第171話『Hand in Hand』取り合う手と手
かれんのマンションに到着した葉月は、裕貴と由夏の4人で食卓を囲んでいた。
昨夜の事件で皆がそれぞれ心を痛めていた反動もあり、くつろいだ話に花が咲いていた中、葉月が急に立ち上がったので3人は驚いて葉月を見上げた。
「葉月……突然どうしたの?」
葉月は頬を紅潮させたまま、カバッと身体を90度折り曲げた。
「みんなありがとう! 心配してくれて……逃げ回ってる間も、私のことを支えてくれて……本当にありがとう!」
3人は戸惑いながらも顔を見合わせて微笑む。
「ヤダなぁ葉月、そんなふうにお礼言われちゃったら、リュウジさんのことイジりにくくなるじゃない!」
「へっ??」
葉月は驚いて顔を上げる。
「そうよ! これからたっぷりリュウジさんのあんなことやこんなことを聞きだそうと思ってたのに」
「あんな、こと……」
「それにね、私たちが葉月のことを心配するのなんて当たり前のことでしょ? 仮に逆の立場ならどう? 葉月だって同じ気持ちで私のことを思ってくれるって、信じてるんだけど?」
葉月は大きく頷く。
「そりゃもちろん、そうよ」
「でしょ? だったらそんなふうにに引け目を感じたりしないでよ。そもそも葉月は何も悪くないし、今回起きた問題は何にせよ大きすぎて私たちには太刀打ちできないわけだから、解決は大人の人たちに任せて、私たちの役割は葉月の心の健康を取り戻すことが第一なんだから」
「そうよ。まぁ私たちだって、当人とは比べ物にならないとはいえ、かなりな心労を感じたわけだからさ、その分リュウジさんとの関係をイジりながら、心の底からほっこりしたいと思ってるってわけよ!」
葉月はストンと座って、遠慮がちに口を開いた。
「あの……少し引っ掛かるんだけど……リュウジさんのことをイジるって??」
かれんが涼しい顔で微笑む。
「謝罪もお礼も不要だけど、リュウジさんとの現状のについては、自白する覚悟をもって来たのよね?!」
「自白?!」
「ええ、入念にね! リュウジさんとの今後の展開も、しっかり報告してもらわないと」
「今後の……展開?」
葉月は不可解な表情のまま首をかしげたままだった。
「だって考えてもみてよ! ドラマチックな再会の後に、彼と2人っきりで彼のマンションで一夜を過ごしてるのよ!」
「ま、まぁ……流れで言うとそうなるけど……」
裕貴がため息をつきながら、2人にむかって代弁するかのように首を横に振る。
「え?! でも、ちょっとぐらいは何か……発展というか、事件というか……」
「じ、事件??」
驚いた顔で自分の方を向いた葉月に苦笑いしながら、裕貴はもう一度大きく首を横に振った。
「ええっ?! 一晩泊まった のに、何も……なかったってこと?!」
ようやく言葉の意味を把握した葉月は、みるみると顔を赤く染め、裕貴よりもずっと高速で首を横に振った。
「そ、そんな、助けてもらってただけで……それ以上、何かあるとか……そ、そんなことあるはずがないじゃない!」
「え……嘘でしょ?!」
2人がまた裕貴の顔を仰ぐと、肩をすくめた裕貴が今度は頭を縦に振った。
「普通はそう思うよね? だからボクも慌てて朝イチで帰ってきたんだけどさ……さすがの リュウジさんでも、こんな葉月のド天然ぶりには、全く太刀打ちできなかったみたいだよ?」
「あー……なるほどね」
腕を組みながら深々と頷く2人に、葉月は抗議する。
「ちょっと! どうしてそこで納得するのよ」
2人は笑いだした。
「納得するしかないでしょう?! その状況でなにも起こらないなんて! あなたとリュウジさんって、父と娘の関係なわけ?」
「え……なんでそうなるの?」
「そりゃね、昨日は葉月が窮地に追い込まれたから、その保護者役としてリュウジさんを頼りにしたのは私たちも一緒だけど、そういった逆境の中だからこそ、こう……なにかが芽生えたりとか? 盛り上がっちゃったりとか……なにかしらあるもんなんじゃないの? 少なくともリュウジさんは健康な男性なわけだし? 心の振れ幅が大きい分、大きな行動に移してもおかしくないと思うんだけどねぇ?」
葉月はまた不可解な表情のまま、静かに問いかける。
「あの……健康が何か関係あるの?」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?」
3人は一瞬、同じ表情で閉口した。
そして一斉に笑い出す。
「ちょ、ちょっと……なんで笑うのよ」
手のひらをブンブンと振りながら、由夏が呆れたように言う。
「あ……いやいや、ごめんごめん! 葉月に回りくどい話をしてもダメなんだった」
「回りくどい話?」
葉月が首をかしげる。
「ううん、大丈夫! あはは」
