第181話『Watch over』見守り隊
オペラハウスのような緑が溢れた空間から、一行はヘルメットを脱いで、もと来た道を戻る。
また機嫌よく大階段を降りて『フォレスト・パラディーゾ・ヴェルデ』に帰ってくると、支配人に案内されたのは別の部屋だった。
「え? もとの席に戻らないんですか?」
3人に向かって徹也は頷く。
「ああ、個室を用意したんだ。じゃあ支配人、よろしく」
「かしこまりました」
こじんまりしたその部屋は、赤い絨毯に飴茶色の猫足の調度品に囲まれた、気品溢れた佇まいだった。
着席してほどなくドアが開く。
「失礼いたします」
声が聞こえた瞬間、照明がバンと落ちる。
「えっ……」
3人が薄暗い室内を見回すと、トック・ブランシュをかぶった料理人が大きなワゴンと共にテーブルの側に来た。
おもむろにフライパンを取り出し、サッと火をつけると青い炎が浮かび上がる。
「本日はフランスの温かいデザート『クレープ・シュゼット』を召し上がって頂きます」
そう言ってフライパンにシャッと液体を流し込むと、部屋中がオレンジの爽やかな香りに包まれた。
「わぁ……いい香り」
クレープを投入し、すりおろしたオレンジの皮とカラメルソースを加えると、芳醇で甘い香りが立ち上ぼり、彼女らはため息を漏らす。
にっこりと笑顔を向けたパティシエがリキュールを回し入れると、柱のような青白い炎がボワッと立ち上った。
「わぁ……」
幻想的な雰囲気に心奪われたところで照明がつけられ、美しく光沢を放つ褐色のクレープがそれぞれの皿にサーブされる。
「わぁ……おいしそう」
「いただきます!」
口に運んだとたん、各々がうなり声をあげる。
「んー!」
「おいしい!」
「フランベを目の前でやってもらうのって、特別感があって素敵な演出ですね」
「だろ? 君らの今後の演出プランにおいて、活用できそう?」
かれんはにこやかに微笑んで、頭を下げる。
「ありがとうございます。私たちに経験させて下さったんですね」
徹也は眉を寄せた。
「なんだよ、固いなぁ。そんなに改まってお礼を言われてもね……大人ってさ、君たちみたいな若い子が初めてのものを見つけたときの輝きとか、喜んだ顔が見たいもんなんだよ」
「へぇ、大人って素敵なんですね? でも……そんな大人ばかりではないと思いますけど?」
「そう?」
かれんは肩をすくめながら言った。
「ええ。鴻上さんは " 市ノ瀬ハル " をご存じですよね? 高校の同級生だとか?」
「え……市ノ瀬? あ……ラグビー部の?」
「ええ。彼は鴻上さんと同じ年ですが、もうちょっと利己的ですし、大人の活用の仕方もだいぶん違う感じがします」
徹也は フォークを持ち上げたまま眉をあげる。
「ん? 三崎かれんさんは、市ノ瀬の知り合い?」
「あ、お付き合いしています。もうすぐ2年になりますけど」
「おお……そうなんだ?」
徹也は驚いたように頷く。
「ええ。ハルはJAZZも好きだし、同級生のリュウジさんの店にしょっちゅう行ってて。だから私もけっこう前から、リュウジさんとも顔見知りではあったんです。まぁまさか、更にそのバーテンさんの親友が『SplashFantasia』のスーパークリエイターだったり、回り回ってその人と私の親友が出会って、こうしてお仕事をご紹介していただくことになるなんて……ご縁って不思議だなぁって思います」
「ホントにそうだね。ありがたい縁だ。葉月ちゃん、ありがとう」
突然自分に話を振られて葉月 は驚く。
「そっ、そんな! お礼を言うべきは、私の方で……だって、困ってる私に手を差し伸べてくれたのが、鴻上さんだったんですから」
由夏がその話に食いつく。
「そうそう! その話! 詳しく聞きたいと思ってたんです」
「え?」
「そうですよ! 私たち、葉月から一方的に聞いてるだけでしたけど、なんか的を射ない話で……まるでファンタジーを聞かされてるような気分で……」
