第176話『Let it all out』感情の吐露
葉月は徹也に連れられて、景色の素晴らしいレストランで高く積み上がったデザートタワーを楽しむ。
徹也はさりげなく切り出した。
「ユウキから話は聞いてると思うけど、今回の騒動に関してはトーマ君があれだけ動いてくれてるし、現に、もうあのSNSのアカウントも凍結されて、『Eternal Boy's Life』の公式サイトからも被害として正式発表するみたいだからさ、もう葉月ちゃんは何も心配することもないし、まして責任なんて感じることもないから」
徹也は、フーッと息をつく葉月の横顔を見つめる。
「じきにさ、リュウジとも今までみたいに出歩けるようになるんじゃないか?」
「えっ?」
「ごめん。さっきさ、君が状況に抗う気持ちがあるかどうかを知りたくて、少し意地悪な質問をしてみたんだが……葉月ちゃんは俺が想像してたよりも、だいぶん参ってたんだなって思ったよ。それに、メンバーに対する思いも深い。感服したよ。でもまぁ、自己犠牲と相変わらず自分を蔑む癖は、まだ直ってないなって印象だけど?」
「ああ……」
「いい加減さ、自分の価値に気付いてよ。なぜトーマ君があんなに躍起になってるんだと思う?」
「あ……それは……キラさんも掲げてる『エタボ』の改革の一貫で……」
「ああ、確かにそうも言ってたよ? だけどさ、それだけじゃない。間近で彼君の熱量を見てきたからわかるんだよ。キラ君もアレックス君もそうだった。君の言うところの有名人である彼らが、なぜ自らの手で徹底的に動いているのか……それはさ、メンバーと同じように、白石葉月という一人の女性をファミリーとして守りたいと思っているからなんだよ。リュウジもそう、ユウキも、そして俺もだ。だから頼む。もう少し自分の優先順位を上げて、ものを考えてくれないか?」
「鴻上さん……」
「誤解するなよ。君を喜ばせるためにおべんちゃらを言ってるわけでもないし、感謝されたい訳でもない。ただシンプルに俺らの思いを受け取って、堂々と、そして幸せに過ごしてほしいんだ。解るだろ?」
葉月は下を向きながら、何度も頷いた。
「解ってくれて嬉しいよ。『Eternal Boy's Life』のファミリーとして、俺も彼らと共に、君を守るからさ」
「鴻上……さん……」
葉月が声を詰まらせる。
その頬からは幾筋もの涙が流れ落ち、ポタポタと膝に落ちはじめた。
「ちょ、ちょっと……葉月ちゃん……」
葉月はさらに俯いて顔を拭う。
「ごめんなさい。なんかホッとしたら……涙が……止まらなくて……」
「まったく、君は……」
徹也は葉月の肩に手を回した。
「ずっと気を張ってたんだな。リュウジのことも、ユウキのことも、親友のことも信頼はしてるんだろうけど、どうせ君のことだから、心配をかけないようにって無理して笑ってたんだろ? もうそんなに気負わなくていい。心を解放するんだ」
葉月はしゃくり上げるように泣き出した。
「ああ……困ったな。そんな子供みたいに泣かれると」
徹也は葉月の身体ごと、胸に抱きしめた。
その細い肩は、徹也に想命館での隆二と義姉との熾烈な状況を思い出させる。
あの時も彼女はこうして心をすり減らしながら、涙を流して耐えていた。
「ごめん、ごめんな葉月ちゃん。もう君を試したりなんかしないよ。俺が君を守るから」
一面の透き通るような青空が 徐々に紫色を帯び、突如南の空に現れた夏の雲の向こうから金色の陽が差し込む。
その日差しはだんだんと角度を下げて、まるで狙い打ちするかのような水平の光線で2人を射抜く。
部屋全体がオレンジ色の光に包まれたとき、徹也はそっと葉月から身体を離した。
「落ち着いた?」
「はい」
「よかった」
「綺麗ですね、夕日……」
「うん。ホントだな」
葉月は手のひらをかざすように、すうっと前に腕を伸ばす。
「『東雲コーポレーションの自社ビルの、私たちが使わせてもらっている 会議室の前からも、こんな風に夕日がよく見えるんです」
「ああ、駅前の?」
「ええ。大きなガラス窓から、この時間にこうやってオレンジ色の光が見えるのがとっても好きで。お疲れ様とか、頑張ったねって言われてるような気持ちになるんです」
徹也は空を仰いで額に手をやる。
「そうだった! もともと君のその澄みきった感性に、俺は心底惚れたんだったよ。それで君にウチの会社に来てもらったんだもんな? 君のその真っ白な心を守りたいって、あの時もそう思ったはずなのに……ったく! 俺はなにを……」
そう言って葉月の頭に手を置く。
「なぁ葉月ちゃん? 優柔不断なドSボスでも、信じてもらえるかな?」
葉月はコロコロと笑う。
「ま、努力するからさ?」
徹也はにっこり微笑む。
「お茶を入れ直してもらおう。待ってて」
徹也がドアから出て行くと、葉月も立ち上がって窓のそばへ行く。
全身に夕日を浴び、大きく深呼吸した。
少し瞼が腫れぼったい感覚と引き換えに、心がスッキリしていると感じた。
どうして彼の前ではこんなに素直に泣くことができるのかと、不思議に思う。
ドアの開く音に振り返る。
徹也はその姿に一瞬動きを止めた。
「鴻上さん?」
徹也はサッと我に返ると、微笑みながら窓の方に静かに歩いて来た。
ティーポットを持ったサーバー達が後ろを行き来する中、徹也は葉月の肩を抱いたまま、2人で刻々と変化していく空の色を眺めていた。
ドアがパタンと閉まる。
「やっぱり今日は、やられっぱなしだな」
「え? なんのことですか?」
「君の大人びたファッション のせいで、君のことが気になってしょうがない」
徹也は大袈裟に肩をすくめる。
「そんな! それより、鴻上さん……また甘えてしまいました……いっぱい泣いちゃって、ごめんなさい。困らせてしまいましたよね」
徹也はまた大袈裟に頷いた。
「ああ、大いに困ったよ! これから君が泣く時は、俺が寄り添いたいって……そう思ってしまった。この役目は誰にも渡したくないってね」
「え……」
「ほら! お茶が冷めないうちにいただこう」
葉月をエスコートしながら椅子に座らせ、スマートにお茶をたしなみながらも、徹也は頭の中では別の事を考えていた。
徹也は感情をを押し隠すように、表情を作る。
戸惑っていると、自覚した。
葉月を迎えに行くまでは、従業員の彼女を雇い主の自分が責任を持って擁護する建前を演じきれると思っていた。
でも実際は、自分が彼女に惹かれているという刻印を押されたような気持ちになり、今も戸惑っている。
もともと最初は、彼女の光る才能に惚れたはずだった。
だから『Form Fireworks』 にとって必要な人材として彼女を迎え入れ、その才能を大切に育てていきたいと考えて、あらゆるテーマを与え、またその反応に感銘を受けるという事を繰り返しながら、彼女を特別な人材だと認識していたはずだった。
なのに……
どこをどう間違ったのか、いつのまにか白石葉月という1人の女性として彼女を見つめていたいという、自分の衝動に気がついてしまった。
俺はわがままなんだろうか?
