第175話『Makeover』イメージチェンジ
鴻上徹也の車に乗せられた葉月は、車内に漂う緊張感にギクシャクしながら、そっと徹也に声をかけた。
「あの……?」
「プッ!」
「えっ?」
葉月が驚いたように運転席に目を向けると、徹也が笑いを噛み殺すような表情でハンドルを握っていた。
「鴻上……さん?」
「フッ……ははは、ああ、ごめん! ダメだ! 何度思い出しても笑いが込み上げて……フフフ」
「え?」
「そりゃあ心配はしたけどさ、謝罪はもう結構だ。しかも! あんな綺麗なお辞儀で……クックック! 昭和の不祥事かっつーの! あっはっは」
葉月は眉をひそめる。
「もう! そんなに笑わないでくださいよ! 私は感謝とお詫びの気持ちを伝えたくて……」
「そんなのわかってるって! わかった上で不要だって言ってんの! もっと君のボスを信じろよ」
「あ……はい。ありがとうございます」
徹也はチラッと葉月に目をやる。
「あ……それより、その……君の出で立ちは、なんて言うか……」
「ああっ! やっぱり私には似合ってないですか?」
「いや、そんなことない! 全然そんなことないんだけど、なんか調子が出ないっていうか……」
「それはやっぱり似合ってないってことなんじゃぁ……」
「いやそうじゃない! 悪くない。いや、むしろ似合ってる。そんな感じもいいなって……」
「へっ?」
パッと目が合って、徹也は慌てて前へ視線を戻す。
「あ、いや……なに言ってんだ俺は! ああ……マジで調子狂うわ、ははは」
そう言うと、徹也は大きくハンドルを切りながら車をUターンさせた。
「今日はさ、ドライブして景色を見ながら話そうって思ってたんだが……予定を変更させてもらう。ちょっと待ってて」
徹也は信号待ちで車のハンドルのボタンを押す。
パネルを操作していると電話の呼び出し音が車内に響いた。
「パラディーゾ・オーシャンでございます。鴻上様、ごきげんよう。支配人の河村でございます」
「ああ支配人、急で悪いんだけどオーシャンビューの個室を確保してもらえるかな?」
「かしこまりました。お料理は何をご用意すれば?」
「ん……この時間だからアフタヌーンティーを2つ」
「three tiersでよろしいでしょうか?」
「ああそれで。10分ほどで着くよ」
「お待ちしております。お気をつけてお越しください」
電話をオフにした徹也に、葉月がそっと問いかける。
「あの…… 『パラディーゾ・オーシャン』って……言いました?」
「ああ」
「あ、あの海岸通りのタワービルですよね?!」
「うん。よく知ってるな?」
「この辺で知らない女子はいませんよ! 今やトレンドの ショッピングスポットでもありますし、予約がとれないってこの前テレビでも……」
「そう。それにイベントもたくさんやってるだろ?」
「ええ。メディアにもよく取り上げられてますよね? え? もしかして……」
「ああ。全て『from Fire works』が手がけてる。ま、少しズルいかもしれないが、あのビルは『LBフロンティア』の自社ビルでもあるんだ」
「ええっ! そうだったんですか?!」
「最近あそこにオフィスも引っ越したらしくてさ。さすがは若い副社長の発想だよな? お陰で大ブレイクだそうだ」
「あの……弟さん」
「そう。俺と声がそっくりにして性格は正反対の出来た弟。気だてが良くて気の利くヤツでさ、あのビルごとウチの会社にプロデュースを任せてくれるもんだから、こっちも大繁盛だ。というわけで、俺の息のかかった店に行くわけだから、人目は気にしなくていい」
通勤で見慣れた駅前を通り抜け、まっすぐ南下してウォーターフロントエリアに差し掛かると、ひときわ目立つスタイリッシュなタワーが見えてきた。
地下駐車場に車を停めると、 徹也はサッと運転席を降りて、エスコートするように助手席側のドアを開けた。
「あ、ありがとうございます」
エレベーターのボタンを押し、階数表示を見つめながら徹也がぎこちなく言う。
