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第152話『Breakfast Buffet』モーニングブッフェ

翌朝、葉月が一階のコーヒーラウンジに下りると、そこは活気あるモーニングブッフェと化していた。


「ホントにここって葬儀場なのかしら?」


すぐ後ろで声がした。

「全くだよね。でもさ、今運ばれてきた焼きたてのクロワッサンと熱々のジャーマンポテトは、早急に取りに行くべきだよ」


振り向くと、琉佳が大きなプレートを片手に、にこやかに立っていた。


「ルカさん! おはようございます」

「おはよう! 白石さん、大丈夫? 昨夜はスカイラウンジに戻ってくるかと思ってたのに……徹也さんにコキ使われてたんだって?」

「え? あ……まぁ……」

「ユウキが手伝いに行くって言って降りたからさ、てっきり白石さんを連れて戻ってくるだろうって期待してたんだけど……そしたらBOSS(鴻上徹也)から連絡が入って、白石さんは疲れてるみたいだから部屋に戻らせたって言うからさ」


徹也は裕貴と話した後に、わざわざ琉佳に連絡を入れてくれたようだった。


「そう……だったんですか」

「うん、だから昨夜はメールにしたんだ。よく眠れた? 僕達と一緒に帰るだろ? 『Fireworks(ウチの会社)』の食事会も来れるんだよね?」

「ええ。よろしくお願いします」

琉佳はにっこりと微笑む。

「なんかホッとした。さっきエレベーターホールで見かけた時、白石さん、手を振っても気づいてくれなかったしさ、なんだか疲れた表情に見えたから、心配しちゃったよ」

「そうなんですか! ごめんなさい。大丈夫です!」

「ならよかった! あ、ほらクロワッサン、取りに行かなきゃ!」

「あ、はい」

葉月は気持ちがほころぶのを感じた。


トレーを持って一人、窓際の席についた葉月がふと窓の外に目をやると、見覚えのある車が走り去るのが見えた。

白のレンジローバー。

遠巻きに運転席の裕貴のシルエットだけが確認できた。

隆二は後部座席に乗っているのだろう。


「もう出発したんだな。アイツ、これから関西だってさ」

その声に振り向くと、すぐ近くに徹也の顔があった。

「鴻上さん……おはようございます」

「おはよ」

徹也はサッと葉月の表情を観察してから横に座る。

そしてスクランブルエッグにフォークを突き立てながら、徹也はさりげなく静かな声で訊ねた。

「大丈夫? 眠れた?」

「ええ」

徹也からホッと溜め息が漏れる。

「そっか。ごめんな、付いててやりたいんだけど……俺、これから九州でさ」

葉月は幾分明るいトーンで話し始めた。

「そうでしたよね。一昨日おととい、『Blue Stone』に鴻上さんがルカさんの代わりに来た時に、そう言ってましたし」

「ああ、そうだったな。なんだかずいぶん前の事みたいだ。昨日で一気に年食っちまった気分だ。ほら、気付いたら頭も真っ黒だしな」

徹也は皮肉っぽく笑って、髪をつまんで見せた。

「あはは。ホントですね!」

和やかな空気が流れる。

「また染めるんですか? 真っ黒にしちゃったら、色を入れるのは難しそうですけど」

「いや、シルバーヘアーはブリーチが大変だったから、しばらくは黒髪で楽させてもらうよ。あ! でもアレックスに会ったら、また地味だのなんだのって、難癖つけられそうだけどな」

その名前に、葉月はパッと表情を明るくした。

「そっか! ホントですね!」

「ったく、このタイミングで黒髪かよ!」

「鴻上さん、何気にアレックスさんを意識してるんですね!」

ほころんだ頬で覗き込んでくる葉月を睨みながらも、徹也はその表情に安堵していた。

「んな事ねぇよ。まぁ、そりゃトータルコーディネートのプレゼントも貰ったから、応えなきゃなぁ……なんて思ったりもするけどな」

「なら黒髪の写真、先にアレックスさんに送っときます?」

スマホを取り出そうとする葉月を、徹也は大袈裟に首を振って食い止める。

「だから! なんでそうなるんだ?!」

「え? アレックスさん、喜ぶかなって……」

「は? 俺の写真を送ってなんでアレックスが喜ぶんだ? 俺なら男の写真なんか絶対要らねぇけど」

「ああ……それは……じゃあ、驚かせましょう! 黒髪の似合うコーディネートとか!」

「なんだそれ? 俺をマネキンにしてコーディネート対決でもする気か? しかし、仲いいんだなアレックスと」

「あ、まぁ……」

そう言った葉月が、ハッとしたように天井を仰いで大きく息をついた。

「ん? どうした?」

「もうすぐ……会えるんですよね! アレックスさんにもキラさんにも……」


そう言って顔を輝かせる葉月を、今度は意地の悪い視線で睨みつけた徹也は、おもむろに葉月の方に体を向けて言った。

「トーマに……だろ?」

「えっ?……え、あ、あの……」

その名前にあからさまな反応を示す葉月を見て、徹也は驚く。

「うわ、ホントだったんだ! 聞いたぞ! 君がトーマくんの熱烈なファンだって」

「え……あ……それは、誰から……」

「ユウキだ」

「……でしょうね」

葉月はガックリと肩を落とした。


「最初のリハで、生トーマ見て失神したんだって?」

「ええっ! そっ……そんなことまで……」

「マジか! そんなに?」


大袈裟にのけ反る徹也に、葉月は意気消沈しながらも、弁解を始める。

「いや……だってね、中学生の時からファンだったバンドなんですよ! なんなら実在しないんじゃないかって思えるくらい、雲の上のような人達が、いきなり目の前に現れたりしたら、そりゃもう……」