かれんが葉月の肩をたたいた。
「そういえばさ、『エタボ』のアレックスとも長く話してたって言ってたよね? 私たちとも大分長く電話してたから……リュウジさんが入り込む隙はなかったのかも……」
「入り込む……スキ?」
由夏とかれんが盛り上がるなか、葉月はまた首を捻る。
「あははは、いいっていいって」
「なんだぁ、私たちが邪魔しちゃってたみたいね」
「そうかも?!」
「リュウジさんに悪いことしたかしら?」
「え? さっきから……なんの話?」
答えを求めて振り返る葉月に、裕貴はただただ笑顔を向けてごまかす。
かれんが改まったように葉月に向き直って、にっこりと微笑んだ。
「では葉月? はじめから、正直に話してもらいましょうか?」
「え……」
「そうそう、忠実に再現してよね! 加えてサービストークも盛り沢山で、よろしく!」
「えっ? サ、サービス……トーク?!」
困惑する葉月に、また3人は笑い出した。
そうそう、まずはリュウジさんとのドラマティックな再会から話してもらおうかな」
「え……ドラマティックじゃぁ、ないけど……」
葉月は眉を寄せながら、スマホの充電が切れてしまったため、雨が降る中、東公園の花時計の前で座り込んで待っていたところから話し始めた。
「ホントはね、元彼の思い出があるから、花時計には行きたくなかったんだけど……でも奥張った場所に居たらリュウジさんに見つけてもらえないかなと思って」
「でも雨ざらしでしょ? 風邪引いちゃうわよ」
「うん、雨に打たれてちょっと寒かったけど、でもあの大雨のおかげで、それまで付きまとわれてた人影が居なくなったから、ある意味ホッとしてたの。そしたら車道に大きな車が停まって……」
「そこで王子さまの登場ね!」
裕貴があきれた表情を浮かべる。
「リュウジさんの姿が見えた瞬間、ちょっと気が遠くなっちゃって……傘を放り出して走 って来てくれる姿で、一旦記憶が飛んでるの」
「ええっ……そうとう憔悴してたのね……」
「歩けなかったから、リュウジさんが担ぎ上げてくれて、車に乗せてもらって……」
葉月の頭のなかに、走り寄ってきた隆二の心配そうな表情が蘇る。
「後部座席でブランケットにくるまったまま横になって、駐車場に入ってようやく安心できた。私もずぶ濡れだったけど、リュウジさんもびしょびしょになってて……本当に感謝したわ」
それからは、隆二のマンションの豪華さに驚愕したことや、そのセンスのいいインテリアをこと細かに説明し始めた。
「あの東公園の南側にあるタワマンかぁ……出来た当初、話題になったの覚えてるわ。あの最上階に?」
「うん。1階上のフロアにはスポーツジムとプールがあるって。そのさらに上の階がスカイラウンジになってて、晩御飯はそこのケータリングをご馳走になったの」
「ほぉ、イケメンと2人でデザイナーズソファーに身を沈めながらディナーしたってわけだ? え? びしょ濡れのまま?!」
「あ……シャワーの後だけど……」
3人がグッと近づいてきて、葉月はたじろぐ。
「あ……私の服を洗濯させてもらってる間に、シャワーを借りて……」
「洗濯してるなら葉月は何を着るのよ?! ま……まさか」
「あ、リュウジさんにスウェット借りて……」
「はぁ? スウェット?」
「うん、これと同じような」
葉月はタブタブのパーカートレーナーの袖をまくりながら指差した。
「ふーん……」
「それで……リュウジさんもびしょ濡れだから、私のあとにシャワーに入って、その間に由夏とかれんに電話したんだけど、出てきたら……」
そこで裕貴が手を上げた。
「あら、なに? ユウキ」
かれんが発言を促す。
「多分だけど……リュウジさん、いつもシャワーのあとは上裸で出てくるから、それで葉月が過剰反応したんじゃないかなって」
「そうなの!? 葉月!」
葉月はばつが悪そうに下を向く。
「あ……うん。独り暮らしだからバスルームにTシャツを置いてないって……あ、でも肩にタオルはかかってたんだけど、とにかくびっくりして……」
「やっぱり! あの悲鳴はそういうことか! なのに虫だなんて言って……リュウジさんに怒られなかった?」
「ああ……" 虫扱いなんてひどいだろ " って。それで意地悪されちゃったの。しばらくその上半身裸のまま、そこで話を聞かれてて……」
「ふふふ、だから不自然だったのね? それは納得だけど、リュウジさんの上裸を罰ゲームみたいに言うなんて! むしろお宝じゃない!?」
「そうよ! 私もフェスの映像を見たけど、あのしなやかで美しい肉体をすぐそばで見られるなんて、ラッキーだと思わないの?!」
葉月が顔を引きつらせる。
「に……肉体……」
「わぁ、私も拝ませてもらいたいくらいよ!」
裕貴は嫌な顔をする。