「さっきも言ってたけど、本当はドライブしながら話そうって思ってたんだ。君が憔悴してる様子がユウキの話しぶりで感じ取れたからさ、対面で詰めた話をせずにさりげない会話だけがいいなって、そう思ってたんだけど……でも急遽変更することにしたよ。俺の都合でな」
葉月は首をかしげる。
「え? それはどういうことですか?」
「まぁ簡単に言うと、今の君のコスチュームをじーっくり見たくなったからかな? 隅から隅までね」
「コ、コスチューム? すっ、隅から隅まで……」
たじろぐ葉月に徹也はカラカラと笑い出した。
「だって、葉月ちゃんがそんな格好するのなんて、超レアだろ? これは目にやきつけとかないともったいなぁと思ってさ! もはやコスプレイヤーの追っかけみたいな心境だな」
「え? これはコスプレなんですか??」
「ははは。本当は素敵な君をみんなに見せびらかせたいところだけど、今日のところはお忍びで俺だけで楽しませてもらう」
「そんな……」
「さ、冗談はさておき、ほら着いたよ! Ready! Open!」
徹也が呪文のように言った瞬間、エレベーターが開いたその先には、全面の海と空の2層の青い世界が広がった。
「わぁ……すごい!」
徹也は得意気に微笑む。
「これは俺のアイデアだ。エレベーターが開いた瞬間、大きな窓に出迎えられるつくりにしたかった。だってさ、下界から切り離されたこんな晴れやかな場所に降り立つんだから、ゲストにはもうここからワクワクし始めてもらいたいだろ?」
「さすがですね!」
徹也が得意気に顔をあげると後ろから支配人が声をかける。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
店の入り口とは反対方向に案内されて、葉月は戸惑いながらも、秘密通路のような細長い廊下を通り、突き当たりの大きなドアまでたどり着いた。
大きく開かれたドアをくぐると、葉月はまた大きく息をつく。
「うわ……素敵……」
ふかふかの絨毯敷きのフロアに足を踏み入れると、ブルーのベースに淡いイエローで縁取りされた気品のある壁紙から伸びた高い天井の解放感に圧倒される。
つま先まで切れ込んだ全面ガラス張りの窓は、惜しげもなく海と空の青さを提供し、その窓に向かって置かれテーブルには、2つの椅子がとなり同士に並んで設置されていた。
椅子を引いてもらって席に着くと、沢山のデザートが盛られたthree tiersと小さなスイーツとプラリネチョコが宝石のように散りばめられた小箱が目の前に置かれ、葉月を魅了する。
サーバーが部屋から退出すると、徹也は さっと立ち上がり、葉月の手を取って窓際へ促した。
「わぁ! こうやって覗かないと地面が見えないぐらい高いんですね! 足がすくんじゃいそう!」
徹也は微笑みながら葉月に近付いてその顔を覗き込む。
「そう! リュウジのマンションより、こっちの方が高いんだ。葉月ちゃん、あそこの夜景は綺麗だった?」
葉月が徹也を見上げる。
「え……ああ、そうですね……ちょうどこんな感じで足元まで ガラス張りだったから、やっぱり足がすくんで、ゾワゾワしました。でも、向こうの山の方まで見えて、とても綺麗な夜景でした」
「ふーん。そうなんだ」
徹也は数歩、後ろに下がる。
「え? どうしたんですか?」
「葉月ちゃん、その服、やっぱり似合ってるな。そういう格好で出社したらどう? 君を秘書としてクライアントに紹介するのもイイかもな」
「これは……親友が見立ててくれて」
「そうらしいね。彼女らが仕掛けてくれたドッキリに感謝するよ。君の新しい一面が見られてワクワクしたし」
「そんな……ワクワクだなんて……」
「では! 大人の出で立ちの葉月ちゃんに、一つ質問!」
突然の徹也の言葉に驚く。
「はい? え……なんですか?」
「リュウジとの一晩は、どうだった?」
「え?」
「ヤツが君を見つけて捕獲して、ヤツのマンションで朝まで過ごしたんだろう?」
「捕獲って……」