「まぁ、わかるけどさ……っておい! 今も興奮気味じゃないか?」


みるみる頬を紅潮させる葉月に、半ば呆れながら徹也はコーヒーに手を伸ばす。

「あーあー、そんなんで次の週末に行って……大丈夫なんだか」


葉月はその言葉に食いついて、すぐさま徹也の腕を掴んだ。

「え……次の週末?! 決まったんですか!」

「お、おい! コーヒーがこぼれるじゃねぇか! ああ。週末だよ」

「……そうなんですね」


思いのほか強い力で掴まれたことに驚いた徹也は、腕をなぞりながら、うつむく葉月の顔を覗き込んだ。


「おい! だだ漏れしてるぞ! キラやアレックスじゃなくて……お目当てはトーマだったってわけか! そんなにトーマが……」

「ちっ、違いますよ! ようやく『エタボ』にリュウジさんが正式に……」


その名前を口にしたとたんに、葉月の表情が失速した。

息が止まったような沈黙のあと、徹也がいたわるように静かに声を発した。

「あ……葉月ちゃん、あのさ、昨日あのあと、トーマの意向って言う(てい)でリュウジと話してさ……」


その時、頭上から声がした。

「おはよう白石さん! 『エタボ』の話でしょ! 誰がカッコいいかってこと?! 私は断然、水嶋先輩(リュウジ)! イチオシだけどなぁ」

「え」

二人が顔を上げると、美波がにこやかな表情で立っていた。

「あ、おはようございます。美波さん」

美波が手にしたコーヒーカップをテーブルに置いて、葉月の向かいに腰を下ろすと、またもや頭上から声が降ってきた。

「なに言ってんの!」

琉佳がすかさずその隣に座る。

「姉ちゃんは高校時代からリュウジさんのファンなんだから、もはや『エタボ』は関係ないんじゃない?」

その弟の頭を、美波は小突いた。

「うるさいわね!」

姉弟のやり取りを笑顔で見ている葉月の横顔を見ながら、徹也はホッとしたように笑みを浮かべた。


「ねぇ白石さん、この子(ルカ)から聞いたと思うけど、あたしと徹也はこれから九州なの。昨日はさ、仕事とか言いながらもほとんど徹也のプライベートに付き合わせちゃって……白石さんにはだいぶんハードに働いてもらったから、今日はゆっくりしてちょうだいね。事務所で美味しいもの用意してるから、楽しんで!」

「はい、ありがとうございます」


琉佳が乗り出して、葉月に問いかける。

「ねぇ白石さん、寿司は好き? 事務所の経費で落ちるからさ、奮発しちゃったんだ!」


ハッとした徹也がテーブルを叩く。

「おいルカ! それ、俺が払うんだろうが!」

「いいだろう?! イレギュラーな仕事が入ったんだから、こんな時くらいスタッフを労ってよ」

「労いを示すのに寿司のランクが必要か?!」

「そこは誠意ってことで! ねぇ、白石さんは寿司ネタ、何が好きなの?」

徹也をかわした琉佳は、葉月の方にまた身を乗り出す。

「そうですね……コハダとかえんがわですかね。あと、タコも好きです」

「え? てっきりマグロとかサーモンって答えると思った。玉子とか」


目を丸くする琉佳に、すかさず美波が突っ込んだ。

「それはアンタでしょ! お子様チョイスなんだから。大人の男のクセして情けないったら……にしても白石さんの好みは年齢の割には渋いわよね」

「もちろんマグロとかサーモンも好きですけど………祖父が……あ、母の父なんですけどね、瀬戸内の人なんです。そのせいかウチの家族はお寿司好きなので、小さい頃から光り物も抵抗なく食べてました。タコは祖父がよく送ってくれて……刺身から始まって、色々な食べ方するんですよ。最後は友達も呼んで "たこ焼きパーティー" とか」

「へぇ! じゃあ "たこ焼き器" とか持ってるの?」

「ええ、もちろん! え? 皆さんのお宅には、たこ焼き器、無いんですか?」

「ないよ! いいなぁ。あのくるっとするやつ、やってみたい」

「そうなんですね! じゃあ今度ウチでたこ焼きパーティーやりましょう!」


葉月にハイファイブ(ハイタッチ)を求めようと高く上げた琉佳の腕を、徹也はぐっと掴んで阻止すると、呆れ顔で言った。

「おいおい! 小学生じゃねぇんだから、大のオトナがドカドカと押し掛けて "たこ焼きパーティー" なんて、親御さんに迷惑だろ」

葉月はものともせず首を振る。

「いいえ、ウチは単身赴任でママも退屈そうなんで、来てくださったら喜びますよ。ユウキなんて話に付き合わされた挙げ句、いつも泊まってけって言われて……私を送る度に引き留められてるくらいですから」