「ホントのところ、どうなんです? 一体どういう経緯で2人で花火を見るに至ったんですか? 話してくださいよ、鴻上さん!」
葉月がもじもじと下を向いているのを横目に、徹也はグーンと腕を上げたあと、頭の後ろで手を組みながらため息をついた。
「いや……参ったな。まさかこの局面において、尋問に遭うとは……」
「逃しませんよ! 鴻・上・さん?」
由夏が怪しい笑みを送る。
「はぁ……そっか、仕方ないな。こうなったら葉月ちゃん、もう洗いざらい君の親友に話しちゃうけど、構わない?」
「えっ!? 洗いざらいって??」
「だってさぁ? 君の親友に嘘はつけないだろう? 俺たちのカ・ン・ケ・イ!」
葉月が目を見開くと、徹也はたまらずに吹き出した。
「プハハハ! ダメだ! やっぱ、葉月ちゃんはからかい甲斐があるな!」
親友たちも笑う。
「そうですよねぇ? 私も同感です。でも……徹底的に聞かせてはもらいますよ?」
「ええ。鴻上さんの心の中も含めてね?」
2人の怪しい視線に、徹也はハンズアップしておどけてみせた。
「うわ……親友の洗礼を受けるわけか……怖っ!」
「ふふふ」
「じゃあ……紅茶を飲みながら話しますか……な? 葉月ちゃん」
何とも言えない顔をしている 葉月のとなりで、2人の親友は笑いながらハイタッチをした。
「葉月が転んで、鴻上さんが助けてくれたのがきっかけですよね。この子からそう聞いてはいるんですけど……」
徹也が話し出すと2人は身を乗り出す。
その後、捻挫した葉月を抱き上げる件で、2人はキャッキャと騒ぎ始め、徹也のガッツを称えた。
「まぁ。なにしろ、ぶつかっといて助けないまま走り去る男がいるんだから、ひどい話だろ?」
由夏が眉間にしわを寄せる。
「そもそも来ない男がいたからそうなったんですよ! あーあ! 思い出しても腹が立つ! あっ……すみません。私たち、あの元カレが許せなくて……」
「あ、いやいや。わかるよ、同感だ」
「まぁでも、お陰で鴻上さんとの縁が繋がったわけですから。神様はちゃんと見てくれてたんだって感謝しましたけどね。ま、リュウジさんにも感謝かな? あのグズ男を追い払ってくれたわけだし?」
徹也が不可解な表情をする。
「ん? リュウジが追い払った?? え……葉月ちゃんの元カレをアイツが直接?」
3人は一瞬、口をつぐむ。
「え……葉月、鴻上さんに話してないの?!」
「あ…… " 解決しました " って……言っただけで」
「ええっ!!」
「ええっ!!」
親友の驚きの声に葉月は萎縮する。
「いやぁ、まぁ……俺もさ、" 解決したのか? " って聞いただけだったから……」
そうフォローするつもりで発言するも、親友たちに向けられた強い視線にたじろいだ。
「鴻上さん! 元カレと葉月がどんな風になったかとか、気にならないんですか?!」
「いや、それは気にはなったけど……なんかそういうのって聞いちゃいけないのかなと思って」
「どうしてです? 葉月から聞くに、時折BOSSはSな要素が出るらしいじゃないですか? なのに肝心なことには消極的だなんて……」
「ちょっと待った! たまに Sが出るBOSSって何だよ!」
更に萎縮する葉月を横目に、徹也は首を横に振る。
「いやいや! デリケートなことだからさ、一応上司としては、そういうハラスメントになりそうな質問は控えるべきなのかなぁ……と思ったんだ」
「えー?! 鴻上徹也ともあろう人が、そんな弱気でいいんですか?!」
徹也は苦笑いを浮かべる。
「なかなか攻めてくるね……君ら、紅茶で酔ったとか?」
「そりゃ、私たちがどうこう言うことじゃないのは分かってるんですけどね」
由夏はそう前置きをしてから話す。
「葉月は元カレと別れるまで、大変だったんですよ。私たちもそうですけど、鴻上さんはその時期は別のイベントがあって葉月と連絡取ってなかったでしょ?」
「ああ、そうだな」
「野音フェスの帰りに、葉月は元カレから攻撃を受けてて」
「えっ、攻撃?!」
徹也が顔色を変えた。