彼女の才能を活かすために発想の自由を開放していくつもりが、彼女の隣を他の人間に奪われたくないという保守的な概念で、彼女の領域を狭めるような思いが生まれ始めていると感じた。
その相手が仮に隆二であったとしても、認めることはできないのだろう。
こんなボスじゃ……
彼女を混乱させてしまうだろうな
「鴻上さん?」
声をかけられてハッとする。
「……ん? どうした?」
「あの……アレックスさんのことで聞きたいことが……」
「うん、なに?」
「アレックスさんは、ご自分で鴻上さんにカミングアウトを?」
「ああ、彼が俺に話があるって、ビデオ通話をつないで、俺と彼だけで話した。彼、ホントに面白い人だよね?」
「え?」
「まず、画面におけるパンチがすごいのなんのって……」
「どういうことですか?」
「だってさ、画面いっぱいに絶世の美男子だよ? 彫刻かと思うくらいの迫力でさ、こりゃ葉月ちゃんもイチコロじゃないかって、俺も疑いそうになったよ。で、開口一番、俺の真っ黒になった髪型を見て言うんだ。「あら! どうして髪を黒く染めちゃったのよ! アタシは前の方がステキだって思ってたのに」って。フェスの前日に彼に会った時とだいぶん雰囲気が違うなって思ったんだけど、彼が葉月ちゃんのことを話し出してさ、「ウチで飼いたいぐらい可愛いのよ、可愛いすぎていじめたくなっちゃうの」って盛り上がってるうちに、なんかその話し方にも違和感を感じなくなってさ。彼という人柄がちゃんと見えてきて、むしろ本当の彼の声が聞けたような気になったんだ。俺も嬉しかったよ。今後の仕事の相手として通じ合えたような気持ちになったんだ」
「そうですか……よかった」
そう言いながらも、葉月は浮かない表情のままだった。
「でも……今回の件がなければ、アレックスさん、ホントは話さずにいたかったのかもしれないって思うと、悔しいんです。仮にこの事件のせいで、アレックスさんが世間にカミングアウトするなんて言い出したら、私、全力で阻止しようと思ってたので」
「どうして?」
「もしアレックスさんが、心から世の中の人たちに自分のことを分かってもらいたくて仕方がないって言うんなら全力で応援しますけど、そうじゃないのに、それも何かと引き換えに、自分の大事なことをさらすようなことなんて、絶対にさせたくなくて」
「今なら俺もわかるよ。彼と長く話していくうちに、俺の中にもそういう気持ちが芽生えてきたから」
「鴻上さんも?」
「ああ、俺だってもう『Eternal Boy's Life』のブレーンだからね。君と一緒で彼らのファミリーだ。だから君と同じ気持ちだし、彼らの事も、君の事も守りたいと思ってる」
「鴻上さん……」
「おいおい、もう泣かないでくれよ! これからまた君のファミリーに会うんだから。葉月ちゃんが目を腫らしていたりなんかしたら、君の親友になに言われるかわかったもんじゃない!」
徹也は大袈裟に身震いして見せる。
「あはは」
「よかった、笑ってくれて! じゃあ、それを食べたら出よう」
すっかり暗くなった空には大きな月が上がり、街のイルミネーションはひときわ賑やかになっていた。
駐車場で裕貴に連絡してから、徹也はかれんのマンションに向けて車を走らせる。
だんだん無口になる自分を不甲斐なく思いながら、スッと助手席の葉月に右手を伸ばした。
「葉月ちゃん」
「は、はい……」
少しその返答に戸惑いを感じた徹也は、自分の心の内を話すのをやめた。
「しばらくは様子を見るために、親友のマンションを出ない方がいいだろう。仕事についてはパソコンに資料を送っておくから、しばらくはリモートで会議にも参加してくれるかな」
「はい、わかりました」
「あと……」
「はい、なにか?」
「いや、何でもない。もうすぐ到着するぞ」
〝毎日連絡するから〟と言いかけて、徹也はまた言葉を飲み込んだ。
第176話『Let it all out』感情の吐露 - 終 -




