第164話『Early visitor』早朝からの来客
ダイニングテーブルをはさんで、隆二と葉月が淹れたばかりのエスプレッソを飲んでいると、突然インターホンが鳴った。
二人は一瞬、動きを止める。
「あ……またケータリングですか?」
「いや、俺はなんも注文してないけど……」
「えっ? じゃあ、いったい誰……?」
立ち上がって半信半疑にモニターに近付いた隆二は、それを覗いたとたんに顔を歪めた。
「チッ」
葉月が隆二を仰ぎながら首をかしげる。
「隆二さん? 誰なんですか?」
「う……めんどくせぇ……」
葉月が後ろからモニターを覗いてみても、そこにはもう誰も映っていなかった。
間髪入れず、玄関でガチャガチャと鍵の音がして、葉月は思わず後ずさりする。
「ち、ちょっと……リュウジさん、誰かが勝手に……」
玄関が開いた音と共に、大きく怒ったような足音が廊下からドンドンと聞こえる。
おろおろする葉月の目の前で、バンと乱暴にドアが開け放たれた。
「わぁっ!」
両手で顔を伏せた葉月がそっとその手を開く。
勢いよく現れたその人物を足元から恐る恐る見上げた葉月は、その顔を見るなり安堵の表情を見せた。
「なんだぁ……ユウキだったの?!」
裕貴はニコリともせず、そのままズカズカと葉月の前までやって来た。
「葉月!!」
「は、はい!」
「昨日の夜はどこで寝た?!」
「え??」
急な問いかけと、その勢いに絶句する。
「え……あそこの機材の部屋……だけど」
「そうか。わかった」
葉月からくるりと向きを変えた裕貴は、今度は隆二に視線を移した。
「で? リュウジさんは?」
高圧的なその視線に物申す。
「はぁ?! おまえ! 来て早々になんなんだ!?」
「だ・か・ら! どこなんですか?!」
勢いに押され、隆二は視線を外しながら答える。
「そ、そんなの、自分の寝室に……決まってんだろうが!」
「そうですか」
あっさりとそう返した裕貴は、再び葉月の方を向いてサッと近寄ると、その両肩に手を置いた。
「葉月、大変だったね。ごめんね、葉月が大変なときにこっちに居なくて……」
急に優しくなった口調に戸惑いながらも、葉月は首を横に振りながら裕貴を仰ぐ。
「ううん、大丈夫! リュウジさんが助けてくれたから」
「そっか。とにかく、よかった」
笑顔でそう言いながら葉月の頭に触れた裕貴が、また表情を変えて目を見開いた。
「ん??」
「え……どうしたの? ユウキ?」
「なんか……ムカつくんだけど!」
「えっ?」
驚く葉月の隣で、隆二も目を丸くする。
「は? おまえさっきから支離滅裂だぞ? ついに気でもふれたか?」
裕貴は隆二を睨む。
「リュウジさんの……匂い」
「え? リュウジさんの……匂い?」
首をかしげる葉月の両肩を更に強くつかんだ裕貴は、強い視線で葉月に問いかけた。
「もしかして……なんかあったとか……」
「なんか……って?」
キョトンとした葉月の隣で隆二が眉をつり上げた。
「なんもあるわけねぇだろ! ユウキ! いい加減にしろよ!」
「だって、葉月からリュウジさんの匂いがするんで……」
「はぁ?! そりゃ俺のシャンプー使ったからだろ」
「この服も……」
「だから! 俺の柔軟剤で洗ったからだろうがぁ!」
裕貴が頭を抱えた。
「ああ……なんか……ムカつく!」
隆二が呆れたように空を仰ぐ。
「おまえは、バカか?!」
「リュウジさんには言われたくないですよ!」
「なんだと?! どういう意味だ! つーか……おまえ……」
裕貴の顔を覗き込んだ隆二が、プッと吹き出した。
「おまえさ……なんて顔してんだ?! あははは!」
隆二が豪快に笑いだし、葉月もつられて笑い出すと、裕貴は口をへの字に結んでますます仏頂面になっていった。
「それで? おまえ、なんで戻って来たんだ?」
隆二の質問に、裕貴は口を尖らせた。
「そりゃ『Eternal Boy's Life』の会議がなくなったんですから、ボクがあっちにいる必要はないでしょ」
隆二は大きくため息をつく。
「だからってこんな朝っぱらに帰って来なくてもいいだろ。あっちにはお前の大好きなトーマさんだっているわけだしな。このスパイ野郎め!」
裕貴は顔を上げて抗議する。
「ひどい言い方ですよね?! ボクたちがスパイなら世界中の人間がリュウジさんの敵ってことになりますよ!」
隆二は観念したように両手を上げた。
「わかったわかった、認めるよ。『エタボ』の〝ロビー活動の先駆者〟だからな。確かに、おまえにも色々世話をかけた」
裕貴は片眉をあげる。
「別に手の内を明かしたつもりはないんですけど?」
隆二は腕組みをしながら、またため息をついた。
「お前なぁ……俺が何も気付かないとでも思ったか? 一番不審な行動をとったのはおまえなんだからな! 師匠を置き去りにして理由もつけずに事務所に前乗りするなんざ、バレバレもいいところだ! もっと上手い嘘がつけなかったのかよ」