「そうなんですよ! あの男、高圧的で脅しみたいなメッセージをひっきりなしに葉月に送りつけてきてて……そのやり取りをリュウジさんとユウキが目撃したんです。葉月が元カレの話し合いに応じたことで、その時の攻撃は止まったんですけど……葉月と元カレを2人で合わせるのはマズいだろうって、リュウジさんがこっそり見に行ってくれて」
「リュウジが……?!」
「ええ。案の定、あのクズ男は葉月とヨリを戻そうとして強引に手を掴んだりして……そこでリュウジさんが登場して葉月を助けてくれたってわけです。リュウジさんが見ててくれなかったらどうなってたか……そう思うと、今でもゾッとしますよ」
「そう……だったのか……」
徹也が葉月に目をやるも、彼女は俯いたままだった。
「リュウジさんもユウキも今の鴻上さんみたいに、どこまで踏み込んでいいかっていうことは一通り悩んだみたいです。でもやっぱり葉月の安全を第一に考えて、ちょっと強引な行動を取ったって、後から私たちに教えてくれて……私たち、めちゃめちゃ感謝したんです」
「鴻上さんは、これから葉月のこと、請け負ってくださるんでしょう?」
徹也は大きく頷く。
「それはもちろん。君たちとの橋渡しって役回りだけじゃなく、もともと彼女の感性を買った上での、ウチの大切な従業員だからね」
かれんが改まったように言った。
「それを聞いて安心しました。鴻上さん、私たちの大事な白石葉月をよろしくお願いしますね」
「あ……はい」
2人の圧力に、思わずそう弱気に返事をすると、2人は同時に笑いだした。
徹也は空を見上げながら咳払いする。
葉月は相変わらず身を縮めたままだった。
「えっと……白石くん!」
「は、はい!」
「ということだ」
「え……ということと、いいますと……?」
葉月は不可解な表情を見せる。
「君の親友お墨付きをもらったからさ」
「お墨付き?」
「ああ、だから晴れて俺たちは近しい関係ってわけだ」
「近しい……関係?」
由夏とかれんが微笑みながら、葉月に向き合った。
「まぁ葉月はさ、仕事でもなんでも、自由な発想でのびのびやったらいいってことよ。葉月の周りの素敵な人たちが、それをサポートしてくれるはず。だから葉月の思う世界観を色々な場面で実現させて! 今まで出来なかった分、存分にね」
徹也も頷く。
「鴻上さん、これで葉月はもっとクオリティーが高くなりますよ。期待していてください」
「わかった」
紅茶を飲み干した一行は、建物を出て、そのロケーションを目に焼き付けながら車に乗り込んだ。
「ご馳走さまでした」
「いや、こちらこそ。今日得た情報は膨大だったからなぁ。食事をおごったぐらいじゃ到底足らないよ」
「それは葉月の情報も込みですよね?」
「まぁそうかな」
「なら、お仕事の依頼もいただいたので、もう充分ですね」
「そう? よかった。あ、もうひとつお願いがあるんだが……」
「なんなりと」
「ウチの従業員をもう少しだけ借りても?」
「それは無理です」
「えっ?」
「って、言うと思います?! そんなわけないでしょ? お気付きのことと思いますが、今日はこの子、極めて口数が少ないんです。そりゃそうですよね、私たちが本人を目の前にして葉月のことをネタに談義してたわけですから。この子、だいぶん混乱してるはずなんで、どうぞお連れになって気持ちをほぐしてやってください」
「おお。お許しが出てよかったよ」
そう言って到着した『カサブランカ・レジデンス』の前で降りた由夏とかれんは、不安な表情の葉月を助手席に乗せて手を振る。
「ふふっ、ごゆっくり。あ、でも、まだアレックスさんとの件で怪しい人物がうろついてるかもしれないので、充分に気を付けてくださいね」
2人の姿が見えなくなってから発車する。
「君の親友はすごいな。最後の言葉まで……大人の俺が、まるで窘められているようだった。降参だ」
「ホントに……」
2人は同時に肩をすくめて笑った。
「最高の親友だね」
「ええ!」
第181話『Watch over』見守り隊 - 終 -