「ああ、そのワードはアレックス君が言ってたんだけどね」
その名前を聞いた葉月の顔に笑みがさす。
「おやおや? 俺のライバルはリュウジじゃなくてアレックス君か? でもおかしいな? アレックス君、俺にも少し興味がありそうだったぞ」
「あはは」
葉月はにっこり微笑みながら話し始めた。
「アレックスさんのこと、本当に親戚のお姉ちゃんみたいで、大好きなんです。ファッションの好みも合うし、ウィットに飛んだお洒落な発想もとっても素敵で」
徹也は頷く。
「なるほど。君にとっては同性の感覚なのか」
「はい。アレックスさんのこと、本当に信頼してます。だから尚更、あんな記事が出たのが苦しくて……」
「わかるよ。彼と話してても、君への妹愛が炸裂してた。ま、最後の方はペットだとも言ってたけどな。本当に面白い人だね。俺としては、あんな絶世の美男子が本気で 君をかっさらいに来たら勝ち目がないから、むしろ助かったって思ってたんだけど……今はむしろ、リュウジの方が気ががりだ」
「え?」
「君が見た夜景は、リュウジの寝室から見た景色だろ? リビング側の窓からは、山は見えないんだよ」
徹也の冷めた口調に、葉月は少し神妙な表情を見せる。
「ああ……確かに、そうなんですけど……」
「ヤツとそこで 一晩過ごしたってこと?」
葉月がハッとする。
「も、もしかして、なんか疑ったりしてます?」
「あれ? 今頃気づいたわけ?」
白けた視線を送る徹也に、葉月はブンブンと首を振る。
「ないです ないです! そんな恐れ多い!」
「は? 恐れ多いとは? どういうこと?」
「だってリュウジさんって、もう今や有名人ですよ? 今回はアレックスさんにも迷惑かけちゃって、めちゃめちゃ反省したんです。これまで、リュウジさんにはフェスに連れていってもらったり、『Blue Stone』でもバスケチームでもお世話になってますけど、もしもリュウジさんに迷惑をかけるようなことになっちゃったらどうしようって、今、本当に心配してるんです」
「ふーん、同じ部屋に泊まったことも隠さなきゃならないし?」
「同じ部屋に泊まるわけないじゃないですか! おとなりの機材が置いてあるお部屋をお借りしただけですよ!」
「じゃあ、今後リュウジとは距離を取らなきゃいけないよな?」
「ええ……」
「君とリュウジが以前のように街を闊歩するのは、しばらく難しいってことか」
「そう……ですね」
「それはやっぱり、君にとって寂しいことなの?」
「ああ、まぁ……寂しいのは寂しいです。でもやっぱり『エタボ』で新天地を踏むリュウジさんの妨げになっちゃダメだって思ってます」
「ふーん。じゃあ、我慢もできると?」
「そうですね。そうするべきかと」
「わかった」
徹也はグーンと空に向かって伸びをした。
「なんか腹が減ったな。このうまそうなスイーツをいただこう!」
幾分上機嫌になった徹也に首を傾げながら、葉月は彼が引いてくれた椅子に座って、アフタヌーンティーを前にする。
「わぁ、すごい豪華! この色とりどりのスイーツ……かわいい……鴻上さん、写真撮ってもいいですか?」
「うん、どうぞ」
「なんか食べるのがもったいないなぁ……由夏やかれんにも食べさせてあげたい」
「そうだね、彼女たちにも挨拶をしなきゃな」
「ああ、この夏の『Splash・Fantasia』では彼女らとは会えなかったんですよね? 彼女たちもそう言ってて、残念がってました」
「ああ、あの時期は俺もあっちこっち飛び回ってて、あのイベントには美波に行ってもらってたからな。俺もほんの一瞬立ち寄ったけど、すれ違ったみたいだ。あとで君を送る時にちゃんと挨拶をするよ。そうだな……近いうちに彼女たちも食事に招待して、一度仕事についての話をするのはどうだろう?」
「わぁ! それいいですね! 彼女たちも喜ぶと思います」
「そう? よかった。じゃあ、いただこう」
「はい。いただきます!」
第175話『Makeover』イメージチェンジ - 終 -




