。もう1回言ってみてくれる?」
「え? 何をですか?」
「今言った言葉だよ」
「ああ……1つのものを一緒に作り上げる……」
「違う違う、その前だ」
「え? その前? 大好きな親友と……」
「そう! その後!」
「え? 鴻上……さん?」
「ああもう! 大好きな鴻上さんって言ったろ!」
「ああ……言いましたね」
きょとんとした葉月の顔に肩を落とす。
「分かった、俺が努力するべきか……」
「え? 努力とは……」
「ふふっ。ごめんごめん、大丈夫。なんでもないから」
葉月は無意識に辺りを見回す。
人の気配がないことを確認し、安心したように息を吐きく葉月に、徹也は思いを巡らせる。
「元カレのこと……大変だったんだな。ごめん、何も相談に乗ってあげられなくて」
葉月は大きく首を横に振る。
「いいえ。本当は1人で決着をつけられたら良かったんですけど……」
「まぁ……リュウジが解決してくれたなら、俺も安心だけどさ」
「実は、私もびっくりして」
「何が?」
「リュウジさんが来てくれてたなんて知らなくて。突然現れて、しかも全身ジョギングスタイルっていうか、見たことのないファッションだったんで、一瞬誰だかわかんなくて、逆に怖かったんですよね。フフッ」
「なんだそれ? じゃあアイツ、陰からこっそり盗み見してたってこと?」
「多分、私がユウキに彼と会う日時を言っちゃったから。誰にも言わないでって言ったんですけど、ユウキも優しい人だからリュウジさんに相談してくれたんですね。それでお家からも近所だったので来てくれたんだと思います」
「君は本当に1人で行くつもりだったんだ。怖くなかったの?」
「まぁ、一応2年付き合った人だし、気持ちにムラがあることも知ってたので、大丈夫だろうって思ってました」
「よくもそんな冷たい男と2年も続いたね?」
「あ……リュウジさんにも言われましたけど、愛情っていうのがどんなものなのかっていうことを、私はずっとわかってないまま来ちゃったんで、彼の冷たさとか、そういうのもうっすらとおかしいなって思いながらもずっと平気に思わなきゃっていう……これがスタンダードなんだって、思い込んでて」
「それはさ、なにがきっかけで気付けたの?」
「もちろん、由夏やかれん、リュウジさんやユウキにも、散々言われたんですけど、フェスに行って『エタボ』の皆さんと出会って、キラさんやアレックスさんと話したり、トーマさんからリュウジさんへの熱い思いを聞いたりして、愛情には色々な形があるんだってことを知ったんです。どれも温かくて。そこで初めて、自分がこれまで思い込んでたことは、愛からかけ離れていたんだって気がついたので。だからちゃんと別れることができました」
そう一生懸命話す葉月の頭に、徹也はそっと手を置く。
「よく頑張ったな。なんだかんだで近くにいられなかったからさ、俺は君に意地悪なことを言いながらも、そういった君の感情の変化に寄り添うことが出来なかったよな。正直、ずっと悔やんでるよ」
「悔やむだなんて! 私にやりがいを与えてくれたじゃないですか! 私『Foams Fireworks』に出会えて本当に良かったと思ってます。 お仕事はとっても楽しいし、刺激的で、自分が生き生きしてるのがわかるんです。本当に感謝してるんですから!」
徹也がほほ笑みながら葉月の顔を改めて見つめると、幸福そうだったその表情が瞬時に変化した。
「え?」
「あ……あ……」
「な、なに? 葉月ちゃん?」
ついさっきまで意気揚々と話していた葉月の顔は突如として悲壮感が漂っている。
「キャーッ!」
「え?! なに!」
葉月が急に徹也の腕にしがみついた。
その力の込め方は尋常ではなく、葉月はうつむいたまま、更にその頭を徹也の肩に強く押し当ててくる。
「ちょ、ちょっと! は……葉月ちゃん?!」
寄り添ってくる葉月を見下ろしながら鼓動が上がる。
「む……」
「は? む?!」
徹也は眉根を寄せる。
「む、む、む……し……」
「ん? む……し……? は! もしかして、虫?」
葉月は頭を伏せたままゴンゴンと首を縦に振る。
徹也が辺りを見回すと、街灯の光に誘われた蛾がふわっと光を反射していた。
「ああ……虫が苦手なの?」
「あ……はい……」
恐る恐る顔を上げた目の前に、またそのそのフォルムがヒラッとして、葉月はまた叫ぶ。
「キャッ!」