裕貴が少し悔しそうに視線を下げ、口を閉ざす。
「おおっ! 今回ばかりは俺の勝利だな!」
あからさまに嬉しそうな隆二に、裕貴は不満げな表情を向ける。
「全く……大の大人がそのザマですか? そんなことで鬼の首を取ったみたいな顔をしないで下さいよ。ボクはスパイどころか、仲介役も担ってるんですから! トーマさんならまだしも、〝さっさと帰って葉月の様子を知らせなさいよっ!〟って、アレックスさんがうるさいのなんのって……」
隆二は苦笑いする。
「そりゃ……ご苦労さん」
三人はようやく立ち話をやめてソファーに移った。
葉月の隣に座った裕貴は、意味ありげな笑顔で、葉月の顔を覗き込む。
「ねぇ葉月、伝言があるんだ。誰だと思う?」
「え……アレックスさんじゃないの?」
「ううん、なんと! トーマさんから!」
「え……トーマさんから?」
瞬時に紅潮した葉月の緊張した声に、隆二がしらけた視線を向ける。
「うん。今回の事態については〝とにかく責任を感じないで欲しい〟って。みんな誤解だってわかってるから、次にこっちで集まる際も遠慮することなく、堂々とスタッフとして、鴻上さんと一緒に参加してほしいって言ってたよ」
葉月が無意識に両手を胸の前で組んで聞いているのを見て、隆二は呆れたようにソファーにもたれた。
「なんだそのポーズは? 教祖様を崇める信者かよ!」
「まぁまぁ。葉月にとってトーマさんは〝神〟みたいなもんですから」
「神って……」
恥ずかしそうに下を向く葉月をなだめるように、裕貴はその背中に手をやる。
「みんな心配してたんだよ。葉月が元気でよかった。トーマさんもホッとしてたよ。でもボクは、葉月がリュウジさんに捕獲されて、もしや〝あらぬ姿〟だったりしたら……って、内心ヒヤヒヤしながら戻ってきたんだけどね」
「はぁ?! てめぇ! 何の心配してんだ!」
「……あらぬ姿?」
首をかしげる葉月に、隆二は苦笑いする。
「あ……葉月ちゃん、そこは深掘りするところじゃないから」
「え?」
きょとんとしている葉月に裕貴は小さく手を振って見せる。
「何でもないよ葉月、わかんなきゃわかんないで、それが答えになるからさ。リュウジさんに〝勇気〟がなくてホント良かった」
また首をかしげる葉月の肩越しに、裕貴は眉を上げたままにんまりとした表情を隆二に向ける。
「やめろ! そのムカつく顔! あー、なんか腹が減ったな。メシでも食いに行く?」
裕貴はあきれた表情で首を振った。
「リュウジさん、ボケないでくださいよ。昨日の今日で葉月が外に出られるわけないじゃないですか。現に、さっきもこのマンションの前で不審な人影を何人か確認しましたし」
「ああ確かに……そうだな」
「そんなこともあろうかと……」
裕貴はおもむろにリュックを開けると、中をガサガサと漁り始めた。
「なんだお前?」
「こっちの状況はわからなかったんで、とりあえずと思って……買ってきたんですよ。ほら!」
裕貴はあらゆる形の箱をずらりと並べた。
「さぁ、お好きなのをどうぞ。駅弁を手当たり次第買ってきたんで」
「わぁ! すごい!」
「ほら、葉月はこれなんかどう? タコ飯弁当!」
「わあ! これ、前々から食べたいと思ってたの! え? ユウキ、なんで私の好みがわかったの?」
裕貴は肩をすくめて、おおきく息をつく。
「マジで言ってる?! 一昨日さ、葉月、日本酒で酔っ払ってた時に、タコについての愛を熱弁してたじゃん? 覚えてないの?! お祖父さんの好物だったとか、今度琉佳さんと葉月の自宅でタコパするとか、さんざん盛り上がってさ!」
隆二が聞き捨てならないと言わんばかりに割り込む。
「は? 美波の弟が、なんで白石家に上がり込むんだ?」
「さあ? 本人に聞いてくださいよ」
ばつが悪そうに笑う葉月を睨む隆二に、裕貴は大きな箱を手渡す。
「で、リュウジさんはこれでしょ? 牛タン弁当」
「おお! おまえ、わかってんなぁ!」
「前のツアーで食べそびれたのをいつまでもクサクサ言ってたじゃないですか?」
「はは……ヤなこと覚えてんなぁ。おまえらしいよ」
「まぁ。他にも好きなものを選んでください。そんなでっかい図体なんですから、一個じゃ足らないでしょ? 残ったものはすべてボクが持ち帰るんで」
「おまえね、〝でっかい図体〟はないだろ? これでも俺は肉体美で売ってんだ。そろそろ次のツアーに向けて身体作りを始めるから、いっぺんに炭水化物は摂らねぇよ」
「そうですか。さすがのボクでも、リュウジさんが肉体美で売ってるとは知らなかったですけどね。じゃあ、これは彼女たちへのお土産にしようかな?」
「ん? 土産? 誰にだ?」
裕貴のスマホが振動した。
「準備OKだな。葉月、それ食べたら支度して」
「え? どういうこと?」
第164話『Early visitor』早朝からの来客 - 終 -
早朝の訪問者