「あのさぁ君たち! まだ陽も高いうちからナンテ話を……酒も飲んでないのに?」
「なに言ってるの?! 美しいものを見たいのは、美的センスを持つものの性よ? 誰しも湧き上がる欲求なんだから。ああ、決してよこしまなわけではないわ」
「ホントかなぁ? よこしまにしか思えないんだけど?」
「あのフェスの映像で、見惚れちゃったわよ。ほら、あの葉月がプレゼントした真っ赤なTシャツをさ、ドラムの前に立ち上がりながらリュウジさんがバッって脱いだじゃない? あのしなやかな肉体はもはや芸術的な美しさだったわ」
陶酔するように話す由夏を置き去りに、裕貴が突っかかる。
「ちょっと待って、葉月がプレゼントしたTシャツって?」
かれんが割って入った。
「ああ、あの赤いTシャツはね、フェスの前にリュウジさんと葉月でショッピングに行った時に、葉月がリュウジさんにプレゼントしたものなのよ?」
「ええ? そうだったんだ……」
葉月もフェスを思い起こしながら、うっとりと話す。
「リュウジさんって、ステージでドラムを叩く時はいつも黒いTシャツばかりのイメージだったから、ステージの後方にいるのなら、鮮やかな色の方がいいんじゃないかなって思ってたの。そしたらすごく リュウジさんに似合いそうな赤いTシャツを見つけたから、私も嬉しくなっちゃって。フェスに連れて行ってもらえるお礼もかねて、プレゼントさせてもらったの」
裕貴は独り言のようにブツブツと口を動かした。
「知らなかった……たしかに赤いTシャツなんて珍しいと思ったんだよな……まぁ、師匠に似合ってたけど……」
「ああっ! ユウキが拗ねてる!」
「はぁっ? 拗ねてるわけないだろ! ただ、そのフェスの前日に葉月と買い物に行ったってことについては、なんか執拗に隠そうとしてたからさ、めんどくさいなって思ってたんだよね」
「ふーん。師匠と弟子の間には、私たちには分からない空気が流れているみたいね」
「そりゃもう! 色々なことも知ってるからね? 色々な処理もさせられてるし」
含みのある言い方をした裕貴に、今度は女性陣が注目する。
「その色々なことを聞いてみたいわね。そりゃ、あんなにセクシーな色男なんだから? 色々なことが起きるんだろうけど? ねぇ、葉月?」
「え、えっ!? 私には……」
目を白黒させる葉月に、また3人は笑い出した。
「まぁ、このところ葉月の周りは目まぐるしいからね。イイ男が立て続けに何人も、しかも最推しの『Eternal boy's life』に トーマまで! そりゃ葉月がバーストしちゃうのもわけないわね?」
葉月は大きく息をつく。
「たしかにこの短い期間で、私の周りは大きく環境が変化したと思う」
「まぁ、その中で一番良かったことといえば、あの元カレと別れられたことだって私は 思ってるんだけどね。なんなら今回の事件よりも、あの元カレといたほうがずっと葉月は不幸だっただろうなって、思ってるから」
由夏の言葉に葉月うなずく。
かれんは同調しながらも、労るように葉月の肩に手を置いた。
「ただね。何も知らなかったところから飛び出すのには、ちょっと刺激が強過ぎる環境だったかなとは思うのよ。みんな素敵な人だし葉月が大切にされてることも嬉しいけど、今回みたいなことは、さすがに心配よね?」
見上げる葉月に、さらに優しく微笑んだ。
「でも大丈夫よ! いい大人がたくさんついてるし、何より葉月にはスーパーマネージャーであるユウキがいてくれるから」
「なんだよ、スーパーマネージャーって!」
「だってそうでしょう? たくさん大人がいる中で、一番周りがよく見えてるのは、実はユウキなんだから」
「やっぱり仙人か……もしくは 転生を繰り返してるオジサンなんじゃないの?」
「はぁ? またそんなことを……」
今度は葉月も含めた女性陣が笑った。
ほぼ空になった弁当箱を持ち上げながら、更に由夏が捲し立てる。
「だって、こんな粋なお土産を持って、平然と〝女の城〟に乗り込んでくる度胸を持ち合わせた21歳男子なんて、どこ探したっていないと思うわよ?」
「それってさ、自分たちの強靭さをしっかり把握してるっていう意味?」
「おっと! 言ったわねユウキ! そこまで言うなら、もうユウキもここの一員から抜けられないからね!」
「ほぅ! そりゃありがたい。一応ハーレムだし?」
「はぁ? 一応が余計でしょ! あははは」
和やかな雰囲気に葉月が微笑むと、由夏がそのほっぺたを 突っつく。
「ねぇ葉月、話は終わったと思ってる? ここからが本番なのよ? みんなと電話を終えた後、リュウジさんとどんな夜を過ごしたのか……さぁ! 吐きなさい!」
「え! そ、そんな……別に、なにも……」
第171話『Hand in Hand』取り合う手と手 - 終 -