「え……泊まれって……?」

たじろぐ徹也を置き去りに、琉佳は更にヒートアップする。

「そうなんだ! じゃあ遠慮なくお伺いできるね! そうだな、冬になる前に一度……それと忘年会に一度! 白石さん、どう? こんなペース?」

「いいですよ」

「やった!」

今度はハイタッチが叶った琉佳は、満足そうに腰を下ろした。


「おいルカ! お前食い付きすぎだろ!」

「いいじゃん、憧れのタコパなんだから。姉ちゃんもやりたいだろ?」

「まぁ……」

照れくさそうに笑う美波に、徹也が目をく。

「お前もかよ!」


「ほら、決定! 白石さん、よろしくね! あ、リュウジさんも呼んでやってよ! そしたらさ、姉ちゃんが静かだろうから」

「ルカ! あんたね!」

美波の振りかぶった拳を避けながら、ルカが腕時計を見る。

「わっ! あ、ほら姉ちゃん、そろそろ行かないと! 徹也さん、何時の便だっけ?」

「ったく……この子は! ……じゃあ徹也、荷物下ろしてきて。15分後にロビーで」

「ああ」


美波に引きずられながら、琉佳は葉月ににこやかに手を振る。

「白石さん、タコパ話の続きは食事会でね!」

「はい、お疲れ様です」


二人が去ると、徹也はやれやれと首を振った。

「ったく、うるさい姉弟だな」


葉月は二人の歩いて行った方向を見ながら呟いた。

「ホント、素敵な姉弟ですよね。羨ましいなぁ」

「は? ホントに?」

「私、一人っ子なんで。兄妹って、憧れなんです。あんな風になんでも言い合えて、同じものを見ながら育って、心の底から信じ合える相手がすぐ側に居るなんて、いいなぁって……」

「兄妹じゃなくても居るだろ? そんな相手は」

「そうですね。かれんも由夏も、本当に親友の名のごとく最高の同志ですし、こうやって知り合えた皆さんとも、今はまだ期間は短いですが、きっとこの先は年月の方がついてくるみたいな……そんな間柄になれるんじゃないかなって、思ってます」

「葉月ちゃんは、人を大切にする子だからね。きっとお母さんがしっかりと大切に育ててこられたんだろうって、思うことがよくあるよ」

「え? ホントですか?」

「うん。ほら、さっきの寿司の話でもさ、そのお祖父さんって、うちの母に話してくれた一年前に亡くなったお祖父さんの事なんだろ?」

「はい」


徹也は葉月の頭にポンと手を乗せた。

「じゃあ俺も、君を大切にしなきゃな」

「え?」


徹也は明るい表情で立ち上がった。

「週末までに一旦戻れるか、それとも、直で『エタボ』の事務所に行かなきゃならなくなるか……今の段階ではわからないが、昨日リュウジと話して、いい兆しが予感できたんだ。葉月ちゃん、なにも心配しなくていいから、楽しみに過ごしてて」

「はい!」


「ただし」

徹也は葉月の顔を覗き込んで、落ち着いた声で言った。


「何かあったら必ず連絡すること。心配事があったら、遠慮せずにいつでも言うんだぞ。リュウジもしばらくは居ないしさ……とにかく、あんまり考え込んだりしないようにな」

「わかりました、ありがとうございます」

「じゃあね。気を付けてな」

名残惜しそうにそう言って、軽く手を振ったまま徹也はエレベーターホールに歩いていった。


その背中が見えなくなるまで、葉月は見送る。

「ありがとうございます……鴻上さん」


部屋に戻ろうとエレベーターを待っていると、開いた扉からこの葬儀場『想命館そうめいかん』のスタッフが何人も降りてきた。

まるでCAのごとく、センスのいいスーツに身を包んだスタッフをやり過ごし、入れ替わりに一人乗り込んだ葉月は、エレベーターのドアがしまった瞬間、ハッとする。

そこに漂う香り……

上質な白檀ビャクダン匂い。

祖父の葬儀でも、一周忌の時も、これに近い匂いを嗅いだ事はあった。

でもフッと脳裏に浮かんだのは、昨夜の自販機コーナーで徹也に強く抱きしめられた時の事だった。

昨夜の葬儀で彼のスーツに染み込んだその香りと共に、彼の鼓動や呼吸音、そして鼓膜に響くような声を感じたことを……

その大きく温かい手が、自分の耳に触れ、頬の涙を拭い、肩を抱いて、そしてそっと頭上に置かれた感覚も……

不思議とそこには隆二と義姉の会話はなく、ただその温もりの記憶だけが蘇って来た。


チーンという到着音でハッと目が覚めた葉月は、息を呑んで足早に部屋に向かった。


第152話『Breakfast Buffe』モーニングブッフェ  - 終 -

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