徹也の腕を掴んでいる自分の手にハッとした葉月は、体を伏せたまま両腕を前に出し、徹也の体を押し戻すように身体を離した。
「あの……葉月ちゃん? 何してんの?」
「む、虫が……」
「ああ、それはわかるけど、その……奇妙な体勢は、何?」
「む……虫が怖いんですけど、でも……でも、そういうことしたらダメって、リュウジさんが……」
「は? そういうこと?! で? 虫とリュウジ?! 何の関係が?」
「あ、いや、だからその……虫で私がワーってパニックになって……そうなったら、もっと変なことになるからダメだって、パパ……じゃなくて、リュウジさんが……」
「は? パパ? リュウジが?」
「はっ! ごめんなさい! 変なこと言ってますけど、それは」
説明しようと顔を上げた時に、またひらっとフォルムが目に入った。
「キャーッ! ダメ!」
葉月はまた手を伸ばしたまま思いっきり徹也の脇腹に頭を寄せた。
「ああ……だいたいはわかった。とにかく虫が苦手ってことだよね?」
葉月は腕を伸ばしたままの体勢でうんうんうんとうなずく。
「だからその体勢……なんでそんな形になるんだ? まあいい、とりあえずここは虫が集まってくるみたいだから、場所を変えよう」
徹也は葉月の両肩をもって立ち上がらせ、暗がりの小道の方に導いた。
「大丈夫?」
必死で笑いを噛み殺しながらそう聞くと、葉月は大きな息をつきながらうつむいた。
「ごめんなさい……」
「いや……でもそんなに虫が嫌いなら、夏のこの辺は大変じゃない? 結構いるよね?」
「そうですね……」
疲弊する葉月の肩を叩いて、前方を指差した。
「ほら、あそこに公園がある」
そこは裕貴と一緒に話のすり合わせをするために立ち寄った公園だった。
「ああ……」
「あそこに行こうか。草むらじゃないところなら大丈夫だろ」
「はい」
手前にあるブランコに近付く。
「うわ、懐かしいな。もう何年も乗ってない」
徹也ははポケットからハンカチを出してその座面に置く。
「ほら、ここに座って」
「あ、そんなの、いいです」
「だめだよ、その服は借り物だろ? しかも俺の母親のブランドときた。ああ……やっぱ、母親の顔が浮かぶとさすがに気が萎えるな。こんなに薄暗くてムーディーな夜なのに、残念だ」
そう言いながら葉月の様子をうかがう。
もうだいぶん落ち着いたように見えた。
「とにかく座って。足、疲れてるはずだから」
「ありがとうございます」
葉月を座らせた徹也は彼女の前に回り込む。
「落ち着いた?」
「ええ……」
「そう。じゃあちょっとお尋ねしますが……虫とリュウジとパパに、何の関係が?」
葉月はがっくりと肩を落とす。
「ああ……」
うつむいて頭を抱えたあと、諦めたように口を開いた。
「以前、私、気が付かなくて大きな蛾を間近で見てしまったことがあって……大パニックを起こしちゃったんです」
「うゎ……それが大変なことだって、俺も今なら理解できるよ」
「ええ……それで、リュウジさんに抱きついてしまって……そしたら、" こんな風に男に抱きついたらダメだ!" ってお説教されたんです。" 俺じゃなかったら大変なことになってるぞ " って脅かされちゃいました。" パパの気持ちで言わせてもらうと、君のこの行動は危なすぎる " って……」
「へ? パパの気持ち? アイツなに言ってんだ?」
また笑いそうになるのを堪える。
「ふーん。葉月ちゃんから抱きついたんだ? リュウジに?」
「あ……変な意味はなくて、とにかく、虫が怖くて怖くて……」
「わかるよ。さっきの君を見てたらさ。パニック時は分別どころの騒ぎじゃないんだな? なるほど、リュウジもさぞかしビビっただろう」
「だから……ご迷惑かけちゃいけないと思って、何とか踏ん張ったんですけど……」
「踏ん張った? あ! あれ、踏ん張ってたのか!」
徹也はさっきの光景を思い出しなごら笑いを噛み殺す。
「だからあんな変な格好してたのか?! あれな…… ヤベぇ! もう決壊が崩壊しそうだ……」
「決壊が崩壊……?」
徹也がしゃがみこむように笑いだした。
「ああ、もう無理! あははははは! だってさ、まるで新種のゾンビみたいな体勢だったぞ! あははは」
「ゾンビ……」
「あ、いやいや、ごめん!」
再び必死で笑いをこらえる不自然な表情の徹也に、葉月はプイと少しふくれて見せた。
第182話『Freaking out』パニック - 終 -




